夏の間は大人しくしていた椒丘が、冬になると無闇矢鱈と歩き回るようになった。市街地では基本的に暖房が効いているので街中で雪が積もると言うこともないが、郊外へ出れば当然、冬の只中にある。
夏の間は目が見えていた頃のように山菜取りに出かけても、ある程度放っておいたものだが、冬となればそうも行かない。一応、ネットワークの通じない場所までは行かないようにしているらしいが、「出かけてきます」の一言を残して、陽も昇らない早朝からどこかへ行くのはやめて欲しかった。
『今どこだ?』
卯の刻に目を覚ましたモゼは、今朝もメッセージを残して消えている椒丘に苛立ちながら、慌ただしく着替えを済ませた。
玄関先に立てかけてあったはずの白杖が消えていることから考えても、椒丘はまた早朝から徘徊しているらしい。市内であれば杖無しで歩き回っている男なので、郊外へ行ってしまったのは明白だった。こんな朝早くから開いている店はないし、どこかの山中か、湖畔か、あるいは海にでも向かったのかもしれない。以前と変わらず食材集めに熱心なのはいいことかもしれないが、せめて日中にしておいて欲しい、とため息をついて家を出る。
メッセージの返信を三十秒に一度確認しながら中央を出て、椒丘の行きそうな場所を考える。身を切るような寒さに眉を寄せながら、モゼは左手に下げていたランタン兼移動式暖房を胸の前に掲げる。以前椒丘が北の遠征地で購入したと言っていたそれは鬼灯の形をしていて、この手のランタンの中では小さなものだったが、腰から下げるのには便利らしい。
任務中であれば灯りを持つのはありえないが、今は任務ではなかったし、少しでも早く椒丘の居場所を探したかった。
ランタンで体が温まると、腰にくくりつけて、携帯端末を確認する。画面を見た瞬間、まるでタイミングをはかったかのように椒丘から座標が送られてきていた。
*
送られてきた座標に向かうと、そこは古い庭園のようだった。以前はどこぞの名だたる名家に連なる庭だったようだが、放置されて久しいのか、ひどく荒廃していた。
以前はよく手入れされていただろう道の名残に、足跡と杖の跡が点々と続いていた。ランタンを掲げれば、二度ほど転んだような跡があり、モゼは思わず舌打ちをする。
好き放題に伸びている草や木々の葉に雪が重くのしかかり、道の途中で何度か枝が折れて道を塞いでいた。焼けこげた枝が一部溶けた地面の上に落ちているので、面倒になった椒丘が、時折枝を焼きながら道を作ったのだろうと思われた。
座標を頼りに、広く雪に覆われ、鬱蒼とした庭園をうろうろと彷徨っていると、遠くから水の流れてくる音がした。マップをよくよく確認すれば、どうやら椒丘の示した位置は水の上の小さな東屋を指しているらしかった。
ただでさえ今朝は凍えるほどの寒さだと言うのに、何を考えてこんな場所に一人で向かったのか、モゼにはわからなかった。
陽が出る前にしか咲かない花を摘みにきました、とでも言われない限り納得はできないだろう。
水の流れる音がいよいよ強くなってくると、途端に木々が途切れ、視界が開ける。まだ微かに残っている月と星あかりが雪に反射して、辺りを青く照らしているようだった。
モゼはランタンを掲げ、青い闇に目を凝らそうとしたが、そうする前に、遠くの方で暖かな光がゆらゆらと蝋燭の火のように揺れていることに気がついた。
足を一歩踏み出すと、木で組まれた橋が続き、ぽつ、ぽつ、と橋の両端に置かれていた蓮の形をした灯りが、遠くの東屋へ向かって伸び始めた。橋にも雪が積もっていないところを見ると、何やら術が施されているようだった。
大人三人はゆうに並んで渡れそうな幅ではあったが、橋の外の暗い川を見ると、椒丘が落ちる瞬間を夢想してぞっとした。もちろん、彼が落ちていないことはメッセージの返信で把握している。
足音を消さずにゆっくり橋を渡って行くと、八角形の屋根をした水榭(すいしゃ)が見えてくる。意匠の凝った柱と長椅子が一脚あり、かつては楽器を置くために置かれていたと思われる台のようなものがあった。
そこに、大ぶりな花の柄が全面に入った、少し大きめのランタンが引っかかっていた。モゼは微かに花の匂いがするそれが熱を放っているのを感じながら、風を防ぐ壁もない水榭の長椅子に座り、ぼんやりと川向こうの闇を眺めている椒丘に「おい」と声をかけた。
靴音に、椒丘が顔を上げる。
「おはようございます、存外早かったですね」
「どう言うつもりだ……」
モゼは安堵と呆れの混ざったため息を吐くと、椒丘のそばへより、手袋を外して彼の頬や髪に触れた。少し髪が濡れているような感触はあったが、ランタンから放出される熱はモゼの持ってきた鬼灯よりも随分と強く、体を冷やしてはいないらしい。
「冬の月明かりでしか採れないきのこがこの辺にあるのを思い出したんです」
椒丘は穏やかな物言いで、予想通りの理由を口にした。そうか、と納得できる気がしていたが、モゼは自分が驚くほど苛立っていることに気がついた。心配した、と言ってもこの男は謝罪したふりで、のらりくらりと言い訳を続けるだろう。それがわかっているので「今度は俺も呼べ」とだけぶっきらぼうに口にした。
長椅子の隣に腰掛けると、「今夜は美味しいきのこ鍋になりますよ」と椒丘は傍に置いた籠を指さし、弾んだ声で言う。その姿が余計に憎らしい。
「勝手に入っていいのか、こんなとこ」
手すりに肘をついて椒丘に向き直ると、美しい花びらの影が椒丘の頬にかかっていることに気がついた。桃色の髪の輪郭の一部が、熱い光で輝いている。頬がうっすらと色づいているように見えるのは、いくらランタンから放たれる熱が暖かくとも、外気温が低いからだろうか。
「ずいぶんと昔の話ですが、管理者には話をつけてあるので勝手に入っても問題ありません。まぁ、当時と違って庭師がいないので今は荒れ放題ですが、かえってのびのび生えているのか、案外成果がありました」
相槌も打たずに、モゼは椒丘の頬に落ちた影を指でなぞっていた。しばらくはモゼのやりたいようにさせていた椒丘も、とうとうくすぐったそうに身を捩り「なんですか?」と笑う。
静まり返った夜と朝の狭間だった。静かに流れる川の音と、小さくランタンが熱を放つ音がする。
「どうして一人で歩き回るんだ?」
「たまには一人でのんびりしたいことだってありますよ」
「別に俺だってずっとお前を監視しようとは思ってない」
これは嘘だった。本音を言えば、放っておくと勝手に死にかけていそうなので、縛りつけはしなくとも、モゼはいつだってこの男を監視していたかった。本人にそれとなく拒否されているので、一応、これでも我慢して放置している。
「だけど、夜道は危ないし、足元の悪いとこなんて心配して当たり前だろ」
ぼそぼそと続けるモゼに、「今の僕には夜道も日中も変わらないんですが、心配をかけたのはすみません」と椒丘が笑えない冗談を笑いながら言う。
「……………………」
「閉じても開けてもずっと暗闇の中にいるので、時間感覚が少しおかしくなっているのかもしれません」
また反応に困ることを言う椒丘に口籠もると、おや、と椒丘が笑う。あくまでも穏やかな物言いと声で、いつもの柔和そうな微笑みを浮かべていた。
答えに窮するモゼの頬にそっと手を伸ばし、「心配させたのは申し訳ないと思っています。本当に」と椒丘は優しくモゼの肌を撫でてから、川向こうにもう一度視線を向けた。
水平線の向こうが微かに光り始め、夜が明けるのを感じながら、モゼはふう、と息をついた。帰りは行きよりも道のりが気楽そうだったし、目的を果たした後の椒丘は出てきた時の強引さとは裏腹に、大人しく帰路につくのが常だった。
「なあ」
だんだんと白み始めて来た空を見ていると、瞬きをした瞬間、朝陽が水平線から顔を出した。青い闇は太陽の光を反射する雪で白く輝き始め、強烈な光がモゼの視界を焼く。不意打ちに目を閉じて顔を伏せると、モゼ? と椒丘が不思議そうな声を上げた。
「なんでもない。陽が出てきただけだ」
「ああ……」
椒丘が落胆と納得の中間のような声をあげて、モゼの見ていた方へ視線を向けた。椒丘の顔が白く照らされて、色の薄い金色の瞳がちかりと輝くのが見える。けれど椒丘は眩しさに目を眩ませることもなく、黙って川向こうを眺めていた。
椒丘の髪が冬の寒い風に靡き、朝陽に焼かれている。ランタンの光よりも強く輪郭が透けて、ほとんど銀に近い色で輝いていた。
顔にかかった横髪を鬱陶しそうに指ではらう椒丘の横顔が綺麗で、モゼは無意識に「椒丘」と声をかけた。
はい? と椒丘が顔をこちらに向けたのを見つめながら、モゼは椒丘の肩を片手で引き寄せて、無防備な唇に口付ける。触れるだけですぐに離すと、は、と椒丘が驚いたように息を呑むのが聞こえた。
「いきなりなんですか」
「したくなった」
「……そうですか。君の唇がすごく冷たいので驚いてしまいました」
「そうか?」
自分じゃわからないな、とモゼは唇に触れてみるが、やはりよくわからない。
「そうですよ、ほら」
「……——————、」
椒丘はモゼの頬に手を添えたかと思うと、唇の位置を確かめるように親指の腹でなぞり、そっと唇を重ねる。何度か温度を確かめるように触れるだけの口付けを繰り返して、「ほら、冷たい」と笑いながら、モゼの唇を微かに舐める。
ふふ、といたずらっぽく笑った椒丘の熱い呼気が肌に触れて、モゼの背中をぞくぞくとした何かが駆けて行く。
もう一度キスがしたくて椒丘の肩に手を置くと、「あ」と椒丘が手すりの向こうに顔を向けた。
唇へのキスを諦めて椒丘を抱きしめながら髪にキスしていると、「ようやく陽が登ってきたのがわかりました」となんだか嬉しそうに言う。
抱きしめたまま顔を覗き込もうとすると、にこにこ笑いながらモゼの腕に手を置いて、「肌が陽に焼かれる感覚がしてきました」と口にする。言われてじっとしてみると、確かに、朝陽が肌を少し温めているような感覚がしていた。
夏の日差しには程遠い熱だったが、郊外の寒さの中では、ランタンから放たれる熱とは明らかに種類が違うのがわかった。
「街中では朝陽があまり強くないので、冬になるといまいち昼夜の差がわからないことに気づきまして」
「……………………はぁ」
「なんですかそんな呆れた声をして。いいですか、冬になると気が塞ぎ込みやすいのは日照時間が少な、」
「わかった、わかった」
モゼは脱力しながら椒丘を抱きしめて、「どこにでも付き合うから、この時期だけは起こしてくれ」と疲れたように呟いた。
「いやでも、昨日は君の帰還が遅かったので」
「いいから」
不思議そうに首を傾げる椒丘の顔が朝陽に照らされて、ランタンの灯りの下よりもはっきりと見えた。
*
モゼが椒丘を抱きしめ直し、二人の頬が触れ合っていたその時、椒丘がモゼには見せないよう、微かに、嬉しそうに瞳を細めていたのをモゼは知らない。
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