ながひさありか
2025-03-02 18:49:47
3895文字
Public STR-Phaidei
 

ファイモス:先に食事をさせればよかった

現パロ

 旅行先で図書館に吸い込まれるモーディスを何度も見たせいだろう。遠出をしたいと考えている時は、無意識に図書館や本屋を探していることに気がついた。
 SNS映えする図書館の特集記事やブックカフェを見ては、モーディスを連れて行ったら喜ぶだろうかと考えている。この手の図書館ないし本屋は本当に本が好きではないからやってられる、なんて意見を見ることもあるが、モーディスは実際に本が読める場所なのであれば、その辺りは案外どうでもいいらしい。こうあるべきだ、という思い込みは結局その文化を滅ぼす悪しき考えで……、と珍しく饒舌に話すモーディスのまなざしに見惚れたので良く覚えている。
「帰りたい……
 まあ、しばらくは遠出は難しいのだが。
 デスクでぐったりしながら、現実逃避のために延々画面をスクロールして写真を見つつ呟くと、「仕事が終われば帰れます」と何時間もミシンを踏んでいるアグライアが、少し離れた場所から淡々という。
 アグライアは仕事さえしていれば意外と細かいことは言わないのでそこはいいところだが、地獄耳すぎる、と思いながらアプリを閉じ、布の山を見つめる。僕が帰れるのは彼女が仕上がりに満足するか、あるいは集中が途切れればという意味だ。
 同じ型紙から違う素材を組み合わせたドレスを何着も縫っている彼女の周りには、様々な色と材質の糸や布が積み上がっている。僕は彼女の指定した通りの素材の調達し、気に入らなかった組み合わせと合格したそれをメモしてまとめつつ、片付けをしながらその他の雑務……を朝から延々と対応していた。
 休憩を忘れがちの彼女を諌めるトリビー先輩が出張していると、わかりやすく僕の残業が増える。『ファイちゃん、ライアちゃんに少なくとも三時間に一回は休憩を取るようにって叱るの頑張ってね!』と昨日応援されたけれど、これも結構大変な「仕事」だ。
 仕事のメールを返信しつつモーディスに「今すぐ帰りたい」と泣き言を送ると、仕事は頑張れ。それはそれとして夕食はどうする、と返ってくる。ミシンが止まる音がし、アグライが僕を呼ぶ。帰ったら食べるよ、と慌てて返信をして彼女の元へ向かう。
 ため息が出た。早く今日の仕事を終えてもらって、一刻も早く家に帰りたい。
 もちろん僕だってこれがたった一日のことなら諦めもつくが、今月はほとんど毎日こんな状態だった。平日にモーディスとゆっくり話をする時間も取れないし、タイミングが悪くて休日も被らない。コレクションが近づくといつだってこんな状態になるが、そろそろ限界だった。
 モーディスだって、多分ちょっと怒っているはずだ。メッセージだってそっけないし、といつだって文章ではそっけない返事しか送ってこない事実から目を逸らしておく。

   *

 なんとか日付が変わる前に解放されて帰宅すると、先に眠っているはずのモーディスがキッチンに立っていた。 
「食事とシャワーはどちらが先だ?」
「シャワーを浴びてくる……けど、君、明日はオープンからだろう? それともシフトが変わったのか?」
 明日は土曜日だ。五時には起きなくちゃいけないはずのモーディスが起きていたことに、純粋に驚いてしまう。
「いやオープンからだ。ファイノン」
 来い、と手招きされて、エプロン姿のモーディスのそばへ素直に寄る。出来立ての味見かな、とパスタを茹でている痕跡の鍋とフライパンに視線を向け、違和感を覚えた。まだソースを作っている段階か?
……あ、そういう」
「何がだ?」
 モーディスに抱きしめられて、髪を撫でられていた。トマトソースのいい匂いがする、と考えていると、服越しの体温の心地よさにどっと疲労が押し寄せた。思いっきり体重を預けながら、モーディスの背中に腕を回す。
 同じ食事をしているはずなのに全然筋肉の質が違うモーディスは、重いの一言もなく、びくともせずに僕を抱きとめている。なんだかそれが少し悔しいような、頼もしいような不思議な感覚だった。
「疲れた……
「顔を見ればわかる」
「そうじゃなくてさ」
「『頑張ってるな』?」
「惜しい」
 ふむ、と考え始めてしまったモーディスの真面目な反応が可愛かった。だけど、実は別に答えはない。モーディスと話していたかっただけだからだ。
 寄りかかったまましばらく目を閉じていると、すん、とモーディスが鼻をすり寄せてくる気配があった。
「待った」
 慌ててかけていた体重を引くと、どうした? と首を傾げられる。
「汗くさいだろ……
「そうでもない」
 モーディスの表情はあまり変わらなかったが、その答えに多少は汗くさいってことだろ、と急に恥ずかしくなる。 彼は鼻がいいから、きっと我慢をしてくれていたんだろうが、気になってしまったに違いない。
「シャワー浴びてくる……
 帰宅前にせめて香水を付け直せばよかった、と思ったが既に遅い。逃げるようにモーディスの腕から抜け出した。

 出てくるタイミングを見計らっていたかのように、僕がリビングへ戻ってくるのとモーディスがパスタを皿に盛り付けるタイミングが一緒だった。出来立てが一番美味しいからそうしてくれたのだろう、とその心遣いに嬉しくなったが、それと同時に、寝る時間を削らせていることへの罪悪感が増した。
「食べ終わったら全部片付けておくから、流石に君は寝た方がいい」
 パスタに手をつける前に、鍋を洗っているモーディスを振り返って声をかけると、余計なことを言ったとばかりに眉を寄せられた。
「いいからさっさと食え。冷めるぞ」
「あ、はい」
 トマトとにんにくの美味しそうなにおいに、実のところさっきからお腹が鳴っていた。とけたモッツァレラチーズがいかにも美味しそうで、茄子と挽肉のソースにパスタをよく絡ませる。熱々のそれを一口食べて、うまい、と思わず声が漏れた。
 ふん、と後ろで満足そうに鼻を鳴らすのが聞こえた。シンクから聞こえていた水の音が止まったので、彼は結局洗い物を全て済ませてしまったらしい。
「先に寝る」
「うわっ!」
 洗い物をしていたモーディスの冷たい指先で首筋を撫でられて、思わず飛び上がってしまう。ちょっと、と振り返った先のモーディスがいたずらに成功した子どもの顔をしていたのは可愛かったが、二重に心臓に悪い。
「おやすみ。——じゃあな」
 さっ、と屈んできたモーディスが、キスして去っていってしまう。
 思わず手からフォークが落ちたが、しばらくそれを拾う余裕はなかった。

   *

 別ににおいが気になったわけではないのに、それはお前の早とちりだと言う前に逃げられてしまった。
 ファイノンがそそくさと消えていった方向をしばらく見つめてから、まあ後日誤解をとけばいいだろう、と途中だったパスタの調理に戻る。
 いつも通りであれば、ファイノンは十分ほどで出てくるはずだった。鍋を沸騰させ、塩を入れてからパスタを投入する。パスタソースを作るついでに明日のファイノンの朝食(昼食になるかもしれない、とモーディスは考えた)も作って、粗熱を飛ばしておく。
 茹で上がったパスタの煮汁を加えてソースを煮詰め、少し硬めに上げたパスタもフライパンのソースの中に混ぜる。概ね予想した通りの時間でファイノンが戻り、皿に盛り付けた。
 ファイノンの言う通り、仕事のことを考えれば早めに寝た方がいいというのは正しかったが、お互いに見るのは殆ど寝顔だけ、と言う日々がしばらく続いていた。一日程度睡眠時間が減ったところで仕事に大した影響はないが、ファイノンとのコミュニケーションの時間が極端に減るのは人生に堪える。
 別にファイノンが初恋の相手だと言うわけでも、長年の片想いの末の大恋愛というわけでもないのに、よほど人としてて好ましいのか、はたまた体も含めて相性がいいのか、この男を手放せば、きっと自分は二度と幸福に満たされることはないだろうとモーディスは感じていた。
 特に根拠はないのだが、どういうわけか、出会ってしばらくしてからずっとそんな感覚があった。
 おやすみのキスを「絶対に」して欲しいとばかみたいなことを言い出したのはファイノンだったくせに、先ほどのように不意打ちでしてやると、未だに恥ずかしがるのはよくわからない反応だった。悪い気はしない。
 言えば怒るだろうと口にしたことはないが、普段は人当たりのいい顔ばかり浮かべている男の、仮面が剥がれる瞬間が好きだった。特に眉を下げ、潤んだ青い瞳を揺らして自分を見つめる情けない顔が。
 情けないといいつつ、その顔で見つめられるとなんでも言うことを聞いてやりたくなるのも事実だった。だから、ファイノンが永遠に自分の顔の使い方を覚える日が来なければいいと思っている。

 ひとりでベッドに入るのは、正直なところもう飽きていた。
 ふと思いついてファイノンの枕と自分の枕を勝手に入れ替えてみる。ファイノンのにおいがそばにあり、まあこれでいいか、と一瞬は考えたが、高さと硬さが違ってこれは結局眠り心地が悪い。
 諦めて元に戻し、おとなしく目を閉じる。閉じてから、ドアの向こうでファイノンの生活音が小さく聞こえてくるのに耳をそばだてた。
……………………
 閉じていた瞼を開け、寝台を下りる。
 寝室のドアを開けてリビングへ戻り、え? と驚いた顔をしながら皿を片付けようとしていたファイノンの腕を引き、首筋に顔を埋めると、「お前ももう寝ろ」とわがままを口にした。
 ひとりで眠るのには、もう飽きている。


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