何もしなくていいから朝まで居てくれないか、と瞳を揺らし、情けない顔で引き留めたファイノンの頼みを無下にすることが何故かできなかった。モーディスはたっぷり三十秒は答えを保留してから、座り心地のあまり良くないリクライニングチェアへ腰を下ろし、もう一度立ち上がる。ベッドのはじの方へ押しやられていたクッションをいくつか掴むと、チェアの上に置き、位置を調整してもう一度腰を下ろす。
剣の手入れをしているファイノンの背中を見つめながら、モーディスはさてどうやって朝まで時間を潰したものか、はたまたこのまま寝てしまおうかと思案した。眠るにはまだ少し早いか、と石板を確認し、伝言が入っていることに気がつく。先日、宣伝してくれと言われた店から丁寧なお礼と、いつでもハニーケーキを食べにきてくださいと回数期限なしのチケットが送られてきていた。
モーディスは剣の手入れを終え、装備の確認をしているファイノンの背を見つめながら、明日、あいつに予定がなければ食べに行くか声をかけるだけかけるか、と決める。特段甘味が好きな様子はないが、嫌いではないだろう。
さて、と装備を整えて終えた様子のファイノンをじっと見つめていると、何か言いたそうに振り返った。視線がうるさいと言われれば、用もない俺を引き留めたのはお前だろう、と笑ってやるつもりだったが、モーディスの予想は外れた。
眉を下げ、捨てられた犬のような顔をしたファイノンは「おやすみ」と小さく口にして、テラスのカーテンを閉めに行く。そのまま、部屋の奥の暗がりに置かれたベッドへ行ってしまった。
静かだった。モーディスは遠くから聞こえてくる水音に暫く耳を傾け、三十分もそうしてから、静かに立ち上がる。このまま部屋を出て行ってもきっとファイノンは何も言わないだろう、と思いながら、客人を放置して勝手に眠りにつこうとしている男のベッドへ向かう。
「おい」
わざわざこちらに背を向けて眠っている男に声をかけるが、狸寝入りをしているファイノンは振り向かない。本格的に帰ってやろうかと一瞬考えたが、結局モーディスはそうしなかった。
ファイノンの髪をそっとかき分けるようにして耳に触れ、うなじをくすぐる。びくっ、とファイノンが弾かれたように起き上がり、モーディスを振り返った。困惑した表情にそんな顔をしたいのは俺の方だ、と思いながら、「さて」とモーディスは口を開く。
「本当に何もしなくていいのか?」
ファイノンの頬に手を伸ばし、モーディスは頬骨の下を親指でゆっくりなぞった。もし「子ども」を慰めるのであれば髪を撫でてやるか、ただ抱きしめてやっただろう。そうしてやらなかったのは、自分もファイノンも、もう、とっくにそんな歳ではなかったからだった。
「……逆に何をしてくれるんだ?」
恐る恐る、けれど期待するように、縋るように、ファイノンが口を開く。水色の瞳に微かに熱が灯り、モーディスの撫でている手の上から手を重ね、手のひらに唇を押し付けるように擦り寄せた。
「それは、お前の望みを聞いてみないことにはな」
眦を微かに緩め、モーディスは静かな声で口にする。
この身ひとつでこの男の空虚を一時でも埋められるのならば、夜を共にするのも悪くはない選択だった。
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