ねぶくろ
2025-06-07 17:38:32
7687文字
Public Skeb
 

『運命の女』などではなくて、

Skebにて納品した作品です。

プロローグ


 ふわりと甘い香りが鼻腔を満たす。桃のような、杏のような、重たく空気の底に沈みこむ、果実の芳香。蜜が滴るような蠱惑的なそれに気が付いて、掬い上げられるように視線を持ち上げた。
 視界に映るのは眩いほどのピンク色。桜の花びらが舞い踊っているかのような錯覚に、思わず目を見開く。彼女は、艶やかな唇を動かして、僕に手を差し伸べた。
「大丈夫?」
 うっとりするほど可愛らしい声が耳朶を打つ。磁石が引き合うような自然さで、僕は彼女に手を預けた。引き上げられて、座り込んでいた地面から立ち上がる。見下ろす高さに、風になびく可愛らしいピンクの髪の毛が揺れていた。
 夢を見ているような心地で彼女を見つめる。やわらかな手の感触を繋いだままで、僕は「ありがとうございます」と虚ろな声を押し出した。その言葉に、彼女が愛おしむように目を細める。
 豊満な胸を揺らして、彼女が小首をかしげる。両の手で僕の手を包み込んで、彼女が上目遣いでこちらを見上げた。きゅ、とほんの少しだけ力のこもった手のひらに、思わず息を呑む。
「怪我はない?」
 彼女の体がこちらに寄って、甘い香りがふわりと鼻先に掠めた。蠱惑的で魅力的な、幻惑をもたらす色香にあてられる。返事も出来ずに口ごもっていれば、彼女が僕の顔を覗き込んで、おもむろに額を合わせた。熱を測るように肌と肌が触れあって、至近距離に迫った少女の顔に心臓が跳ねる。
「熱はないみたいね。……一人で大丈夫?」
 一瞬の接触を終えて、心配そうに彼女がこちらを窺う。機械人形のように繰り返しコクコクと頷けば、彼女は「そう?」となおも案じるように小首をかしげた。かぐわしさと共に、目も眩むほどの桃色が思考をかき混ぜる。
 誰かに心配されたのはいつぶりだろう。
 こんなに親身になってくれる人なんて、他にいただろうか。
 包まれた手がするりと離されて、やわらかな熱が逃げていく。彼女は目を細めて微笑を浮かべると、駅の方へと身を翻した。熱帯魚が尾鰭を揺らすように、長い髪が虚空に踊る。夢のような一瞬の後に、彼女が肩越しに僕を振り向いた。そこに湛えられた笑みに、射抜かれる。
「もう転ばないように、気を付けるのよ?」
 そのまま、彼女が軽い足取りで駆け去っていく。その背中を見送って、僕は彼女と触れ合った右の手を握り込んだ。こぶしを心臓のあたりに押し当てて、息を吐き出す。
 僕はその日、僕の 運命の女ファム・ファタールに出会ってしまったのだった。



「ゼッちゃ~ん! お待たせ!」
 耳朶を打つ耳慣れた声に、 むすび 絶統ぜっとうは顔を上げた。見れば、駅の方から見慣れたピンク髪の少女が駆けてくる。その姿に気が付いて、絶統は彼女に手を振り返しながら、苦笑を零した。彼女、 震心しんしんはこちらを目掛けて手を振りながら全力で走ってくるので、豊かな胸が揺れて道行く男性たちの視線を釘づけにしている。その事実に、恋人として若干の煩わしさを感じながら、絶統は彼女を迎えに歩き出した。
「待ってない。今来たところだ」
 お決まりのセリフと共に彼女と合流すれば、心は駆けてきた勢いを殺さないまま絶統に抱き着いた。
 待ち合わせもデートの醍醐味の一つだから、と彼女に言い含められて家を出た時には、「本当だろうか?」と疑問に思ったものだが、実際に体験して納得した。彼女の装いを楽しみにすることが出来るのはなんだか得をした気分だし、自分を見つけて嬉しげに駆けてくる姿は愛おしい。
 待った甲斐があった、と彼女の体を抱き止めて、その瞳を見つめ返す。
「今日は一段と、か、……、洒落た格好をしているな」
 可愛いという言葉を口に出せずに、舌がもつれる。心は、「オシャレしたの、気づいてくれたのね」とはにかんだ。そして、自身の服装がよく見えるようにと抱き着いていた腕を離す。
 赤いニットに黒いミニスカートと、同じく黒いニーハイソックス。屋内とはいえそれなりに歩くと伝えていたからか、足元は低めのヒールだ。彼氏としては足元の露出が少し気になるが、デートの為にあれこれ悩んでコーディネートしてくれたと思えばそれすらも愛おしい。
 心はその場でくるりと一回転して、スカートを翻した。「どう?」と小首をかしげる彼女に向けて、「良く似合っている」と言葉を返す。絶統は自身の右手を差し出した。
「俺の手際では至らないかもしれないが、可憐な君のエスコートをさせていただいても?」
 気取った言葉に、彼女がその手を預ける。
「紳士は淑女に気を使わせないものよ。至らないかもしれないなんて言わないで?」
 そのまま、二人で手を繋いで目的地へと歩き出す。向かう先は、この地域で一番大きな水族館だ。水棲生物の中でもカワウソやペンギンなど、女性に人気の高い可愛らしい生き物を中心に飼育・展示している。
 駅から水族館の方へと歩いて行けば、なだらかにだが人の流れが形成されていることに気付いた。子連れやカップル、学生のグループなどが和気あいあいと舗装路を歩いて館内へ向かっていく。
 絶統はさり気なく繋いだ手の指を絡めて、ひと際人口密度の高いチケットカウンターへと向かった。

 館内に入れば、青色を基調とした壁面にはデフォルメされた魚のイラストが描かれていた。入り口に最も近い位置に描かれたカクレクマノミのキャラクターが、『ようこそ!』と来館に向けて挨拶している。先へと進んで行けば、他にもタコやカニなどが、子どもにも親しみやすいような平易な文章で館内での注意事項や、水辺の生き物について説明していた。なんとなく流し読みながらドアを潜り抜け、いよいよ展示コーナーへと足を踏み入れる。
「わぁ……!」
 隣で心が感嘆の声を漏らす。絶統も、視界に飛び込んできた極彩色に思わず目を見開いた。
 まず初めに二人を出迎えたのは、色鮮やかな熱帯魚たちだった。透明度の高い水の中で、眩しいほどの赤色や宝石にも等しい青色の鰭が揺れている。サンゴを模したオーナメントの間を悠々と泳ぐ姿は堂々たるもので、トップモデルがランウェイを歩くような優雅さを感じられる。
「あ、見て見て!」
 心が繋いだ手を引いて、はしゃいだように水槽に近寄る。促されるままに水槽を覗き込めば、フリルのような尾鰭を震わせながら、小さな魚が視界を横切った。
「ドレスみたいで、可愛いわね」
 心がこちらを見上げる。その笑みから目を逸らすように水槽へ視線を向けて、絶統は頷いた。
「そうだな。色も鮮やかで、綺麗だ」
 後ろから駆けてきた小学生に場所を譲って、次のエリアへと向かっていく。
 見慣れた生き物、見慣れない生き物。可愛らしい展示に、思わず笑ってしまうような造形の魚たち。国内に生息するものもいれば、海外の珍しい生物もいる。大なり小なり、様々な水槽を眺めながら、繋いだ手を離さずに歩いていく。
 歩調を合わせてのんびりと館内を巡っていれば、ひと際薄暗い一室にたどり着いた。部屋の中央には円柱形の水槽が聳え立ち、ブルーライトで照らされたクラゲが、鉱物のような煌めきを放っている。その周囲にも窓ガラスのような水槽が並んで、多種多様なクラゲたちを展示していた。
 部屋の薄暗さも相まって、宝飾店のようにも銀河のようにも思える幻想的な展示だ。一歩足を踏み入れれば、プラネタリウムのような深い闇に包まれる。繋いだ手だけを頼りにして、二人は円柱の中でふわふわと漂うクラゲを見上げた。
……
 無言で、心がこちらに体を寄せる。綺麗、と囁く声に頷いて、「銀河みたいだ」と言葉を返した。自分と相手の境が曖昧になるほどの暗闇の中で見つめ合い、繋いだ手の輪郭が溶け合うような錯覚に笑みを零す。
 言葉を介すことすら無粋なようで、そのままゆっくりと室内を巡った。心なしか、他の部屋よりも二人組の比率が高いのは、きっと気のせいではないだろう。展示室を出て、通路を進む。階段を上がれば、明るい太陽光が目を刺した。
 館内展示はあらかた見終えたようで、通路の先にはステージに向かうための扉がある。通路の脇にはカフェがあり、ショーの時間までここで待つこともできそうだ。顔を見合わせて、ショーの時間を確認する。次のイルカショーは三十分後だ。時刻はちょうど昼前で、カフェには空席も少なくない。後で戻ってくるよりは、今のうちに昼食を摂ってしまった方がいいだろう。
「ショーまでまだ時間がある。少し早いが、カフェで時間を潰していこう」
 心に声をかけて、メニューを見るためにカフェに立ち入る。ウミガメメロンパンなど、海の生き物に見立てた商品が多い。心は立て看板を見つめて、繋いだ手をちょん、と引っ張った。
「ゼッちゃん、お腹空いてる?」
「そんなには減っていないが……、何か気になる物でも見つけたか?」
 彼女の視線を追いかけて立て看板を見れば、ペンギンサンデーという可愛らしい文字が躍っている。サンデーにペンギンのクッキーが添えられているだけの簡単なものだが、写真で見る限りではとても可愛らしい。――お値段はあまり可愛らしくないが。
「昼食にするには少ないぞ」
「うん。……だから、ゼッちゃんのご飯と半分こずつでどうかしら? 『あーん♡』ってしてあげる」
 悪戯っぽく笑われて、苦笑を返す。
「人が少ないとはいえ、それは勘弁願いたいな。……注文をしておくから、席を取っておいてくれ」
「は~い」
 ずっと繋いでいた手を離して、彼女と別れる。自分の一部を失ったような錯覚に襲われて、絶統は思わず自身の手に視線を落とした。苦笑交じりに財布を取り出し、注文カウンターに並ぶ。
 サンデーだけでは体が冷えるだろう、とイルカの刻印がされた肉まんを注文して、番号札をもらった。他に待っている客はいないので、すぐに出てくるだろうとそのままカウンターのそばで待つ。
 ものの数分で番号が呼ばれた。コンビニのそれよりも少し大ぶりな肉まんと、可愛らしいペンギンのクッキーが添えられたサンデーのカップを渡される。片手に一つずつ商品を持って店内を見回せば、窓際の席で心が手を振った。食べ物を持った手を振り返すわけにもいかず、足早に彼女の下へ向かう。
 海の一望できるテーブル席に座った彼女は、絶統が手にしたサンデーを眺めて「可愛い」と微笑んだ。肉まんを半分こにして頬張り、二つのスプーンでサンデーをそれぞれに掬いとる。溶けないうちにと急いで食べていれば、頭がわずかに痛んで顔をしかめる羽目になった。
 食事を終えても、イルカショーまではまだ時間があった。景色でも眺めていようか、と絶統が時計を確認していれば、心が「お手洗いに行ってくるわ」と席を立った。
「ついでに飲み物も買ってくるわね」
「あぁ、頼む」
 ポシェットを手にして、カフェを出て行く背中を見送り、テーブルに頬杖をついて陽光を返す海を眺めた。寄せては返す波の運動を見つめて、息を吐く。
 この後の段取りを考えながら、煌めく波間を眺めていれば、ふと人の視線が肌に突き刺さるのを感じた。どことなく絡みつくような、粘っこく悪意のあるそれを訝しんで、悟られないようにと視線だけで気配を窺う。
 カフェの店内には、学生のグループと、幼児を連れてた母親の他には、カウンターで店番をしている退屈そうなアルバイトしかいなかった。視線の主は彼らではないだろう。辺りを見回せば、入り口付近で人影が動いた。そちらへと顔を向けるが、絶統が相手を視認するより先に視線の主はどこかへ立ち去った。眉根を寄せて、カフェの出入り口をじっと見つめる。
 なんとなく嫌な予感がして、絶統は腰を浮かせた。

     *     *     *

 時間帯のせいか、女子化粧室は空いていた。手洗いを終えて、人気のないパウダールームの一角を陣取る。心は鏡の前で髪の毛の乱れを直し、リップクリームを取り出した。明るい照明の下で自分の顔を検分し、化粧崩れがないことを確かめる。一通りのチェックを終えて、震心は持参したポシェットにリップクリームを仕舞いこんだ。
 スマートフォンを確認すれば、イルカショーの開始は十分後に迫っていた。カフェに戻って彼と合流し、移動を始めればちょうどいいだろう。ショーが終わったらショップでお土産も見たいな、などと呑気に考えながら化粧室を後にする。
 細い通路に出ると、すぐさま目の前に人影が差した。顔を上げれば、背の高い、――とはいっても百七十センチ程度の見知らぬ男性が、行く手を阻むようにそこに立っていた。高校生か、大学生か、まだ微かな幼さを感じる顔立ちに、目を瞬いて会釈する。心がそのまま立ち去ろうとすれば、彼はこちらを見つめて、無言のまま行く手を立ち塞いだ。咄嗟に身の危険を感じて後退る。
……ワタシに何か用かしら?」
 警戒しながらも、愛想笑いを浮かべて尋ねれば、彼は緊張した面持ちで口を開いた。
「ずっとあなたを探していました」
 真っすぐに、どこか狂気的な情熱を孕んだ眼差しがこちらを射抜く。彼は人気のない廊下に片膝をついて、まるで王子が姫に向けてそうするように、手を差し出した。絵本のワンシーンのような、呆れかえってしまうほどにベタで甘ったるい求愛のポーズ。跪いた姿勢のまま、彼は言う。
「あなたが好きです。……どうか、この手を取ってください」
「え、……えぇ、と」
 騎士か王子か、と見紛うほどの求愛の仕草に、乙女の本能がくすぐられる。――ゼッちゃんもこんな風に求愛してくれないかしら、なんて。そんな気持ちを抑えるように胸元に手を当てて、心は目を伏せた。
「ごめんなさい。ワタシには心に決めた人がいるの。だから、あなたの手は取れないわ」
 それじゃあ、と彼の脇を抜ける。人目につく場所に出るより先に、立ち上がった彼に手首を掴まれた。振り返れば、青年がその顔に怒りと失望を浮かべてこちらを見ている。
 フラれることを想定していなかったのか、血の気の引いた顔で「待ってください」と感情を抑えるように低い声を発した。息を整えて、彼が平静を装う。ぎこちない笑みと共に、彼がこちらに近づいてきた。掴まれた手を振りほどこうとしても、力の差があって逃げられない。
「あなたがあの男に恋していることは分かっています。でも、僕にとってはあなただけなんです。あなたは僕の運命の人なんだ! ……分かってくれますよね?」
「ごめんなさい、ワタシの運命の人はゼッちゃんなの」
 だから離して、と腕を振っても、彼は頑として掴んだ手を離さなかった。その顔が見る見るうちに歪んで、「なんで」と詰るような声が零れ落ちる。お手洗いに向かうための細い通路には人目が届かず、誰かに助けを求めることも出来ない。心が焦って周囲を見回しても、彼は構うことなく言葉を重ねた。
「あなたが先に声をかけてきたんでしょう!? 僕に手を差し伸べてくれたじゃないですか! なのに、なんでそんなことを言うんですか!?」
 身に覚えのないことを喚かれて、心は思わず身を竦めた。響いた怒声に目を瞑る。殴られるかもしれない、と身構えた心の予想に反して、衝撃は訪れなかった。代わりに、「何をしている」と、場を圧するような堂々たる声が二人の間に割り込む。顔を上げるまでもない。耳慣れた、世界で一番愛おしい声。振り向けば、そこに絶統が立っていた。脇目もふらずにこちらに近づいて、心の手首を掴んでいた男性の手を掴む。
「嫌がっているのがわからんのか。離せ」
 常の気さくさからはかけ離れた、嫌悪を露わにした厳しい声。男性が委縮したように手を離し、心はパッと距離を取って絶統の影に隠れた。大きな背中の影から青年を窺う。彼は絶統の登場に怯んだことを恥じてか、唇を噛んだ。挑むように絶統を見上げて、「お前は……」と絶統を睨みつけた。
「お前みたいなのがいるせいで話がややこしくなるんだ! いいか、彼女にふさわしいのは僕だ! 彼女にすべてを捧げられるのは僕だけなんだ! お前じゃない!」
……戯言を。当の彼女が否定しているのならそれが答えだろう」
 一蹴した絶統に対して、青年が色めき立って声を荒げる。
 曰く、心に手を差し伸べられてから、彼の人生は一変してしまったのだという。
 勉強には身が入らず、その遅れを取り返すために不眠が続き、更には合格確実と言われていた大学受験は失敗した。――これはすべて、心に出会ったことによる影響であり、自分は彼女に人生を捧げ、この身を狂わせることが使命なのだ、と。
 絶統がこちらにだけ聞こえるような声量で、「……だそうだが?」と尋ねて来る。青年に手を差し伸べた日の記憶は曖昧で、言われてみれば道で転んでいる人を助け起こしたこともあったような……という程度である。心が「覚えてないわ」と頭を振れば、絶統は呆れたように息を吐いて、「君が勘違いを誘発するのはいつものことだからな」と青年に向きなおった。
 彼が頭を掻いて、「貴様」と青年に声をかける。
「それは要するに、こいつに一目ぼれして勉強に身が入らなくなったというだけの話だろう。運命だの、責任を取れだの、被害妄想も大概にしろ」
 怒りよりも呆れが先に立った声音に、青年が顔を赤くして「違う! 彼女は僕の、僕だけの 運命の女ファム・ファタールなんだ!」と言葉を重ねた。ここまで必死だと、見ていて哀れなほどだ。大学受験に失敗したことが相当な痛手となっているらしい。
 何と言って宥めようか、心が絶統の影に隠れて考えていれば、ぎゅっと手を掴まれた。慣れ親しんだ体温に包まれて、顔を上げる。愛しい恋人はこちらを振り向かないまま、「違う」と短い否定を打ち返した。
「彼女はお前の 破滅を齎す者ファム・ファタールじゃない。俺の、 運命の女ミューズだ」
 わかったら二度と俺たちに関わるな、と一方的に宣言して背を向ける。心は手を引かれるままにその場を後にした。いつもは歩調を合わせてくれる彼が珍しく足早に先へと進むので、小走りでその後に続く。しばらく歩いて、ようやく陽の光が届く大きな通路に出た。足を止めて、彼が息を吐く。こちらを振り向き、彼が先ほどまでとは打って変わって静かな声で「怪我はないか?」と問いかける。
「駆けつけるのが遅れてすまなかった。……怖い思いをしただろう」
 すまない、と謝罪を重ねる彼を見上げて、「ワタシは大丈夫よ」と頭を振る。
 来館者たちは既にショーステージの方へ向かったらしい。 他人ヒトの目がない通路の真ん中で、心は繋いだ手を引いた。「ゼッちゃん」と彼の名を呼んで、背伸びする。
「助けてくれてありがとう」
 愛してるわ、と飛び切りの愛を唇に乗せて、頬に触れる。来世までもを誓い合った運命の相手は、口づけられた頬に手を当てて、たじろいだ後、強がるように「俺も、愛している」と笑みを返した。