グラスバレーの街のつくりは、ノエの父が治める街と少し似ている。灰色がかった石造りの建物こそ違うものの、高台から裾野に向けて街並みが広がる地形と、それらを全て囲むように高い壁が聳え立っている点は同じだ。
畑の開墾や酪農のための牧草地を得るために、当初予定していた区域から先に壁を広げたことも嘗てはあったらしい。だが、街そのものを大きくしすぎると竜に襲われやすくなるため、近年は拡張政策に踏み切れる領主は少なくなり、ニヴェール家もその例に漏れないようだ。
そのような話は、先を行くヤルマルたちの後を付かず離れずの距離で歩いていたサルヒが、道ゆく人々の会話を拾いあげて知ったことだった。
サルヒは、グラスバレーに来たことがある。来訪は一度だけではあったが、その一度きりの機会に忘れられない思い出を刻まれたがために、この街の思い出はやけにくっきりと残っていた。
「サルヒ、どうかしたのかい。なんだか思い詰めた顔をしているね」
物思いに耽るあまり、足取りが重くなっていたらしい。ヤルマルに呼びかけられて、サルヒは自分とヤルマルたちの間に随分と距離ができてしまっていることに気がついた。
余計な心配をさせたくないと、サルヒは「大丈夫」とかぶりを振る。
「あっちに温めたスパイスワインがあるらしいよ。一杯飲んでいかないかい」
「おい、ヤルマル。あんたは昼間から酒を飲む気か」
「いいじゃないか。こういう寒いところではね、熱々の飲み物が体に沁みるものさ!」
まるで本物の兎のように弾んだ足取りで屋台に向かい、慣れた調子で店員に話しかけ、あっという間に三人分のマグを持って帰還してきたヤルマル。
渡されたマグは冷えた肌には染み入るような熱を持っており、手袋に入れていても冷えていた指先がじわりと暖かくなるようだった。
サルヒは、屋台のそばにあった雪よけの傘の下にある椅子に腰を下ろし、熱すぎるワインが冷めるのを待つことにした。
一方で、ヤルマルは早速飲み干そうとして、舌を火傷しかけたらしい。何やら騒いでいる声が少し離れている場所からも聞こえる。
(この街で、私はニヴェール家に招かれた旦那様の帰還を待っていた……)
もう五年ほど前になるだろうか。
エヴラール家の邸宅が全焼し、家族全員が死亡した――殺された理由を探して、ルーシャンとサルヒは各地を巡っていた。
しかし、手がかりは一向に見つからず、ルーシャンの瞳には諦めがよぎり始めていた。
そんな彼を傍らで見守り続けていたサルヒは、どこかで彼がこの途方もない旅路に終わりを見出してくれるのではないかと期待していた。死者の思いに囚われ続けているルーシャンは、それほどまでに危うく見えていたのだ。
そんな折のことだったと、サルヒは思い出す。
珍しく雪が降らなかった、グラスバレーに滞在していたあの日の夜のことを。
◇◇◇
五年前のその日、サルヒは街の裏路地にある安宿にて、ルーシャンの帰りを静かに待っていた。
傭兵として活動はしていても、常に潤沢な資金があるわけではない。適度な節約のために、サルヒは夜になっても灯りの乏しい部屋で過ごしていた。
代わりに、暖炉には絶やさず薪を入れて部屋を温め、今か今かと扉が開く音を待ち望んでいた。
(思っていたより時間がかかっている……。昼には向かったはずなのに、ニヴェール邸での話はそんなに時間がかかるものなの?)
旅暮らしだったらルーシャンの元に、一人の身綺麗な老爺がやってきたのは数日前のことだ。彼の顔は、サルヒもうっすら覚えていた。ニヴェール家の前当主の側に控えていた男だ。
彼は、とある事情からルーシャンを屋敷に招きたいと招待状を差し出してきた。エヴラール家と古い付き合いがあるといえども、遺産や領地を全て回収したニヴェール家への心情は、少なくともサルヒにとってはあまり良くないものであった。
だが、ルーシャンは、必ずしも悪感情のみを抱いているわけではなかった。
「親父の遺産に関わることで、今更ではあるが話があるって言われたんじゃ、流石に無視はできないだろ」
そう言うと、彼はニヴェール家の執事の誘いに乗り、屋敷に向かったのだ。
一人で来るように言われていたため、ルーシャンはサルヒを街の宿に残し、サルヒはここで彼の帰りを待つしかなくなっていたのだった。
(ニヴェール家で、旦那様がお辛い思いをしていないといいのだけれど)
ルーシャンを呼び出した執事の顔はもちろん、執事の主人である老爺の顔も遠目に見たことはあったが、サルヒにとってニヴェール家の人間が何を考えているかは、今一つ分からないところがあった。一介の使用人であるサルヒでは、彼らに個人的な関わりを持つ機会がなかったからでもある。
主人の役に立てないもどかしさで身が焼けるような焦ったさを覚えながら、サルヒはただ待つしかなかった。
曇った窓ガラスの向こうから覗いていた日ざしも消え去り、通りの照明がぽつぽつと灯り始めた頃。いくら遅くともそろそろ帰ってくるだろうと、夕食を何にするかサルヒが考え始めたときだった。
待ち望んでいた人が、扉の開く音と共に姿を見せた。
「旦那様。おかえりなさい。……旦那様?」
一歩入ってきた、その瞬間から、サルヒは気付く。
――何か、ただならぬ事態が起きている。
従者としてではなく、生き物の本能として、サルヒは目の前の男が纏う気配の鋭さに息を呑んだ。
ルーシャンは何も言わなかった。しかし、今はその沈黙すら獣の唸り声のように聞こえた。部屋に足を踏み入れ、長く息を吐き出すそれは、肉食獣が獲物に飛び掛かる前に、押し殺せずに漏らした息そのものだ。
「……あいつら、よくも」
「旦那様?」
「あの野郎、よくも素知らぬ顔で、あんなことを……!!」
「旦那様、どうされたのですか。ニヴェールの者が何か旦那様にしたのですか」
いまだ、状況が今ひとつ体に馴染まなかったため、サルヒはルーシャンの言葉から推測できる極ありふれた質問をした。
その瞬間、ルーシャンは弾かれたように、サルヒの方を見た。サルヒがここにいると、今初めて気づいたかのような顔をしていた。
「……いたのか、サルヒ」
「はい。最初から、ずっと。あの……まずかった、でしょうか」
「あ、ああ……いや。悪い。頭がいっぱいになって、周りが見えてなかった。俺は今、何て言っていた?」
わざわざそのような質問をする意味がわからないほど、サルヒの頭は鈍くない。
――あいつら、よくも。
――素知らぬ顔で、あんなことを。
ただの侮辱だけでは、ルーシャンはここまで分かりやすく怒りと怨嗟を表出させない。よほどの理由があったことは、容易に推察できる。
そして、ルーシャンがここまで激怒する相手など一つしかいない。
「見つけたのですか。大旦那様とご家族がお亡くなりになった真相を」
ルーシャンの質問に対して、サルヒは答えとは異なる内容の返答をした。
ルーシャンの目が薄く見開かれる。彼がここまで分かりやすい変化を見せるのは、それだけ彼が動揺している証でもあり、サルヒの言葉が正解であった証拠でもあった。
真相の具体的な内容は分からない。だが、ニヴェール家の訪問をした直後にこの反応を見せたということは、つまり犯人はニヴェール家の者ということだ。
(きっと、旦那様を招いたニヴェール家の前当主は、旦那様の仇敵だったんだ)
そして、サルヒは今更ルーシャンを一人残して、この旅路から下りるつもりはなかった。
「私は、旦那様についていきます。旦那様が望む真実を彼らが持っているというのなら、それを手に入れるまで、私もあなたに従います」
「真実を知る、なんてものじゃない。俺は――」
「では、向かうのですか」
ルーシャンの声からは、まだ怒りが消えていない。ならば、この次に続く行動があるとサルヒは確信していた。
だが、ルーシャンは虚をつかれたように、今までの怒りとは異なる表情を見せた。
「向かうって、一体どこにだ」
「その……大旦那様を殺めた者の仇討ちにです」
サルヒにとっては、当然の提案だった。
自分の身内を傷つけた者に、相応の罰を与える。そのためにルーシャンは真実を求めていると思っていたからだ。
だが、ルーシャンはなぜか驚いた顔を見せ続けた後に、ゆっくりとかぶりを振った。
「……ちょっと頭を冷やさせてくれ。悪いが、先に飯の準備をしてくれるか」
そう言われてしまっては、サルヒも部屋に居座るわけにもいかない。一礼をして、予定していた食事の準備のために、宿の厨房へと向かった。
携帯食料を温めて、行商から買った新鮮な食材を使って作るサンドイッチは、もはや定番となっている料理の一つだった。今日は厨房を使わせてもらったので、温かな食材が使えたので、いつもより豪華と言えよう。
皿に料理をのせて、そろそろと階段を上る。ルーシャンが待つ部屋の前に戻ったサルヒは、
「……どうして」
微かに開いた扉の向こうから、漏れ聞こえた声に、足を止める。
「どうして、俺じゃなかったんだ……。どうして、どうして……!!」
その言葉は、まるで自分が養父の代わりに命を落としていればよかったと思っているかのように聞こえた。ルーシャンにとって、養父は特別な存在であったと、身近に仕えていたサルヒもよく知っている。ひょっとすると、実の父子よりもよほど血のつながりがあるようにすら見えるほど、二人は良き友人であり、同胞であり、師弟であった。
このままでは、ルーシャンがあの日の喪失に再び心を塗りつぶされてしまう。主人の中に芽生えた危うさを消したくて、サルヒは慌てて大きな音を立てて扉を開いた。
「旦那様。その……食事が、できました」
あくまで平静を装ったサルヒに対して、ルーシャンもまた、どうにか平常心を取り戻してくれたらしい。先ほどの慟哭から感じられた危うさが消え去り、普段と変わらない彼の笑顔がサルヒを迎えてくれた。
「随分と早いな。もうできたのか」
「空腹かと思いましたので、急ぎました」
サンドイッチを机の上に置き、下の厨房にあった井戸から汲み上げてきた、清水の入ったカップを机の上に置く。澱みなく普段通りの準備を進めつつ、サルヒは様々な質問が自分の中に浮かんでは消えていくのを感じていた。
仇討ちに行かない理由はなぜか。あんなにも憎んでいたのではなかったか。
さきほどの言葉は、どういう意味だったのか。
あなたは仮に仇討ちを成し遂げたとして、その先どうするつもりなのか。
何よりも、サルヒはこう尋ねたかった。
(旦那様は、まだここにいてくれますよね――)
だが、心の底から湧き上がる疑問も、懇願じみた確認も、どれを口にしても全てがおしまいになってしまう気がした。
だから、サルヒが口にできたのは非常に簡素なものになってしまった。
「旦那様は、この後どうするおつもりでしょうか」
「……そうだな。暫くは、あちこち行く必要がある」
「えっ」
てっきり、すぐにでもニヴェール家に赴くのではないかと危ぶんでいたサルヒは、思わず驚きの声を漏らす。
それに気づかないのか、ルーシャンは続けた。
「探さなくちゃならないものができたんだ。それに、調べたいこともある。悪いが、もう少し付き合ってくれるか」
その言葉を聞いて、サルヒはどこかで安堵している自分に気がついていた。
仇討ちのためとはいえ、ルーシャンが今すぐその手を血で染めるような道を選ばなかったことに。二人の旅が終わるような決断をしなかったことに。
そして何より、中途半端な関係で繋がった二人が、この先もその中途半端を続けられることを、サルヒは嬉しく思った。
だから、浮かびあがった質問の全てを、彼女は沈めることにしたのだった。
◇◇◇
「あの時、私は旦那様に聞いておくべきだった」
後悔を今更しても遅い。臆病風に吹かれて、当時のサルヒは彼に付き従うことだけを選んでしまった。
自分がルーシャンとの関係に今一つ踏み込めなかったことにも、理由がなかったわけではない。
サルヒには、ルーシャンについていく理由がある。彼と共にいたいと願っているから、というひどく私的なものではあったが、サルヒにとってはかけがえのない理由だった。
だが、ルーシャンはサルヒを連れて行かなければならない理由はない。
感傷よりも実利を重んじる男である彼に対して、サルヒであるからこそ与えられる利点というものは存在しない、と彼女は考えていた。
強いて与えられる利益をあげるなら、精々が戦闘時に役立てるといった程度のものでしかなく、それすらもルーシャン一人であっても上手く立ち回れるだろうという疑念が拭えなかった。
あの頃のサルヒは、薄氷の上を行くような気持ちで、ルーシャンの旅路に同行していた。
ルーシャンが何らかの理由で養父の死の真相を求める旅を終えてしまった後、彼がサルヒを置いてどこかに行ってしまうのではないかと、不安で仕方がなかった。
(私にはもう、旦那様の旅に連れて行ってもらう理由がないと思っていた。旦那様から理由をもらわないと私はついて行くことすら許されないのだと、私自身が自分で自分の道を狭くしていた)
養父の死の真相を求めるために旅立つとルーシャンが決めたとき、サルヒは己の幼さと身寄りがないことを理由に、彼に同行させてほしいと頼んだ。
実際、当時のサルヒはオデットよりも幼い年頃であり、ルーシャン以外にイシュガルド国内で頼れる知り合いもいなかった。こんな状態の少女を一人放り出すことはできないと、ルーシャンもすんなりと同行を認めてくれた。
しかし、ルーシャンが『探し物』を決意した頃、すでにサルヒは一人で戦う術を手に入れていた。年端も行かない少女から、戦士としての強さと傭兵として生きる知識を得たサルヒには、ルーシャンに庇護してもらう理由がなかった。
それゆえに彼の旅路の終わりが見えるような質問を避け、いつまでも今が続けばいいと縋るようになってしまった。
「結局、私がどうしたいかなんて、私が決めるだけのことだったのに。そこに旦那様が何を言おうと関係ないと気がつくのに、随分と遠回りをしてしまった」
十分に冷ましたホットワインを、ぐいと飲み干す。果物の甘さを少し感じたのは、果汁を混ぜたものだったからだろうか。
酒精は薄く、どちらかというとジュースに近い甘さの飲み物は、サルヒの苦々しい思い出には不似合いだった。
(もう、迷っている時間はない)
ルーシャンが何を探していたか、はたまたグリダニアで何を待っていたか。彼と共に見てきたものを元に、思考は少しずつまとめてある。
とはいえ、大きく欠けているピースもあるので、全てを埋めるには至らない。それでも、ここまで考えてみせたのだという本気の証明にはなるだろう。
不意に、がらんがらんと鐘を鳴らす音が角に響いた。ふと顔を上げると、街の中心にある教会の鐘が鳴らされているのが見えた。
「そろそろ、迎えがこちらに来る時間かね。それにしても、オーバン卿はどうやってボクたちの元まで迎えをやるつもりなんだろう」
「大方、どこかに見張りでも置いているんだろう。迎えを寄越してくれるというのならちょうどいい。歩いて戻るよりは楽ができる」
戻ってきたヤルマルとオランローに、サルヒは迎えがいつきてもいいとを 示すために立ち上がる。
空になったマグカップには、淡く滲んだワインの暗い紅だけが残っていた。
***
「あのなぁ、ティエリー。自分の育った街を見せて回るっていうなら、定番の場所ってものが他にもあるだろ。街の歴史を感じるところとかだな」
「なんだよ、おっさん。ここだって、十分にグラスバレーで自慢できる場所の一つだぞ」
「お、おっさん……お前にそれを言われると、微妙にむかつくのは何でだろうな……」
ティエリーのぞんざいな物言いに、ルーシャンの表情に一瞬罅が入る。
「ともあれ、自慢できる名所ではあるの分かったが、友人を連れていくにはちょっと玄人好みがすぎるんじゃないか?」
ルーシャンの声を掻き消しそうなほどに響く、甲高い槌の音。つんと鼻を刺す、機械油独特の臭い。そこかしこにある炉に入れられた炎の熱気は暖炉の比ではなく、外の冷気が嘘のように室内は温かい――を通り越して、熱くすらあった。
「ルーシャンさん、僕はこの施設を大変興味深いと思っていますよ。父さんの街でも皇都でも、目にする機会がありませんでしたから」
「わたしも、兄さんがや皆さんの武器がどうやって作られているのか、間近で見る機会を得られて嬉しいです。ティエリーさん、連れてきてくれてありがとうございます」
ティエリーがどうだと言わんばかりの笑顔を見せながら、周囲をぐるりと見渡す。その先にあったのは、赤々とした巨大な炉。そして、あちこちで槌を振るう鍛治職人たちの姿だった。
ティエリーは、知人との会話を楽しんだ後、しばらくは商店街や中央にある教会など当たり障りのない場所を、通りしなに案内していった。そのさきに、彼が今日一番の目玉だと言って一同を連れてきた場所――それが、郊外に建てられた巨大な鍛冶場だったのである。
小ぶりの鍛冶場ならオデットも目にしたことはあるが、ここまで大掛かりなものは初めてだ。
それもそのはず、彼らの作っているものはノエやルーシャンが持つような人が持つ武器だけではない。部屋の隅に納品前の完成品として置かれていた商品の中には、大砲やバリスタ砲と呼ばれる大掛かりな武装もあった。対竜兵装として準備されたそれらは、改めて間近で見るとノエたちの想像をはるかに超えた巨体を誇っていた。
「ってなわけで、ここがグラスバレー随一の工房だ。領地内の騎兵の武器だけじゃなくて、他領に砲を卸していることもあるって話だぜ。俺の武器も、ここで作ってもらっているんだ」
「よく言うぜ、この坊主は! 俺たちの仕事場に勝手に入ってくるや否や、何かかっこいい武器作ってくれって、駄々こねてたくせによお!」
見学を希望したティエリーたちのために、案内を買って出てくれた職人が振り返り、ティエリーの頭を硬そうな拳で軽く小突く。やめろよ、と言いつつも、ティエリーの顔には親しい仲間とじゃれ合うような気やすさがあった。
彼らの気さくなやり取りからも、職人たちがティエリーを貴族の人間ではなく、年下の手間のかかる後輩として可愛がっているのが見て取れる。彼らもまた、先だって会った元庭師夫妻のように、家から飛び出して自由奔放に行動していたティエリーを見守っていた者たちなのだろう。
「ニヴェール領は、十五年前の併合で領地がさらに広がったんだろ。武装の配備は間に合ってるのか?」
「お客さん、目の付け所が玄人だねえ。たしかに、一時期は結構な量の注文があったが、ひとまずは落ち着いたといったところだな。俺たちの作った砲が、竜をがんがん撃ち落としてるって聞いてるぜ」
「そりゃ頼もしい。その調子なら、領地の守備にはきっちり金を使っているみたいだな」
ルーシャンが領内の防衛について尋ねたのは、彼の養父が元々治めていた領地が酷い状態で放置されていないか危惧したからだろうとは、ノエやオデットにもすぐに分かった。
シュガーグレイヴの治安が乱れていたのは、本来治安維持に使うための費用をルグロ家が掠め取っていたからだが、同じようなことが他でも起きていない保証はない。
だが、少なくとも、統治の中核を担っているニヴェール家は、増えた領地に対しても防衛を疎かにするつもりはないようだ。
「最近じゃ、皇都で広がり始めている機工兵装をこっちでも開発できないかって聞かれているんだ」
「機工兵装……聞いたことのないものですが、それは、どのようなものなのですか?」
「持ち主のエーテルを雷属性に変換して一旦保管しておき、必要に応じて武器として使うっていう機能を持った兵装なんだそうだ。銃と一緒に合わせて持てば、雷属性の弾を撃ち放題ってわけだな」
「それは、確かに普及すれば非常に画期的でしょうね」
鍛治師の説明を聞き、ノエは驚きと賞賛を混ぜた声をあげる。
体内を巡るエーテルは有限であるため、戦闘時に使用できる魔法や技の数にはどうしても限界がある。だが、戦いに使うエーテルを事前に少しずつ蓄えておけるなら、戦術の幅は大いに広がるだろう。
「だけど、流石にこの技術を皇国全土にすぐに広めるってわけにもいかないらしい。技術を提供しているのは、例のガレマール帝国から亡命してきた技術者だって話だからな。砲台については、これまでの技術と噛み合う部分もあったし、竜にも有効だったからすぐに導入されたみたいだが、機工兵装はそういうわけにもいかないらしい」
「だけど、親父かじじいは、その機工なんたらってのを作れって言ってるんだろ?」
しかめ面で鍛治師は頷く。だが、言葉ほど簡単ではないことは、彼の反応からすぐに分かった。
「導入するにしても、安全に運用できるまでは、教皇様のお膝元からは出したくないってのが中央の考えなんだろう。それに、今のところはまだ竜に効果的だっていう話は聞いていない。実戦に導入して確かめるにも、なかなかな」
「神殿騎士団の方々は、保守的な考えを持っていることが多い、という話でしたね」
ノエの確認に、ルーシャンは小さく顎先を上下させた。
「でも、それが形になれば、俺に作ってくれたみたいな銃が、もっと強くて使いやすくなるんだろ?」
「坊の言う通りだが、先は長い。とはいえ、俺はそういう未知の技術を形にしていくこと自体は嫌いじゃないんでね。ベリトア卿とオーバン卿のお二人には、張り切って取り組ませてもらってるって伝えておいてくれよ」
「わかったよ。爺さんや親父も、ここで作った銃は性能がいいって褒めてたからさ。護身用にって、外出するときは小さいのを一丁持ち歩いているぐらいなんだ」
「そいつは嬉しい話だねえ。技術者冥利に尽きるってもんだ」
鼻をこすりながら、鍛治師の男はにやりと笑って見せた。
「そうだ! 機工兵装ってのができたら、俺に一番に試させてくれよ。な、いいだろ?」
「だーれが、お前みたいな考えなしの若造に使わせるかよ。……っと、むさ苦しいところで小難しい話ばかりして悪かったな。職人のそばには危ないから近寄らないほうがいいが、適当に見ていってくれや」
改めて許可をもらったノエたちは、職人たちの邪魔にならないように気をつけながら、彼らの手元へと視線をやった。
やはりというべきか、神殿騎士団と関わりもある両刃の片手剣や槍の穂先を作っている職人が圧倒的に多く、次点に砲身のための大掛かりな加工をしている職人が目に入った。
「兄さん、見てください。これ、すごく大きな剣です」
部屋の隅に壁にかけられた見本の品の中には、ノエの背丈ほどもある長剣が掛けられている。剣を一振りするだけで、大柄な魔物すら一撃で薙ぎ払えてしまいそうだ。
「このような剣を持っている場合、盾を持つことはできないだろうね。一体、どんな戦い方をする人が持つんだろう」
「それか? たしか、一部の剣士の中では盾を捨てて剣一本だけで戦うってやり方があるらしいぜ。それは、冒険者に頼まれて特注で作ったやつの余りなんだ」
荷物を運んでいた職人の一人が、通りかがりにノエへと説明していく。説明を聞いても、ノエには剣一本で敵と戦う自分の姿は想像できそうになかった。
(盾がなければ、咄嗟のときに攻撃を受け止められないだろうに。その冒険者は、どんな風に戦っているんだろう)
首を傾げているノエの横で、オデットは小ぶりの盾(バックラー)や、魔道士用の杖、はたまた衣類につける装飾品用の品々などを眺めていた。何気なく購入している防具も、一つ一つのパーツはこうして作られていると思うと、なかなかに興味深い。
ルーシャンは、自分の細剣を持ち出して、休憩中の職人と議論を交わし合っていた。剣としての鋭さや魔導士としての杖の性能を残しながら、耐久性をどこまで引き上げられるかを相談しているようだ。
工房を一通りぐるりと巡った頃、ちょうどよく鐘の音が工房内にも響き渡った。締め切った上に職人の大声のやり取りにも負けない大きさなのだから、これは教会にあった鐘が鳴らせているのだろう。
「っと、そろそろ屋敷からのお招きが来る頃だな」
鐘の音と同時に、ルーシャンは話を切り上げ、オデットとノエの二人の肩に手を置く。
「俺は、あの坊やを連れ戻してくるから、お前らは屋敷に向かう準備を進めておけ。鐘と同時に迎えが来るって手筈になっているはずだ」
「そうだったのですか? 僕たちは初耳なのですが、聞き逃してしまっていたのでしょうか」
「爺さんが俺に言ってきてたんだよ。下手に待たせると、後が怖いぞ」
ルーシャンの言葉が冗談では済まないだろうことは、ノエやオデットにも想像がついた。
いよいよオーバン卿の待つニヴェール家の本邸に向かうのだと思うと、これまでとはまた異なる緊張がオデットの体に走る。反射的に、オデットの手はノエのコートの裾を摘んでいた。
「……兄さん」
「大丈夫。何があっても、そばにいるから」
もう何度目になるか分からないやり取りだ。だが、この儀式めいた言葉の繰り返しのおかげで、オデットはここまでやってくることができた。
「相変わらず仲の良いお二人さんだねえ。妬けちまうぜ」
ルーシャンに揶揄うような口ぶりで言われて、二人の間に走っていた強張りがふっと緩む。それも含めて、全て織り込み済みの掛け合いであることが、三人とも言葉にせずとも理解し合っている。これもまた、長く共にいた者だけが得られる関係だった。
「では、僕たちは先に外に出ています。ルーシャンさんも、ティエリーさんをお願いします」
一礼をして、オデットと共に出口に向かうノエ。彼の背中をじっと見つめてから、何かを断ち切るように、ルーシャンは背を向けてティエリーの姿を探し始めた。
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