お風呂から上がって来ると、部屋いっぱいに甘いココアの匂いが広がっていた。食卓へ視線を向けると、モーディスは日記を書いている様子で、傍にはココアの入ったマグカップが置かれていた。マシュマロの袋があるのを見るに、マシュマロも入れたらしい。
「僕の分は?」
「鍋の中だ。生クリームを切らしているから、ドイツ式にしたいなら直接ブランデーでもいれろ」
モーディスは日記から顔を上げず、ペンを握った手でキッチンを指差している。コンロの上にはココアの入ったミルクパンが置かれていて、まだ湯気が微かに上がっていた。マグカップの三分の一にブランデーを入れてからココアを追加して混ぜると、日記を書いているモーディスの隣の席へと座る。向かいに座ると、モーディスの横顔が堪能できないからだ。
日記には視線を向けないよう気をつけながら、テーブルに肘をついて横顔を眺めた。どうせ日記を覗いても彼の故郷の言葉で書かれているので僕には全く読めないのだが、過去に「人の日記を断りもなく読もうとするな」と怒られていた。僕にわかるのは「ばか」のひとつだけだって言うのに理不尽な話だ。
君の国の言葉を教えてよ、と何度かねだってみたのだが、「俺が実家に帰ることはない。お前に教えても意味がない」と突っぱねられていた。確かにモーディスは日記とたまに飛び出してくる「ばか」以外は故郷の言葉を使わないが、君のことをもっと理解したいから、と言う僕の下心は受け取ってもらえないらしい。
そんなに気になるなら自分で勉強すればいいって? それは味気ないだろう。せっかく恋人がいるんだから。
益体のないことを考えながら、ブランデーの効いた甘いココアを飲んで、モーディスが時折考えるように顎に手を置いたり、日記になにか書き付けている完璧な横顔を眺めていた。お風呂上がりにヘアミルクとオイルをしっかり揉みこまれていた髪からはいい匂いがして、艶やかに部屋の照明を反射している。高い鼻梁を指でなぞりたい衝動に耐えながら、長い横髪のかけられた耳に開いた、ピアス穴を眺めた。お風呂に入る前に外されたピアスが洗面所の棚に置かれているのをさっき確認している。
ところで右耳は開けないのかい? と過去に尋ねた僕に、モーディスはなんとなく開けていない、と言っていたが、両耳分のピアスを贈ったらもう片方も開けてくれたりするのだろうか。
日記を書き終えたモーディスがペンを置き、日記を持っていつもしまっている棚に戻しに行く。その背中を追い、椅子に戻ってくるまでじっと眺めていると、「いい加減うるさいぞ」とマグカップに口をつけたモーディスが、僕の方を見ずに言う。
「何も言ってないし触ってもないのに?」
酷いな、とわざとショックを受けた顔を作ってみれば、唇を引き結んだまま、モーディスが気まずそうに、と言うより恥ずかしそうに「じろじろ見過ぎだと言っているんだ」と口にする。
「仕方ないじゃないか、だって君は綺麗なんだから。いくら見ても飽きないよ」
そう言っているうちに、モーディスはみるみる目許を赤くして恥ずかしがってしまい、ふい、と視線を逸らす。反則だろ、その顔で。いつまで経っても褒められることに慣れていないモーディスは、いつもこんな反応をする。まぁ、人の容姿に言及するのは褒められた行為でないことは僕だってわかってはいるが、それが本当に建前でしかない仕事をしていると、余計に、恋人の美しさを褒め讃えて何が悪いのか少しもわからない。
モーディスの肩に触れている髪をそっと指で払い、手を置く。緊張したようにぎくりと身を震わせるモーディスの、妙な初々しさが可愛かった。この間は君の方から舐めてくれたのに、と口にすれば確実に殴られることを考えながら、顔を覗き込むようにして口付ける。
美しい輪郭に手を添え、触れるだけのキスを何度も繰り返し、モーディスの意味のない抵抗が完全になくなってから口付けを深くしていく。甘ったるいココアの味がする、と思いながら舌を絡ませようとすると、「おい」と顔を赤くしたモーディスに胸を押される。
「……入れすぎだ」
「お酒の話?」
「他に何があ、」
別に弱すぎるわけじゃないんだからいいだろ、と途中で話を打ち切り、抵抗するために伸ばされていた両手に指を絡ませた。指輪のはまった薬指をそっと撫でながらキスしていると、ファイノン、と制止するように、名前を呼ばれる。
機嫌が悪いのか? と思いつつ、わからないふりをして「うん?」、と唇を離すかわりに、額を擦り合わせて顔を覗き込む。
「したくなるから、もう止めろ」
「……別にしたらいいんじゃないか?」
わざと音を立てて頬にキスをすると、いや、とかそれもそうか……、とか、しなくてもいい言い訳がむにゃむにゃ落ちてくる。
「だが昨日もしただろう」
「毎日はしちゃだめだって誰かに言われでもしたかい?」
そんなやつがいたら殺す、と物騒なことを考えていると、表情に出ていたのか「おい、妙なことを考えるな」とモーディスが僕の首に腕を回してくる。彼の蜂蜜色の瞳はもう期待に潤んでいて、蠱惑的に僕を見つめている。長い睫毛が頬骨の上に影を作っている。吸い寄せられるように、目許に唇を押し付けた。
「そうじゃない。はしたないんじゃないかと……そう思っただけだ」
「君にそう思うって? 僕が?」
もっとはしたなくなっていいよ。
ピアス穴に舌先を捩じ込むつもりで囁きながら、モーディスの腰を抱き寄せた。
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