前回→
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ようやく仕事に復帰したものの、一ヶ月は午前だけの勤務と丹鼎司から厳命されていた。
午後になると玉兆に入っていた業務連絡もぱたりと通知が止まってしまい、アカウントには「緊急連絡は飛霄将軍を通すように」と表示されていると読み上げが作動する。午後、誰かがメッセージや通話を送るには「承認のフローを先に通せ」、と暗に書かれた別窓が開くことを、椒丘は今日はじめて知った。過保護だ、と思ったが、まあ一月くらいはのんびりしてもいいだろう。
昼休み開始時間きっかりに現れたモゼに連れられて退勤し、中央内の食堂ではなく軽食屋へ向かう。午前中、散々声をかけられたので、食堂へ行く気にはならなかった。
「言いづらいんだが」
火鍋(辛いものはまだだめだとモゼが譲らなかったので、残念ながら辛味の一番薄いものだった)、を食べている途中で、モゼが本当に言いづらそうに口を開いた。
「どうしました?」
もしかして零して汚したりしているだろうか、と箸を置き袖や襟口に触れてみるが、特に濡れている様子はない。はて、と首を傾げた椒丘に、
「今日からしばらく、髪と尻尾のケアは俺がしてもいいか」
と、モゼが口にした。
「
………………………………………」
椒丘は無言で後頭部に手をやり、三つ編みや簪のささった部分に触れた。寝ぼけていてもセットは問題なくできるほど長年同じスタイルのはずだったし、触った限りほつれているようにも思えない。
そのまま、尻尾にも触れてみる。手触りは少し変わったような気がしていたが、ボサボサになっているわけでもなく、服を着る際に収まらないだとか、そんな事態にもなっていない。
鎖骨のヒビや胸許の傷が消えるまではうまく腕が上がらなかったので、モゼに洗髪はしてもらっていたし、今でも時々乾かすところまではやってもらっている。それがケアでないなら、なんだと言うのだろう。
などとぐるぐると考えてみたが、モゼが真に言わんとしていることはわからなかった。素直に、問い返すことにする。
「そんなに見窄らしいですか?」
「
…………見窄らしくはない。以前と比べたら、少し気にはなる」
モゼの慎重な物言いに、椒丘は逆に横面を張り倒されたかのような衝撃を受けた。
まさかモゼが他人の美醜について口を出すなんて。いや、綺麗好きな子だから、もしかするとわざわざ言ってこなかっただけで、かなり気になるタイプだったのかもしれない。
「気を悪くしたなら謝る」
「ああいえ
……、こう言うのは身内にしか言えないことかと
……」
椒丘なりに、人並みに気を遣っているつもりだったのだが、目が不自由になってからは確かに、自分の外見を正確にはかるのは難しい。今日の今日までわざわざモゼや飛霄に「どうですか?」と尋ねることをしなかったのは、手触りから特に問題はなさそうだと判断していたからだった。
——そう言うわけで、毎夜毎朝、モゼに髪と尻尾の手入れを念入りにされている。髪を乾かされ櫛を通されるなんて、子どもの時分にもあまり記憶がないことだったが、翌朝の手触りの違いには驚いた。
何を使っているのかと聞けば、「お前が使ってたものをそのまま使ってるだけだ」と口にするけれど、少しだけ香りが違うので、どう考えても何かを足されていた。モゼの嘘が自分を傷つけまいとしているのか、それとも余計なおせっかいをしていると感じて黙っているのかはわからない。
朝は椒丘が寝ぼけている間に服を着替えさせ、半分眠っている間に櫛を通し、香油も付けて、完璧に髪を結ってくれる。意外に器用だ、と完成した編み込みにそっと手で触れると、確かに自分がやるよりも編み目が揃っているように感じた。
尻尾も、長椅子で朝のお茶を啜っている間に丁寧に櫛を通され、ようやく目が覚めて来た頃には全てが終わっている。
(まるで貴族のようですねえ)
髪を結われている間、することもなくぼんやり椅子に背をつけながら、果たしてこの生活はいつまで続くのだろうかと考えていた。
一週間前に「もう自分でやれますよ」と言ってみたが、「しなくていい」とぴしゃりと言われてしまった。食い下がるのは簡単だったが、好意を無碍にしているようでもう一度口にするのが気まずい。
まぁ、彼が「終わりだ」と言うまでは甘えてみてもいいのかもしれない。彼は年寄りの世話を焼きたがる、稀有な青年なのかもしれないのだし。
朝、椒丘の髪と尻尾の手入れをしたモゼは「先に出る」と言って消えるのが殆どなので、出勤時は基本的に椒丘一人だった。玉兆を介した補助ソフトウェアの調子に問題はなく、歩行に困難はない。
いつものように出勤し、自席につく。退勤後のメッセージや書類を確認していると、あら、と提出書類をもらいにきた書記官が声を上げた。
「先生、簪を変えたんですか」
「え?」
「前の朱色も素敵でしたけど、今の
濃色もお似合いですね〜」
「
……ああ、」
表情を繕うのが上手くてよかった、と今日ほど思ったことはもしかするとなかったかもしれない。
椒丘は微笑みを浮かべたまま彼女に書類データを転送すると、足音が消えてから簪に触れて、二本ささっているうちの一本を引き抜く。全体をよくよく触れてみると、確かに、表面の手触りや先端の形が違っていた。
「流石に理由なくやるとは思えませんが
……」
適当に簪を差し直しながら、椒丘は果たしてモゼに意図を問いただすべきなのか、それとも気づいていないふりをし続けるべきなのか考えていた。
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