ながひさありか
2025-03-09 12:13:47
3537文字
Public STR-Phaidei
 

ファイモス:生存者たちの避難所

肌に火花が散る、小さく。私の心臓は溶けて体の全てになる。君の為だけに生きることはできない、恋の為だけに息をして、すぐに消えてしまいそうな線香花火だった。それでも永遠にこの時間が続く。君が時間を止めるから。君が永遠にした一秒が私の一生になる。他の誰もが私たちの恋を儚いというだろう。
(最果タヒ)

 ——君のことが好きみたいなんだ

 夕食に誘ってきたファイノンが「話をしたい」と言うので帰りにそのまま部屋に上げ、侍者たちを帰らせた後のことだった。
 酒でも飲むか、とファイノンには酒を、自身はいつも通りザクロジュースをグラスに注ぐと、ファイノンが手許をじっと見つめていることに気がついた。
 なんだ、と言えば慌てたように「いやなんでもない」と答えつつ、どうにも落ち着かない様子でそわそわとしている。
 ファイノンはグラスの酒をぐっと呷ったかと思うと、
「君のことが好きみたいなんだ」
 そう、口にした。
……………………そうか」
「待った。天然なのか躱されているのかわからないからはっきり言うけど、今のは恋人になって欲しいという意味で、友達としてじゃない」
 ファイノンがはっきり言わなくとも、モーディスには彼がどう言うつもりで告白してきたのかはわかっていた。わからなかったふりで流そうとしたが、それは先行して潰されてしまう。
 ファイノンは期待と不安で眉を下げ、なんとも憐れがましい表情でモーディスを見つめている。
 この男はもしかして断られる想定をしていないのか? それとも、言いたいだけだろうか、と無言で考えていると、答えを待てなかったファイノンが「君は?」とモーディスの顔をじっと見つめる。
「俺にどうしてほしいと?」
 杯に口を付け、モーディスは片眉を跳ね上げながらファイノンを見た。告白してさて終わりというわけではないだろう。それであればわざわざ部屋までのこのこついては来なかっただろうし、と言いたいところだったが、もしかすると本当はモーディス自身もこの展開を望んでいたのかもしれない。
 就寝するにはまだ早いにも関わらず、部屋から侍者を全員下がらせてしまったのは、ファイノンは話を聞かれたくないだろうと判断したからだったが、もしかするとそれは理由の一割にも満たない可能性があった。
「どう……ってそれはつまり、君も『そう』だと思ってくれてるってことかい?」
 この返しは望んでいなかったが、真面目に考えてみることにする。好きか嫌いかで言えば別に嫌いではない。軽薄で覚悟の足りないところは未熟だと思っているが、黄金裔と謳われるだけの実力は備わっている。
 もちろん俺には勝らないが、とファイノンを見やれば、期待するように瞳を揺らしている。まあ、ふざけたことを抜かすな、と反射で拒絶が出てこなかったのが自分の答えだろうとモーディスにもわかっていた。
「お前が例え本気だとしても今夜一晩限りだ」
……何故?」
 ファイノンの眉間に皺が寄り、傷ついた顔をする。
 良心の呵責とでも言うべきか、はたまたそうではないのか、モーディスは一瞬怯みかけてしまう。
 この男にそんな顔をさせたいわけではなかったが、どうしようもなかった。わかりきっている未来を誤魔化すことは苦手だった。
「俺はできない約束はしない性質だ」
 モーディスはため息をつき、ファイノンへしっかりと向き直る。
「俺はクレムノスの王位継承者で、この身はもとより我が一族のものだ。……であれば、いつかは帰郷することになるだろう。例え今夜がそうではなくとも、いつかはお前の元を去る日が来ると言うことだ。期待を持たせるようなことは言えまい」
「それって……
 ファイノンが言葉を途切らせるのを聞き、どうやらこの男は理解したようだ、とモーディスは口許にうっすらと微笑みを浮かべる。
 椅子から腰を上げると、分厚いカーテンの下ろされた寝台へと向かう。
 カーテンを指先で少し広げて振り返ると、腰を下ろしたままのファイノンを見つめる。
「さて、どうする?」
 体だけでは嫌だ、とこんな時代と立場で面倒なことを言う男であれば、きっと部屋から追い出して、二度と世迷言を言うなと叱りつけただろう。
 ファイノンは腰を上げると、完全には納得のいっていない顔のまま、それでも招かれるまま寝台へと身を乗り上げた。

 

 結論から言うのであれば、ファイノンとの情交は一晩では終わらなかった。
 ファイノンは不定期にモーディスの元を訪れては君が好きだと口にしたし、モーディスは呆れたりため息をついたり、時には叱りつけたり、はたまた持て余した熱を解消するためにファイノンを受け入れた。
 結局モーディスがいつも折れてしまっていたのは、ファイノンはモーディスが受け入れるまで何時間も折れなかったから、と言うのもあったが、こんな風にいつでも自分につっかかってくる人間がもう、ファイノンしかいなかったからなのかもしれない。
 遠巻きの罵声も、これみよがしの悪意も、散々にオクヘイマで身近に浴びてきたけれど、己の立場を考えるとどうという反応を取ることも難しかった。何も感じていないふりをして、そうしていく内に全ては凪いで行くと思っていた。誰もモーディスの懐へは、不躾にも、丁寧にも入ってこない。ただひとり、ファイノンを除いては。
 ファイノンの情交はいつだって優しく執拗だった。本当にこの男に愛されているのだとわかって、時折苦しくなるほどに。
『君に死んでほしくないんだ』
 時折ファイノンから溢される言葉は居心地が悪かったが、その言葉の優しさを跳ね除けることはできなかった。
 不死身の男の死を本当に恐れる人間は、今はもう、この男しかいなかった。その恐れを、どうしても時折心地よく感じてしまう瞬間があった。
 他の誰しもと同じく、ファイノンのその感覚は麻痺すべきだった。しかし、モーディスが彼に数多の死を見せて、その度に終わりはないのだと言い聞かせても、彼の不安は解消されなかった。きっとそれは、暗黒の潮以外にも、どこかに弱点があると知っていたからかもしれない。
 今は確かに目覚めても、いつかは本当に喪われてしまう日が来ると知っているかのように。
 そう言う男だからきっと、モーディスは弱点を教える気にもなったのだろう。この男と心が通った瞬間がなかったとは、嘘でも言えなかった。
 今晩だけだ、とばかのひとつ覚えのように繰り返すモーディスに、ファイノンは今でも、律儀に傷ついた顔をする。例え嘘でも良いから永遠があると言ってくれと乞われていることはわかってはいたが、それでもやはり、嘘を口にすることはできなかった。


 出立の前日になっても、ファイノンはいつもと変わらず「君が好きだ」と口にした。いつもは彼の感情に付き合いはしなかったが、今夜は話が別だった。
 もうやめろ、とため息をついたモーディスに、ファイノンはいつものように折れない。しかし半神を継いだ今、モーディスの「感情」は以前より少しだけ動きが緩やかになっている。ファイノンの激情のすべてに付き合ってやるのは難しい。
 モーディスは傷ついた顔で好きだと今夜も繰り返す男の記憶を消すことができるのであれば、きっと、この男が自分を愛した記憶を消すだろうと考えた。自分はこれから先も抱えるつもりがあるくせに、彼には、ファイノンにはもう忘れて、救世のことだけを考えていて欲しかったから。
 これが最後だとわかっているからだろう。カーテンを開ける暇もなく、傷ついた顔で縋り付いてくる男に、モーディスは「もう何も言うな」と、はじめて、自分からファイノンの言葉を塞いだ。
 唇が開かれる。もう一度、叶わないことがわかりきっている望みを、それでも口にせずにはいられないと言う顔をしてファイノンが口にする。
 もうやめろ。首に両腕を回し、モーディスは角度を変えてファイノンの言葉を塞ぐ。感情が交差し、見えない傷口が広がるのを感じたが、すぐに凪いで行く。
 視線が交わり、言葉が発される前に舌を絡ませた。熱い呼気が頬に触れ、どちらともなく互いの服に手をかけた。
 ファイノンが時折感情に任せた言葉を呟けば、モーディスは何度でもファイノンの言葉を封じた。
 彼が何も言わなくなるまで。

   *

 クレムノスへの道をひとりで歩むのは晴れやかな気分だった。
 この胸の内に残った男の愛が、己の心臓を燃やす火種のひとつだとはっきり知っているからだろう。

 君も、死なないでくれ。
 ファイノンに言われた言葉が脳裏に甦り、笑う。
 最後の最後になって、まして、今や半神となったほぼ不死身の男にかける言葉ではない。

 玉座に腰を下ろし、さて、とモーディスは息を吐いた。
 一度も言ってやらなかったのは、最初に言った通り、いつか必ず別れが来ると、ファイノンにだってわかっているはずだと思っていたからだ。

 ——お前を愛している。
 だから一秒でも長く、ここで、お前世界を守ってやる。


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