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袋小路みけねこ
2025-06-07 11:26:56
12392文字
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「なりそこない」、求める
エメアゼ♀前提ソルと妻 少し設定見直ししました。
劇場施設内の更衣室。一時帰宅のために自分のロッカーの中を見た時、まさしく目を疑った。
「うそ、でしょ
……
」
愛用してた練習用のジャンパーが、見るも無残な布切れたちに変わってしまったのだから。
……
冷静に、冷静にならなきゃ。ここに置いていくのは忍びないから、手袋を嵌めてジャンパーだった布たちを拾い集める。そのなかに封筒を見つけた。
――
ツィーディアへ。可愛らしく丸っこい字が強く、滲んでいた。見覚えのある筆跡に苦さを覚えて思わず鞄の中に仕舞いこんでしまった。本当はちゃんと中を見て、私のしてしまったことを受け止めなきゃいけないのに。こんな状態で帰宅
――
もう、彼と一緒の場所が家って思ってしまっているのね
――
しなきゃいけない。大丈夫、だいじょうぶ
……
「演劇」があるから。そう思いつつも、このジャンパーとの出会いを振り返らずにはいられなかった。
短い夏が終わり始めた時だった。ぼろになってたジャンパーを買い換えたいと思っていた時に出会った。理想を体現したようなジャンパーが目の前に現れた。軽くて丈夫で、撥水性もある。サイズもぴったりだし、デザインもいい。暗闇でも視認しやすい蛍光のオレンジが差し色に鮮やかに、かつうるさくならないところに沿われている。欠点なのは
……
値段だけだった。彼と生活を共にしているとはいえ、演劇に関しての費用は煩わせたくなかった。それゆえ結婚前と変わらず演劇で得たお金で買いたかったが、その時は練習の時の運動靴だったり服だったりとすでに使いすぎてしまっていた。切り詰めてけば買えないことはないけれど、そうしたらもしものためのお金が足りなくなってしまう
……
などとジャンパーの前に張り付いて思考の渦に呑まれていたその時、目の前に紙袋が現れた。思わず見上げると、彼が
――
ソルが、肩を竦めて受け取れというようにその袋を突き出した。
「それと、同じものでよかったか?」
「え、あ、貴方、どうして」
「どうしてって、たまたま、張り付いてるお前を見かねた私が、すぐに解決できる方法で解放してやったってだけだ。おおむねそれを買うのに迷っていたってとこだろう?」
事実なだけに何も言い返せない。ちらりと店員さんを見ると笑顔をこちらに向けながらお買い上げありがとうございましたと言われ、却って恥ずかしいやらなにやらで申し訳なさが湧きたった。しかも、中身の入ったこの店のロゴが入った紙袋がこの手の上にあるってことは
……
「すぐに解決できる方法」で彼の財布を痛ませたってことで
……
。
「ごめんなさい
……
ちゃんと、返すから
……
」
まずは店を足早に出る。抱え込んだ袋の中をちらりと覗くと、やっぱり理想のジャンパーがそこにいてくれた。蛍光オレンジが見立て通り鮮やかで、夜のランニングも捗るに違いない。嬉しく、なってしまう。
「お前案外わかりやすいな
……
お前が迷うってことは本業の、演劇の方で使うものだろう。自分のことは自分でどうにかしようとするのは殊勝な心掛けだが、私とお前は一応家族で会計を一にしている。それに、だ」
「?」
「今返されるより、その金をほかに使って励んでくれたほうがよっぽどありがたい。演劇がこの国において、経済面での新たな一翼になりつつあるのもそうだが
……
そういえば言っていなかったな。私を演劇に嵌らせたのはお前なんだ、名女優ツィーディアよ」
確かに私の演劇を偶然見たっていうのは言っていたけれど。その言葉がリップサービスだったとしても、演劇のことになると素直に嬉しい。演劇と共に生きて、呼吸をして、居場所としてきたからかもしれない。
「あの
……
ありがとう。演劇見てくれてたのと、ジャンパーも。大事に使わせていただきます」
「
……
どういたしまして」
彼の頬が少し持ち上がるのを見て、お客さんが笑ってくれた時のきらめきに似たものを貰った気がした。
……
そう、せっかく彼にもらったのに、って思ってしまったのよね。あの時買ってもらったお店に足が向いてしまって、同じ型番のものがあることは窓からうかがい知れたけど、買う気になれなかった。買ってもらったのはこの、布切れになってしまったものだけだもの。結局とぼとぼと、家に帰ることになった。幸か不幸か、鞄の中身をソルに見られず自室へと押し込むことに成功した。
……
読むしかないか。あの子の
……
メリサの手紙を。
いかに私が「なりそこない」か突き付けられた手紙だった。あっさりと自分がジャンパーを切り裂いた犯人だとのたまって、ソルから買ってもらったジャンパーを着て穏やかに笑う私が許せなかった、私を害さないと嫉妬の炎で苦しくなる、私からの強い欲が欲しかった、と動機まで書いて。
……
この子は、メリサは、私と昔付き合っていた。けど「なりそこない」の私はこの子に対しても恋情を抱けず、強い感情をあげられなかった。
(身から出た錆だ。「なりそこない」だったからこの子を苦しませてしまった。私のせいだ)
とても疲れた。演劇が、したい。扉をノックする音が聞こえた。おあつらえ向きだ。
ええ、ちょっとはりきって練習して疲れただけですわ。ご飯食べて、シャワー浴びたらきっと元気になるから。だから
……
ね? ちゃんと行きますから。
「ツィーディアちゃん! 楽しいね!」
「ええ、そうね」
ああ、これ、夢だ。私とメリサが付き合っていたときの。メリサが気に入りそうなところを調べて、笑顔になってくれて、嬉しかった。私がまだ「なりそこない」であることを否定したかった頃に、異性じゃなくて同性なら恋情を持てるんじゃないかって思ったところに現れてしまった不幸な女の子。それがメリサだった。舞台の照明を主に担当してくれてて、輝く私を見て憧れたんだって告白してくれた。嬉しくなって、この子を好きになりたくて告白を受けた。「貴方のことも好きになれないかもしれない」と不安をこぼしたら「大丈夫! 好きにしてみせるよ」って笑うくらい優しい子だった。
「ふふ、くすぐったい。もっと強くていいよ」
「こう
……
?」
「ひぁっ
……
ツィーディアちゃん、すごい
……
のみこみ、はやいよ
……
」
女性同士での夜のあれそれのことだって勉強した。気持ちよくなって、嬉しくさせたくて。そのためなら唇も身体もあげられた。
「
……
ねえ、ツィーディアちゃん。そうじゃないよ」
ああ、これは、別れるときの。
「ツィーディアちゃんの欲しいものは何なの?」
「笑顔よ。貴方の」
「違うよ。そうじゃない。私は、貴方に欲しがってほしいの。笑顔はあげるものじゃないの、もらうものなの」
「もらってるわ。欲しいの。メリサが笑顔になると嬉しくなる」
「笑顔のほかは? 欲しくてほしくてたまらないものは?」
息が、詰まる音。この音の主は私だ。そんな私に、メリサは悲しい笑顔を向ける。そんな顔をしないで、欲しかったけど。
「ごめんね、ツィーディアちゃん。別れよう」
「
……
分かったわ。ごめんなさい」
「こっちこそ。ごめんね」
だから、ジャンパーは切り裂かれたの? 恋情っていうのは、嫉妬っていうのは、こんなに強くて傷つけてくるの? 恋情を持たない繋がりは否定されるべきものなの?
……
怖い。こわい。足元の舞台が外側からどんどんと崩れて、もがいてももがいても、落下感が襲い来る。助けて。だめ。助けないで。でも、こわい。だれか、だれか。
「っ! はぁ、はぁ、はぁ
……
」
寝具の中から飛び起きる。私の部屋じゃない。ソルの部屋だ。夜のおつとめをして、そのままこの部屋で寝ちゃってたらしい。肌寒くないと思ったらご丁寧に寝巻を着せられてた。
……
本人はどこにいるのかしら。私が寝ちゃったせいで本当の持ち主が寝られなくなってしまった。謝って、ちゃんと自分の布団でねよう。喉が渇いた気がするから、キッチンに向かいがてらソルを探そう。経由しようとした居間にちょうど、彼が、いた。
「ああ、起きたか。お前もどうだ」
暖かそうな飲み物が彼ともう一人分。それが私側のテーブルに置かれた。喉も乾いてこれからの季節に欲しくなる温さに釣られて、台本を置けるだけのスペースを作って彼の隣に座った。
「
……
いただきます」
……
美味しい。珈琲の苦みをミルクが混ざってまろやかにしている。甘味はない。それが却って落ち着いた味わいになっている。
「砂糖はセルフサービスだ」
「私はこのままの、砂糖ない方がいい
……
と思ったから、大丈夫。ありがとう」
「
……
お褒めにあずかり光栄だな」
目線はもう手元の本に移動したまま、ソルは答える。そのまま静かな空間で息をついた。
……
多分私が寝ちゃってからずっと起きてるんだと思うけど、あんまり眠そうにはしていない。珈琲を飲んでるからっていうのももちろんあると思うんだけど、あくび一つ漏らさない。ここで抱き寄せたりしないのが、一息つける理由だ。「なりそこない」じゃないひとは
――
それこそメリサもそう
――
きっと逆なんだろうけど。私が持っていないものを求めてこないことの何という安心感。それと同時にやってくるもの。
「
……
ごめんなさい」
「それは、何に対しての?」
「貴方のベッドで勝手に寝ちゃって貴方が寝られなくなっちゃったこと、と
……
あと
……
」
あ、どうしよう。言いそうになった。ジャンパーのこと。どうやってごまかそう、でも。
「貴方が買ってくれた、ジャンパー、なんだけど
……
」
だめだ、口が勝手に動く。だって、隠しているのが申し訳なくなって。
「だめに、なっちゃって
……
大事にするって、言ったのに
……
」
この人が家族になってくれたのに、隠し事なんてしたくないって、思っちゃったんだ!
「ごめんな、さい
……
」
泣きたくないのに、顔を隠した手がどんどん濡れていく。隠したかった。この人の負担にならないようにしたかった。後戻り、出来なくなっちゃった。政には全然詳しくない。演劇のクオリティをあげるために身体には気をつけて、演劇をやること以外だとそれが取り柄なだけだ。いずれこの国の頂点に立とうとしてる人の妻がそれでいいのか。それだけの私が、負担をかけられない、のに。
……
隣からため息が聞こえてきた。だけど、次に続く言葉で耳を疑った。
「もうそんなに泣くな。そこまで話したなら、詳細に話せ。お前は頼るのが下手すぎるんだ」
「でも
……
」
「でもじゃない。早くしろ、私の気が変わらないうちにだ」
「
……
分かった。見てほしいものがあるから、ちょっと待って」
足早に自分の部屋まで戻る。鞄、あった。切り裂かれたジャンパーとメリサからの手紙が入ったやつ。それを掴むとこれまた足早にソルのいる居間まで戻った。鞄の中身を見せる。
「誰にやられた」
「
……
同じ劇団の裏方の
……
この手紙を書いた子がやった、と、思う」
「
……
女の字だな。中をみせろ」
「うん
……
」
一度封を解かれた手紙はあっさり開き、彼女の激情が乗った便箋を見せた。自らが犯人だと自白して、動機まで丁寧に書かれたそれに、思わずソルも頭を抱えた。
「なんとまあご丁寧に
……
「ツィーディアちゃんに、嫉妬を教えてあげる」とは
……
」
「その子
……
メリサは、貴方と結婚するよりも前に付き合って別れたひとなの。私が、下手くそで、欲しい感情をあげられなかったから
……
でも、どうして
……
今まではこんなことしてなかったのに
……
」
別れた後も私とメリサは同じ劇団にいた。一人は役者として、一人は裏方として、変わらず。それぞれの役割をこなして、最高の舞台を届けていた。公演が終わればお疲れさまと笑い合った。私がソルと結婚すると知ったときも「ツィーディアちゃんが辞めるわけじゃないのに、なんだか少し寂しいな。けど、幸せになってね」って言ってくれた。なのに、どうして、今。
「順当に考えるなら、積年の想いが爆発したってところだろうな。こればっかりは本人に訊かなきゃ分からないところだ。そう素直に口を割るとは思えないが
……
お前はどうしたい? お前が決めろ」
「え、あ、私が?」
「今回、私はサポートに徹しさせてもらう。これはお前の問題だからな。さあ言え、それに合わせてやる」
私は、どうしたいか。
……
まずは、メリサの真意を聞きたい。それで、止められるなら止めて、それがダメなら離れたい。あの子が別の劇団に行くか私が別の劇団に行くか、どっちか。それで
……
あのジャンパーを取り戻したい。大切な家族になってしまったソルからくれた、大切なジャンパー。思い浮かぶままにソルに伝えた。
「
……
それなら、まずはそのジャンパー代を犯人に請求するとしよう。何ならもっと上乗せしたっていい」
「上乗せって
……
」
「不服なようだな? お前も大概甘い
……
あちらが凶行に及ぶ前に自分を顧みず、離れるなりなんなりしなかった結果がこれだ。憐憫を垂れてやる必要性はないと私は思うがな」
それに、こちらは妻を泣かされているんだぞ。それを言われてようやく、彼が怒っていることに気づいた。私の、ために? ただ、と彼が続ける。
「
……
意に沿ってやりたいとも思っている。だから、合わせてやる」
どこか、遠くを見ている。前にもこういうことが彼にはあったんだろうか。だとしたら優しい人だ。その遠くにいる誰かだか何かだかを探しながら、私という小さい存在を拾ってくれたのだから。だから、気持ちが向かないことを確信できる。
「
……
ありがとう、ソル」
それからは作戦会議の時間だった。それでまとまった結果、証拠をさらに集めることと、私とソルとメリサとで話す機会を作ってくることが宿題で出された。今日はもう遅いから、明日劇団の団長に相談することにし、自分のベッドに入り、眠った。意外と珈琲飲んでも寝られるものねと、あたたかい身体に布団を巻きつけながら思った。
翌日。電話機を耳に当てて、ベルの音を聞く。ガチャリという音ののち、目当ての人物が自分の劇団の名を名乗る声が聞こえた。自分の名を告げる。
『ありゃ、ツィーディア? どうしたの、今日ツィーディアは休みだよね?』
「うん
……
あのね、ちょっとお願いがあって
……
」
電話の主は私が子供のころから所属している劇団の団長。演劇にどっぷりな私にとっては第二の家みたいなもので、その主である団長にはどうにも気が緩みがちになる。ある意味ソルとはまた別の家族かもしれない。その団長に昨日起きた出来事を簡単に説明し、ソルからの宿題への協力を願った。
『そう、メリサがそんなことを
……
僕としてはとにかく話を聞きたい。話し合うときには夫さんにもぜひ同席してほしいな』
「良かった
……
ありがとう、団長」
『今日これる? 裏口の方から入っておいで。待ってるから』
「分かった、またあとで」
『ちょい待ち。それとは別件でごめんだけど、今日は一人で来てほしい。聞きたいことがあるからさ』
「そうなの?」
『うん、お願い』
「分かった、一人で行くから」
電話を切って、身支度をする。団長が聞きたいことが何なのかは分からない。けど、協力は得られそうだった。少し離れたところで様子をうかがってたソルにも一人で行くことを告げ、ジャンパーだったものとメリサの手紙も持って劇場へと向かった。
「いらっしゃいツィーディア、大変なことになったね
……
」
裏口から入ると早速団長が出迎えてくれた。応接間の方に共に向かう。ジャンパーだったものとメリサの手紙も見てもらい、事件のあらましも改めて説明した。
「これはひどいな
……
でも良かったよ、夫さんが協力してくれるんだって?」
「そう、みたい
……
びっくりしたけど
……
」
「そう? 僕はちょっと安心したよ。さて、本題だけど、さらなる証拠はここにあるよ。更衣室の監視カメラの映像。これが一人で来てもらった理由その1ね」
そうか。このジャンパーだったものは更衣室内のロッカーで見つけたもの。関係者の夫であろうとも、誰かの着替えを見せるわけにはいかないわね。でも、その1
……
か。この言い方だと2もあることになる。
「2はもうちょい後でね。時間を昨日の夕方前に合わせるよ」
私がロッカーに行く前。がらんとした部屋の中に一人の女性が入り込む。私のロッカーの前で止まると何かをして扉をあけ、手に持ったハサミで私のジャンパーを切り刻んだ。
……
ああ、やっぱり。違ってほしいって思ってた。その女性はメリサだった。薄ら笑いを浮かべながら、自分のポケットから封筒のようなものをジャンパーだったものの中に忍び入れる。そんな映像が目の前に再生された。
「
……
大丈夫? こんなに隠れないなんてね
……
責任を感じるよ」
「そんな
……
団長は悪くないわ」
「いいや。安心して演劇をしてもらえるようにするのが務めだからね。見抜けなかったのはこっちの落ち度だよ
……
ま、とにかく証拠はこれでクリアかな! 話し合う機会も作るよ。急だけど明日夫さんはこれる? メリサは明日も出勤なんだ。その時に話そうと思うけど」
確か明日も休みとは言っていた。けど、付き合わせてしまうのにいまだ抵抗もあった。
「聞いてみたら? 電話かしてあげる」
「えっ!?」
「えっとー、ツィーディアのおうちの電話番号はーっと
……
あ、でてくれた、もしもし
……
」
どんどん話が進んで戸惑うしかなかった。でも、心強さも感じた。出来れば、この劇団にずっといたい。電話口では丁寧な口調の団長が何やら話してる。ソルと団長が話していると思うと変な感じがした。そう言ってる間に、受話器が団長から私にバトンタッチされてしまった。
「えっと、代わりました
……
」
『ツィーディアか。お前のとこの団長はなんなんだ
……
』
「なんなんだと言われても
……
これでも信頼できる人なんですよ
……
証拠の監視カメラも見せてくれたし
……
」
『
……
まあ、宿題は達成できそうで良かったというべきか。明日伺わせていただくとお前の団長に伝えておけ。
……
言っただろう、合わせると』
「あ、ありがとう」
一体団長は何を話していたんだ。気になるけど、バトンタッチを促されて受話器は再び団長の手の中だ。やがて電話は切られ、団長は笑みを浮かべた。
「いやあ、本当に良かったなあ、ツィーディア!」
「え、なに」
「素敵な結婚相手で良かったってこと! あ、そうだ、ここから「別件」ね。ツィーディア
……
彼には自分が恋愛感情を持てない性分であること、いわないのかい?」
「!」
考えたこと、なかった。そもそも伝える必要がないって思ってた。どうしてそう思うか分からないけど、ソルには遠いだれかが、何かがいる。そっちを見ているから、私が何であろうと関係ないと思っていた。
「
……
言わない。言わなくていい」
「
……
そう。ま、こればっかりはツィーディアが決めることだからね、僕がどうこう言えた義理はない
……
だけど、君に恋愛をしろって言っちゃったことに関しては責任あると思ってる
……
そのせいで余波が今、君を苦しめてる」
舞台の上で私はどんな役にもなってきた。だけど恋愛ものに関してはうまく表現できないでいた。そんな当時の私に、団長は恋愛をやってみようと言ってくれた。確かにこの上ない提案だと思った。だけど、結論を言うとさんざんな結果に終わった。私が「なりそこない」で、恋情を持つことが出来なかったから。
「気にしないで。恋愛してみたから、マシになったのよ。少しでも舞台に生かせて嬉しいの。
……
『ああ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの
……
』」
有名な戯曲のワンシーンをそらんじてみる。『心』を宿してみれば、この言葉を言う彼女に触れられた気がする。拍手が一人分、聞こえてくる。
「よくやってるよ本当に
……
よくここまで持ってきたよ
……
」
「ね、だから気にしないで」
「さすが名女優だよ
……
もし演劇と出会ってなかったらツィーディアはなにしてたんだろうね? 案外戦場にでて、戦うのを愉しんでたりして」
「ええ
……
想像つかない
……
」
「冗談だよ。夫さんとはどう? 恋愛が前提じゃないからうまくいってるって感じ?」
「うん、落ち着けてる、と思う
……
」
なんだか興味の種にされてるような気がするけど、楽しんでくれているなら良かったな、と思う。むしろ勝負は明日の方だ。この会話は団長なりにほぐしているのだ、と思うことにする。
そしてやってきた、勝負の日。隣にはソル。目の前には昨日と同じ劇団の裏口。開け慣れているはずなのに、今日はとても重く感じた。昨日と同じように出迎えてくれた団長は、ソルの姿を認めると深々とお辞儀をした。
「本日はお越しくださり誠にありがとうございます。お呼びたてしてしまい、誠に申し訳ございません。あちらの応接室にてお待ちください。今、本人を連れてまいります」
団長のその丁寧な姿に思わず驚いた私に、応接室の場所を促してくるソル。そうだった、と気を取り直して二人で応接室に入った。昨日の監視カメラの映像が見られる状態でそこに置かれている。それを抜粋するように、メリサが写った写真もそこにはあった。
「
……
この女がメリサか」
「うん
……
」
ジャンパーを切り裂いて、笑ってる彼女。その決定的な姿を見てもなお迷う心がある。彼女を傷つけたのは私。こうして私に痛みを与えて、演劇に集中できるなら、いくらでも罰を受けようという心と、それでも家族がくれた、大事なものを壊されたくないという心。
……
ソルがいなかったらこの心は生まれなかったのかしら。それでも、今さら消し去ることが出来なかった。
「お待たせしました。さあメリサ、説明してくれる?」
「
……
思ったより早かったね、ツィーディアちゃん」
メリサその人は、この集まりの意味を即座に察したらしい。二人用のソファがローテーブルを挟んで向かい合わせ。私とソルが同じソファに座っていて、向かいに団長が陣取り、必然メリサは私の斜め向かいに座った。
「もっと迷うって思ってた。ツィーディアちゃんは優しいから。そんなに大事だったの?」
「
……
うん。ねえ、聞かせて。どうしてこんなことしたの? 誰かに脅されたりしたの?」
「
……
手紙に書いた通りだよ。誰にも何にも言われてない。そのジャンパーを着たツィーディアちゃんが、貴女の隣にいる人に、買ってもらったって言ってる顔が
……
見たことない穏やかな笑顔で、それを見たら、もう、無理だったのよ。独占したかった
……
だから、いっそ、苦しませてやろうと思ったの。それだけでも独り占めできるならしたいの」
……
怖い。こわい。恋情って、こんなに痛いものなの。独り占めするためならだれかを傷つけてもいいの。
「ということは、わざとやってるってことだよね、メリサ。そんなことする人は団長として置いておけないけど、いいの」
「! 団長、メリサはちゃんと、仕事はしています、ねえメリサ、どうしたらやめてくれるの。どうしたら優しい貴女に戻ってくれるの」
「どうでもいい。今のツィーディアちゃんには無理。ツィーディアちゃんがいるから同じとこにいたいだけ。
……
苦しんでる
……
嬉しい
……
ずっとこうしたかった
……
」
どうして。どうしよう。どうしたら。メリサはやめる気なんてないし、許しもしない。そして何より恐ろしいのが、私がいるから同じとこにいるだけって言葉。貴女も同じ熱を持っていたんじゃ、ない、の?
「私、ツィーディアちゃんが舞台の上でキラキラしてるのを見て本当に憧れたの。同時に思ったの
……
そのキラキラを独り占めしてしまいたいって
……
でも、出来なかった。ツィーディアちゃんは演劇にしか興味がないし、誰かに執着もしてくれない。
……
彼にだってそれはしてないでしょ」
「
……
」
「ほらね」
ソルは割と、私を自由にしてくれてる。合わせるって言ってくれた。私が演劇の道を歩み続けるのを止めないでくれている。まるで家族の夢を応援するように。メリサと、まるで違う。そして私は、ソルが合わせてくれる方を心地いいと思っている。
あーあ。もういっそ。薄ら笑いのメリサが、続ける。
「演劇なんて、消えてなくなっちゃえばいい!」
私はあんまり笑わない子供だったらしい。そのくせ人形遊びとお手伝いが好きな子供だったから、家にはお人形やぬいぐるみがいっぱいあったし、私専用のエプロンもあった。お父さんとお母さんはたとえ笑わなくても二人の子だからって見守ってた、って。そんな私が変わったのは、あのきらきらした、舞台を、演劇を見た時だった。当時はただ役者だった団長が主演の冒険の物語に私はとても、とても引き込まれて、笑って、悲しんで、笑った! あんまり笑わなかった私が、だ。こんなに人を笑わせて、心を重ねてくる人たちがいるなんて。私も、今すぐやりたい。私と一緒に笑ってほしい! 公演が終わったあと、珍しく両親にねだってねだって、両親も私の笑顔が見られて嬉しくなったからか、すぐにその劇団の、役者を志す子供向けのコースを申し込んでくれた。
成長したくてぴりりとする空気も、吸って吐けば力になった。この道だ。この道をずっと歩いていたい。これからもずっとずっと歩いて、ときどき躓きながら、それでも立ちあがって、歩きたい!
その道を、貴女は否定したわね?
「ねえ、メリサ。その言葉が道に躓いて痛くてでた言葉だったなら、分かるのよ。苦しんで苦しんで、それでもあきらめたくないって分かるから。だけど貴女、その言葉を私を傷つけるためだけに使ったわよね。演劇への愛とか執着とかそういうの、もう貴女から感じられないの。どうしてここにいるの?」
思わず立ちあがっていた。今どんな顔しているのか分からない。あんなに饒舌だったメリサが黙るくらいの顔なんだとはおもうけど。
「私はなにより演劇が好きよ。誰であっても阻めない。もちろん貴女にも阻めない。さあ、今すぐこの劇団から出てって。ジャンパーも返して。そしてもう顔を見せないで」
斜め前のこの女の人に少し前まで何を思っていた? すこしでも楽になれるなら、自分が傷つくのは厭わない? 冗談を言わないで。演劇への熱を持ってない貴女に構ってる暇なんてない。ふと、ソルの方を見ると、にやりとこちらを見ていた。ようやく、決めてくれたな。唇だけでそう伝えてきた。
「と、いうことだが。妻のジャンパーを返してくれるな?」
「返せったって今さら無理。というか夫だか何だか知らないけど、邪魔しないでくれる? ツィーディアちゃんが私に怒ってくれるのも、はぁ
……
これはこれでいいんだから
……
」
「
……
ツィーディア。こいつ「そうとう」だぞ」
このまま「ツィーディア」が何を言っても、メリサにとっては蜜にしかならない。他の誰がなんて言おうとメリサはそれを突っぱねる。耳を傾けない。
「だが、お前には最大の武器があるだろう。まさか忘れるはずはないな?」
最大の、武器。ここは劇場。私は女優。そう、か。そうだ。
……
熱を感じる。本番前の今か今かと出番を待つときと似ている。
「
……
『ひどい
……
ここまできて、謝ってもくれないのね。それなら、ずうっと、ずうっと、後悔すればいい。大好きなものと引きはがされて、切り裂かれる苦しみを一生味わっていればいい! ジャンパーは泣いたまま、もう戻らない
……
ならせめて、何ができるか、示せるわよね?』」
あなたのツィーディアではない。それを私が演じることで『役』を纏って示してやった。「ツィーディア」は、貴女の前にもう現れない。
「あ
……
ああ
……
」
「『ね?』」
どこを見ているのか分からない女の人は財布を取り出して、震える手で黄金色のそれを出していった。
「『足りない。それじゃ、1着分にもならない』」
「
……
」
黄金が山と積み上がっていく。
「『貴女の田舎はどこ? 交通費だけ持っていきなさい』」
黄金をふたつまみほどとって投げて返す。ひとつまみでも良かったかもしれないけど、飢えてしまうのは私の目覚めに響く。演劇の糧になってくれたせめてもの慈悲だ。これで問題なく私の目の前から消えられる。
「この
……
」
「『?』」
「このっ
……
演劇の化け物が!」
女の人が、吠える。そんなの、とっくのとうに分かってるのよ。
「
……
『そうよ。私は化け物』」
一転、息を引きつらせる。もう終わりだよ。唇でそう伝えてきた団長に連れられて、女の人が一緒に出ていく。きっともうあの人は戻ってこない。隣から気だるい拍手の音が聞こえてきた。
「お疲れさまだな、名女優」
「うん
……
どっと疲れた
……
こんなに取るつもりじゃなかったのに
……
」
「もらっておけ。あとはお前の団長が上手くやるだろう。これでお前はまたのびのびと演劇が出来るんだ、喜べばいいものを」
「それはもちろん
……
けど
……
」
まだ、終わってない。まだあと一工程残ってる気がする。
「合わせるって、まだ有効? 行きたいところがあるの」
あの時買ってもらった時と同じお店。あのジャンパーの在庫はまだある。今回は自分の財布もあたたかい。なんならあの人からのお金もある。でも、それじゃあのジャンパーを取り戻したと思えない気がした。
「買って、欲しいの。だめ?」
こんなこと言うなんて、自分でも予定じゃなかった。すでに当初の予定とは狂ってる。なら、今さらかもしれない。って思ってしまった。ねだるのなんていつぶりだろう。ジャンパーを指さす手が震える。子どもみたいで恥ずかしくなってきた。ソルはそんな私を見て口の端を持ち上げる。ジャンパーを取った。いち、に、さん。3着?
「これが新しく買うもの。あとの2着は予備だ。また泣かれちゃかなわないからな」
「なっ」
子どもみたいだと思われてるのかしら。そんなつもりはないのに。さっさと会計を済ませに行かれてしまって、抗議の形は形を成さなかった。そしてあの時と同じように、あの時よりも大きい紙袋が差し出される。顔を隠したくて、子どもみたいにそれを抱き込む。頬が持ち上がって、私、笑ってる。
「
……
ありがとう。今度こそ、大事にするから」
「ああ、そうしろ」
彼の返事に、優しく、見守るような声色が滲んでいる。それを私は、心地いいと感じている。
これが、私の魂がこのジャンパーを纏う理由なんだろう。何かの役の衣装とかではなく、この、練習に挑むときの服装が最も「ツィーディア」たらしめているのか。ここは魂の行きつくところ、星海。何か後悔があるのか、ここで眠れずにいる。いっそ起きてて、彼を迎えてやろうか。そう、思えてしまう。
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