ナスカ
2025-06-08 18:00:00
4590文字
Public
 

カラミティアンドアストロジャー⑥

前回の続きです。

……その通りだ、情けないことにな」
王太子は暗い面持ちで答えた。今現在王国を脅かしているのは、対処法が語り継がれている厄災ではなく、原因不明の瘴気と深穴。八方塞がりの状況ではこんな顔にもなりたくなるだろう。それも自分自身ではなく、現場に派遣している民の命が危ういともなれば。
「大方の事情はゼルダから聞いております。ただ……私にも、理由はわからないのです。何故自分が、瘴気に耐えられるのか」
ゼルダと手紙のやり取りを始めたのは、アデヤ村での滞在が許されて間もなくのことだった。城を出ていった自分が姪を安心させるためにも、手紙を送るのは一番いい方法だった。だが根無し草のままでは郵便屋に迷惑をかける。安住の地とまではいかないものの、長期滞在が可能となったタイミングで、アストルはゼルダに手紙を出した。最初に届いた返事の筆跡からは喜びが溢れ、アストルはそれに胸を撫で下ろした。
互いに近況の報告をし合う最中、ある時期を境にゼルダからの手紙に不安が綴られるようになった。
『瘴気というものを知っていますか?』と、直接的に書かれた手紙を読んだアストルは、アデヤ村の井戸に起きたトラブルを伝えた。
水が枯れてしまった井戸から湧き上がっていたのは瘴気の煙。近くまで寄った村人たちが口々に「息が苦しい」「気持ちが悪い」と言う中、アストルは殆どと言っていいほどそれを感じなかった。お陰で自分は客観的な視点から『瘴気』による被害の特徴を記せている。湧くのを止められなくとも、人間が被る害を最低限で済ませたい。アストルはゼルダに、手紙とは思えぬほどの分厚い報告書を送った。
それを読んで、ゼルダは感じた。占いを『記録と統計の結果』と語るアストルは、既に未曾有の出来事を解体せんとしていると。
アストルは本業でも村全体からも信頼を得ていた。村の女たちは明日の明日の天気を知りたがり、若い娘たちは自身の恋愛運を訊ねた。最初は素見のつもりだった男たちも、生年月日に基づく星座を口にしただけで気性や生き方を言い当てられたことで、アストルを『本物』だと感じるようになった。それどころか、「出稼ぎに行くのは良いか悪いか」「村がこのままなら兵役に就くほうがいいのか」などと占いを頼み始める始末である。
アストルは一件一件を真摯に占い、些細な迷いから人生の分岐点、それぞれの重要さに合わせて言葉を投げかけた。それが占い師の使命だと、アストルは考えていたのである。ガノンによって一度掻き消された『出ていけ』という村人たちの圧は、アストル自身の活躍により二度と現れなかった。
その上『瘴気に耐えられる人』という事実が周囲によって広められ、いつの間にか近隣の村や集落ではアストルの名が知られている。それは駐留している兵士の耳に入り、噂話として語られ、近衛騎士の暇つぶしの種になった。やがてそれはゼルダの元にまで届き、叔父の手紙と内容が一致。『巷で話題の瘴気に倒れない占い師』はアストルのことだと感づいた。
「そなたならば瘴気への対応策を掴んでいるとゼルダから聞いている。それは本当かの?」
「根本的な解決方法はわかりません。ですが、はっきりしているであればひとつだけ」
「それは一体?」
王太子は背を伸ばしたままだが、声は前のめりになっている。本来ならば王国の然るべき機関で解決するべきだろうに、それが機能していなさそうなのがアストルは気になった。だが勿体ぶる必要はない。
「瘴気に中てられた人間は日光を浴びることで回復する、ということです」
たったそれだけ? と言いたげな、愕然に近い顔で王太子は「日光……?」と訊ねた。
「はい。こちらはゼルダに送った報告書の原本です」
アストルは分厚いノートを取り出し、王太子に差し出した。それは、瘴気の被害を目の当たりにした日からアストルが綴った、記録帳だった。
口先だけでは何とでも言えよう。自分はあれこれと疑われる身の上だ。信頼を得るのに必要なのは、やはり記録と統計。出来事を客観的に見据えたものが、明日を保証する。ある意味では悲劇だろうそれこそ、アストルは自分の生き方だと感じていた。
一頁、また一頁と王太子は目を通しては捲っていく。
……これを、ひとりで?」
その言葉に、アストルはチラリと自身の背後を見た。ガノンが「なんだ?」と訊ねてくる。無論、それはアストルにしか聞こえない。
瘴気に耐えられる理由はわからないと、アストルは語った。だがひとつだけ心当たりがある。それはゼルダだろうが、王太子相手だろうが、言っても信じてもらえそうにない。……言うならば、口にしたらこの国では生きていけなくなる内容だ。
自分に瘴気が効かないのは、恐らくガノンが側にいるから。アストルは現在、そう仮定している。
自分と村人たちに大きな違いなど無い。彼らも自分も、ごく一般的なハイリア人。となれば、わかりきっている差異はひとつだけ。
自分は、厄災に取り憑かれている。ガノンがいたのは地下。そして瘴気は深穴の先にある地底から湧いている。瘴気とガノンに何かしら関わりがあるのなら、先にガノンが側にいた自分は瘴気が効きづらいのかもしれない。ガノンと共にいてこそ、自分は瘴気の調査を続けることができた。本当ならば『二人で』と言うべきだろう。
しかしそれを言おうものなら、自分が瘴気を撒き散らしていると疑われる。明確な理由が分からないのなら、閉口するのが一番だ。
「記録は、私ひとりで」
それでも嘘は言いたくなかった。身体が怨念の靄で出来ている厄災は筆を持つことができない。故に筆記は不可能。ならば回答はこれ以外考えられなかった。
……そうか」
パタリと王太子は記録帳を閉じ、アストルに返す。ゼルダは不安そうに「御父様?」と問いかけた。
自分としては最善を尽くしているつもりだった。けれど『王家の命で正式に動く』には、不確定要素が多すぎるのだろう。アストルは記録帳を受け取ろうとしたが、王太子は手を離さない。
「あの、殿下?」
「そなたに、瘴気調査隊特別任務を命ずる」
その言葉を聞いたアストルは、王太子の手元ではなく目を見た。ゼルダの瞳はきっと父親譲りなのだろう。太陽の下で真に輝きを見せる新緑色。夜を巡る自分には何とも眩しい。
それでも、自分に期待をかけてくれるなら。彼が困れば、ゼルダの顔つきも暗くなる。姪に笑っていてほしいというのは、十年経っても変わらない大きな願いだ。
「王太子殿下、ゼルダ王女殿下、この任務、お引き受け致します」
アストルは胸に手を当て、恭しく頭を下げた。これではまるで臣下のようだとガノンは思う。本当は親族であり、向こうからそうなりたいと手を差し伸べてくれたのに。だが彼は自らこの立場を選んだ。自分から口出しするようなことでもない。
「すぐに地底へ向かってくれるか?」
「はい、早速準備に取り掛かります」
「叔父様、後日御力添えをしてくれる方を紹介します。それまで城下で滞在なさって下さい」
「ありがとうゼルダ。何からなにまで助かる」
アストルは王太子と、そしてゼルダと握手を交わした。もしかすると、これがアストルと、王女、王太子なりの『親類』という接し方なのかもしれない。
アストルは、庶子でありながら不自然なほどに国王から目をつけられている。本来ならば取るに足らない、放っておいても良いはずの存在を何故城に縛り付けていたのか。謎は多い。普段は一線を引いた状態で、必要な時に手を繋ぐ。それがアストルの身の安全と自由を保証することになるのだろう。
これほどまでに愛されている人間が、果たして絶望するのか。いや、だからこそだとガノンは思う。もしアストルが絶望するとしたら、それは夢を諦めた時ではないのかもしれない。

✽✽

アストルに『故郷』と呼べる場所は既に、いや、最初から無かった。幼少時代は母と二人きりで狭い世界に閉じ込められおり、家族というものを恋しがれども、育った土地や場所というものに後ろ髪を引かれることは無い。
だが大半の人々がそうではないことを、アストルは知っていた。今、地底の調査に赴いている兵士たちは、王国領土のあちこちから集められた者たち。それぞれの土地にあるそれぞれの村や町にそれぞれの文化や景色がある。一人ひとりの魂に投影された、『己』を構成する場所と離れるのは耐え難い苦痛のはずだ。自分自身が剥奪されたように思う者もいるだろう。
アストルは、そんな人々のために行く。自分に何ができるのか、具体的なことは多くわからない。それでもいい。寄せられた期待のために働くだけだ。
……が、隣には明らかに不服だという顔をした厄災が一人。
……我について来いと言うのか?」
「地底は未知の場所故、いつ絶望するかもわからぬ。その時に、お前がいてくれなくては」
アストルは得意げに言った。言わんとすることはわかる。付いていかなければ、アストルがどうなっているのかガノンは知る由もない。しかし、ここのところずっと、アストルの行動にばかり振り回されている。ガノンとしては苛立つことこの上なかった。
「わかっておる……だが!」
「叔父様」
「ゼルダ、どうした?」
そら見ろ、まただ! ガノンは姪に呼ばれたアストルの背中を睨む。出会った頃はガチガチに固まって神経質全開だった彼が、背筋を伸ばして堂々としていた。
姫はアストルを一人の人物と引き合わせている。見事に真っ白な髪を飾りクリームのように結い上げ盛り立てているのは、恐らくシーカー族のはずだ。
アストルと行動を共にし始めて以降、彼らが不当な扱いを受けている様子を幾度か目にした。それを取り決めているのは王家だと思っていたが、その王家の人間である姫がアストルとの引き合わせを担当している。余程そのシーカー族を信用しているらしい。
「彼女が以前紹介した研究者のプルアです。叔父様の話をしたら、地底までご一緒したいと……
「瘴気が効かないなんてスゴイわね! 是非研究させてほしいわ!」
ズイッとそのシーカー族は身を乗り出し、アストルの骨が目立つ手を自身の両手で包むように握った。アストルはややギョッとして後ずさる。プルアは「あぁ、ゴメンねぇ。ついクセでさぁ」とケラケラ笑った。
「いえ、ご無礼を……
「アタシにはそんな気を使わないで! どうせはみ出し者のシーカー族だもの。仲良くやりましょ、ねっ?」
丸い赤縁眼鏡の奥にあるイタズラっぽくも勝ち気な瞳が、アストルの双眸とかち合う。ゼルダは自分のことを『私の叔父』と紹介したのだろうか。そうだとしたら、目の前の彼女もアストルの出自を知っているはず。だからこそ、プルアはこうして手を差し出してくれたのかもしれない。
「よろしく頼みます、プルア女史」
潜る深穴は城下町から最も近く、調査隊が集中して投入されている場所。そのため被害が一番大きいというのが、シロツメ新聞によって広く人々に周知されていた。
地底には空がない。星も見えない夜など、アストルにとっては考えられない世界だ。だからこそ、そんな場所に閉じ込められ囚われている人々を……助けに行きたい。己の心に従い、覚悟を決め、使命に立ち向かわなければ。それが唯一の、自己実現のための道なのだから。


続く