日課になっている夕方の散歩の最中、通り掛かった公園の木の下で上をずっと見上げている女の子を炎司は見つけた。その子の視線を追って木を見ると白い何かが見える。引っ掛かってしまい取れないのかもしれない。
炎司は周りを見渡すが、子供の付き添いだろう親達は離れたところで集まって談笑していて女の子に気が付かない。炎司は少し迷った末、公園の入り口から女の子を驚かけせないように音を立てて近づき話しかける。
「あれは、君の帽子か?」
近くで見た白いソレはどうやら帽子のようだ。女の子は突然現れた炎司を見上げ、驚き、そして怯えた。昔に比べ大分性格も眼差しも丸くなった言われる炎司だが、子供から見た第一印象は大きくて顔の火傷痕が怖いおじいさんだろう。それでも勇気を持って女の子がコクリと頷いたのを確認し、念のために持ち歩いていた折り畳みの杖を帽子に向かって伸ばす。炎司の身長と杖の長さが加わり難なく届いた杖先を器用に動かし、そのまま帽子を引っかけて手元まで下ろす。
「ほら、今度はしっかり被ってなさい」
埃を払った帽子をしゃがんで女の子に被せる。安心させるように柔らかく笑った炎司はその際に優しく頭をポンポンと撫でてしまい、つい孫の時のように接してしまったことに慌てた。けれど女の子は特に嫌がる様子は見せずポカンと炎司を見ていたが、その丸い頬に段々と赤みが差していき俯いたかと思ったら小さな声で「ありがとう」とお礼を言った。
そんな出来事からしばらく、公園のベンチに座った炎司の隣にはあの日の女の子がいた。
「クラスの男子が○○ちゃんに意地悪してきたから私がやめなさい!って言ったの。そしたらね・・・」
急速に炎司に懐いた女の子は以降、毎日ではないが炎司を見つける度にこうして捕まえて会えなかった日々の出来事を一生懸命話す。最初は戸惑っていた炎司だが、女の子の母親とも挨拶した仲なので今では孫のような年齢の子が懐いてくれることを微笑ましく思っていた。
少々気が強く、ませた女の子はクラスの男子に不満があるらしく今日はそんな内容をつらつらと語る。一通り話して満足したのか、相槌を打っていた炎司の青い瞳を下からジッと見つめたと思うと徐にベンチをピョンと降り、炎司の目の前に立ち膝に手を当てた。
「私、炎司さんのお嫁さんになってあげてもいーよ?」
まさかの求婚。そのとき炎司は学校の先生をしている娘の冬美が「最近の女の子は特にませてるよー」と苦笑していたことを思い出す。爆弾発言をした当の本人は名案だと言わんばかりに頬を紅潮させキラキラした瞳で炎司の答えを期待している。
「有難いが…それは少々無理だな。君ならもっと素敵な人に出会えるだろう」
子供に慣れた大人なら軽く流せばいいものの生真面目な炎司はそれができなかった。炎司の返答を拒否と受け取った女の子の顔が急速に歪む。泣いてしまう、炎司は慌てて再び口を開き取り繕うとした。どうせすぐに忘れてしまう子供のたわ言なのだから泣かせないことの方が重要だと。
「そうだな、君が大人になっ」
言いかけた言葉は後ろから伸びてきた掌に封じられた。ヒーローを引退したからといって炎司の背後を取れる者など少ない。後頭部に感じるその知った感覚と仄かに香る香水にすぐに誰であるかわかったが、平日のまだ夕方だ。なぜここにいる?疑問を浮かべて口を塞ぐ相手を振り返る。
「(けいご)」
空気の音だけで呼びかけると合わさった目線とシーっと立てられた人差し指で返事がされる。炎司に何も話すなということらしい。黙った炎司の口から手を放し、泣きそうになっている女の子に目線を合わせたホークスこと啓悟はにっこりと笑った。
「なってあげてもいーよーは、ちょーっと上から目線じゃない?炎司さんモテモテだからライバルが多いんだよ?そんな他力本願でいいの?」
「なっ!」
女の子をなだめるのかと思いきやまさかの発言に思わず炎司も声を上げる。けれどそれを気にした様子もなく啓悟は続けた。
「俺もね炎司さんのことが大好きなの。それはもうずぅーーーっと前からね。だから振り向いてもらうためにたくさん頑張ったんだよ?君はどれだけ頑張れるかな~」
牽制、マウント、挑発、炎司は頭が痛くなった。けれどここでなんと口を挟めば正解が分からないので黙っていることしかできない。女の子は突然現れた啓悟にポカンとしていたが、流石小さくとも女性である。喧嘩を売られていることがわかったのか滲んでいた涙は引っ込んで、眉を寄せてキッ!と眼光を鋭くする。
「あなた誰よ!邪魔しないで!」
そこからは口が達者な者同士の口戦が始まった。何度か炎司が「二人ともやめなさい」と弱々しく仲裁に入ってみたが、聞き入れるはずもない。しばらく炎司にとっては恥ずかしさのあまり聞くに堪えない言葉の応酬が続き、最後は女の子が「覚えてなさいよ!」というなんとも言えない捨て台詞を残して母親の元に走り去って行った。
「ふーっ、最近の子はませてますね~。じゃあ、帰りましょっか炎司さん」
一仕事終えたというようにやけに晴れやかな笑顔で手を差し出す啓悟に、炎司はため息をつきながらその手を取った。
******
連日泊りがけの仕事が続いていた啓悟はやっとひと段落ついたとのことで、周りの職員からも言われ早めに帰宅したとのことらしい。
「けど炎司さん家にいなかったんで日課の散歩かな~って。噂の女の子にも会いたかったんで…いや~熱烈でしたね」
などとのん気に話しているが、啓悟は炎司から見ると仕事にしては少々派手なスーツのまま着替えることもせず低いソファに座った炎司の正面から抱き着き、頭を肩口にグリグリと擦りつけてくる。何度か離れろ、着替えろと言ってみたが無視されるのでもう好きにさせている。
「まったく大人げないにもほどがあるぞ。なんなんだあれは一体」
確かに子供好きとは言い難い啓悟だが扱いに慣れていないわけではない。むしろ炎司よりもよっぽどうまく子供の相手ができるだろう。いつもより余裕のない啓悟の背中をあやすように叩く。
「だって炎司さん、あの子のプロポーズ受けようとしてたでしょ」
一体いつから見ていたのか。いや、それよりも受けようとしていたは流石に語弊がある。
「流そうとしただけだ。子どもなんだぞ?いつまでも覚えているはずがない」
子供のましてやあんな小さい頃のことを大人になっても引きずるはずがない。ごく一般論を口にしたはずなのに不自然なくらい黙って返事をしない啓悟を訝しく思いながらも、炎司は愛しい引っ付き虫のご機嫌を取るために言葉を続けた。
「それに俺には…頑張ってくれた恋人がいるからそいつに報いるために手一杯なんだ。他を見ている余裕なんてない」
背中をあやしていた手を整髪料と啓悟自身に匂いが混じって香る少しごわついた金色の髪に差し込み、落ち着いた色のピアスが光る耳に音を立ててキスをする。
「・・・それって一生ですか?」
小さく頼りない声で、そのなんともいじらしい発言に炎司の口角が自然と上がり笑い零れる。
「ああ、俺の残りの人生全部かけても足りないかもしれないからな」
笑みを含んだ炎司の言葉にようやく顔を上げた啓悟の眉は下がっており、喜びと哀しみを耐えたような表情をしていた。青と金が交わり、どちらからともなく顔を寄せ、啄むような口づけからどんどん深くなり開かれた口内を互いの熱い舌が行き来する。首に回されていた両手は炎司の項をぞりぞりと擦り、もう一方は現役の頃よりは確実に細くなったがそれでも逞しい脇腹を通り尻のあわいを撫で上げる。
片手でバランスのとり難い炎司を労わりながら、それでも明確な意思を持って畳の上に押し倒し銀の糸を引きながらようやく唇が離れる。それをペロリと舌で舐めとりギラリと熱を帯びた目で炎司を見下ろす。視線を外さないままネクタイとベルトを緩める啓悟の壮絶な色気に中てられ炎司の体温も自然と上がり腹の奥がズクリと疼く。
「啓悟、風呂に・・・んっ、」
今更止められるはずがないのに習慣から衝いて出た言葉は当然流され、ついでとばかりに服の上から這わされた手が炎司の胸の弱点を弾く。
これから行われる行為に、啓悟が炎司に興奮しを抱こうとする度に信じられない気持ちになる。二十代より少し貫禄は出たとはいえまだまだ若い盛りの、言ってしまえば選ぶ側である見目の良い男が火傷で引き攣れたお世辞にも滑らかとは言い難い肌をくまなく舐め上げ、欠損した部位を愛し気に食み、「愛している」と身体と魂に刷り込むように何度も炎司を抱きながら呟くのだ。
その事実に炎司の今まで誰にも触れられたことのなかった愛欲という柔らかな内側の部分が刺激され、ぶるりと震える。啓悟のためを思うならと離れようと突き放したことは何度もあった。けれどその度に言葉で態度で尽くし教え込まれた炎司がこの男を最早手放すことなどできない。
「炎司さん、愛してます」
「・・・俺も、一生お前だけだ」
互いの目尻に光るものが幸せの涙であることを、こうして不安に駆られる度に確かめ合って行くのだろう。そんな未来も悪くはない。
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