十日も戦った末に決着の付かなかった男はクレムノス人の王子だとかで、オクヘイマの人々とは昔から確執があるらしかった。アグライアは「市井の人々の諍いはさておき、彼自身は黄金裔として私たちに協力すると約束してくれています」と言い、彼は僕の顔を見ると、オクヘイマの発音で、クレムノスのモーディスだと名乗った。
戦ってる時に君を刺した気がするんだけど、と傷ひとつない腹部を見ながら不思議に思って尋ねると、「俺には不死の呪いがかかっている。傷の治りも早い」と淡々と口にされ、驚いた。黄金裔としての能力、と言えばいいのか、それは人によって違うと聞いたけれど、人の身でそんなことがあるなんて狡くないか、と正直なところ思った。
特別な鍛錬をしているのかと聞けば、「俺はお前より耐えられると言うだけの話だ」と本当に何にも参考にならないことを言う。真面目堅物かと思えば案外安い挑発には乗ってくるので、面白くなって散々くだらない勝負を仕掛けてしまった。勝敗は今のところ五分五分だったが、毎度のようにアグライアやトリビー先生に叱られていて、叱られた回数はもう覚えていなかった。
モーディスがオクヘイマに来てしばらくが経ち、なんとなく打ち解けたような気がしていたその頃、二人で暗黒の潮から逃げてきた難民の避難支援をすることになった。
思っていたよりも老人や怪我人が多かったせいで、敵の猛攻を避けるのが難しく、避難はなかなかうまくいかなかった。最終的にモーディスが「俺が殿を務めるから行け」と一人で防衛線を維持することを決めてしまった。確かに、死なない彼が無茶をしてくれた方が時間が稼げるのかもしれない。その時はそう思っていた。
出陣前にきちんとバニオをしたから、しばらくは潮の影響もない、とモーディスは前を見据えたまま淡々と言った。あまりに力強い、覚悟の決まった顔をするモーディスに、わかった、なるべく早く戻る、と言うより他にはなかった。
死なないんだから、彼に任せるのが適任だろう。本当に、心の底からそう思っていた。
避難民の誘導を終えてモーディスの元へ走り、思わず「は?」と声が出た。
モーディスは血まみれで、左胸に深く長い剣が突き刺さっていた。地面に倒れ伏したまま首をなんとか巡らせたモーディスは両手を地面につけたまま「遅い」、と泡の混ざった声を出した。混乱したままそばへ寄ると、「手の健が切れている」とモーディスが呻いた。ごぼ、と口から血の泡を吹き、それと同時にひゅう、と肺を風が抜けていく音がしたかと思うと、激しい咳を繰り返し、呻く。てっきり不死の肉体には苦痛もないのかと思っていたが、それは認識誤りだったらしい。
「ど、どうしたら……」
見下ろしている間にも地面に血の染みが広がって行くのを完全に混乱して眺めていると、頼みがある、とモーディスが口にし、なんとか視線を胸許へ向けた。
「この剣を一息に抜け。心臓から微妙にずれているせいで、上手く死ぬことができん」
咳き込み、言葉を詰まらせるモーディスの言葉を繋げると、そう言うことだった。戦場暮らしが長いせいだろう。その位置に刺さっている剣を一気に抜けば、血が噴き出して即死するだろうとわかってしまった。
「ここまで血を失えば一度死んだ方が早いが、手が動かん。救世主、お前に頼むしかない」
血をどんどん溢れさせながら、苦鳴を上げるモーディスを呆然と見下ろした。彼の体の「仕組み」がそうなっていることをはじめて知り、言葉にしようのない恐怖が込み上げる。
モーディスはひゅうひゅうと息を漏らし、時折、何か喋ろうとしてはごぼりと血の泡を吹く。なんとか顔を横へ向けて血を吐き、ファイノン、と掠れた声で口にした。ぎくりと肩が揺れたが、血の気が引いて行く感覚に舌が乾いてしまい、声を発することができない。
「……俺を憐れむなら、一息に殺してくれ」
頼む、と続けられたモーディスの顔は随分と前から見られなかった。恐怖で手が震えて、視界が揺れている。僕が剣を抜いて失血死させることが結果的に彼を救う早道だと分かっていても、そんな真似をしたことがなく、怖くてできなかった。
できない。すまない、すまない、僕にはできない。
震えた声でそう繰り返し、現実を受け入れられず、目を閉じた。そうしたところでモーディスは消えず、瞼を閉じた暗闇の中で彼の苦しそうな喘鳴が聞こえてくるだけだった。
僕が意気地なしのせいでモーディスを苦しめている。それは分かっているのに、どうしても自分の手で殺すことができなかった。
「……そうか、酷なことを言ったな」
目を閉じた僕の耳に、場違いなほど優しい声が落ちた。ごぼ、と泡の混ざった小さな声には、僕を責める色はない。それ以降、モーディスは僕になにも頼まず、ただひたすら彼が苦痛に呻く吐息が途切れ途切れに続いていた。ぐ、と苦しそうな声が延々と漏れるのを聞きながら、彼の言う通りなのであれば、本当の死を得ることもないのだから、余計に早く死なせてあげた方がいい、とぐるぐる頭の中で思考していた。
すまない、すまない、と繰り返しながら、モーディスのぴくりとも動かない手をそっと握ろうとしたが、あまりの冷たさに驚いて手を離してしまう。ハッとして慌ててもう一度手を掴む。動かない、と言った通り指先ひとつ動かない手を震えながらさすろうとすると、「すぐに生き返るからそんな顔をするな」とモーディスが痛みに呻きながら言った。思わず顔を上げると、モーディスは今にも死にそうな蒼ざめた顔に脂汗を浮かべながらも、うっすらと、確かに僕に笑いかけていた。手を伸ばそうとしたのか、肩が少しだけ動いて、けれども、その表情を最後に、ごほ、とモーディスは大きく咳き込み、彼の体躯からがくりと力が抜ける。瞳を見開いたまま光が消えて、そうして喘鳴も完全に沈黙した。
手を握ったままモーディス? と話かけて顔を覗く。モーディスの頬に僕の頬を伝った涙が落ちて、滑り落ちて行く。僕は泣いていたのか? 死ぬ人間なんて何人も見てきたはずなのに? 困惑しながら袖で涙を拭った瞬間、カラン、とモーディスの胸に刺さっていた剣が地面へ落ち、モーディスのまつ毛が震えるのが分かった。左胸の傷が塞がっている。彼の瞳に光が戻り、胸が大きく上下した。ため息が落ちる。くそ。小さく溢れた声に、モーディス? ともう一度名前を呼ぶ。
モーディスは眉間に皺を寄せながら起き上がり、もう一度、肺の動きを確かめるかのようにため息をつく。
「悪かったな」
モーディスはバツが悪そうに呟くと、目を何度も瞬いていた。焦点が合わないのか、それとも光が映らず暗いのか、そのどちらでもあるようだった。
「足が動けば崖下にでも這って行ったんだがな」
そんなことをボソリと呟くモーディスの足も甲冑が殆ど残らず、血まみれになっていた。
見た目だけが血塗れになったモーディスと共に門を開いてもらい、オクヘイマへと帰還する道中、「痛覚があるのか」とモーディスに尋ねた。
モーディスは「コツがあるのか」と尋ねた時と同じ調子で、「人より耐えられるだけだ」と淡々と口にした。そうなのか、と聞き流すことはもう、できなかった。何故なら僕の耳にはもう、モーディスが苦しんだ末に絶命する瞬間の吐息がこびりついてしまっていたから。
*
帰還してしばらくの間、上手く眠れなくなっていた。目を閉じるとモーディスの死ぬ瞬間を思い出し、自分の不甲斐なさをその度に噛み締めることになったが、どうにもならなかったし、どうすればいいのかわからなかった。
日中もふらふらしていたせいなのか、二週間ほど経ってアグライアに呼び出しを受けたかと思うと、「今すぐ医者に罹った方がいいと思います」と言われてしまう。
ヒアンシーとはじめて出会ったのはその頃の話だ。たまたまオクヘイマに来ていた彼女は僕のカウンセリングとケアを丁寧に行ってくれて、ようやく平穏に眠れる日々を取り戻すことに成功した。
眠れるようになっても、しばらくの間、聖都でモーディスを見るたびに、申し訳なさが募った。けれど彼はこの件について、一度も僕を詰らなかった。それを余計に苦しく感じていた。
僕は彼に苦痛があることも知らなかったし、死ぬと必ず苦しみと共に目覚めることも知らなかった。
やっぱり殺してくれと言われた時に、素直に殺してやるべきだとしか思えなかった。
「……君はどうしようもない時、今までも仲間にそうやって殺してもらってきたのか?」
僕の問いに、モーディスは少し考える素振りを見せてから、いや、と首を振る。
「今までは死ぬまで耐えていたが……、お前も英雄であるならば、覚悟は決まっていると思っていた。もしあの場にいたのがアグライアやトリスビアスであれば、復活を早めるためにきっと俺を殺しただろう。お前もそうだろうと考えていた。悪かった」
モーディスの言い分はショックだったが、確かに、彼女たちであればひと思いに殺してあげたのだろう、と素直に感じてしまった。
*
そんなことがあってしばらくののち、もう妙な不安で眠れなくなるのも落ち着いたかと思ったのに、モーディスが戦闘に出ると、生きて返ってきたのを確認しても落ち着かなくなっていることに気がついた。
彼は確かに五体満足で帰還し、バルネアで子どもたちに囲まれながらザクロジュースを片手に笑っていたし、そのうちの二人の男の子を肩車してやって食材を買いに行き、おやつを作って子どもたちに配っていた。
こそこそ覗いていないで配るのを手伝え、と最後にはバレて、おやつを配るのを手伝わされたし、余った焼き菓子を「食え」と持ち帰らされていた。
夕食の後に食べたカスタード入りの林檎パイは絶妙な酸味と甘味のバランスが見事で、その顔でお菓子とか作るんだ、と言った時に「嫌なら食うな」と蹴り飛ばされた時の痛みを思い出すほど衝撃的なうまさだった。
汚れた手を洗ってベッドに入っても、少しも眠れそうになかった。落ち着かなくなり結局モーディスの部屋へ行くと、「何時だと思っている?」と寝巻き姿、と本人は主張する、普段より体が隠れているはずなのに逆に服を着ていないようにすら感じる、大きな布を巻いて、腰紐で止めただけのような服で僕を出迎えた。モーディスの侍者が眠たそうな顔をしながら僕の顔を見て居住いを正すのが視界のはじにうつり、悪いことをしたな、とそこでようやく気がつく。
腕を組んだモーディスに何を言うべきか考えていると、「まさかまた眠れないのか?」と笑っている。確かにおかしいよな、成人して久しい男が突然こんな時間に理由もなく訪れるなんて。そう考えて「えーと……」と無意味な音を口にすると、モーディスのため息が落ち、「とにかく入れ」と部屋へ招かれる。
モーディスは侍者に酒と簡易寝具を持ってくるよう命じ、とりあえず、と僕をリクライニングチェアへ座らせる。
「まさかとは思うが、俺が死んでいないのを確かめに来たのか?」
侍者から酒の杯を受け取ったモーディスは、「他言無用だ」と彼を部屋から下がらせ、僕に杯を渡す。よくよく見れば杯は一つしかなく、モーディスはいつものようにザクロジュースを飲んでいる。
せっかくもらったんだし、と杯に口をつけて、その強さに少しむせる。
「強い酒は苦手だったか?」
「そうでもない、けど……君は殆ど飲まないと言っていたから、予想してなかった」
咳き込みながら口にした僕に、「悪いが、戦士の慰め方をこれしか知らん」と大真面目な顔でモーディスが言う。慰めてくれているつもりだったのか、とちょっとだけ驚き、もしかしなくともモーディスは結構優しいやつなのかもしれない、と今更感じた。どう考えたって彼が優しいのはわかりきっていたのに、なんとなく、不死身の英雄と呼ばれてオクヘイマの人々からの侮蔑を受け流している時や、あるいは戦場で血を迸らせながら敵を薙ぎ払っている時の炯々とした瞳と優しさは、あまり合致していない気がしていた。
「クレムノス人は酒に逃げることしかしないのか」
呆れたふりをしてわざと大袈裟に苦笑すると、モーディスの眉が跳ね上がる。
「逃げているわけではない。どうせ悪い考えは現実のものではないのだから、酩酊で紛らわせるのが一番だろう……、とよく言う。俺には不要だがな。お前もそれで紛れるなら、それを飲んで潔く寝ろ」
「……いい考えな気はするけど、これは本当に強い酒だから、部屋に戻れないかも?」
「だから先刻寝具を運ばせたのだろうが」
それって君の部屋で寝ていいってことか? と尋ねる勇気がなく、じっとモーディスの顔を見つめてしまう。
モーディスは不可解そうに首を傾げ、「不満があるなら今すぐ帰れ」と言うだけ言ってから、僕の寝床を整えに部屋の隅を片付けてくれている。そう言うものこそ侍者にやらせたらいいんじゃないか?
結局、酩酊して部屋に戻る気がなくなり、モーディスに「いい加減寝ろ」と何度も椅子の上で肩をゆさぶられた僕は、じゃあお言葉に甘えて……、とモーディスの寝台のそばに用意された簡易的な寝床に横になった。
眠ったふりをしてクッションを抱えながら目を閉じていると、分厚いカーテンの下された薄暗い部屋の中で、やがてモーディスの寝息が落ちるのが聞こえてくる。
それを聞いて、ようやく眠りに落ちた。
*
「おい、なんの真似だ」
モーディスが物音でハッと目を覚ますと、背中に他人の熱があった。寝台に他人を上げた覚えはなかったが、首筋から香ってくるアルコールの残り香を飲ませた相手は一人しか思い当たらない。
「ごめん、少しだけ……」
酒精で体温の上がった男の片腕に腰を抱き寄せられ、片耳が背中にピッタリと当てられている。
過去、何人かの戦士を酒で慰め、風邪を引かないようにと寝床を用意してやったことはあったが、こんな風に無礼な真似をしてくる人間を相手にしたことはなかった。恐らく酒癖が悪い、とはまた違うだろう。
居心地の悪さに逆にモーディスがじっとしたままでいると、そのまま眠ってしまったのか、少しも体が離れていく様子がない。おい、と流石に呆れて腕を掴む。
「ごめんもう少しだけ。……君が本当に生きているのか不安なんだ」
「俺が不死だと言うことを酔って忘れたのか?」
「……………………」
会話をする気はないのか、ファイノンは再び無言になってしまう。
果たして過去にこんな反応をされたことがあっただろうか、とモーディスは落ち着かないまま考えてみるが、こんな風に、人の寝台に不躾に乗り上げて来て、許可もなく触れてくる人間など、五人の友人たちの中にもいなかった。
わけがわからん、と溜息が出たが、「すまない、できない、できない」と介錯を拒絶した男の声と表情を思い出すと、蹴り落としてしまうのはあまりに酷な気もした。
果たしてファイノンはどのぐらいの時間そうしていたのだろう。ふと、熱い手と体が離れて行き、「酔いが覚めた……」と恥ずかしそうに、小さく上擦った声が落ちた。
慌てて部屋を出て行こうとする男の足音に、モーディスは舌打ちをする。
「おい、ここで寝ていけと言ったのを忘れたのか? 酔った人間はすぐにさめただのなんだのと宣うな……」
モーディスはふらふらとした歩みで机や椅子に体をぶつけているファイノンの手を引き、床の上に作ってやった、ファイノンの寝床に連れ戻す。
諦めて寝ろ、とファイノンが蹴り飛ばしたらしいクッションを彼の顔面目掛けて投げつけてから、自分の寝台へ戻り目を閉じた。
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