ナナシビトたちと別れた後、結局、モーディスは残りの真実の獅子の口ひとつひとつに、余計なことを言わないよう脅して回ることにした。あの獅子たちが信用ならないのは以前からのことで、いい加減壊しておけばいいものを、とモーディスは思っているが、アグライアやトリビー曰く、これはこれでエスカトンにおびえる市民の娯楽として必要なものらしい。
一通り脅し終えると、果物屋で柘榴を二つ買い、自室へ帰る。侍者に買ってきた柘榴を渡し、中身を洗って取り出しておいてもらうよう頼むと、汗を流しにバルネアへ向かった。
低温ピュエロスを通りかかると、聞きなれた気楽そうな声が聞こえた。市民となにやら雑談しているらしい救世主に気付かなかったふりをして通り過ぎると、モーディス、と名を呼ばれる。声を無視し、食事と飲み物の並んでいるテーブルを目指した。先ほど、石くれども相手に言葉をふるって疲れたからだ。壊した方が早いものを、と幾度考えたかわからないことをまた思う。
グラスを取って果実水を注いでいると、無視しなくてもいいじゃないか、と唇を尖らせたファイノンがそばに立っていた。上半身裸の入浴スタイルになっているファイノンは、同じく入浴用の軽装姿のモーディスをじろじろと見、黄金裔専用ピュエロスに行かないなんて珍しい、と言った。
「別に珍しくはない。お前が毎度毎度顔を合わせるたびに、俺の体が目立つだのなんだとのうるさいから、お前がいるのがわかっていた時は避けていただけだ」
「それじゃあまるで僕が悪いみたいじゃないか」
そうだろうが、とモーディスは思ったが、ここでこのまま言い争うのはやめにした。
「ともかく俺は休みにきただけだ。じゃあな」
ひとまずオルガンの演奏でも聞きに向かうか、とグラスを持ったまま背を向けたモーディスの空いた手を、ファイノンがつかむ。振り返った先のファイノンの前髪から覗いた間抜けな顔に、やっぱり面倒なことになった、とため息をついた。
バルネアにあるプライペートルトロのいくつかは、今はナナシビトとファイノンとモーディスに割り当てられている。と言ってもファイノンはあまり利用せず、バルネアで市民と一緒にピュエロスに浸かるか、あるいはモーディスのルトロへ押しかけることが多い。
面倒なことを考えていそうな男の話を聞いてやるために、モーディスは一旦、侍者へルトロを整えるよう頼む。準備が終わると、ファイノンを連れてプライベートルトロへ移動した。
モーディスは入浴剤によって乳白色に染まった湯へ腰ほどまで浸かり、いつもそうしているようにザクロジュースを傾ける。侍者にいいつけていた通り、ザクロジュースのそばにはネクタール等の酒、それから冷えた果実水が置かれ、ファイノン用のグラスもあった。
切った果物の乗った皿の隣に、先刻買って洗っておいてほしいと頼んだ柘榴の粒が入った器があり、モーディスは湯に浸かりながら一粒ずつ口の中へ放り込む。
「君が天外の友人たちに手を貸したと獅子の口が言っているのを市民から聞いた」
ファイノンは足先だけピュエロスにつけながら、ネクタールを開ける。モーディスが来る前に体はもう十分に温まっていたので、もう一度体を湯に浸からせる気にはならなかったが、モーディスが使う入浴剤の香りはいつだって悪くない。
「それがどうした? そもそもアグライアが天外の存在は口外するなと頼んでいるのだから、あの口の軽い石くれどものお喋りは止めて当然だろう」
モーディスは向かいで、足首まで湯に浸けているファイノンの表情を慎重に見つめた。どこか拗ねた顔をしているファイノンに、果たして何が気に入らなかったのかと考える。もしナナシビトの二人がファイノンにあのあと会っていたとしても、この男の機嫌を損ねるようなことはなんとなく言わない気がするのだが。そう考えつつ、柘榴の粒を口の中に放り込む。
湯が流れ落ちてくる音が長い間響いていた。言葉を考えているのか、はたまた急にどうでもよくなったのか、黙っているファイノンから視線を外すと、グラスをタイルの上へ置き、髪を洗うか、と留め具に手をかける。
ばしゃばしゃと音を立てて近づいてきたファイノンに顔を顰めつつも動向を伺っていると、
「あの二人のうちどちらかが気に入ったのか?」
と、髪留めを外していた手首を捕まれる。青い瞳は真剣で、冗談で言われたわけではないようだった。
「……なにをわけのわからないことを言っている」
「君がクレムノス人以外を手助けするなんて滅多にないじゃないか」
そんなわけがあるか、と事実で反論したいのはやまやまだったが、これを言えばきっと十倍になって言葉が返ってくる予感がした。
モーディスは掴まれた手首を振りほどくと、「そろそろ友人の一人や二人作った方がいいといったのはお前だろう」と淡々と返した。ナナシビトの二人を友人だとは思っていなかったが、得難い戦力で、悪い奴らではないと感じていた。武力の足りていない現状で、彼らのような優秀な戦士が増えることは実に喜ばしい。
モーディスはキャストリスから創世の渦心の顛末を聞いていた。ファイノンがアグライアにあの二人を預からせてほしいと進言したのは、「救世主」としての自覚が出てきたのだろう、喜ばしい成長だ、と感じていた。
「……そんなにすぐ、あの二人と親密になるような出来事があったのか?」
ところが、と現実に戻り、モーディスは眼前のファイノンへ視線を送る。
「あったとして、別にお前にすべてをいう必要はないだろう」
眉を下したファイノンの情けない顔に、少しやりすぎたか、とは思った。面倒を避けようとしていたはずだったが、まるでこちらがなにか悪いことをしたかのような物言いをしてくるファイノンに腹が立ったのだ。
「へえ、僕には言えないようなことなのか」
「……………………………………はぁ」
わかりやすく不機嫌になったファイノンに、モーディスは反対にすべてがばかばかしくなった。
この男を苛立たせ続けるのは簡単だったが、後でケアしてやる手間を考えると、ここらで切り上げるのが得策だろう。
「あの二人を気にかけているのはお前のほうだろう? だから、知らぬ間にアグライアに処理されぬよう、手を貸してやっただけだ」
「あいたっ」
モーディスは皺のよったファイノンの眉間を小突き、柘榴を三本の指ですくって口の中へ放り込む。
「……それって、僕が気にしていたから、彼らの面倒を見てくれたってことでいいのか?」
「二度も言わせるな。お前はあの二人の戦力や人柄を認めているが、アグライアは冷酷な主人で、同情の余地は少ない。あの女の許容を超えた人間は、いくらお前が目をかけてやっていたとしても救う手段がないからな。俺はその可能性を少し潰しただけにすぎない」
実際はすべてアグライアの策のようだが、と考えながらグラスを手に取り、残っていたザクロジュースを呷る。
「納得したのであれば帰れ。そもそも俺がバルネアにいたのは、汗を流そうと思っていたからで――、ファイノン?」
突然しがみついてきた男に困惑しながら、モーディスはおい、離れろ、とファイノンの背を叩く。
しかしなにやら感動している様子のファイノンは「なんだ、そういうことか」と顔を上げてへらへら笑っている。
「ついでだから洗うのを手伝ってあげようか」
ご機嫌で湯から上がったファイノンは、部屋の隅に置いてあった体用のブラシと手桶、石鹸の一式を持って、モーディスのそばへ戻ってくる。
「いらん、帰れ」
「いいじゃないか、どうせ侍者にやらせるんだろう? なら僕がしたって変わらない」
「今日は自分でやるつもりだった。帰れ」
「まぁまぁ」
「……………………………………………………」
殴って追い出してもいいはずだ、とモーディスは目を閉じ、深呼吸をして数秒思案する。しかし、プライベートルトロから誰かを追い出すところを見られるのは、はっきり言ってかなり外聞が悪いだろう。できればファイノンには自主的に退出して欲しいのだが、と考えている間にも、ファイノンは勝手に頭の上から湯をかけてきて、本当に洗う気でいるらしい。
「……触りたいだけなら後にしろ」
「と言うと?」
モーディスは濡れた、と言うより濡らされた髪をかき上げ、「ここは音が漏れる」と口角を持ち上げて笑った。
「わかったのなら帰れ。また後でな」
ファイノンの唇を濡れた親指の腹で撫でると、目を見開いて硬直しているファイノンの胸を、手の甲で軽く叩いた。
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