ながひさありか
2025-01-30 21:09:37
6255文字
Public STR-Phaidei
 

ファイモス:祈りぐせのあった頃

出会った当初の妄想。捏造がたくさんあります。

 君は死なないんじゃなかったのか。
 二百段はありそうなあまりに長い、ところどころ崩れ落ちそうになっていた石階段を上り切ったその先で、床に倒れているモーディスをようやく見つけた。声をかけようとして、ファイノンの膝が崩れ落ちる。
 血溜まりに沈んだモーディスの体躯は震えすらなく、手足はめちゃくちゃな方向に曲がっていて、胸は上下していない。心臓があったはずの場所はぽっかりと空洞が広がり、石畳が見えていた。
 あたりは瓦礫が散乱し、柱や壁に大穴が空いている。戦闘の激しさを物語る痕跡を茫然と見回してから、ファイノンは足を引き摺るようにして、震えながら倒れ伏した友人の元へ向かう。
「モーディス……、」
 目を見開いたまま倒れている彼の傍に敵はいない。つまり彼は、眷属に勝った後に事切れたのだろう。いや、そもそも、とファイノンは激しく脈打つ己の左胸を押さえながら息を吸う。
 君は死なないんじゃなかったのか。
 呪われた王位継承者。タナトスにすら嫌われた亡国の王子。
 だから、自分と同じくらい強いのだとずっと思っていた。
 だから、無理をして、いつだって真っ直ぐに前を見据え、背中を見せてくれるのだと思っていた。
 それなのに彼は今こうして、まるで凡人のように血溜まりに沈んでいる。死んでいる。
 ファイノンは震える手を伸ばし、モーディスの胸に指先を置いた。まだ温かい体だったが、彼の金の瞳は濁って光を失っている。どう言うことだ? 混乱する頭で考えた。
 彼は不死身だと聞いていた。それを否定されたことはない。弱点はあると言っていた。それも知っている。ただそれはこんな、人間であれば誰しも死ぬだろう、と言う怪我ではないはずだった。
「っ、…………ぐ、」
「モーディス?」
 ごきん、と骨の折れるような、はまるような音がし、モーディスが瞬いた。睫毛が揺れ、瞳に炎が戻る。
 辺りの血が彼の体に吸い寄せられるように蠢き、胸の大穴から体内へ戻って行くのが見えた。ファイノンが瞬きをする間にみるみる穴が塞がりはじめ、そうして、モーディスが上半身を起き上がらせる。
 疲れたように盛大にため息をついた男とファイノンの視線が合う。その瞬間、嫌そうに、盛大に顔を顰められた。
「おい、間抜けな顔をするな」
「モーディス……?」
 ファイノンは震える手で肩に触れ、先ほどと違い、彼の肌が随分と熱いことに気がついた。手のひらの下で生命が鼓動しているのを感じ、はっ、と詰まらせていた息をようやく吐く。
「てっきり、君が死んだのかと……
 肩をぐっと掴んだまま、ファイノンは思わず俯く。鼻の奥がツンと痛んで、目の奥が熱くなっていた。震えを隠せず俯いていると、「不死身だと言っただろう」とモーディスが淡々とした声で言う。
 ファイノンの手を払うと、モーディスは何事もなかったかのように立ち上がり、「状況は?」と言いながら、腕を回し、片足ずつ膝を折って、体の動きを確かめる。首を傾げるようにしてコキっと鳴らすと、それですっかり元通りになったのか、しゃがみ込んだままのファイノンに「おい」ともう一度、普段と何も変わらない調子で声をかけた。
「何をそんなに引きずっている。気にするな、もう終わったことだ。お前がここにいると言うことは勝ったのだろう? さっさと戻るぞ」
 モーディスは座り込んだままのファイノンの脇の下に片腕を入れて無理やり立ち上がらせると、背中を叩いた。しっかりしろ、と眉を寄せるモーディスに、うん、と曖昧な返事を返したファイノンの表情は尚も暗かった。
……何をそんなに考え込んでいる。俺が死んだ間抜けさを責めているのか?」
 ふん、と鼻を鳴らすモーディスの言葉に、ファイノンは顔を上げ、モーディスをキッと睨みつける。
「そんなこと冗談でも言うな」
…………………
「僕はさっき君が死んでいた時、本当に心臓が凍りついたのかと思うほど苦しかった。今でも苦しいよ」
 ファイノンは自分の胸許をぐっと掴み、眉を寄せて、泣きそうな表情でモーディスを見つめた。その瞳から涙は溢れていなかったが、まだ決壊していないだけで、きっかけさえあれば零れてしまいそうだった。
 モーディスは困惑した表情で、黙ってファイノンの顔を見つめ返す。
「僕が間に合わなかったから、僕がもっと強ければ、君はこうはならなかったんじゃないかと自分を責めていた。君が僕と同じくらい強いのはよくわかっているし知っていた。君は死なないんだから、僕が加勢する必要なんてないのかもしれないと今の今まで思っていた。それなのに……
 言葉を詰まらせたファイノンは服をさらに強く掴み、眉を寄せる。その表情の深刻さに、モーディスは言葉の選択を誤ったことを理解した。
 まさか、救世主として選ばれた人間が、これほどまでに凡人のような感性を持ち合わせているとは思わなかったのだ。モーディスは英雄として、黄金裔として生きるよりも先に、クレムノスの王位継承者として生を受けた人間だ。生まれる前から生き方は決まっていて、預言があろうとなかろうと、人々の王であれと望まれて生を受けた。そう言う人生を強いられている。そこに疑問はすでにない。
 選択肢のない人生にはとうに諦めがついていた。何故ならば、自分には人々の上に立つ力があり、亡き母親が寄越した師であり育ての親である家臣も、王であれと望んでいる。自分の周りの人間は全員が全員、未来の王であれと赤子の頃から期待を寄せてくれていたのだ。
 果たして王座は失われたものの、未だに慕ってくれる皆の期待には応えてやりたいと思うし、導いてやらなければ足元を見失ってしまう民が大勢いることも知っている。世界が滅びへと向かっている今、人々の希望は黄金裔とその言い伝えだけなのだから。
 ——少なくとも、モーディス自身はそう思っている。金糸のラプティスの声に集った英雄の数は、この世が滅ぼうとしているにしてはあまりに少なかった。
 無欠の英雄、救世主たる男。いつか英雄を束ねて神を殺し世界を新生させる役目を担った男が、まさか、上に立ち人々を導く覚悟の決まっていない、まるでただ強いだけの戦士だとは考えもしなかった。
……前もって説明をしなかったのは悪かった。俺は不死の身ではあるが、瞬間的に死ぬ。先ほどのように復活に数秒かかることもあれば、瞬きの間に生き返ることもある。いずれにせよ、本当の死を得ることはない。お前が遅かったことと俺の死に関係はない。俺がしくじった。ただそれだけのことだ。何も気にする必要はない」
 モーディスは複雑そうにため息をつくと、気まずそうな顔で「おい」ともう一度ため息をつく。
「負けてもいないのに何故そんな顔をする?」
 くしゃくしゃに顔を歪めたファイノンを呆れたように見つめ返しながら、モーディスはなんとも言えない居心地の悪さを感じていた。遠い昔、子どもの頃は死ぬたびに家臣達が慌てたり泣いたりする姿を見てきたが、もう何年もそんな場面には遭遇していなかった。
 皆、モーディスが死んで、再び生き返ることに慣れてしまったのだ。そういう体なのだから、だんだんと感覚が麻痺してしまうことに違和感はないし、モーディスとしても復活するのだから、過剰に心配されるのは心苦しく、最早死んだことすら触れられない方が有難いし、当たり前だと思っていた。
……君の言っていることはわかるけど、理解したくない。生き返るって言っても死んでるんだろう? 本当にそこにリスクはないのか? そんなぼろぼろになって……
 ファイノンはモーディスの砕けた甲冑を見下ろし、指先のガードが三本吹き飛んでいる手を恐る恐る持ち上げた。痛ましそうに眉を寄せ、数分前に思い出したくもない方向に曲がっていた指をそっと撫でる。
「やめろ」
 モーディスは弾かれたように手を引き、両腕を組んだ。モーディスの表情に不快感は浮かんでいなかったが、彼がどう思っているのかファイノンにはわからなかった。金色の瞳はすでに、普段の凛々しさを取り戻している。
「何度死のうと身体に問題はない。……ただ、お前と今、ここで論争をする気力はない。話したいのなら戻ってからにしろ」
……………………………わかった」
 モーディスが最後についたため息は、本当に疲れていた。その姿に、ファイノンは顔色を曇らせながらも、どこか少しだけ安堵していた。

   *

 気力はない、と言う言葉は本当に本心だったらしい。
 ファイノンがそれを理解したのは、アグライアとトリビーに戦況を説明し、部屋への帰還を許された後、「本当に話がしたいのなら部屋に来い」とモーディスに言われ、彼の後ろをついて部屋に行った少し後のことだった。
 深いため息をついたモーディスはファイノンに「適当に座れ」と一言口にし、壊れた甲冑を外しては乱雑に床に放り出し、冷えたザクロジュースを何杯も呷った。
 彼が不在の間、彼の侍者たちによって整えられた部屋は清潔で、棚やテーブルには果物や軽食、酒や冷えた果実水、ザクロジュースが置かれていた。帰還を見計らって準備されたのであろう少し熱めのピュエロスからはいい香りが漂っている。壁に設置された小さな獅子の頭からピュエロスに向かって絶えず湯が零れ落ちており、ファイノンは自室にそんなものはなかったな、とぼんやり考えていた。きっと彼を慕う建築士が付け足したものだろう。
「入りたければ入れ」
「え?」
「お前も汚れているだろう。汗と血を流した方がいい。着替えはそこにあるものを使え」
 モーディスはジュースを飲み干した杯をその辺に置くと、石板を操作し、誰かになにか連絡をしているようだった。それが済むと、ふらふらした足取りでリクライニングチェアへ向かい、どかりと腰を下ろす。
 ぐったりと背を預け、深いため息をついて瞼を下ろした。
……君は?」
「見ての通りだ、洗う気力もない。だからお前が先に使え」
 はぁ、と重苦しく胸を上下させるモーディスの顔と体は血や泥で汚れていた。よくよくみれば髪も血で染まり、ところどころ赤茶色に煤けているし、三つ編みを束ねていた装飾品はどこかへ消えていた。
 さっきまで普通に歩いていたじゃないか、とファイノンは困惑しながらモーディスを見下ろし、「もしかして、いつもこうなのか」とそばにあった椅子へ腰を下ろして尋ねた。
 一刻も早く汚れた服を脱いで体を清めたい気持ちはあったが、部屋の主人よりも先に風呂に入るのは気が引けた。
「死んだ回数によるな。今夜は少し——
 瞼をゆっくりと開けたモーディスの顔を、オクヘイマの柔らかな陽が照らす。疲弊した虚ろな瞳と、血で汚れた肌にファイノンの心臓が揺れる。神のようだとずっと感じてきた男も、自分と同じように、ただの人間だったのだとはじめて感じた。
「死にすぎた。二針進むまでに目覚めなければ声をかけろ」
 カーテンと観葉植物と家具の影がモーディスの肌に差し、モーディスが眩しそうに、眉を寄せて瞼を下ろした。胸がゆっくりと上下し、手から力が抜ける。
 ファイノンは椅子から立ち上がり、部屋のカーテンを半分ほど閉めた。モーディスの顔が日陰に隠れ、小さく寝息が聞こえてくる。
 殆ど気絶したように眠っているモーディスの顔をしばらく見つめ、ファイノンは手袋を外すと、棚から清潔なタオルを手に取った。
 暖かなピュエロスにタオルを浸して硬く絞ると、椅子に戻り、モーディスの汚れた顔を拭う。目が合うだろうか、と吐血の跡の残る唇を擦りながら考えたが、安心し切っているのか、モーディスが目を覚ますことはなかった。
……………………
 ファイノンは眠っているモーディスをしばらく黙って眺めた後、彼に言われた通り、ピュエロスを借りることにした。
 血と汗を流し、清潔なバスローブを羽織ると、ようやく生きた心地がした。汚れた湯はファジェイナの加護が強くかかっているのか、はたまた他の祈言が効いているのか、瞬く間に流されて行き、いつのまにか清潔な湯に戻っていた。
 二針進むまでに起こせと言っていたな、と思いながら椅子へ腰を下ろし、時刻を確認する。まだ針は一つ進んだばかりのようだった。
 果たして、彼は少し休んだだけで回復するのだろうか。疑問に思いながら、寝苦しそうに眠っているモーディスを眺める。腹の上に乗っている右手が汚れていることに気づき、ファイノンは先ほど濡らしたタオルをもう一度湯に浸し、モーディスの手を丁寧に拭った。
……おい、何をしている」
 掠れた声がかかり、タオルを握っている手が掴まれた。
 ファイノンは手を掴まれたまま顔を上げ、「拭いてるだけだろ」と微笑みかけた。モーディスが呆れた顔をしながら、「後でまとめて洗うから放っておけ」と呟くのに、まあまあ、と適当なことを答え、「後で湯浴みを手伝おうか?」と続けた。
……したければ好きにしろ」
 手を振り解く気力もないのか、モーディスはタオルを掴んでいた手から力を抜き、もう一度瞼を下ろす。
 それ本気で言ってる? とファイノンは少しだけぎょっとしたが、そういえば、彼は王子だからそもそも奉仕されるのには慣れているのか、と考え直した。
 勘違いしてしまいそうになった、と一瞬考えて、一体何を? と自問する。わからなかったが、モーディスが自分を、少しだけ内側に入れてくれたような感覚がした。
「君が死ぬのを見てショックを受けた」
……後で聞いてやる」
「いや聞かなくていい。勝手に喋りたいから喋ってるだけで、君に対しての文句とかじゃない。ただショックで悲しかったし、自分が情けなくて苦しかった。君は……なんて言うのかな、絶対に倒れたりしないんだろうと思ってたから」
………………………失望したか?」
 ふ、とモーディスが笑い、片目を開く。ファイノンはハッとしながら、聞かなくていいと言ったことを後悔した。疲れている人を喋らせたかったわけではないのでそう言ったつもりだったが、黙って聞いているのは居心地の悪いことだろう。
 モーディスはこう見えて案外誠実で優しい人間なんじゃないか、とファイノンは思っていたのだが、どうやら本当にそうだったらしい。
「いや違うよ、そうじゃない。僕は自分が本当に救世主に相応しいのか悩んでいるというのかな、そうありたいと思ってオクヘイマに来たけれど、君の方が相応しいと感じてしまうことが多かったから。そりゃ、勿論僕の方が君より技術は上で、強いと思ってるけどね」
「またその話か。……ファイノン、お前は既に選ばれた人間だ。背負うつもりがあるのならば、さっさと覚悟を決めて受け入れろ。お前は無欠の英雄で、俺と……ふん、同程度の力は備わっている。それを信じることだな」
………………………
「お喋りはもういいな。本当に休ませてくれ……
「ごめん、もう黙るよ、黙る。……君が生きててよかった。本当に言いたかったのはこれだけだから、あとは全部忘れてくれ」
 ファイノンはモーディスの手を両手で握りしめ、祈るように額に近づけた。
 モーディスはその姿を数秒見つめながら、死なない男によくもそこまで悲しめるものだ、と感心して目を閉じる。
 この男をもう少し慰めてやる必要があると感じていたが、今は指先一つも動かすのが億劫だった。


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