ながひさありか
2025-05-17 23:28:15
2254文字
Public STR-Phaidei
 

ファイモス:日常

ワンドロ第4回

 朝の鍛錬を終えて市場へ向かおうとすると、兵士の訓練を見て欲しいと頼まれる。時々こう言うことが発生することもあるが、今回声をかけてきた男に見覚えはなかった。
 ええと、と名前を思い出すふりをしていると、彼はクレムノス兵で、モーディスがオクヘイマを出て行く前に、「今後は訓練を見てほしければファイノンを頼れ」と言っていたらしい。ああなるほど、そう言うことか、とクレムノス兵の訓練を見に行き、「僕とモーディスは着眼点が違うと思うけど」と断ってからいくつか指導する。なんとなくお互いに探り探りの空気になったが、まあ間違ったことは言っていないはずだ。
 指導を終えると市場に向かい、朝食代わりの果物を買う。店主が「クレムノスの王子様がいなくなってから柘榴が余るようになっちゃって」と少しだけ淋しそうな笑顔で言い、柘榴をひとつおまけしてくれる。あいつの分も僕が買うよと言うべきか? と一瞬考えたが、残念なことに、僕はモーディスほど柘榴が好きなわけではない。
 部屋に戻って汗を流すと、服を着替えて林檎の皮を剥き、柘榴を割って実を洗う。柘榴を貰ったからか、普段は好んで飲まないメーレが飲みたい気分だった。時々モーディスが飲んでいるのを横から勝手に貰っていたけれど、結局最後までそんなに好きになれなかったなぁ、と思う。何故かと言うと、彼が好んで飲んでいたミルク入りのそれは僕には甘すぎるように感じたからだ。
 昼を過ぎ、今日は特に避難要請はなさそうだな、と思いながら再び市場へ出かける。シタロース先生の所で何か物珍しい品が入っていないかと雑談し、今度発売予定のお皿の絵柄をチェックして欲しいと言われるので見せてもらう。皿の縁は金色で、中心が赤く、槍が描かれた物だった。クレムノス風? と尋ねれば、最近は紛争のメデイモスの不死性にあやかろうと、クレムノス風の食器を揃えるのが流行っているらしい。曰く、食事に神性が宿るのだとか、どうとか。
 面白いことを考えるなぁ、と感心しながら、「それならクレムノスの槍じゃなくてニカドリーの紋の方がいいんじゃないか?」と無難なアドバイスをしておく。正直なことを言えばよくわからない考えだったが、それはきっと僕があまり信心深くないからだろう。
 シタロース先生の元を去り、散歩がてら、モーディスがよく面倒を見ていた大地獣を見に行く。やあ、とココボ3世に声をかけるが、相変わらずつんと顔を逸らされてそっけない態度を取られてしまう。
 モーディスがオクヘイマにいた頃から、どうも相性が悪い気がする。一時期はモーディス恋しさに走り回っていたが、近頃は(クレムノスの人々が言うには)モーディスの大名としての自覚が目覚めたとかで、のんびりと、よく言えば威厳のある、ゆったりとした日常を送っているらしい。
 時々、モーディスがココボ3世の世話をしているのを見に行くと、ぽつぽつと放浪時代の事を話してくれることがあった。「お前も当てもなく自由に駆けていたあの頃が懐かしいか? しかし、ひとところに落ち着いた今の方が、よく心身が休まるだろう」。ココボ3世の足を撫でながら呟くモーディスの言葉は、なんだか自分に言い聞かせているようにも思えたけれど、尋ねたことがなかったので、モーディスの本心は今もわからない。
 モーディスは良く、故郷について考えていた。僕がエリュシオンの話をした時も、なんだか少しだけ羨むような、眩しいものを見るような目をしていたから。
 俺にとっての故郷がクレムノスと言えるのかどうか。中途半端に途切れた言葉の続きを、僕が知ることはなかった。それでも、彼は英雄として、半神として、一人でクレムノスへと「帰還」した。
 ぼんやり考え込んでいると、ココボ3世が初めて僕の肩にそっと頭を擦り付けてくれる。お前もモーディスに会えなくて淋しいのか? 誰にも言えない言葉を小さく呟くと、鼻息だけが落ち、ぱち、と瞬きをして、ココボ3世は僕に興味を失ったように頭を逸らす。なんだか君の主人に似ているなあ、と思いながら足を撫でようとすると、明確に嫌がられて威嚇の鳴き声が落ちた。気難しい。
 ココボ3世に蹴られないうちにそそくさと去り、夕食をタベルナで終えて、バルネアへ向かう。何時に来ても賑やかだな、と思いながら黄金裔専用ピュエロスへ向かい、ぼんやりと階下のざわめきに耳を傾けて目を閉じる。
 あまりにも平和な一日だった。まるで、終末がすぐそばに迫っているとは思えないほど。
 ——耳をそば立てると、遠雷が微かに聞こえたような気がした。
 しばらく待ってみるが、アグライアがピュエロスに顔を出すことはない。考えすぎか、と思いながらバルネアを出、一応、石板を確認する。
 そこにもやっぱり、アグライアの呼び出しはない。きっと僕の気のせいだろう。
 部屋へ戻ると、クレムノスの方角を見ながら、モーディスは果たして今日は死ななかっただろうか、と考えた。キャストリスさんが冥界の主である以上、今はきっとモーディスを確実に追い返してくれるだろうけど——いや、モーディスに限ってそんなことにはならないか。
 分厚いカーテンを引き、部屋に入ってくるミハニの陽光を遮断する。隙間から差し込んでくる光を頼りに寝巻きに着替えてベッドに横になると、見慣れた天井を眺めた。
 そっと顔を横に向けて、時々、ここで眠っていたモーディスの姿を幻視する。
 目を閉じて、思わず口をつきそうになった言葉を飲み込む。
 君に会いたい。


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