爪の手入れが悪い、とまさかそんなことをモーディスから言われるとは思わず面食らう。もしかして痛かったかい? とどう言う顔をすればいいのかわからずとりあえず笑って誤魔化したファイノンに、モーディスは視線を逸らしながら「そう言う話をしたい訳ではない」と口にした。
いや、その話だろ、と思いながら、そっぽを向いているモーディスの機嫌をどう取るか悩んでいると、「そこに座れ」とピュエロスから上がったモーディスがリクライニングチェアを指差さす。
「まだ浸かっていたいんだが……」
「終わったらまた入ればいいだろうが」
「痛って言うか締まる!」
チョーカーに指を引っ掛けて引き摺ろうとするモーディスに、ファイノンは慌てて湯から起き上がり、指定された椅子へ腰を下ろした。濡れた体で座るなって言われてるはずなのに、と思いながらぼんやりしていると、モーディスは小さなテーブルをそばまで引きずり、清潔なタオルとやすり、オイルの入った瓶、それから小さな鋏を持ってくる。
「……まさかと思って聞くけど」
「ここまでする必要はないと言いたいのだろうが、もう少し削っておけ」
貸せ、と右手を持っていくモーディスに呆気に取られていると、小さな鋏で爪を少しだけ切って行く。お湯に浸かって柔らかくなっている爪が、音を立てずにテーブルに落ちるのが見えた。
モーディスは五本の爪の長さを直接触れて確かめると、鋏を置き、やすりを手に取る。
「侍者にやらせているんだと思ってた」
「そういう時期もあったが、最近はそうでもない」
淡々と答えながら爪の角を丁寧に削っているモーディスの顔は案外真剣で、「もしかしてものすごく痛かったのか?」とファイノンは不安になった。モーディスの肌に爪痕はなかったし、別に血が出た訳でもなかったような、と考えながらされるがままになっていると、先端の丸みを確かめるように、モーディスが指の腹で爪先を撫でてくる。
不死性のせいなのか、モーディスの手はファイノンと違って剣だこもなく、大きくて厚みはあるものの、意外と滑らかな手触りをしている。戦闘スタイルの割に手が綺麗だと言うのはそこそこ違和感があったが、だから、彼は普段手を隠しているのかもしれない、なんて余計なことを思う。
爪に触れては少し削り、タオルで拭くのを繰り返していたモーディスがようやく満足そうに頷き、「左手」と言いながら、ファイノンの左手を同じようにテーブルの上に乗せる。
今度も右手と同じように鋏で長さを揃えられ、やすりで角を削られる。
爪にこんなに気を遣ったことはないな、と半ば感心しながらモーディスの「作業」を眺めていると、よし、とやすりが置かれる。
それでおしまいかと思いきや、両手を出せ、と下ろしていた右手を取られ、手のひらを上にして卓上に両手を置かれる。
モーディスはオイルの入った瓶を開け、細い口から、爪の間にオイルを垂らして行く。
「本当にこんなことを君はしているのか?」
「三日に一度程度だ」
そんなに? と片眉を跳ね上げたファイノンに、モーディスも嫌そうに眉を寄せた。
「アグライアに以前、身だしなみを注意されただろう」
「……服だけだよ」
ファイノンはハートヌスが突然炉に服を入れてしまったことを思い出し、複雑な気分になった。あのシャツとボトムの何がダメだったのだろう? 結構気に入ってたのに、と不満を顔に浮かべると、モーディスが何か言いたそうに口を開いてから、いやいいか、とでも言うように首を振る。
「服はまあ、論外だったが、髪の手入れも悪いと理髪店に押し込まれただろう」
「論外!?」
心外だ、と驚いて声を上げるファイノンを無視して、モーディスはオイルを垂らしたファイノンの指先を丁寧に揉んでいる。湯で柔らかくなっていた手に花の香りのするオイルが染み込み、爪の表面がつやつやと光っている。
「ついでだ、少しマッサージをしてやる」
「え、」
オイルを手のひらに垂らしたモーディスは両手でファイノンの手を掴むと、親指でぐっ、ぐっ、と手のひらのツボを押し、指を少し引っ張ったりしてから、肘の方までオイルで濡れた手でさする。凝ってるな、とモーディスがファイノンの腕を揉みながら呟くが、ファイノンはいつもと変わらない表情でマッサージを続けるモーディスを凝視し、固まっていた。
結構うまいけど、それ、他の誰かにもやってるのか?
舌の先まで登った疑問をどうにか口の中に留めたまま、ファイノンはもう片方の手も同じように大人しく揉まれておく。
モーディスの温かな手が肌に触れて、凝った筋肉をほぐしてくれるのが気持ちよかった。
「こんなものか」
満足そうに呟いたモーディスの手と自分の手から、当たり前に、同じ花の匂いがしている。ファイノンは緊張したように深呼吸をすると、向かいの席に身を乗り出し、モーディスの唇に触れようとして、殆ど噛みつくようにぶつかる。
「……おい」
前歯が当たって、お互いに痛みに呻いた。モーディスは「盛るな」と怒りながらファイノンの顔を押しのけると、爪のかけらをタオルで集め、ゴミ箱へ捨てる。
その背を負い、手を伸ばして抱き寄せながら、モーディスの腹筋を撫でるように手のひらを這わる。綺麗に割れた筋肉の窪みを指でなぞり、耳に唇を寄せる。
「……盛るなと言ったはずだが?」
「あんな触り方しておいて、今更それはないんじゃないか?」
「ただのマッサージで盛——、」
面倒くさそうにファイノンの手を剥がそうとしていたモーディスの動きが、ぴたりと止まる。
ファイノンはモーディスの腰に先ほどのオイルを勝手に垂らし、腰から尻を撫でて、すでに肌の上に広げていた。
「おい……」
「もう痛くないだろうし、もう一回しようよ」
呆れたようなため息が落ちたが、モーディスは抵抗をしない。
了承と捉えて、ファイノンは顔を覗き込むようにモーディスの顎を掴んで口付けた。
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