※前回までは以下を参照ください。
https://www.pixiv.net/novel/series/13525358
「すっかり忘れていたが、お前にもダンスを覚えてもらう必要がある」
メデイモスの十八の成人の儀の数ヶ月前、朝食の席でそう言われたファイノンは瞬間的に嫌そうに眉を寄せてから、へらりと笑みを浮かべ直して、「奴隷に必要だと思う?」と口にした。
成人を迎えて本格的に社交界デビューを果たす王子とは違い、ファイノンは騎士とは言え奴隷のままで、例え戦功を上げていても、誰もダンスに誘ったりはしないだろう。そもそも、王子の愛人に声をかける勇気のある者がいるとも思えない。
「次の社交界ではなくとも、いつかはあるかもしれぬし、踊れるに越したことはない」
「騎士は主人と踊らなくちゃいけない、なんて決まりはないんだよね?」
「他国はさておき、クレムノスではそのような決まりはない。踊っても問題はないが、成人の儀で騎士と踊るのはマナー違反と言われるそうだ。教師によればな」
朝食を終えたメデイモスが口許を拭い、ファイノンと共に公務へ向かう。
「しばらく午後はダンスレッスンを受けてもらう」
「え、その間の君の護衛は? それとも君もレッスンを受けるとか?」
ファイノンの疑問に、まさか、と城へ向かう馬車に乗り込みながら、メデイモスが首を振る。メデイモスに続いてファイノンが乗り込み、戸を閉めると、しばらくして、軽い振動と共に馬車が走り始める。
「お前のいない間はケラウトルスが俺の護衛をする。ダンスはお前がある程度踊れるようになった後であれば練習相手になってやるが、暫くは教師と二人で特訓だ。安心しろ、厳しいが腕はいい」
俺も散々世話になった、と薄く微笑むメデイモスの表情に、「君が厳しいって言うならかなり厳しいんじゃ
……」とファイノンはため息をついた。文句は言ってみたものの、今後のことを考えれば確かにダンスは習わなければならないだろう。もしメデイモスがダンスを拒絶したい相手に声をかけられても、今のままでは、ファイノンは誘われることすらできないからだ。
「俺はダンスの筋は悪かったが、お前はどうだろうな」
そっと足を見下ろしてくるメデイモスに、ファイノンは少しだけ居心地の悪さを覚える。じっと足を見られていると思うと、邪な気持ちが湧き上がると言うか、興奮してしまいそうになると言えばいいのか。悶々としながら、ファイノンは煩悩を断ち切るようにため息をつき、流れて行く窓の外へ視線を向ける。
「戦士にダンスの腕が必要だとは思えないけど
……」
「嗜みのひとつだ。宮廷入りの作法だと思って諦めろ」
にべもないメデイモスの言葉に、ファイノンはもう一度ため息をついた。
俺より筋が悪かったか
……、とファイノンがメデイモスに言われるのは一カ月後のことだった。
*
王子の成人祝いは一年以上前からの準備の通り、盛大に行われた。民の前で感謝と王族として一層の献身を口にした王子の胸や肩にはいくつもの星が飾られており、国土拡大と共に輝きは増えて行った。
それは後ろに控えるファイノンも同様で、買われた当時は「王子は何を考えてあんな子どもを
……」と散々囁かれていたと言うのに、今となっては流石王子には先見の明があるだの、立派な兵士になるとわかっていただの、堂々と過去を改変して勝手なことを言う輩が増えていた。
確かにメデイモスの目は正しかったが、ファイノンにとっては不愉快極まりない評価だった。
——僕がここまで腕を磨いてきたのは、彼のそばにいたいと僕自身が望んだからだ。
勿論自身の評価が主人の評価に繋がることも重々承知しているが、外の評価はファイノンにとってはどうでも良いことで、メデイモスが褒めてくれないのであれば意味のない功績だった。騎士になった頃には彼のために生きると決めている。だからもう、他の誰の言葉も意味はない。
よくやった、とメデイモスが低く優しい声で、眦を緩めて口にするその姿だけがファイノンの世界でゆいいつ正しいものだった。
主人の晴れ舞台を見つめながら、ファイノンは本当に他の「手足」が増えなかったな、と感慨深さと共に安堵した。
いくら騎士が有能でももう一人くらい選任奴隷を持った方が良いのでは、とここ一年で何度も進言される姿をファイノンは目にしていて、その度に、どうか聞き入れないでくれ、と表情を変えずに願っていた。何度もメデイモスには希っていたけれど、主人が奴隷の願いを聞き遂げる理由はない。だからもし、いつか「お前には悪いが」と誰かを紹介するような日が来ても、表面上は笑って受け入れるつもりでいた。
しかしメデイモスは、かつてファイノンに言った通り、「そのつもりはない、使用人も従者も王家には足りている」と答えるだけだった。それがとうとう今日まで続いている。
祝福のファンファーレのように大砲が打たれ、空から赤い花びらと「血」の代わりとして儀式用の赤い結晶が爆散しながらきらきらと地上へ降り注いでいる。
陽光を反射する赤い光が、空に拡散しながらゆっくりと落ち、人々の頭や肩に降り注ぎながら消えて行く。雨のように落ちる鮮血のような結晶が、燃えるような夕陽に照らされ、より一層輝いた。王子の赤い装束と後ろ姿はまるで戦場で流される血潮を全身に浴びたかのようで、クレムノスと言う国の血と暴力の歴史をファイノンに思わせた。
市民の歓声の傍ら、王子の成人祝いと称して行われた試合で負けた奴隷の死体が、まるで荷物のように荷台に乗せられて運ばれて行くのがファイノンの視界の端に映った。
今朝は早くから成人の儀に先駆けて、罪人への恩赦と称した公開処刑が多数行われ、死体は市民の前に晒されている。
式典の直前、首斬り役人に労いの声をかけるメデイモスの表情はいつもと変わらず、血の一滴も浴びたことがないかのように美しく凪いでいた。勿論、現実ではあり得ないことだった。クレムノスの武人で、全身に血を浴びないものはいない。
メデイモスは戦場では誰よりも苛烈で、最前線で血を浴びる男だった。ファイノンは主人の髪にこびりついた血を、何度丁寧に濯いだのかもう覚えていない。
それでも、メデイモスはひとたび戦地を離れれば、歴代皇后の中でもとりわけ強く美しかったと語られる、ゴルゴー妃の忘れ形見の名を欲しいままにする美男子だ。
九つの頃からもう九年も傍にいるファイノンには、王子が年々その美貌を増して行く様を、間近に目にしている。
近頃、まじまじと主人の麗しさを認識するたびに、「まだ」考えるには早いのだろうか、それとも、「もう」遅いのか? と時折、心がざわつくのを感じていた。
姿見で自身を眺めては、果たして彼の隣に並ぶのに相応しいままだろうか、と考える瞬間がある。衣装や宝飾品は全て主人に選んでもらっているから完璧だろう。髪や肌の手入れは下女たちに時々アドバイスをもらっているし、「考えすぎでは?」と笑われてしまうこともあるくらいだったが、それでも傍のメデイモスの美貌を目にするたびに、自分の不足が気になることがある。勿論、直接何かを言われたことはないし、閨でも不満を口にされたことはないのだが、子どもの頃、奴隷部屋で過ごしていた頃に「歳を取ったら
……」なんて話を聞かされてしまったせいだろう。
騎士になった理由の何割かは、彼の寵愛が死ぬまで続くだろうと思ったからだった。勿論、今は手放されるとは思っていないが
——と、ファイノンはふと、死体を運んで行く荷台を、無意識に目で追っていることに気がついた。もしかすると、自分があの中の一人だったかもしれない、と考える。
片目を失い、しかし生き残った奴隷の「飼い主」へ王が褒賞を与えている声を聞き、ファイノンはそっと帯刀している剣の重みを確かめる。
彼のために、永遠に誰よりも強い戦士であるべきだ。それと同時に、彼に飽きられないようにしなければ、とどうしても、そんなことを考えてしまう。
*
社交界デビューを飾った王子のダンスの誘いは途切れることがなく、ファイノンは時折、喉を潤しに十数秒だけ戻ってくるメデイモスにグラスを渡し、再び回収しながら、夜が深まるに連れ苛立ちを募らせていた。
ファイノンのダンスレッスンの成果は芳しくなく、今夜は例え王子殿下に誘われても人前では踊らないように、と教師から口を酸っぱく言いつけられていた。勿論これはあり得ない想定で、以前メデイモスから言われた通り、今夜はファイノンが例え騎士と愛人の両方の身分を振りかざそうとも、メデイモスをダンスに誘うことは叶わない。戯れに誘っただけでも、メデイモスはきっと眉を僅かに寄せて、ファイノンを叱っただろう。
成人した王子にダンスの申し出をする者は、令嬢よりも圧倒的に男が多かった。クレムノスでは家柄の良い令嬢よりも、名のある戦士同士で踊ることが良しとされていた。
ダンスはかつての
——と言っても五百年は昔の話だが
——クレムノスにはなかった文化で、他国から輸入されたために、便宜上男役と女役で別れているが、特に王家や貴族の男子はどちらのダンスも踊れるのがマナーだとされていた。
そう、マナーだ。王子であり今夜の主役であるメデイモスは、演奏が本当に止んでしまうまで、ダンスを断ることはできない。体力がないと笑われることになる、という話を聞いた時には思わず「本当に?」とファイノンは笑ってしまったが、残念ながらこれは本当のことだった。
ファイノンは眼前で王子にダンスの申し出をする男の顔と肩と胸を一人一人見つめ、全員が全員、自分より星が少なく、模擬戦でも負けたことがない事実にもうんざりしていた。自分よりも弱い男の手を取りエスコートするメデイモスを笑顔で延々と見送っては、じりじりと嫉妬で胸と頭の中が灼かれる感覚がする。
どうしてあそこで腰に手を置き、胸を密着させて踊っている相手が僕じゃないんだ?
踊っている相手の恍惚とした表情が視界に映るたび、顔を顰めそうになりながら、ファイノンは背中側でぐっと拳を握り込む。別に人前でダンスを披露したいわけではないが、相手を時々見つめながら、涼しい顔でステップを踏む主人の姿に、それが今夜の仕事だとわかっていても、不快感でどうしようもなく傷ついた。
他人が気安くメデイモスに触れているのも気に入らなかったし、メデイモスが触れているのも気に入らない。あの美しい男に触れる権利は自分にしかないはずなのに、こういう場面ではそれがどうしても叶わない。
せめて令嬢たちと踊っている方がマシだ、と扇で口許を隠しながらフロアを眺めている下級貴族家の令嬢を視界の端で一瞬だけ捉えた。戦士に声をかける権利を持たない彼女たちは、戦場へ出ない文官の家の出身だ。
『嫉妬するなとは言わないが、人前で顔に出すなよ』
ダンスフロアに移動する直前、そっとメデイモスが耳許に囁いてきた言葉を必死に思い出しながら、ファイノンは視線を逸らすこともできずにフロアを見つめていた。何かあれば駆けつける必要があるから、一秒足りとも視線を逸らすことはできない。
拷問だ。ファイノンは握り込んだ手のひらにうっすらと残る鞭の痕がじくじくと痛み出すのを感じ、慌てて、はっ、と息を吐く。瞬きも忘れるほど見つめていたのか、目の奥に痛みを憶え、くそ、と胸中で悪態をついた。
これからきっと、こんな風に人前では、他人に嫉妬する機会が増えるはずだった。一々嫉妬するなと自分に言い聞かせてはいるものの、今の所、成果は殆どない。
もう終わってくれ、とファイノンが願いはじめて一時間も経ってから、ようやく音楽が完全に止む。フロアで踊っていた者たちは互いにカーテシーやボウをし、楽団を王が労う。
最後にメデイモスと踊っていた男が何か話しかけているのを壁際で見つめながら、ファイノンは握りしめていた拳を開き、ドリンクを持ってフロアを歩いている給仕の男からグラスをひとつ受け取る。
「
…………………」
メデイモスは感情の読めない、麗しく凪いだ表情を男に向け、一言二言口にすると、微かに微笑みを浮かべてから男に背を向けた。
そんな顔は社交辞令で、仕事だ。機嫌が良さそうに、余裕そうに振る舞うのも大事なことだ。頭の中で必死にそう言い聞かせながら、ファイノンはなんとか笑みを保ち戻ってきた主人にグラスを渡す。
「聞いていたよりも本当に長かった。見ているだけでも疲れましたが、さすがの殿下もお疲れでは?」
「まさか。朝まで踊れと言われても構わん。
——とは言え、流石に朝から予定が詰まっていたからな。挨拶もとうに済んでいるし、邸に戻るか」
アルコール度数のごくごく薄い酒を飲み干したメデイモスは、グラスをそばにいた給仕へ返すと、そっとファイノンの頬に手を添えた。白い手袋に包まれた手のひらが熱く、余裕そうな態度とは裏腹に、実際はそれなりに拍動が早くなっているのだろうとファイノンに思わせた。
声を発するのを堪える代わりに目を見開いたファイノンをじっと見つめると、ふ、と口角を持ち上げて笑う。その瞬間、ファイノンの耳に御婦人方の悲鳴を抑えるような声と微かなどよめきが飛び込んでくる。
「帰るぞ」
「えっ
……あ、はい」
貴族たちの反応を一切気にせず、主人はぱっと手を離すと、ファイノンに背を向けた。一拍遅れて、慌ててその背を追う。
馬車が邸に着くまで、メデイモスは一言も口にしなかった。ファイノンは目を閉じて肩にもたれかかって来る重い体を黙って支え、余計なところには触れないようにした。
人前でどれほど余裕そうな顔をしていても、それはただ彼が忍耐強いだけだと言うことはよくわかっているし、知っている。今夜はその事実を少しだけ忘れて嫉妬してしまった。こうやって、人目のない場所で気を許す相手は自分だけなのだと知っているくせに、それすら頭の中から吹き飛んでいた。
肩にかかる重みと熱に、ファイノンは慎重に息を吐いた。ため息をついているとばれたくないのに、あまりにもメデイモスの体が近い。
他人をエスコートしていた手を今すぐに握りしめて、散々触れさせていた胸を撫でたかった。それと同時に、どうしようもなく嫉妬してしまう自分を叱って欲しかった。
(君が嫉妬するなと強く命令してくれれば、僕はもう少し自分を殺せるかもしれないのに)
ファイノンは奥歯を噛み締めて俯きながら、触れ合った肩の熱を指先でなぞりたい衝動を押し殺した。
馬車の中で不用意なことをすれば、きっと怒ってしばらく触れさせてもらえないだろう。それがわかっているから、どうにか耐えられる。そう言い聞かせるより他にはない。
音を立てて馬車が止まると、測ったかのようにすっとメデイモスが体を縦にする。呆気なく離れていった熱を名残惜しく思いながら、開けられた扉からファイノンは先に降り、城では叶わなかったエスコートをするために手を差し出した。
メデイモスと手のひらが触れ合ったのは、馬車を降りる数秒のことだった。たったそれだけのことで、疲弊するほど苦しんだ嫉妬心が少しだけ解けて行くような気がする。
「疲れたな」
お帰りなさいませ、と出迎えた執事たちに世間話をしながら上着を預け、「今日はすぐに休む。誰も部屋に入るな」とメデイモスがそっと笑う。
「お飲み物はお部屋にご用意してあります」
「そうか、お前たちも早く休めよ」
階段を上るメデイモスの隣で、ファイノンは「本当に長い一日だった
……」と呟くと、そのままメデイモスの部屋へ向かう。
彼の湯浴みを手伝う必要があったし、もし、少し休んでからそうしたいと願うのであれば、会話に付き合う必要もあった。
部屋の戸が閉まると、「さて」とメデイモスが振り返り、「顔には出なかったな」と全てを見透かすような目をして口にした。
「そりゃあ、君に言われていたからね。
……ただ、会場を見る限りでは、愛人は別にわかりやすく嫉妬しても良さそうだったけど」
自分の男が王子や知らない男と踊っている姿を見て嫉妬したのか、会場の隅やバルコニーで、揉めている二人組を何組も見かけていた。もちろん声は潜められていたけれど、それでも耳には入ってしまう。
「俺は人前でのそう言う態度は好かない。だが、今は別に構わん」
ファイノンは大袈裟にため息をつくと、眉を下げてじっとメデイモスを見つめ返した。
「笑ってやり過ごすのは疲れる」
「お前が必死に耐える姿はなかなか珍しいからな、それなりに見ものだったぞ」
「酷いな」
ふ、と笑いながら、踵を返したメデイモスの背を追う。てっきりソファに腰を下ろすだろうと思っていたファイノンの予想は外れ、室内の隅に置かれていた音楽再生機のスイッチが押される。控えめな音で流れてきたワルツに、ファイノンは眉を寄せて首を傾げた。
「まさかとは思うけど、まだ踊るつもりなのか? 本当に朝まで?」
「一曲だけだ。お前もいつまでもそこに突っ立っていないで来い」
首許まできっきり閉められていたシャツのボタンをいくつか外しながら、メデイモスが顎でファイノンを呼び、白い手袋を外して再生機の傍に置く。
ファイノンは「踊るスペースは確かにあるけど、本気か?」と訝しみつつも、上着を脱ぎ、同じように手袋を外すと、その二つを椅子の背に丁寧にかけてから、メデイモスのそばへ行く。
「そう拗ねるな」
ファイノンの腰と肩に手を置き、胸と腰をぐっと密着させながら、メデイモスが戯れるようにファイノンの頬に唇を寄せる。
どうやらリードは僕に譲る気があるらしい、とファイノンは習った通りに腰を抱き寄せながら、「拗ねるよ」とぼそりと、嫉妬心を押し殺しきれずに口にする。
シャツ越しに触れ合った肌の熱さと妙に機嫌の良さそうなメデイモスの態度に、怒りを覚えるのと同時に欲が沸くのがわかる。
「君が男をエスコートしているのを見るたびに相手を殺したくなった」
頬に軽い口付けを繰り返す男の腰を強く抱き寄せ、ファイノンはじっとメデイモスの顔を見つめた。
明るく華やかなワルツには似つかわしくない、どろりとした泥濘に二人で足を踏み入れてしまったかのような気分だった。
ファイノンがステップも踏み出さずにただ抱き締めていると、「実行しなかったのは褒めてやるか」とメデイモスが笑う。
目許を緩ませて笑う顔を見つめていると、「踊らなくてもいいのか?」と頬に唇を当てたまま囁かれる。
揶揄うような低い声が鼓膜を震わせ、熱い呼気が肌を撫でて行く。
「
……踊るつもりなんてないんじゃないか?」
ワルツを鼻歌で歌っているメデイモスが、今度こそしっかりと体重をかけて寄りかかって来るのを支える。
「俺のリードができるのはお前だけだぞ?」
顔を上げて嘯くメデイモスに、「本当に踊りたいなら、まあ付き合ってもいいけど」とファイノンは溜息をつく。
けれども、踊り出すにはもう、あまりに体が触れ合いすぎていた。足を踏み出すにはメデイモスの足を跳ね除けて、邪魔だよ、と言わなければならない。
「でもまだ踊るなって先生に言われてるから、君の足を踏んでしまうかも」
「そう言えばそうだったな。なら今夜はやめておくが、代わりに足のマッサージをする栄誉をお前に与えてもいい」
「それは光栄、
…………、」
上機嫌に笑うメデイモスの唇がファイノンの頬の上を滑り、唇に重ねられる。珍しく誘いの言葉がなかった、と頭の片隅で考えながら、ファイノンは許されたとばかりに腰と後頭部を抱き寄せ、何度も触れるだけの口付けを交わす。
は、とキスの合間に吐息を溢すメデイモスの首筋から、長い間彼が使っている百合の香水と汗の混ざったにおいが鼻先をくすぐる。
ファイノン、とねだるように掠れた声が落ちる。薄く開かれた赤い口腔内に誘われるようにキスをして、隙間から舌を差し入れた。そうされるのを望んでいたとでも言うように、髪をくしゃくしゃにかき混ぜて来るメデイモスの舌を何度も吸って、熱の落ちてきた腰を腹に押し付ける。びくっ、と敏感に体を震わせたメデイモスが小さく声を漏らし、待て、と口にし、熱を舌に移せと言うように唇を強く塞ぐ。
ぐちゅ、ちゅぷ、と水音が長く続き、ファイノンは肉厚な濡れた舌を散々絡ませて、味蕾を擦り付けるように舌を舐めた。吐息ごと食べてしまうような気分でキスを続けていると、あまりにもメデイモスの口の中が甘くて、頭の中に霞がかかっていくような気がした。熱に支配される感触の気持ち良さにうっとりしながら、奥へと逃げて行くメデイモスの舌をまた追う。
ぢゅーっ、と下品な音を立てて唇を強く吸い上げると、メデイモスの腰が震え、片膝がかくっと崩れる。その体をさらに強く抱き寄せ、ファイノンはメデイモスの引き締まった尻を撫でた。腰を押し付けて「いい?」と尋ねるが、唇の端を甘噛みされ、だめだ、と熱い囁きが頬に触れる。
まだだめ? どうして。
ファイノンはキスをしながらもつれ合うようにソファへ向かい、熱い体を押し倒した。シャツの上から腹や胸を撫でても、やめろと鋭い言葉は飛んでこない。なら、いいってことじゃないか。そう思いながら、メデイモスの舌が一切の抵抗を見せなくなるまでキスをして、だらしなく唇が開かれたまま、陶然とした顔で見上げて来る男を見下ろす。
「綺麗だ」
ソファに長い髪を散らし、赤くなった頬に濡れた唇をしたメデイモスが、潤んだ金色の瞳で見上げて来る。
一日中、王子殿下と誰からも敬われ、祝福され、延々とダンスのリードを取っていた男が、今やファイノンに組み敷かれ、無抵抗な姿を晒していた。
熱に潤んだ金色の瞳をそっと眇めて、ようやく言ったか、とでも言うようにメデイモスが鼻を鳴らす。
式典用の正装の着付けとセットはファイノンには任されなかった。ファイノン自身も「今日はとびきり気合を入れて準備しなければいけませんから」と朝からメイドたちに散々髪や肌を整えられ、服を着せられていたからだ。
先に着替えを終え、玄関で待っていたファイノンの前に真紅の正装で現れたメデイモスは『どうだ?』と珍しく、感想をねだるような顔をした。もちろんその表情はいつものように自信に満ちた、輝かしいものだったから、「いつも通り素敵だね」と口にしたのだが、もしかするとその反応は気に入らないものだったのかもしれない。
「今まで見た中で、今日の君が一番美人だった」
ここまで来てようやく精神の安寧が訪れたファイノンは、素直な言葉を口にする。正直なことを言えば今朝から彼の威厳に満ちた美貌に少し気後れしていて、自分が見劣りしているのではないかと不安だったのだ。
「どうせなら朝に聞きたかったものだ」
満足そうに笑ったメデイモスは片肘を付き、上半身を持ち上げる。ファイノンの胸を軽く押すと、「湯浴みを済ませるのが先だ」と口角を持ち上げて艶然とする。
「
……汗もかいたしね」
ファイノンは名残惜しく思いながら、なんとか身のうちで暴れそうになる熱を押し殺し、メデイモスの手を取ってソファから立ち上がる。
「お前も一緒に入れ」
ソファから立ち上がったメデイモスが、上気した頬をファイノンに向け、眦を緩めた。
興奮した貌を隠さずに左手の甲ですり、とファイノンの下腹部をさすると、右手の指先を首輪に引っ掛け、ぐっと引き寄せる。
「今夜は興味のない奴らに体を触れられすぎた。お前が上書きしろ」
ちゅっ、と音を立てて、ファイノンの唇の端にキスが落ちる。