ながひさありか
2024-11-05 22:51:21
2962文字
Public STR-Mozeqiu
 

モ椒:let me see your hands


 珍しく昼過ぎに起きてきたモゼが、昼飯を食べに行かないかと言ってきたので、二人で外食に向かう。
「昼はお前の好きな超激辛火鍋でいい」
 殊勝なことを言うモゼに「何かありました?」と尋ねたたものの、「何も」としか答えない。彼は普段から抑揚のあまりない話し方をするが、それにしたって今日は随分と暗い声をしていた。目が見えなくなって不便だと感じるのは、いつもこんな時だった。とは言えどうにもならないものはどうにもならないのだから、すぐに忘れることにしておく。
 悪い夢を見たのだろうか、と考えるが、魘されていた様子もなかったし、起きてきたモゼが何かを確かめるように僕の頬へ触れた時、彼の手が冷えていたということもなかった。
 数ヶ月前はモゼより早く起きてどこかへ行く度、あるいは行こうとすると、やたらと心配されていたし、ついていくと言われていた。けれど、あんな無茶な真似はそうそうしない、と言うより、今のところ、無茶をする理由は「もう」ないと理解してくれたのか、このところは過干渉が落ち着いて、基本的には、以前、彼とただの友人兼同僚であった時と同じような距離感に戻っている。
 モゼの腕を掴ませてもらい、気になっていた新しい火鍋屋へ行く途中も、いつものように一方的に話しかけていた。今日の彼はいつもに増して寡黙だった。
 別段沈黙が気まずい間柄でもないし、慣れてはいるのだが、随分と暗い雰囲気を隣から感じるのは少し居心地が悪い。
「あの」
 流石に気になり、足を止める。
「もしかして……僕が何かしましたか?」
………………
「モゼ、」
 咎めるように名前を呼ぶと、「違う」とモゼが口にした。
「そうですか? 随分と落ち込んでいるというか、大人しいので何かしたのかと思ったんですが」
 気楽そうに続けながら、掴んでいた腕を離してモゼの手握る。体温がわからないので、爪が邪魔だな、と考えていると、モゼが強く手を握り返してくる。
「別に落ち込んでなんかない」
「そうですか? まあ、君がそう言うのであればこれ以上詮索はしませんが、美味しいものを食べて忘れることにしまょう」
「辛いものは美味しくないだろ」
 嫌そうに口にしてから、モゼはしまった、と言うように不自然に口籠る。
「火鍋はまたにしてもいいですよ」
「いや、行く」
 頑なな返事だった。
 だけど、そう言う、妙に律儀なところが彼の可愛いところだ。

   *

『よく眠れましたか?』
 目を覚ました俺を優しい目で見下ろしながら、椒丘が俺の髪を梳いている。
 頬に手を伸ばすと、くすぐったそうに瞳を細めて笑う。金色の瞳が蜂蜜みたいにとろけて光っているのを見ながら、こんな風に愛されているのは幸福なことだと感じていた。
 お前の方が早いなんて珍しいな、と休日は昼まで眠っていることの多い椒丘に言うと、「まあ、君がこんな時間まで眠っているのは確かに珍しいですね」と肩をすくめられる。
 昨夜の帰還が遅かったわけでもないのに、昼まで眠ってしまうのは確かに珍しいと自分でも思った。開け放たれた窓から吹き込んでくる柔らかい風が、微かに桃の香りを運んでいる。
 庭に桃なんて植えていただろうか、と思いながら、髪を梳いていた椒丘の手を取って、指先に口付ける。清潔な石鹸の香りの中に、微かに香辛料の香りが混ざっている。何か作ってから戻ってきたのだろうか、と顔を上げると、椒丘が子どもを慈しむような目で俺を見下ろしていることに気がついた。
 椒丘?
 違和感に起き上がりながら声を上げると、どうしました? と俺の目を見て、不思議そうに椒丘が首を傾げた。
 ——俺の目を見て?

 ハッ、とそこで目が覚めた。
 思わず隣を探るが、シーツの冷えた感触だけが手に残る。隣で眠っていたはずの椒丘はどうやらとっくに起きているらしい。
 起き上がって、冷静に、今見たものはなんだったのかと考えた。
 いや、考えなくても、夢以外の何物でもない。
……………………………
 罪悪感で胸が悪くなる。ため息をつきそうになるのを堪えて、服の胸許を掴んで俯いた。十秒ほど目を閉じて、さっき見た夢を忘れようと努力する。
「よし」
 断ち切るように寝室を出ると、のんびりお茶を飲んでいる椒丘を食卓で見かけた。食卓に桃の枝が飾ってあり、そういえばあれは飛霄様が数日前に持ってきたものだということを思い出した。
「おはようございます、珍しくよく眠っていましたね」
 足音で気がついた椒丘が笑って声をかけてくる。
 椒丘の視線は、もちろん俺の顔から少し外れている。
 金色の瞳は俺を捉えないまま、優しそうに眦を下げていた。その顔は慈愛に満ちていて、この男に間違いなく愛されているのだと感じるのと同時に、果たして椒丘の目が「こう」ならなくても、俺と椒丘は「こう」なったのだろうか、とよくない考えが脳裏をよぎった。酷い被害妄想だった。
 椒丘の目が見えなくなってから、視線が合わないのは当たり前のことだった。——そう、諦めがついていると思っていた。
 お前の目が治って欲しいと口にしたことは今まで一度もなかった。
 そんなことを言われても椒丘は困ってしまうだろうし、申し訳なさそうに謝罪されても返す言葉がない。
 口にするのは無駄なことだったし、俺も椒丘もお互いにいい気分にはならないことがわかっている。
 そんな風に思っていたくせに、あんな夢を見てしまったのかと思うと、自己嫌悪で落ち込んだ。
「おはよう。……もう昼食は作ったのか?」
「いえ、まだです。お腹が空いたのなら何か出しましょうか、昨日の夕飯の残りならすぐに出せますが」
「いや、まだなら外に食べに行かないか。——昼はお前の好きな超激辛火鍋でいい」
 立ちあがろうとする椒丘の肩に手を置き、そう提案した。罪悪感を払拭するために自己満足な言葉だとわかっていたが、言わずにはいられなかった。
 え、と声を上げた椒丘はいかにも嬉しそうにパッと顔を輝かせてから、すぐ、怪訝そうに眉を寄せ、「何かありましたか?」と俺の服の裾を掴む。
 バレた、と正直感じたが、誤魔化すことにする。今の椒丘に俺の表情は見えないので、顔にいくら出そうとも、声と態度に乗せなければ関係がない。
 俺の言い訳に、椒丘はしばらく納得が行かなそうな顔をしていたが、やがていつも浮かべている微笑みに変えて、それなら早いところ行きましょう、と俺の腕を掴む。
 それに安堵しながら、椒丘の送ってきた店に向かって歩き出す。
 道中、隣で椒丘が何か喋っているのはわかったが、ぼんやりして聞き流していた。時折視線を横に向けると、機嫌が良さそうな顔で、椒丘が一人で喋っている。会話に相槌も打たない俺を、椒丘はいつだって少しも責めない。
 こんなに優しくされていて、十分幸福なはずなのに、どうしてあんな夢を見てしまったのだろう。
 足を止めた椒丘が俺の方を見るが、やはり視線はどうしたって噛み合わない。それが歯がゆい。
 唇を噛み締める俺の手を、椒丘がそっと握ってくる。怪我をした俺を治療する時のような難しい顔をしている椒丘に、その手を握り返しながら、せめてそんな顔をさせないようにならなければと考えていた。


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