【スタゼノ】神様もいらない

スタゼノワンドロワンライ 第205回お題「失敗」「成功」
初めてのキスに思いを馳せるスタンリーが、仕事を切り上げてゼノにキスをする話。

 ある日の朝、ゼノが久しぶりに臨時休暇を取ったとスマホに連絡して来た。そのショートメッセージを受け取ったのは、ちょうど俺が基地で訓練の監督をしているところで――詳しく言うと特殊部隊に新しく配属された兵士たちがパジルスティックでどたばたしている時のことだった。俺はそんな中スマホに届いたそのメッセージを密かに見て、今日が新兵の訓練日じゃなきゃ良かったのに、と思った。そしたら、今すぐにでもあんたのところに駆けて行けるのに、って。でも、俺が今抜けたら、訓練は文字通り終わっちまう。隊長がプライベートを理由に抜けたら、士気が下がっちまうから。
 だから俺は、少しイカサマをした。パジルスティックで疲労困憊してた連中にさらに完全装備をさせ暑い中持久走をさせ、くたくたになってしまった彼らに、今日はここでやめておこうと優しく、だが居丈高に言ったのだ。新兵たちは厳しい訓練に疲れ果てていたから、俺の言葉を救いのそれのように見た。そして荒々しく息を吐いて、胸を大きく上下させ、泥だらけになって地面にへばりついていた。
 俺はそんな彼らに荒々しいが労いの言葉をやり、素知らぬ顔をしてロッカールームに駆け込んでシャワーを浴び、軽く髪を整えてジープで基地を出た。オイルライターで煙草に火をつけ、逸る心をどうにかして抑えながら。
 ゼノの家まではここから数時間かかるが、どういうわけか今日はそんなのは気にならなかった。週末じゃないからハイウェイは混雑していなかったし、たとえいつものようになかなか前に進まなかったとしても、苛立ちはしなかっただろう。だって俺は今から恋人に会えるのだ。降って湧いたような幸運に、感謝しないでどうするっていうんだろう。俺は神を信じちゃいないが、あいつに出会った時から科学が神様だったが、もし全知全能の奴がこの世にいるんだとしたら、今そいつは絶対に俺に微笑んでいることだろう。
 西陽が差し込む車の中で、俺は煙草の煙を肺に送り込みながら、スマホに届いたメッセージを反芻する。今日は臨時休みを取ることにした、君に会いたい。そんな熱烈な台詞をプリンセスに言われたら、王子様も騎士も、きっとみすぼらしい馬番だってすぐに駆けつけることだろう。
 俺はエンジンをふかし、まっすぐな道を進む。ゼノの家は郊外にあって、懐かしいクラフツマンスタイルで、芝生は丁寧に刈り入れられている。シンボルツリーのマグノリアは春になると花を咲かせ、俺たちはたまにそこで寝転がってじゃれあう。ゼノの家には立派なインナーガレージもあって、そこには車を二台停めることが出来て、今乗ってる俺の愛車もそこに入る。ちなみにゼノの愛車は電気自動車だったが、俺はいつまでもガソリン車にこだわってた。だってそもそも馬力が違うんだ。それに紛争地で信用出来るのは、やっぱりガソリンだった。そもそもパワーが違う。あんたを助けに行くのは、あんたに会いに行くのは、あんたが毛嫌いしてる前時代の遺物なんだよ。
 そうして俺は気分良くアクセルを踏み、ラジオから聞こえる懐かしい、カリフォルニアスタイルのノリのいいラップソングに身体を揺らし、歌詞の通り彼との最初のキスについて考え込んだ。
 ゼノとの最初のキスは、とてもじゃないが格好がつかなかった。俺たちはまだティーンで、キスなんてしたことがなくて、それでも一ミリのズレもなくぴったりとくっついていたくて、ただTVや映画で見た通りに唇を合わせたんだから。そしたら歯がぶつかって、俺たちは笑いあってへんてこな、ほとんど失敗と言ってもいいキスを夢中で続けたのだ。
 ――先生なんていらないって言っただろ? 教科書もいらないんだ、俺たち、木かげでキスをしたんだ。誰も見てないといいんだけどな。君の唇はリコリスみたいで、舌はキャンディーみたいだ。
 ラジオが流す音楽は機嫌よくそんなふうに歌う。
 ゼノとの初めてのキスはその歌詞の通り、リコリスのキャンディーみたいな甘い味がした。俺の舌はまだ煙草で痺れてなくて、そう、俺は煙草を知る前に彼の唇の味を知ったのだった。
 車は進む。もうそろそろで、ゼノの家が見えて来る。愛しい男の家が見えてくる。彼は俺を出迎えたら、甘いキスをしてくれることだろう。でも、俺はそれだけじゃあ、昔みたいに満足出来ない。あんたが俺を甘やかすから、俺はどこまでも強欲になって、あんたとファックしたいって、あんたを全部俺のに塗り替えたいって、そう思うのだ。
 
 
「やぁ、スタン。随分早かったね。基地から飛ばした?」
 俺をカバードポーチで出迎えたゼノは、自分で作ったのだろうか? それともバザーで買ったのだろうか? 氷の浮いたレモネードが入った紙コップをこちらに差し出し、汗を額に浮かせた俺の頬にキスをした。彼も俺と同じで、ティーンの頃よりはずっとキスが上手くなった。もう失敗して歯をぶつけることもない。
「もちろん。プリンセスのお呼びとあっちゃあね」
 俺は甘酸っぱいレモネードを喉に流し込みながら、そんなふうに軽口を叩いた。別に本気で彼を女扱いしてるわけじゃないし、俺にとっちゃあ彼は王に近いものだったが、騎士はプリンセスに恋するものだと相場が決まっていた。それくらい、俺は彼にやられてた。
「それで、どうして急に休暇を?」
 あちこちをカラフルな自転車で走り回る子供達を横目に、俺は愛しい男に尋ねる。すると彼は笑って、小首をかしげてみせた。俺はそれに、やっぱりあんたにやられてるなって思って、レモネードで消えてしまった煙草の痺れを懐かしく思った。
 そろそろ夕食よ、早く家に入りなさいって、やんちゃな子供達に手を焼く母親が大声を張り上げる。いつもの通り編み物に精を出している老婆もいる。早々に仕事を切り上げ、家族の団欒に帰って来た父親もいる。
 その風景は、俺が戦場で守っているものだった。幸せな家庭は、俺がどれだけ戦場で働けるかにかかっているのだ。俺はそう信じていたが、でもそれは今ではあやふやだった。特殊部隊の隊長に任ぜられてからというもの、俺は様々な紛争地に派遣された。そこで多くの敵を銃で殺し、多くの部下を銃で失った。あれがこの幸せな風景に続いているのだとしたら、ちょっとした悪夢のようにも思える。いや、そんなことは、考えちゃあいけないのだろうけれど。
「最近仕事ばかりで君に構ってやれなかったからね。……疲れてる? 今日は早く寝ようか?」
「どうしてだよダーリン。せっかく平日に会えたんだ、朝までファックしようぜ」
 飲み干したレモネードの紙コップを潰し、それをカバードポーチに置かれたゴミ箱に捨てると、ゼノは笑ってまた俺にキスをした。彼の唇はやはり甘い味がした。でも今日はちょっと酸っぱく、ゼノも俺が来るまでにレモネードを楽しんだのだと思った。
「それじゃあ僕がもたないよ。特殊部隊隊長とただの研究者の体力は違う」
「あんただって、朝までパソコンの前でぶつくさやってんじゃん」
 そう言うと、困ったようにゼノが眉を寄せた。俺はそれを見て、そういえばまだここは外だってって思い直して、カラフルな自転車を庭に倒して、家に入ってゆく子供達を見やった。
 彼らは生命を脅かされたことはない。紛争地の子供達のように、明日の飯のために地雷を運ばない。料理を作っている母親だって、やがて寡婦になってもテロリストに自爆させられたりしない。早く家に帰って来た父親だって、兵士としてゲリラに駆り出されたりしない。老婆だって、孫を戦争で亡くして泣き叫ぶことはない。
 俺が先月までいたのはそんな絶望的なところで、とてもじゃないが何週間もいられるところじゃなかった。でも、俺はぎりぎりまでそこで神経をすり減らし、そしてまた特殊部隊の隊長として、合衆国のために繰り返し派遣されるのだった。何人も、何十人も、もしかしたら何百人ものテロリストを殺して、この国のために働くのだった。
「本当に疲れてないかい? 目元にくまがあるよ」
「それはあんたもだろ? 新兵が使えなさすぎて困ってんの。どうやったらあいつらが使えるようになるか悩んでっからだよ」
 俺たちは遠回しに探り合って、木のドアを開く。そしてリビングに行き、俺とゼノはまたキスをする。ちゃんとしたキスをする。歯もぶつけない、ティーンの頃とは違う、大人のキスをする。
「シャワー浴びた? このまま……
「駄目だよ、食事を先にしなくちゃ」
 久しぶりのキスを終えて、俺はゼノとファックしたくなって、彼の腰に腕を回す。するとゼノはいい子ぶって誘いを拒否して、俺の口に手のひらを押しあてた。でも、俺はそれを舌で子供のようにいたずらっぽく舐めて、ゼノを求める。すると彼は腰砕けになって、俺の腕の中に身体をおさめた。
 俺はそのままゼノをソファに押し倒し、何度も、何度もキスをして彼の舌の味を探る。初めてのキスはリコリスの味、キャンディーの味、でも今はレモネードの味、煙草の味——。俺たちはあれから変わってしまって、俺は長い任務や新兵の教育ですり減ってて、ゼノはゼノで何度も先進的なプロジェクトを却下されて疲れていた。そんな中キスをしてファックしたって、その苦しみは消えない。でもそれでも俺たちはキスをする、ファックする。まるでそれしかないみたいにして、お互いを求め合う。
 窓の外からは、TVから流れるカートゥーンのBGMが聞こえる。誰かが流してる、ジャズミュージックも聞こえる。食事を摂る前の神への祈りも聞こえる。でも、俺たちに神様はいなくて、だからどうやってももがくしかなくて、お互いの中に神を見て、それでどうにか救われてるのだった。神様は俺たちにキスをくれない。でも、俺たちは初めて口付けた時から、それをお互いに差し出せる。
「スタン、もう、もう……
 ゼノが弱音を吐いて、俺にしがみつく。俺はそれに気分を良くして、彼の肌を探り始める。
 俺たちに課せられた運命みたいなものに、俺はずっとおののいてた。でも、ゼノと一緒なら、それも怖くはない。もし行いが悪くて地獄に落ちたって、俺たちはずっと一緒だから、地獄の床にいたって神様がいてくださるとハイスクールにやって来たシスターが言ったように、ゼノはずっと俺の側にいてくれるに違いない。そして俺も、彼の側にいるのだ。
 俺たちはソファの上で絡まってキスをする。ティーンエイジャーの子供のものじゃない、きちんとした大人のキスをする。そして大人らしくぴったりと抱き合って、お互いの輪郭ぎりぎりまで責め立てる。
 ――先生なんていらないって言っただろ? 教科書もいらないんだ、俺たち、木かげでキスをしたんだ。誰も見てないといいんだけどな。君の唇はリコリスみたいで、舌はキャンディーみたいだ。
 そう、俺たちには先生も、神様もいらない。俺たちだけいりゃあそれでいいんだ。だって俺たちは恋をしているのだから。世界にお互いしかいないような、神様すらいないような、そんなどうしようもない恋をしているのだから。



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