ながひさありか
2025-03-23 22:18:56
6067文字
Public STR-Phaidei
 

ファイモス:病める日にも翳りの日にも

メンタルケアをしてあげるファイノンの話です(いつもと逆)。
(モーディスは思考があまり途切れないタイプかなと思っているので意図的に改行が少ないんですが、webだと読みづらいのはご容赦ください)

 千の墓を作り、親友を見送った日の夢を見た。時期と場所は記憶と一致せず、人生の嫌な思い出がすべて揃っていた。雪荒ぶエイジリアの永夜では、冷気で肌が切り刻まれ、流した涙がそばから凍り付き、瞬きすら肌を突き刺し痛みを伴うものだった。死した同胞が土の中から骨になった手を伸ばし、何故俺だけが生きているのかと責め立ててくる声が聞こえた。いつになったら故郷に帰るのか、メデイモス、いい加減に責務を果たせと騒ぎ立てている。足を失った友が縋り付き、王になれと俺の胸に指を差し入れながら骨を鳴らす。……いや、あいつはそんなことは言わないだろう。少なくとも俺を責めはしない、望みはするだろうが。足元がぐらつき、大地が崩れ落ちる。黄金に燃えたぎる海の中へ沈み、肉体が焼かれて行く。冷たい、死に満ちたステュクスとは真反対の、沸騰した海だった。触れたそばから爛れた皮膚が再生し、再び焼かれ、燃える臭いがする。自身の髪と皮膚が燃える臭気、唇には脂肪のぬめりけがまとわりつき、熱と痛みが思考を支配する。視界が赤く染まり、物の輪郭すら捉えられなくなった。息を吸う度に喉と肺が焼け、痛み以外に何も考えられなくなる。立っているのか這っているのか浮遊しているのかもわからない。熱湯の海の中をもがき、岸を目指す。頭上は暗く、星ひとつ見えない。足裏が海底に触れる。あたりから火が消え、冷たく、暗い、死骸と骨ばかりの川となった。眩い光が天上を疾る。顔を上げると、岸が見えた。必死に底を目指して歩き、川から上がる。——そうだ、歩を進めなければ。足を止めるわけにはいかない。ここを終わりにすることはできないのだから。

   *

 なんだか今日の君はいつもより色っぽい気がする。
 肩越しに囁いて来たファイノンを振り返り、黙れ、とモーディスはファイノンの額を裏拳で弾いた。
 痛っ、と大袈裟な声が上がり、背中にぴったりとくっついていた胸が離れる。それだけのことで、熱の余韻の残る体が肌寒さを覚えた。感傷的になっている、と自己分析をしながら、モーディスは額を手のひらで押さえて悶絶している男から少し距離を置き、空になった杯にザクロジュースを注ぐ。
 さっきまであんなに積極的だったのに……、とぶつくさ言っている男に背を向けたまま喉を潤し、湯が溢れて濡れたタイルに杯を置くと、絶え間なく落ちてくる湯の音に意識を集中させた。温められた下半身は心地良かったが、香りが物足りない。入浴剤を入れればよかったか、と思いながら湯の中で足を伸ばして目を閉じていると、懲りずにファイノンがそばへ寄ってくる音がした。
 暖かな手が再び体に伸ばされて、肩を摩られる。モーディスの鼻先を柑橘の香りが擽った。髪と体を洗った石鹸の匂いだ、まあ、これは悪くない。そう思いながら、後ろに体を引かれるのを黙って受容する。体をファイノンに寄りかからされて、頬と耳に唇や鼻先が触れる。濡れたファイノンの髪が肌を滑る感覚にくすぐったさを覚え、身を捩りたくなるが、反応すれば調子に乗るだろう。モーディスは何も感じていないフリをして、ファイノンが触れたがるのを容認した。
 剣だこの硬い手のひらが肌を撫でてくる感触に、違和感を覚えない現実がまだ落ち着かない。この男と肌を重ねるのは何度目だったか、と考えても意味のないことが浮かぶ。もう随分と昔に始まったことで、ずるずると何年も続いていた。情はお互いにあるだろう。それに名前をつけては来なかったが。
 モーディスは肩に口付けを落とされるのを黙って受け入れながら、タイルの上に置いていた杯を取る。
 情交の後、やたらとくっつきたがる男の相手を——やめろと言ったり、離れろと殴り飛ばしたり——するのは逆効果で、放置していた方が早く飽きることをもう知っている。時々は「冷たい男だな」と拗ねられるが、今夜はそうならないだろう、と妙な確信があった。

 先ほどファイノンが言った通り、今夜、誘いをかけたのはモーディスからだった。稀に過去の夢を見ることがあり、久々に強烈な罪悪感と共に目覚めたせいだった。朝からずっと気分が沈んだままで、と言っても、他の誰にもそれはばれていない。表情と感情のコントロールは、いつだって軽率を装うファイノンよりも得意だと感じていた。
 友人たちが死んで以降、王位継承者としての悩みを相談する相手がいない。夢の原因の半分はこれだろう、と自分でもわかっていた。聖都の主であるアグライアに話をするのが一番だろうとは思っていたが、彼女にはモーディスと違い、背負う一族と望郷の念はない。
 鍛錬の後、市内を散歩していると、野蛮なクレムノス人はさっさとオクヘイマから出ていけ、と毎日のように耳に入るひそひそ声が、いつもより体内に響く感覚がした。今更傷つきはしないが、普段は何も感じないそれを、今日に限って不愉快だ、とは思った。都合のいい時には王族として媚びへつらう輩め、と胸が悪くなる考えが浮かび、すぐにその思考を断ち切る。
 黄金裔の献身を受け取れない市民は一定数いる。それはクレムノス人のモーディスだけでなく、アグライアやトリビー達にも向けられることのある悪意だった。気にしても仕方がないし、モーディスが口を開いて、ひそひそと物陰から陰口を言う彼らを諭すことに意味もない。もし自分が本気でオクヘイマの人々に言葉を尽くすのであれば、その前に、クレムノスの民全員の考えを変えさせるような働きかけが必要だということがわかっているからだ。
 ニカドリーの火種を継承するのは俺ではなく救世主で、その上、穢れたタイタンに支配され、朽ちたクレムノスへ帰ろうとするのは現実的ではない。最後の安寧の地であるオクヘイマを故郷とするべきだ、そんな風に。しかし、いつまで経っても戴冠せず、アグライアに「使われる」ことを、師であるケラウトルスすらよく思っていないことを知っている。一族をどう導くべきなのか、まだ答えが出ていない。
 しかし、ニカドリーの火種はここになく、クレムノスが何処にあるのかもわからない今はまだ、深く考えても仕方のないことだった。モーディスはいつものように、耳に飛び込んでくる悪意に聞こえないフリをし、鍛冶屋へ向かう。
 ハートヌスに頼んでいた替えの甲冑を受け取り、関節の動きを確かめる。いつものことながら、寸分の狂いもない完璧な仕上がりに満足していると、同じく剣を受け取りに来たファイノンと顔を合わせた。
『もしかして寝つきでも悪かったのかい、なんだかいつもと様子が違う気がするけど。それとも朝食がまだだとか?』
 世間話の延長のように、揶揄い交じりに話す男に夢見の悪さを当てられたのは気に入らなかったが、ファイノンが時折見せる、妙な勘の鋭さを知るたびに、この男を信頼するのは間違いではないのだろうと思えた。
 朝食は確かにまだだな、と馬鹿正直に答えると、もう昼も近いのに珍しいな、とファイノンが言う。
『僕は今から昼食にするけど、君も一緒にタベルナに行くかい?』
 昼食の誘いに乗るのは悪くない考えだった。その席で「今夜、何か予定はあるのか」と先に尋ねたのはモーディスだった。いや別にないけど、と大地獣の肉がたっぷり挟まったピタを頬張りながら答えたファイノンは、唇の端についたソースを拭うのも忘れてじっとこちらを見つめていた。
 話があるから部屋に来い、と言いながら紙ナプキンを渡し、唇の端を示すと、何かついてる? と当たり前のことを言う。ついてもいないのに言うか、と答えたモーディスの唇に、ファイノンは視線をずっと向けている。
 こんな所で盛るな、とファイノンにしか聞こえないよう小さく囁いてやれば、ぎくりと肩が跳ねた。その様子になんだか気分が良くなり、「では夜にな」とモーディスは先に店を後にした。
 
 濡れた髪を鼻先と唇でかき分けるようにし、ファイノンが頸に唇を寄せてくる。小さく音を立てて口付けを繰り返す男の無遠慮な手のひらが肩を降り、湯の中の腰を摩ってくる。
 もう一度くらいはしてもいいか、とぼんやり考えていると、ファイノンが首筋、首の付け根、肩へと唇を下ろして来る。メデイモス、とねだるような声で顎を掴まれ、後ろを振り返らされる。ファイノンの薄い唇が頬の上を滑り、唇が重なる。濡れた手で腹から胸を摩られ、火の消えかけた肌が再び燃えるような感覚がした。
 後ろ手にファイノンの頭を掴んで、キスをしながら濡れた髪を撫でてやる。ばしゃり、と湯の跳ねる音が響き、湯気と吐息が肌を撫でて行く感触にモーディスは小さく息を吐いた。
 至近距離で青い瞳と目が合い、瞳の真ん中の黄色い宝玉がちかりと輝くのが見えた。ファイノンの白い肌がわかりやすく紅潮している。欲情を隠さない男の表情を見ると、いつも少しだけ冷静になってしまう自分が嫌だった。こう言う時くらい冷静でいるのをやめたいのだが、とモーディスが考えていると、ファイノンが腹に片腕を回し、ぐっと抱き寄せて来る。無遠慮に当てるな、と尻に押し付けられる感触にため息をつこうとすると、やっぱり、とどこか興奮した声でファイノンが呟く。
「今日の君はいつもより色っぽい気がする」
 よくそんな歯の浮くようなことを何度も言えるな、と呆れて無視しようとすると、「本当なんだって」と何故か言葉を重ねてくる。
「実は本当に夢見が悪かったりしないか?」
「お前と違って過去の夢で落ち込んだりはしない」
「酷いな」
 もちろん嘘だったが、ファイノンに本当のことを言いたくはなかった。
 素っ気ない態度が今日は逆効果だったのか、ファイノンは興奮したように頬に噛みつく真似をして来る。少し落ち着け、と押し当てられたものに後ろ手で触れると、うわっ、と声を上げながらしがみつかれてしまう。まあ、べろべろと頬を舐められるよりはいいか、と肩口に歯を立てられるのを無視し、モーディスは手の中でだんだん硬度を増して行くそれを上下に扱いてやる。うう、と呻いたファイノンの熱い呼気が肌に触れる。この反応は悪くない。
「もしかして僕が君に過去の話をするたびに、いつまで経っても情けないことを言う弱虫だとでも思っていたのか?」
「別にそんなことは思っていないが、いつかは克服すべきだろう」
 もう触らないで、とファイノンはモーディスの手首を掴み、これ以上「悪さ」ができないよう、両腕ごと体を力強く抱きしめて来る。真面目な話をしたいのかそうでないのかどっちかにしろ、と思いつつ、モーディスが無理な角度で首を巡らせると、噛みつくような口付けで唇を塞がれた。
 両手首を掴んだままのファイノンが指の腹で肌を撫でてくる感触に、肌が震え、呼吸が段々と乱れて行く。ここでしてもいいが、と考えていると、腰を少し持ち上げられて、下腹部に座らされるように、尻を落とされる。軽く揺さぶられると、隙間を硬く熱いものが擦れる感触がした。
 肌が熱くなり、モーディス自身の腰も急激に重くなってくる。ふ、と小さく息を吐きながら身を屈めると、ファイノンが笑うのが触れ合った肌から伝わって来た。
「君は人より忍耐強いだけで、別に何も感じていないわけじゃないって僕は知ってるつもりだけどな。まあ、本当に無神経に見えることもあるけど」
 背骨をそっと撫でられ、っ、とモーディスは息を詰まらせた。ファイノンの少し恨みがましいような、甘えるような声と言葉に、直接心臓を撫でられたような気分だった。
 はっ、と息が乱れて、思わず口と鼻を手のひら抑える。目が熱くなり、ツンと鼻の奥に痛みを感じる。体が大袈裟に震えた瞬間、しまった、と思ったが、痛みと熱がすぐには引いていかない。ファイノンが短く息を吸うのが聞こえる。バレた。そう思ったが、逃げ出すこともできなければ、声も上げられない。
 俯いて身を震わせていると、ファイノンが顔を覗き込んでこようとする。
「見るな、忘れろ」
 口を押さえたまま、モーディスはくぐもった声を絞り出した。目尻から頬、顔を覆った手を伝い、ぽたりと湯の中に熱い雫が落ちて行くのが見え、くそ、と胸中で悪態を吐いた。
 よりにもよって今か、たかがあんな言葉で。
 俺を知ってるつもりだなんてお前は何様だと鼻で笑ってやるべきなのに、胸が震えて言葉が出てこなかった。
……わかった。何も見えてないよ」
 ファイノンは小さな声で言い、モーディスの肩に頬を擦り付けながら、強い力で震える体を抱きしめた。声も上げずに泣いている男の顔を見て優しく慰めてやりたいと思ったが、それは叶わないだろう、とわかっていた。
「さっき君に酷いことを言ったな」
………………
 果たしてどのことだろうか、とモーディスは考えていた。
 情事の間に交わされる睦言をいちいち覚えていられるほど、この行為に幻想を抱いていない。お互いに都合のいい相手で、それなりに情もある。無関心同士ならこうして何度も肌を重ねはしないだろう。まして、自分が受け入れる側であれば余計に。
 どうせなら僕は君に優しくしたいかな、と最初の夜に妙に照れながら口にした男の愛らしい表情に絆されて、なら奉仕してみせろ、とつま先で顎を掬ったのがはじまりだった。それ以来ずっと、どっちが抱く側かなんて無粋な話はせずに今日までずるずるやって来たことだけが事実だった。
「嘘だよ。君はいつだって綺麗だから、今日は特に色っぽいだなんて、そんなことはない。いつだって変わらず綺麗だ」
「っおい、喧しいぞ」
「だけどメデイモス、本当のことだ。君が本当は傷だらけだとしても、表面上は変わらない。大丈夫、君はいつだって皆の前ではうまくやってる。だから何も心配しなくていい」
 この男にこんな風に諭されるのは癪だったが、口の回る男の評価が今は耳に心地よく、正直に言えばありがたいのが事実だった。
 段々と精神の波が落ち着いて行き、モーディスは口を覆っていた手を外した。指先で目尻に残った涙を弾くと、はぁ、と疲れたようにため息を吐く。
「熱い……
「あはは、流石にのぼせたよね」
 上がろっか、と耳に音を立ててキスをした男に腰を掴まれ、腰を抱かれたまま立ち上がる。
 冷えた飲み物が欲しい、とモーディスがぼんやり考えながらリクライニングチェアに座らされて俯いていると、部屋の隅に置いた簡易冷蔵庫タナトスの神権が宿るとされている箱から、ファイノンが冷えた水を取り出しているのが見えた。
 モーディスは戻って来たファイノンから手渡された冷えた水を飲み干すと、同じように箱から取り出したらしい、冷えたネスタールを呷っている男の頬に手を伸ばした。
……てっきり、今日はもう終わりにしたいのかと思ってた」
 モーディスは鼻先を触れ合わせながら、「それでは、お前を誘った意味がない」と小さく呟いた。

 俺の顔を見て違和感を覚える男など、もう、お前しかいないのだから。


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