皮膚に張り付いた包帯を剥がされる痛みに耐えながら、モゼが声を殺して俯いていると、傍で腕を組みながらその様子を見ていた飛霄が、薄い乳白色をした紗幕の向こうから口を開いた。モゼはそこでようやく、自分が無菌室に置かれていることに気がつく。
「後で椒丘にお礼を言っておきなさい」
今、モゼの包帯を取り替えているのは丹鼎司の若い医士で、見慣れない顔をしている。
怪我をするのは日常茶飯事でも、時々こんな風に死にかけることがあった。腹に空いた大穴を手で押さえながらどうにか帰還したことまでは覚えていたが、半日前に目覚めるまでずっと眠っていた。血を失いすぎたのか随分と体が重く、鎮痛剤が効いているはずなのに痛みが強い。
新しい包帯の巻き直しが完了したかと思えば、緩かったのか、もう一度巻き直されている。これで二回目だった。
椒丘であればもう少し手際良く交換するだろうに、どうして今日に限っていないのだろうと疑問に思っていたモゼは、ようやく顔をあげた。
「あいつはどこかへ行ってるんですか」
静かなモゼの疑問に、点滴を交換していた医士と包帯を変えていた医士が、同時に何か言いたそうに飛霄の顔を伺う。
飛霄は困ったように苦笑し、「まぁ、気づいていたら今こうはなってないわね」と小さくため息をついた。
「あなたの手術に十システム時間かかったから、今はぶっ倒れて寝てる。大変だったのよ〜、ほとんど飛び出してた内臓を綺麗に入れ直したり。……ま、起きたら様子を見にくると思うから、お礼を言っておきなさい」
「…………………」
「小言を聞く元気はないって言いたそうね」
包帯を巻き終えた医士が、空になりかけた点滴を持った医士と二人でそそくさ紗幕を開けて退室していくのを横目に、「別に……」とモゼはばつが悪そうに答えた。
飛霄が茶化す目的でこんなことを言っているのはわかっていた。椒丘は、死にかけた時ほど余計なことを言わずに、「目が覚めて安心しました」と笑って終わりにするのを知っている。
「さて、あたしは後処理が残ってるから、もう行くわ。病室を抜け出そうとしたりしないで、ちゃんとゆっくりしなさいね」
彼女はこれから、モゼがなんとか殺さずに捕えた何人かを尋問したりするのだろう。本来であれば手を下すのも自分の役目だったが、今回は誰かが代わりにやるか、あるいは彼女自身が執行するのかもしれなかった。
飛霄が退室すると、モゼはベッドの上で大人しく横になった。天蓋付きベッドから垂れ下がる乳白色の紗幕が時折揺れるのを眺めているうちに、段々と微睡に飲まれて行く。
陽が傾き始めたのを捉えながら、眠気に負けて目を閉じる。
*
起きてますか、と柔らかい声が鼓膜を打ち、ゆっくりと無菌室の紗幕が開けられるのをうす暗い視界で捕えた。
モゼが「起きてる」と小さな声で呟くと、寝台の隣に置いてあった読書灯のスイッチが押され、瞬間的に目が眩む。
椅子に腰掛けた男の顔を認め、モゼは微かに、安堵の息を吐いた。白い灯りに照らされた桃色の髪と柔和そうな目許をして、マスクをした椒丘がそこにいた。
「夜の回診に来ました。顔色……はまだあまり良くありませんが、ふむ、大丈夫そうですね。先ほど鎮痛剤が入ったようなので、今は痛みがそう強くないはずですが、いかがでしょう」
「包帯変えてもらった時のほうが痛かった」
素直に答えたモゼに、椒丘が苦笑する。
「まだ新人なんです。君でなければいいませんが、大目に見てあげてください。ちょっと失礼、そろそろ傷は塞がっていると思いますが……」
モゼが身を起こそうとするのを手で制して、椒丘はモゼの腹部にかかっていた布団をそっと外し、簡易スキャン装置で計測する。
「明日には問題なく塞がっていそうですね。今夜は少し窮屈に感じるでしょうが、諦めて眠ってください」
「わかった。…………椒丘」
布団を再びかけ直す椒丘の顔を見ながら、モゼは飛霄に言われた通り、お礼を口にすべきだ、と感じていた。ぶっ倒れていた、と飛霄が言ったのはきっと本当のことだろう。ただ、モゼの目と耳では、椒丘の疲弊具合はわからなかった。
彼はいつものように飄々と、のほほんとしているようにしか見えず、モゼの言葉に「なんですか?」とどこか嬉しそうに瞳を細めている。
「その………………お前が『手当て』してくれたと聞いたから、……助かった」
もごもごと答えるモゼに、おや、と椒丘が目を瞬かせる。
「僕は医士ですよ、怪我人を助けるのは当然です」
「………………」
その、恩着せがましくなさすぎる物言いが、逆に気まずかった。飛霄の言葉が事実であれば、それなりに悲惨で過酷だっただろうに、椒丘はまったく普段通りだった。小言をいいもせず、怒りもせず、叱らず、悲しみも見せず、ただのほほんと笑っている。
モゼの心電図を見たり、先ほどスキャンした計測値を見ながら「順調に恢復していますね」と呟いている。
「ああそうそう、飛霄様が明日から復帰させてもいいかなんて恐ろしいことを言うので、勿論お断りしておきました。少なくとも固形物を食べられるようになるまでは絶対安静です。部屋から出ても帰ってきてしまうよう術で覆っているので、諦めてください」
「……………………」
椒丘の言葉に、モゼはムッと片眉を上げる。信用がないな、と口にするのは簡単だったが、過去に何度も病室を抜け出しては椒丘に呆れられているので、大掛かりな阻害術をかけられるのは仕方がないのかもしれない。
不貞寝しようと椒丘から顔を逸らし、窓の方へ顔を向け、そういえば、とモゼはすっかり忘れていた空腹感を思い出した。目が覚めてから点滴しか入れられていない。喉の渇きさえもなかった。
急激に腹が減るのを感じたが、幸いなことに腹の音は鳴らない。
「——腹が減った」
「消化器が深刻なダメージを受けているので、二日は絶食です」
残念ですが、と布団をかけなおしたモゼの腹に手を押き、椒丘が心の底から残念そうに言う。
「二日……」
意気消沈するモゼに、椒丘が「こんなに早くお腹が空くなら大丈夫そうですね」と苦笑する。
「少しもだめなのか?」
「少しもだめです」
「……………………」
むすりと沈黙したモゼに、椒丘が今度こそ声を上げて笑った。その表情に、ようやく疲れが滲んでいるのを認めた。
「恢復したら君の好きなものを作ってあげますよ、なんでもね」
「辛いもの以外」
モゼは「寝る」と呟き、目を閉じる。
今はそうするのが一番、椒丘の手を煩わせない。
「もうしばらく経過を見るので、君は気にせず寝てください」
椅子に座ったまま、椒丘は傍の機器を操作している。眠っている間の数値を追っているようだった。
機械音が小さく響くのを聞きながら、モゼは大人しく眠りにつく。
椒丘の全身から、消毒液のにおいがかすかにするのが嫌だった。
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