けろか
2025-06-08 07:19:56
10088文字
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大正竹くく♀その後の話!後編② 〜えっちパーティに参加することになった二人の話〜

大正竹くく♀その後の話!後編②
晴れて婚約者になった後の二人のらぶらぶ甘々後日談。前後編のうち後編です!📛🎀視点。

完成しました!https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=25122242

前編: https://privatter.me/page/6817feb46c030
後編①:https://privatter.me/page/683ac62579958

今回は全年齢です!

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 「まったく、うちの人ったら。日が変わる前に帰ってきた日が、今月に何日あったかしら」
「まあまあ、それでもお帰りになるだけ良いわよ。うちなんて、昨晩は外でお泊まりよ……
「会社の方で揉め事でも起こってるのかしら? 心配だわ」
――でも、そういう時期だからこそ支えてあげなくちゃね……
 兵助は、さりげなく視線を滑らせた。
 緋色のドレスに身を包み、艶やかに笑う婦人がグラスを揺らしている。その優雅な所作の裏には疲れが滲んでいた。
 きっと、彼女の夫が勤めるのは久々知とも長く取り引きのあるあの商社だ。
 もちろん名乗っているわけじゃないが、口ぶりや話の内容から、兵助は彼女の身元を推測できた。
……意外と分かるものだなあ)
 先ほどから聞こえてくる会話の端々。帰宅の遅れ、外泊、社内での揉め事。話題はあくまで日々のぼやきに過ぎない。しかし節々に家庭の空気とはまた別の、業務上の逼迫が透けて見えた。おそらく資金繰りに問題が生じているのだろう。
 兵助と八左ヱ門との縁組が公になったなら、何かの兆しを見て動きがあるかもしれない。
 ――兵助が連れてこられたのは、舞踏会場からひときわ奥まった一室だった。
 外の喧騒が遠のくそこは、どうやら女性たちのための休息所らしかった。甘く重たい香りと、肌を撫でるような空気。ただの談話とは言い難い雰囲気が漂っていた。
 着飾った女たちが笑いながら扇子を振るい、香煙の合間に紅く彩った口元を寄せ合って囁き合っている。仮面を纏い軽い口になり、うちの夫が、誰それが、あそこの家が――と愚痴や噂話に興じている。
 皆一様に浮き足立って見えるのは、やはり今夜が仮面舞踏会という非日常性のためだろうか。
 兵助は今、数人の婦人たちが輪になって交わす談笑にさりげなく混じっていた。
――旦那さんの愚痴、そんなに楽しいものなのか……? まあ、こっちとしては安全に情報もらえるからありがたいけど)
 甘くむせかえるような香りに満たされた室内で、こっそりと溜め息を吐いた。息苦しい。まるで全身が砂糖漬けにされていくようだ。
「でね? うちの人、どうも最近外に……女がいるみたいで。嫌になっちゃう」
 女はグラスの脚を指で撫でながら兵助に言葉を投げた。兵助は内心ぎくりとするが、それを出さないように困ったように微笑み返す。女も動揺には気付かぬ様子で話を続けた。
「香水の匂いがしたの、私のとは違うやつ。それで問い詰めたら、やっぱり女のところに行ってたみたいで」
「あら……うちもよ。最近は出張続きって、何かと外泊ばかり。深く聞けば、おまえには分からないって、すぐに壁をつくるの」
「子供ができるまではまだよかったのよ。でも、今じゃもう触れてすらくれなくて」
 へらへらした笑顔を貼り付けて相槌を打つ兵助の隣で、熱量はどんどん加速する。彼女らが話すのはどれもこれも夫への愚痴や不満、つまりはそれを憂さ晴らししにこの舞踏会へやってきたのだろう。
(八左ヱ門はこういうこと、絶対ないだろうな……
 穏やかな確信が胸を満たす。 
 彼の心がどこにあるか兵助には分かる。手放すまいとまっすぐに手を伸ばしてきた姿に不安を覚えるのは、彼に対して失礼だ。彼の愛情はいつだって、そのまま兵助に向いているのだから。
 結婚し、家を守り、いずれは子供をもうける。兵助の――久々知の娘として与えられた責務であると同時に、愛しい人との血の通った未来を欲するというごく自然な願いでもあった。
 大きな手でまだ名もない我が子を抱き上げ、顔いっぱいに歓喜を咲かせた彼の姿が浮かぶ。――その輪郭は思いのほか容易く結ばれ、胸の奥にぽうっと温もりが灯った。
……?)
 ぽわぽわと広がった柔らかい想像は、しかし同時にわずかな引っかかりを起こした。過ったのは、八左ヱ門の真剣な――怒った顔だ。いつだったか、兵助は人形なんかじゃないと自分のために怒ってくれた彼のものだ。
「ねえ、あなたは? なにか悩み事があって、ここへきたんでしょう?」
 ひときわ甘ったるい声にはっと我に返った。返答に窮して、喉の奥がひくりと動く。
 婦人たちは兵助の返事を待つように、じっと視線を注いでいた。その眼差しに気圧されながら、慎重に口を開く。
「え、と……あの、そうですね、彼にしてもらってばかりで、何も返せないのが悩みです」
「まあ! あなたまだ新婚さんなの?」
「羨ましいわぁ」
「でも、かわいい奥さんにいろいろしたいっていうのが男心よ。彼もそのはずだわ」
 結局取り繕うこともできなかった、本心からの言葉だったが女たちは色めき立った――ちらりと兵助の首元あたりを見ながら。
 話が合わなかったらどうしよう、と内心冷や汗をかいていた兵助は、こっそりと胸を撫で下ろした。 
「まあでも、してもらってばかりなのもアレよねえ。それが原因でダメになった結婚――まだ婚約段階だったけど、私知ってるわ」
「あ、それ知ってるかも。奥さん予定の人がまあ高飛車なお嬢様で、全然つれなくって、そこに運命の出会いとやらがあったやつ」
「かなり大きい婚約だったのにね……いろんな人が噂してたくらいには」
「次の噂になるのはどこかしらね」
――久々知さんのところは? たしか、年頃の娘さんがいるわ、……見たことないけど」
「ちょっと、名前なんか出したらだめよ。どこで誰が聞いてるか分からないんだから」
「こんなところにいないってば。お人形みたいに大事にされてるお嬢様なんだから」
……八左ヱ門の言う通りに髪、上げてきてよかった……! 仮面もあってよかった、助かった……
 汗がつうっとうなじを伝う。くるんと跳ねる癖のある長い髪はどうにも目立つらしいのだ。
 女学校に兵助を迎えにきていた八左ヱ門も「どれだけ遠くからみてもすぐわかる」と笑っていた。――遅れて、ずしっと重いものが胸に落ちる音。
――やっぱり、素直じゃないの、だめだよね……
 胸の奥でそっと好きと呟いてみる。けれど、もうあの痛みは戻ってこなかった。だからこその、ふうっと何かが抜けていくような空虚感。傷は癒えたはずなのに。昔、八左ヱ門に何もかもぶつけていた頃の自分が、ほんのり懐かしくなった。
「にしても、商品のご紹介はまだかしら? 遅いわねえ」
 愚痴の中に咲いた場違いに明るい声。兵助がよほどきょとんとしていたのか、女たちがくすくすと笑う。ひとりが言った。
「初心なあなたも、それを見に来たんでしょう? ――あら、違った?」
……へ? しょ、商品……?」
「知らずに来たの? 本当に初心なのね。あのね、ここではね……
「言わないで驚かせましょうよ! ああ、こんなに慣れない子、見るの久しぶりだわ――あの子以来かしら?」
「いたいた。まだ十代くらいの男の子ね。こういうところに来るっていうのに、毎回寝癖のまま来たみたいな」
 まさか、とは思う。だが、灰色のくしゃくしゃの髪が脳裏にちらついた。
「へぇ……そんな寝癖のまま来るなんて、すごい度胸ですね」
「そうそう、度胸あったわよ? 舞踏室に蛾がなんかが入ってみんなが悲鳴を上げるなかで、彼だけ平気な顔で窓から逃がしてあげてて、『虫の子』って呼ばれてたわ」
「しかも蛾じゃないですよ、これはなんとか……なんだったか忘れたけど、名前まで言ってて。なんだかんだ人気だったのよ。彼」
――へ、へえぇ……? 人気……
「ええ。でも――絶対女の子を誘ったりはしなかったの。あんまりだから、誰かが面白半分で訊いたのよ。『好きな子でもいるの?』って。そしたら彼、なんて答えたと思う?」
「え、と……
 自分だったら、こういう場でもあるし適当にはぐらかすだろうか。――さっきはうまくできなかったけれど。
 なんでしょう、と続け曖昧に笑う。女たちは、答え合わせをするように意味ありげに目配せした。そして、たっぷりもったいぶって口を開く。
「『一生、その人しか見れないくらい好きな人がいる』って、まっすぐ言い切ったのよ」
「なんでここに来てるんだ、って言いたいところだけど、親に言われて来てたんでしょうね? ――最近見ないけど。意中の人とはどうなったのかしらね」
 隣の話し声、どころか会場の喧騒がどんどんぼやけていく。反対に、自分の鼓動だけが異様に鮮明だ。ひとつ、大きく跳ねたそれを皮切りに、胸の奥がじわじわ熱を帯びる。くすぐったい、通り越して痛いくらい――ぶくぶく沸騰するみたいに感情がふくらんでいく。
 
 その時。ひときわ澄んだ鈴の音が響いた。
 室内のざわめきがぴたりと収まり、視線が一斉に音源へと向かう。隅にしつらえられた小さな壇上には、いつの間にか仮面をつけた男がひとり立っていた。彼は恭しく一礼すると、朗々と語り始める。
――それでは皆さま。お待ちかね、夜伽用の香り物と薬酒のご紹介でございます!」
 柔らかく照明を受けた白手袋が、小箱を恭しく掲げていた。真紅の布張りに鎮座するのは、二つの品。ひとつは、甘く艶やかな香気を放つ小瓶。もうひとつは、光を受けてきらめく琥珀色の液体が揺れる小さなボトルだ。
「夜を彩るひとときのためのお品でございます――香は肌をほぐし、薬酒は心を和らげます。ご自宅でも、あるいは――旅先でも。もちろん男女問わずご利用いただけます。ときに冷えきった夜にも、再びぬくもりを灯してくれることでしょう。ぜひ、お手に取って、その効き目をお確かめくださいませ」
 女たちの視線は一斉に壇上へと吸い寄せられた。もともと甘く淀んでいた空気は、そこへ来てさらに湿り気を帯び、ねっとりと絡みついてくるようだ。
(商品……て、これのことか、え、つまり――
 兵助は脳裏でようやく意味を繋げた。
 つい先ほどまで、ここを「婦人たちの控えの間」か何かだと思っていた。夫の愚痴を交わす、少しばかりの慰めと連帯のための場――そう解釈していたのだ。だが、違った。
(旦那さんの愚痴ばかりだったのって、そういうことか……
 薬酒と香。その使い道は明らかだ。冷え込んだ関係に再び火を灯す、なんて気取ったことを言ってはいるが要するに催淫剤だ。夫に使って関係を取り戻すためか、あるいは自ら纏い、配偶者以外の誰かとまぐわうための。
 ここは、そうした目的のために設けられたいかがわしい場所なのだ。
 麻痺してしまったのか、破廉恥だと心中で叫ぶ気は起きなかった。一つ、小さく息を吐く。部屋のドアを確認し、抜ける算段をつける。この空間に長居する理由はもうない。
 会場はすでに、女たちの興味で沸き立っていた。ざわめきの中で声は交錯し、熱を帯びた視線が舞う。今なら、席を立っても誰も気にしなさそうだ。
「さて――商品を、お試しになりたいご婦人は?」
 わあっと空気の質が変わる。熱を含んだ湿気が一段と濃くなった。この隙にと、一歩踏みだし――
「この子なんて、どうかしら。……ここにくるの初めてみたいだし」
「えっ」
「それがいいわ! してもらってばっかり、って悩んでたものね」
「あの、待っ……
 いやに熱っぽい手が兵助の手首を掴む。遅かった。会場の視線が一斉にこちらへ向かう、その熱に頬が炙られるようだ。逃げ道を探すように仮面の下で視線を彷徨わせながらも、兵助は微かに頷いた。もう、逆らえば逆に目立つだけだ。
 
 促されるままカーテンの奥へと進む。仄暗い仕切りの中には、香の匂いがほんのりと漂っていた。重く垂れた布で遮断された空間は、外よりもいっそう甘く淀む。
(このままやんわりかわして外へ出て――ていうか八左ヱ門どこにいるんだ、回収係って……
 入りますねえ、と女の間延びした声にはっとして顔を上げる。女性だったら適当にあしらいつつ、隙を見て逃げ出せるだろう。
 が。重たい布がすっと払われ、現れたのは男だった。皺一つない給仕服に、手には小瓶を載せた盆。仮面をしているにもかかわらず笑みを湛えたような表情のまま、ずかずかと間を詰めてくる。
 どくん、と胸が鳴った。作戦変更、と咄嗟に身を揺らし、わざと重心を崩した。
 ごめんなさい、ちょっと具合がと弱々しい声を落として――足元をふらり傾ける。
 わざとのはずだったのに香気にふらついた頭は思うように利かず、身体は床へと吸い寄せられていく。
 ぱしゃんと音がして、冷たいものが肌に飛んだ。背面が大きく空いたドレスの内側、背骨に沿ってとろりと何かが垂れる。
「わ、」
「っあぶな――
 ――と、力強い腕が伸びて、兵助の身体を抱きとめた。反射的に身をこわばらせかけたその瞬間、鼻先をかすめたのは――重くて甘ったるいものではなく。陽の光を含んだ、あたたかい肌のにおい。――兵助の一番好きな、八左ヱ門の。
「は、ち……?」
 さっき落ち着いたはずの鼓動が、再び荒々しく蘇る。胸の奥が跳ね、体中の血が騒ぎ出す。兵助は、八左ヱ門に支えられたまま呆然と彼を見上げた。仮面の奥の瞳と視線が合う。
――大変、奥様、具合が悪いんですか?」
「うぇ」
 芝居がかった声。聞き慣れたはずの音が、わざとらしく調子を変えて響く。尚もドキドキ、兵助の胸の音は鳴り止まない。 
「ああ、少し熱っぽいようで――
 帽子の下からあらわれたのは陽にさらされたような灰色の髪。
 ぴょこんと一房跳ねた前髪が近づいて、そっと額同士をくっつけられる。汗ばんだ日向のにおい。吸い込んで息をついた。拍子に、先ほどかかった香油がつうと背筋を伝い落ちる。
「ん、……っ」
――苦しいですか?」
 妙な声が漏れた。慌てて口を押さえる。
 彼はいかにも心配そうな声音で、しかし兵助の腰を抱く手はいやらしく尻を撫でた。
 体の輪郭を辿り背後に回った指がキツく結ばれたリボンをするりと解く。
「ちょ、何して」
「お部屋までお連れします。ご心配なく、すぐ良くなりますよ」
 押さえる暇もなく、緩んだ布からぷるんと乳房がまろび出た。ふうっと呼吸が楽になる。
 剥き出しになった胸元を隠すように上着をかけられ、抗う間もなくその肩を抱かれた。ぐいと腕を引かれるようにして――会場をあとにした。
 ひんやりした外気が肌を撫でたけれど、火種を飲み込んだような身体の熱は収まらなかった。
 
 ***
 車の傍らには、行きとは違う人物が運転手として控えていた。微動だにせず、帽子の影に表情を沈めたその男は、恭しく会釈してドアを開ける。
 車内で、八左ヱ門は当然のように兵助の肩へと腕を回した。ぎゅっと引き寄せられるかたちで身体が密着する。
――兵助、具合、本当は悪くないよな? 俺あの部屋の中は見てないけどなんもされてない? だいじょぶだった?」
「うん、悪くない……て、ちょ、まだ車の中だよっ」
 真っ直ぐ通る声で甲斐甲斐しく体中を弄るものだから、兵助は慌てて八左ヱ門の手を掴んだ。
 運転手がちらりとこちらを見たのはわかったけれど、何も言わないまま視線を戻してくれた。恥ずかしい、こんな男物の上着を纏ってこんなに戯れつかれて、自分らの関係が分からないわけがない。
 八左ヱ門が手配したわけで、ばれて大丈夫な人だとは理解しているのだが。
「ああ、それなら大丈夫。な? 三郎」
「知り合いなの……えぇ、雷蔵?!」
 三郎、と呼ばれた男がちらとこちらを見やる。帽子の下の目が笑っていた。柔らかい榛色の髪にまんまるの瞳。兵助が仕事で見慣れた顔――同僚、不破雷蔵のものだ。
「違う違う! 前に話さなかったっけ? その雷蔵の従兄弟なんだよ。三郎って言って、今日は無理言って来てもらったの」
 なるほどと頷く間もなく、三郎は深々と一礼する。軽やかな動きで、それが慣れた所作であると見て取れた。雷蔵とそっくりなのに、纏う雰囲気はだいぶ違う。
「人違いしてしまって失礼しました。……私のわがままでこんな時間に、ありがとうございます」
 兵助も慌てて頭を下げる。
 三郎は気を悪くした様子もなく慣れてますからとにっこり鏡越しに笑い、帽子の庇を指で弾いた。
「どうせ、こいつ一人でも来たでしょうし。それに――八左ヱ門がずっとご執心だった方を見られて、嬉しいですよ。……本当に、お綺麗ですね」
「え、と……ありがとうございます……?」
 見知らぬ誰かよりも、同僚そっくりの彼にそう言われることの、妙な照れくささがあった。兵助はもごもごと礼を言ってると、おいっ俺んだぞちょっかいかけるなよと八左ヱ門が横槍を入れてくる。
 ――聞けば、三郎は今、会社の取引で八左ヱ門と仕事を共にしているらしい。
 パーティで聞いた情報、こいつにも聞かせてやってと八左ヱ門に言われ、兵助は得た情報をかいつまんで話した。

――……だから、あの商社は、おそらく資金繰りが厳しいんだと思う。頼みの綱の縁談も、うまくいってないみたいだから」
 三郎はなるほど、と頷いた。
 横目で見た八左ヱ門は、さすがは兵助! と自慢げに胸を張っていた。雷蔵によく似た瞳がしかし意地悪気に細められる。
「聞いてた通り、聡明な方だ。お前より全然頭回るんじゃないか? 八左ヱ門」
「失礼だな! でも事実! 俺、昔からずっと勉強教えてもらってたもん」
 八左ヱ門の口元も、目もともゆるゆる嬉しげに綻んでいた。笑う彼の声がやけに近い。兵助も嬉しい、体が熱い。
「褒めすぎだよ……今日のパーティだって、わたし……正直、いっぱいいっぱいだったし。あの小部屋に入るまで、誰ともまともに話せなくて……
 火照りを抑えたくて謙遜の言葉を紡ぐ。
 何かを言いかけた八左ヱ門を遮るように前席からくぐもった笑い声が響いた。
「いや、兵助さんそれは……
「おいっ三郎!」
「はいはい分かってるよ。――兵助さん、その美しい黒髪をあげて、大きな瞳を仮面で隠して……あなたの魅力的な特徴を見せないように。つまり、あなたがあなただと分からないようにしてたくさんの情報を手に入れられたんだから、すごいことをしたんだよ」
――ありがとう? でいいのかな、照れるな……
「さぶろぉ、お前なぁ……
 今度は素直な気持ちで礼を述べると、三郎はくすくす笑った。その仕草は雷蔵によく似ていて、兵助もつい釣られて笑う。
 八左ヱ門だけが顔を赤くしてもごもご口ごもっている。なんだろうと首を傾げると、答え合わせをするように三郎が口を開いた。
――今の、学生時代に八左ヱ門がずっと言ってた言葉。きれいな黒髪、大きな瞳、あとは長いまつ毛。意中の人がいるとは言えない立場だったから、全部猫とか蝶だとか生き物に被せてたけど……正直、飽きるくらい聞かされてました――末長く、お幸せに」
 ***
 自宅に戻っても、彼の顔はちっとも兵助の方を向こうとはしなかった。
 疲れただろーとか風呂沸かすなとか、とりとめのないことを話しながら時折ちらちらと視線が投げかけられるのはわかるけれど、兵助が応えようとするとすぐに逸らされた。いつも照れているのはこちらの方で、彼の方がこんな態度を取るのは珍しい。新鮮な気分になる。――けど。
「うぉ! え、へいす」
……はち」
 彼の腰に手を回して、後ろからぎゅっと抱きつく。心臓がうるさいくらいに鳴っていた。聞こえればいいと思って、強く身を寄せる。羽織った彼の上着の下、隔てる布がないまま、乳房を押しつける形になっていると気づいた。が、かまうものか。
――はち、あの、昔ああいうの参加してた時に蛾とか追い払ったことある?」
「えーっと、蛾? ああ、オオミズアオかな? そんなこともあったな、ていうか兵助、あの、むね……
――……
 彼の耳たぶは赤い。
 そっと胸に回した腕をほどき、両手で彼の腰をぐっと引き寄せる。皮膚越しにどくどくと血潮が伝わる。抵抗なく、彼は兵助に向き直った。揺れる瞳を見据える。
「八左ヱ門――……八左ヱ門のこと、好き。大好き」
――兵助」
 八左ヱ門は少し目を瞠ったと思うと、静かに兵助を抱きしめた。
 ああ、やっと言えた。ずっと言いたかったこと。
 兵助も彼の背に腕を回す。隙間なんてなくなるくらい身体を寄せて、息を吸い込む。大好きなにおいがした。お日様の光と、やさしいにおい。八左ヱ門の体温。心音。やわらかな鼓動が伝わってくる。
「ずっと言えてなくてごめんなさい……こわかったんだ、好きなのに、どこも痛くないのが……でも、もう平気。八左ヱ門
 のこと、好きだから、――八左ヱ門も私のこと、好きっていっぱい言ってくれたから」
 そうっと腕が解かれ、彼の淡い色の虹彩が兵助の瞳をまっすぐに覗き込んできた。
 ――まだ伝えたいことがある。のに、心だけが先に走って、声が追いつかない。
 八左ヱ門は、兵助の言葉を待つようにじっとこちらを見つめたままだった。その優しい色に促されるよう、震える喉を動かす。
――結婚したあとも、八左ヱ門と一緒に仕事したい。あの、子供産まなきゃいけないのは分かってるし――それとは別にはちとの赤ちゃんほしいのも本当。でも、今したいことは八左ヱ門の隣にいることなんだ、走るお前を一番近くで見てたい」
「うん……うん」
「いつか、人形じゃないよって、したいことしたらいいって言ってくれたから。だから、思ったんだ……こう思わせてくれて、ありがとう」
「兵助、」
 感極まったような彼の声が名を呼ぶ。大きな手のひらが兵助の頬を包み、親指が目元を拭った。熱い水滴が彼の指を濡らし、自分が泣いているのだと気づく。――嬉しいのに、なんて陳腐なことを思った。
「兵助がそうやって自分のこと大事に思ってくれて、それを俺の言葉からだって言うの、……ごめん、うまく言葉が浮かばないけど、奇跡だと思う。思った。――すごい嬉しい」
「はち、」
 涙を拭った親指がそのまま唇へと滑る。下唇を辿り、ゆっくりとおとがいを持ち上げられた。兵助の好きな人の、これ以上ないくらいの眩しい笑顔が近づいてきて――見えなくなる前に、好きの二文字を唇で紡いだ。

……はちざえもん」
 どれくらいそうしていただろうか。彼の温かい腕の檻の中で、兵助はそっと彼の名を呼んだ。
「ん……どした、兵助」
「お風呂入りたい、入ってくる」
 言外に離してほしいという意図を込めて彼の胸を押す。できるなら兵助だってずっとこうしていたいけれど、できない理由があった。先程から目を逸らし続けていた、違和感。意識すると、途端にかあっと頬が熱くなる。
「おー、入ろう入ろう。もう沸いただろ」
……、ひとりではいる」
 えぇっと驚いた声があがる。兵助の腰に回された腕が解かれたかと思うと、今度は両肩をがしりと掴まれた。八左ヱ門の顔がずい、と近づいてくる。彼の目が爛々と光っているようだ。
「なんで! 絶対一緒に入る流れだっただろ! ……あ、もしかしてなんか隠してる? 夫婦に隠し事は良くないと思いまーす」
「う、……
「図星かあ。わかりやすいなあ兵助は」
……
「兵助」
 抵抗しても無駄だと悟り、羞恥で熱くなる頬をそのままに兵助はゆるゆると口を開いた。どうせ時間の問題なのだ。恥ずかしがっているほうが恥ずかしいかもしれない。そんなやけっぱちな気分に後押しされ、ぽつりと呟いた。
「あの……さっき転びかかったときに香水みたいなのかかって。……なんかあついっていうかじんじんするから早く洗いたい。洗うの見られるの恥ずかしい」
――え、あれかかったの?! 大丈夫?! てか、それ早く言えよ! はやく洗いに行こう」
 あたふたと八左ヱ門が狼狽える。矢継ぎ早に出される言葉には心配の色が滲んでいた。ぐいぐい強い力で腕を引かれて、兵助はたたらを踏んだ。そのまま風呂場に直行しそうになる彼を慌てて止める。 
「待っ……だから、自分で洗うってば」
「どこにかかったの? 兵助」
――せ、背中あたり……
……洗うのを見られて恥ずかしいところじゃなくて?」
「う……
 誤魔化しを一瞬で見破られ、口ごもってしまう。笑われるかと思いきや、八左ヱ門は真剣な眼差しで兵助を見つめていた。
「は、八左ヱ門……?」
「あの油、触ったところの感度が上がるやつなんだ」
「え」
「その……洗うのも敏感になっちゃってるから大変で、落とせないと数日あとひくらしいんだけど」
「うぇ、え……そんなにすごいのだったの……? お、おしり……お尻かかっちゃった、どうしよう」
 背中を伝って尻のあわいにまで伝ったそれを改め意識する。疼くような熱さは増すばかりだ。
 八左ヱ門の服の裾をぎゅっと掴むと、彼の喉はごくりと鳴った。が、真摯なままの瞳で兵助に向き直る。
「俺が責任持って洗う。から、一緒に風呂入ろう」
(続く)