薄手のベッドシーツは白いひだをいくつも作り、サウンドビーチに寄せては返す波のようであった。その隙間には黒の下着や靴下などがまるで海面に漂うブイのように無造作に投げ捨ててある。いつもは几帳面に整えられているはずの一人用のベッドは今夜はひどい有様だった。
ロックに誘われたのは数時間前。ジムから帰宅し、シャワーを済ませたテリーが何か軽く飲もうかと、冷蔵庫を物色しているところであった。不意に背後から声をかけられた。
テリー、抱きたい——ロックの少し掠れた声。遠慮がちな言い方で、ストレートなお誘いだった。
セックスをするのは何も今回が初めてではない。何度も体を重ねているはずなのにロックの誘いはいつも真剣で、どこか緊張感があった。
昔からわがままを言ったり、何かを求めることが少ない子だった。手のかからない子、いや、どちらかといえば自分が手を焼かせていた、とテリーは思う。気が付けばしっかり者でよく気の回るロックに完全に身の回りの世話を任せてしまっていた。一応、掃除だけは当番制をとっているが、テリーの日は結局、ロックがやり直しているので、すっかり形だけのものとなっている。テリーはなんでも雑なんだよ、そんな小言を背に受けながら、頼もしさに心が緩む。
出会った頃は喜んで食べていたファーストフードの類も体に悪いと言い出して、ヘルシーな食事を自分で作るようになった。元々器用なのと凝り性なのも相まって、料理の腕はメキメキと上達した。ロックの作るクラブハウスサンドは間違いなく世界一だ。焼き目がつくまでトーストしたパンにカリカリに仕上げたベーコン。そして、なんといっても隠し味はマスタードでほんの少しの辛さと酸味が病みつきになる。おかげですっかり食べ過ぎてしまうので、今は少し体を絞らないといけないなと思っている。
二人であちこち旅して廻り、昔と同じく落ち着かない生活ではあったが、気持ちは一人の時よりずっと穏やかだった。誰かと生きるにはズボラな性格は変わらなくて、友人達には、どっちが親だよ、などと笑われながらも。
そんなロックが、強く求めたのがテリーだった。
告白を受けた時はさすがに驚き、一度は断った。だが、テリーはロックの願いを受け入れた。ロックのことを思えばこそ本当は聞き入れるべきではなかったのかも知れない。今も葛藤がないわけではなかったが、それでもテリーはロックの好きなようにさせてやりたいと思っていた。仮にそれが一時のものであったとしても、その衝動に寄り添ってやりたかった。ただ、ロックの笑顔が見たかった。それは理屈ではなかったのだろう。きっと、お互いに———
テリーが振り向くとロックはまっすぐにその碧眼を見つめ返す。プラチナのまつ毛が燃える夕焼けのような赤い瞳を縁取り、その色をより際立たせている。ロックはきつく唇を噛んでいた。不安そうで、どこか苛立っているようだった。若々しく丸みのある眉間に不釣り合いな皺が深く刻まれ、シャープな眉がカーブを描いて大きく歪んでいた。
きっと自分でもどのように振る舞っていいのかうまく整理出来ていないのだろう。ロマンスのかけらもない誘い方ではあったが、これくらい無骨な方が自分達には相応しい気もした。
テリーはわかった、とだけ答えると、手に取っていたバドワイザーのボトルを冷蔵庫に戻す。ロックの表情は少しも晴れなかった。
「オイ」
「なぜそんな暗い顔をする?」
眠る場所を確保するために散らかった衣服を乱雑に放り投げながら、一向に浮かない様子のロックにテリーは怪訝な顔をする。ギラギラとしたコンドームの空袋がそこかしこに落ちていて、うっかり踏むとチクリと痛い。
「……」
枕に突っ伏したままのロックはなにも答えない。沈黙と重たい空気が返事だった。
「俺にはよくわからんな」
テリーはシーツの中からくしゃくしゃに丸まったグレーのアンダーウェアを見つけると、粗雑な仕草で履く。一方、ロックは締まった肉体を晒し、下着を纏うこともせず、顔を覆ったままで微動だにしない。テリーはため息を吐いた。
確かに難しい年頃だが、同性が故に共感してやれることも多い。そして、この態度は射精後特有の倦怠感によるものではないようだ。全く心当たりがない。テリーにとってもこの状況とロックの態度は到底理解出来ないものだった。
この重苦しい空気を和ますようにテリーはロックの小ぶりな尻を明るい調子で叩く。
「幸せそうな顔を見せてくれよ、ロック」
「……幸せだよ……」
枕の底からくぐもった声が聞こえた。
「とてもそんな風には見えないけどな…」
テリーは困ったように笑うと、ロックのやや硬く、ハリのある髪を指に絡めながら優しく撫ぜた。プラチナブロンドに波紋のように光が差し込み、より透き通って見える。葉についた朝露の煌めきみたいだ。
「髪、伸びたな」
ロックは答えず、赤い視線だけをテリーに向ける。目の動きはテリーの様子を注意深く探っていた。
「…テリー、カラダは?」
「ああ、生憎そんなヤワに出来てない」
「……そうか」
「大丈夫だ」
なんてこともないような素振りで笑う。
「よかっただろ?セックス」
テリーはおどけて言った。ロックは一瞬、躊躇したがすぐにテリーに向き直ると、体を横たえながら小さく両手を広げた。恋しがるロックにテリーは微笑むと、鍛え上げられ、大きく隆起した腕で優しく迎えに行く。短く切り揃えられた髪と控えめなソープの香りがテリーの鼻をくすぐった。
ロックはテリーの首筋に顔を埋めると鼻を押し付けてきた。猫か何かがするみたいな仕草は少しあどけない。同年代と比べると随分大人びているが、端々で見え隠れする年相応の瑞々しさをテリーは好ましく思っていた。ロックの形の良い耳に囁く。
「何をそんなに勘繰る?」
「ん…」
「ロック?」
「……少し怖い」
テリーの問いに少し間を置いてから、言葉を選ぶようにロックは答えた。
「何がだ?」
「自分のしていることが」
「なに?」
テリーは眉を顰める。
「……」
「おいおい」
テリーは思わず頭を掻いた。
「お前な」
「一丁前にしておいてよく言うぜ」
「テリー…」
「……嫌味はよしてくれよ」
ロックの声が沈んだ。
「嫌味じゃない」
キッパリとした口調で言い切ると、まだ名残惜しむロックの腕を振り払い、テリーは身を起こす。ロックの頬を極々軽く平手で打った。予想だにしない仕打ちにロックは狼狽えると、呆けたようにテリーを見つめる。赤い瞳が炎のように揺らめいた。
テリーは腹を立てていた。原因はきっとロックの気弱な発言だけではなかった。強く叩いたわけでもないのに、手のひらがやけにジンジンと熱い。
「しっかりしろよ、ロック」
「……」
「お前で望んでおいてナーバスになってんのか?勝手なヤツだな」
普段より抑えた声が凄みを与えている。本来だったら恋人同士が甘い言葉を囁くシーンであるはずなのに全くふさわしくないピリピリした空気が二人の間を漂っていた。沈黙で息苦しい。外からは場違いな車のクラクションが呑気に鳴り響いており、二人の耳に触った。
「……俺は」
「あんたのことを思って……」
「大丈夫だって言ってるだろ、なぜ信じない?」
「……」
「眠たいことを言うな」
一切の隙も与えぬテリーの物言いにロックは視線を逸らし、大変ばつが悪そうにした。悔しそうに唇を噛み締める。固い口元に反して瞳は水が染み出したみたいにみるみる濡れていく。そんな様子にテリーは小さくため息を吐き、体を横たえるとロックを胸元に抱き寄せた。
改めて肩周りががっしりとしてきたことに気が付く。完全に仕上がるにはもう少し時間がかかるだろうが、腕の中にすっぽり収まっていた小さな体もすっかりたくましくなったものだ。背丈もそんなに変わらない。テリーはロックの成長を実感しながら、ロックが子供の時の体温を思い出していた。華奢な手足に薄い腹。吹けば飛ぶような子供の体は驚くほど温かい。その思い出のぬくもりがテリーの感情を包み込むと、愛おしさに胸が詰まった。瞼の裏側が熱い。ロックもまた、小さい頃のようにされるがまま、身を任せていた。肩の力が抜けていくのがわかる。張り詰めていた糸が切れたのか、ゆったりとした仕草で瞼を閉じた。
「……お前は昔から少しシリアスになりすぎるところがあるな」
表情は険しさを残しつつもテリーの口調は先ほどとは打って変わり穏やかなものであった。
「……嫌なんだよ。あんたを傷つけてるみたいでさ」
そういうとロックはテリーの厚い胸板に頬を寄せる。ロックが瞼を動かす度に凛と伸びたまつ毛が繊細に肌をくすぐる。ロックが自分をいかに大切に思ってくれているかは、痛いほどわかる。葛藤もわかる。だからこそテリーはロックが満たされる何かを与えてやりたいと思っていた。自分が出来得る何かを精一杯示してやりたかった。
テリーは天井を見上げ、やがて深く息を吐いた。
「それは俺が決めることだよ。お前があれこれ考えることじゃねぇ」
「……」
ロックはそのまま押し黙っていたが、先程まで漂わせていた深刻さは薄れていた。ロックなりに腹を括ったのかもしれないとテリーは思った。
テリーはロックを自身に向き直させると、視線を合わせるように促す。ロックは少し間を置いて、意を決したように顔を上げた。少年は意思の強さを讃えた凛とした赤でまっすぐに見つめ返す。テリーは笑っていた。雲間から太陽が顔を出したみたいな笑顔だった。碧眼が緩やかな弧を描くと、小さな皺が目尻に見て取れる。ほんの些細な線がテリーの表情をより優しいものにしていた。ロックは湧き上がる感情を飲み込むみたいにグッと唇を噛む。
「最後まで愛してくれよ、ルーキー」
「……」
「寂しくなっちまう」
そういってテリーはロックの頬に両の手を添えると、真一文字に強く結ばれていた唇に不意に口付ける。ロックは一瞬、面食らった顔をしたが、ほどなく吹き出した。
「……昔からちょっと気障すぎるよ……テリーはさ」
ロックは口元を緩めると、ようやく柔らかい笑顔を見せた。それを見て、テリーもまた嬉しそうに笑う。
淡い橙のライトがロックの瞳の赤をより一層煌めかせていた。海面に照り返す夕焼けみたいな赤は暮れゆくサウンドビーチの海のようだと思い、尚更テリーはこの少年のことを愛おしく思った。
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