ながひさありか
2025-02-08 23:37:01
3919文字
Public STR-Phaidei
 

ファイモス:悲劇も喜劇もまだ早い

お芝居を見に行ったら隣の席がモーディスだった話。捏造を沢山しています。
アグライアはあわよくば解説させようと思って謀りました。

「ファイノン、歴史の成績が悪すぎたと師匠から聞きました」
 黄金裔専用のピュエロスを朝から一人で掃除していたファイノンに、アグライアが開口一番そう口にする。
 厳しい彼女に限ってないだろうとは思っていたが、もしかして手伝ってくれたりするのだろうかと一瞬期待したファイノンは、「ええと……」と口籠もる。
 ファイノンは歴史の授業とテストをトリビーに言い渡された時、できなかったからと言ってなにも罰はないだろうと思っていた。しかしあまりに酷い結果に、トリビー大先生は「ファイちゃん全然ちゃんと聞いてなかったでしょ!?」と憤慨し、ファイノンはこうして、一人で一週間の風呂掃除を命じられている。
 罰よりも何よりファイノンが解せないのは、同時期に受けたモーディスは難なくテストに合格し、「……本当にあの程度もわからなかったのか?」と真顔で言われたことだった。市民を守るのに歴史が必要だと思うか? と言い返しそうになったが、伝統と礼儀を重んじるモーディスには理解してもらえないだろう。それに、オクヘイマには様々な都市から避難してきた市民が集まっているのだから、歴史を理解することは、イコール信仰を理解することにも繋がる。ケファレを信仰していない市民の気持ちを慮るには、歴史の理解が重要な鍵となっている。——と、言うことに、ファイノンはテストが終わって、モーディスに呆れられてから気が付いたのだが。
「師匠とも話し合ったのですが、たまにはお芝居を見て理解を深めるのもいいと思います。明後日、明晰の刻の間に掃除を終えたら、劇場へ行ってください」
 アグライアは石板を取り出して操作すると、「チケットは今送っておきました」と口にし、「一針進むまでに掃除を終えてください。今日はその時間しかバニオを楽しむ暇がありません」と言い残してさっさと去っていく。
 ファイノンは質問を挟む暇もなく決められたスケジュールにぽかん、と口を開けながら石板を取り出し、確かにアグライアからチケットが送られてきていることを確認した。タイトルからして歴史物の古典らしい。
 正直に言えば全く興味はわかなかったし、演劇を見る時間で鍛錬をしたいと思ったが、サボれば今度はどんな罰が待っているかわからない。
 ため息をつきながら掃除を再開する。はっきり言って憂鬱だった。

   *

 アグライアにもらったチケットはどうやら貴賓席だったらしい。
 上の個室にご案内します、と言われ、ファイノンは案内係の背を追いながら、正直助かった、と胸を撫で下ろした。演劇を真面目に見るのは初めてのことで、作法もよくわからなかった。もちろん多少は調べたが、劇場自体大衆向けなので普段着でいいだとか、とにかく喋らなければいいだとか、その程度のマナーしか結局理解ができなかった。
 市民に混じっての観劇で無作法があれば、きっと後で有る事無い事書かれてしまうだろう。それが何よりも気が重いと考えていたが、どうやらその心配は不要なようだった。
 長い石階段を上ると、案内係が重いカーテンを引き、あちらのお席へどうぞ、と手で示す。迫り上がる円形の劇場の二階席にあたる貴賓席は、少しだけ劇場側に迫り出したテラスが作られており、舞台を斜め横から見下ろせる形になっていた。
 座り心地の良さそうな椅子が二つと小さなテーブルがあり、「お飲み物はいかがしますか」と案内係に問われる。特に考えずネクタールを頼むと、案内係はしばらくお待ちください、とカーテンを閉めて去っていく。足音が小さくなってから、ファイノンはようやく椅子へ腰を下ろす。
 さて、と少しテラスから顔を出してあたりを確認してみたところ、貴賓席はいくつかあるようだった。席はかなり離れている上に、ザグレウスの力でも使われているのか、靄がかかっているように席のある空間は曖昧で、どうにもはっきりと席を認識することができない。エーグルの神権でもあれば話は別だろうが、誰が座っているのか容易にわからないようになっているらしい。
 ファイノンが益々ほっとして胸を撫で下ろしていると、カーテンの向こうから、微かに甲冑の擦れ合う足音が聞こえてくる。案内係が甲冑を着ていた記憶もなく、あれ、と首を傾げる。何しろ、その足音になんだか聞き覚えがあるような気がしたからだ。
「モーディス様、本日はこちらのお席になります。お飲み物はいつものでよろしいでしょうか?」
 は? とファイノンが振り返るのと、構わない、とカーテンの向こうからモーディスが顔を出したのはほとんど同時だった。
 ぴた、と足を止め眉を寄せたモーディスと、なんで君がここに? とでも言いたそうに目を見開いてるファイノンが黙って見つめ合っている姿を案内係は交互に見、困惑の表情を浮かべる。
「アグライア様より本日はお二人をこちらへご案内するよう仰せつかっておりますが……
「え?」
 案内係は声を上げたファイノンを一瞥してから、おずおずと、モーディスの機嫌を伺うように「別のお席をご用意できそうか確認してまいりましょうか」と口にした。
 モーディスは「アグライア」の名前に片眉を跳ね上げたが、「問題ない」と溜息と共に吐き出し、小さなテーブルを挟んで置かれた椅子へ腰を下ろす。
 そそくさと案内係が去って行き、カーテンが閉まったのを確認してから、ファイノンはようやく口を開く。
「どうして君がここに?」
「それは俺の台詞だ。救世主はどうやら演劇に興味がないらしいと聞いていたが、気が変わったのか?」
 誰がどこでそんな噂話をしてるんだよ、と感じたが、とりあえずその疑問は脇へ置いておく。
 ファイノンが「ええと、アグライアに芝居を見たほうがいいとチケットを渡されて……」と歯に物の挟まったような歯切れの悪い声で言うと、モーディスは数秒考えるような顔をしてから、「そう言うことか」と口にする。
「今回の演目は建国神話を基にしている。歴史を学ぶにはちょうど良いとアグライアが判断したのはわかるが、お前と俺を同じ席にしたのは理解に苦しむな」
 モーディスは肘置きに片肘を付きながら、不服そうに舞台上に視線を送った。
「解説が必要ならしてやれないことはないが」
 そう続けたモーディスに、そういえば先ほど、案内係が「お飲み物はいつものでよろしいでしょうか?」と尋ねていたことを思い出した。
「もしかして君は演劇をよく観に来るのか?」
「時々だ。よくと言うほどではない」
 オクヘイマに来てから一度も自主的に演劇を見に来なかったらファイノンからすれば、モーディスの「時々」は、きっとファイノンの感覚では「よく観にくる」に該当するだろう。少なくとも案内係が飲み物の種類を尋ねない程度にはきているはずだった。
「粗暴なクレムノス人が芝居を見るのがそんなに物珍しいか?」
 案内係が飲み物を運んで来るのに構わず、モーディスがファイノンへ尋ねる。ファイノンは「そうじゃないよ」と首を振る。
「まぁ、正直に言えば君が劇場に足を運ぶ習慣があるのは意外だったけど、芸術に関心があること自体はそれほど驚きはしないかな。トリビー先生にも少しは君を見習えと言われたしね」
 ファイノンのこの答えはモーディスの気に召したのか、モーディスは微かに眦を下げて、そうか、と杯を持ち上げる。
「そういえばちょっと聞きたいことがあるんだけど——
 ファイノンがネクタールの注がれた杯を持ち上げながらモーディスに声をかけたその時、劇場内にアナウンスが響き渡る。
『市民の皆様、開演に先立ちましてご案内いたします。只今より休憩時間を除いて、客先では全ての石板が強制シャットダウンされます。観劇中に石板をご確認する必要がある場合は、一度ロビーまでご退出ください。繰り返します。只今より——
 聞き慣れないアナウンスにファイノンが石板を取り出すと、確かに、案内のあった通り強制的にシャットダウンがかかっているようだった。
 画面が消える直前、アグライアとトリビーの二人からメッセージが入っていることに気がつき、なんとなく嫌な予感がする。永遠に見ないふりをできないだろうか、とファイノンが憂鬱さに眉を下げていると、どうした? とモーディスが何故かすべてを見越したかのような顔で、薄く笑っている。
「いや……ちょっとまだわからないけど、もしかしたら後で君の力を借りることになるかもしれない」
「殊勝な心がけだが、芝居を真面目に見ていれば問題ないだろう」
……言いづらいんだけど」
 劇場内の灯りが段々と消えて行くのにあわせて、ファイノンは声のボリュームを絞って行く。
 ファイノンはモーディスの方へ身を乗り出し、囁き声で告白した。
「昔一度だけ芝居を見に行ったんだけど、楽しめなくて眠ってしまって……
……………解説より手をつねる係が必要なようだな。お望みとあらばサービスしてやるが」
「そんなサービスはいらないけど、解説してもらったら少しは眠くならないかもしれない」
 モーディスは頬杖をつきながら呆れたように小さくため息をついたが、「まあいいだろう」と頷き、「初めて聞く子ども相手だとして話すから、丁寧すぎると感じても黙っていろ」と音楽の流れ始めた舞台に視線をじっと向けたまま、口を開く。
 もしかして内容を覚えてるのか? と目をぱちぱちさせるファイノンに、「古典とは何か、から解説が必要か?」とモーディスがジト目でファイノンを見やる。
 多分、そこから説明もらったほうが良かったかもしれない、と思いつつも、ファイノンは笑って誤魔化すことにした。


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