ながひさありか
2024-10-05 12:50:16
3853文字
Public STR-Mozeqiu
 

モ椒:Nox and Nox - スプーン一杯の唐辛子1

モゼが拾われてきたばかりの頃、椒丘に飛霄が「読み書きを教えてやって」と言う話。

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「飛霄様入りま——
 すよ、と戸を開けた椒丘の隣の壁に、誰かが激突する。より正確に言えば、吹き飛ばされて来た。
「ちょうどいいところに来た!」
………………言いたいことはいくつもありますが、とりあえず服を着てください」
 椒丘は素早く戸を閉めると、壁に衝突してのびている子どものそばにしゃがみ込み、バスタオル一枚を体に巻きつけた姿で仁王立ちしている飛霄から顔を逸らした。
「仕方ないじゃない、お風呂上がりを狙われたんだから」
「ええ、ええ、そうでしょう。事情は察しましたから、ともかく服を着てください」
 飛霄が大人しく服を取りに引っ込むと、椒丘はため息をつきながら気絶している子どもをなんとか抱き上げ、ソファへ運んだ。子どもの打ちつけた背中や手足を確認するが、特に外傷は見受けられない。念のため簡易スキャンをしておくと、骨折はないが、背中を痛めているようだった。
 椒丘は眉間に皺を寄せたまま気絶している子どもの額をそっと指で撫でると、体を横向けにし、薬を塗布して医療布を貼っておく。
(僕にはよくわからない考えですが、二人が納得しているのなら口出ししない方がいいんでしょうね)
 彼は飛霄がつい数ヶ月前に拾ってきた子どもで、薬王秘伝に洗脳されかけていた上に、人体実験をされていたと聞いている。こちらとしては自分たちに正義があるが、彼からしてみれば飛霄に家族を殺されたも同然だった。保護してはいるものの警戒されているし、口数も少ない。少年は碌な教育も食事も与えられていなかったのか、目ばかりがいつもぎらぎらと血走っている。
 飛霄はモゼと言うなの彼に復讐の許可を出していた。モゼは数日おきにこんな風に返り討ちにあい、怪我をして、椒丘の手当てを受けている。彼女曰く死なないように手加減はしているらしいのだが、そうは言っても万が一がないとも限らない、と椒丘は内心冷や冷やしていた。
『彼、生きる目的を見失ってるみたい、——というか、生活を無理やり変えさせちゃったから、これからどうしたらいいのかわからないだけだと思うんだけど、とりあえず今はあたしへの復讐心が糧になればいいと思ってるの』
 彼女が最初にモゼを椒丘に紹介したその日、椒丘は彼女が何を考えているのか、正直なところよくわからなかった。
 生きる目的として自分を暗殺する許可を与える、暗殺できるようになるための鍛錬にも付き合うし、衣食住も与え、知識も与える。戦闘の筋がいいから、もう少し強くなれば仕事に就いてもらって、任務をこなす度に暗殺未遂をなかったことにしてあげる。
 矢継ぎ早に何故か楽しそうに話す彼女に、椒丘は「あなたの仰ることは理解できません」と正直に口にした。
 子どもを保護して、衣食住や勉学をフォローするまではわかる。薬王秘伝に属していたとはいえ、年齢的に本人の意思ではないはずだし、それを理由に幼い彼を更生の余地なしと処分するのは椒丘も反対だった。とは言え、暗殺の許可を出すのは、いくら復讐心が生きる理由に値するとは言っても理解し難い。
『理解ができなくても協力はしてもらうわ。じゃないと怪我が治りにくくなっちゃうし、多分栄養も足りていないから大きくなれないもの』
 そういうわけで、椒丘は飛霄と共にモゼの健康管理も受け持つことになっていた。
 飛霄は必ず朝の鍛錬にモゼを連れ出していたが、今のところ、最終的にぐったりしたモゼを背負って帰還し、椒丘の部屋の戸を叩くことが多い。
『こんな風になるまで走らせないでください……
 椒丘はぐったりしたモゼを介抱しながら、飛霄のあまりのスパルタっぷりに正直なとこら引いていた。しかし、飛霄は椒丘の言葉に「戦士ならこのぐらいできて当たり前よ?」とあっけらかんとしていて、少しも手を緩める気はないらしい。
 椒丘にも従軍経験はあるが、軍医と一流の戦士では使う筋肉と基礎体力が違いすぎるため、果たして本当にここまでする必要があるのかはわからなかった。
「骨折はしてないでしょ?」
 服を着て戻ってきた飛霄に、「ええまあ」と椒丘は肩をすくめる。
 日々生傷の絶えない少年を痛ましそうに見つめ、「数日は背中の痛みがきついと思います。少なくとも明日は鍛錬を禁止にしてください」と呟いた。
「わかった。なら、明日は襲いに来ないよう後で言っておく。——そうそう、それであなたを呼んだ件なんだけど」
 ようやく本題を思い出した飛霄を椒丘が見上げると、腕を組んだ彼女は「うーん」と少し悩むような顔を見せた。
「はっきりいうと、この子ね、読み書きがあまりできないみたいなの。それで、取り急ぎあなたにみっちり教えてもらえないかしらと思って」
 飛霄の言葉に、おや、と椒丘は首を傾げる。
「学校、というか個別学習の教師を先日つけませんでしたか?」
 同世代の子ども達と交流した方がいいだろう、と考えた飛霄は、ほうぼうかけあって編入先を探したのだが、基礎知識と教養があまりに足りていないことと、出自のせいで他の子ども達とはうまく馴染めないだろうというのを理由に、片っ端から断られていた。仕方がないので、自分の友人や知人の師、有り体にいえば余生をのんびりしている退役軍人や元大臣あたりに教育係を頼んでいた。
「そうなんだけど、読み書きができないと学ぶのはなかなか難しいでしょう。もちろん幼児向けから始めてもらっているんだけど」
 小さくため息をついた飛霄は、「勉強が嫌いなのか、大人が嫌いなのか、その両方なのかわからないのよね」と腕を組んでこぼした。
「逃げ出さないように椅子に縛りつけるまではあたしでもできるけど、教える側の顔を一切みないだとか、口をきかないとなるとね……教える側がちょっと辛いみたいで」
「はあ……それは、大変ですね……?」
 縛りつける? と一瞬聞こえた不穏なそれを聞かなかったことにし、椒丘は茶を入れるためにソファから離れ、勝手知ったる棚から茶器と茶葉を取り出した。
 飛霄の精神が平静を保てるようにと特別に調合したお茶で、彼女には必ず夜に飲んでもらっている。
 話を聞きながら茶を煎れている椒丘に、「まだわからない?」と飛霄は椅子に腰を下ろし、茶が出てくるのを待つ間、端末に届いていたメッセージを確認する。
「椒丘は案外、人が黙ったままでも気にせず喋れるタイプでしょう?」
「まあ、気難しい患者の例は枚挙にいとまがありません。返事をしないくらいでは、逆にどうとも思わないところはありますよ」
 椒丘は茶葉を入れた茶器に熱湯を注ぎ、五秒程待ってから湯を捨て、もう一度熱湯を注ぐ。同じように五秒で湯を捨てると、三度熱湯を注ぐ。今度はしばらく蒸らしてから、飛霄の用意した杯へ茶を注いだ。
 ふわりと華やかな香りが部屋に満ちる様子に、飛霄が満足そうに瞳を細めた。
「そう言うわけだから、一週間、あなたにはモゼにつきっきりで読み書きを教えて欲しいのよ。作戦行動をずっと口頭で指示するわけにも行かないでしょ? だから、早く読めるようになって欲しいのよね。だから今週は勉強ができたら鍛錬に行ってもいいってことにしようと思ってるの。嫌がるようならおやつとかご飯で釣ってもいいわ」
 茶を啜りなが続ける飛霄に「はあ」と少し困惑したまま答えた。
「まだ彼の好みを知らないのでご褒美作戦は難しいかと思いますが……まぁ、考えてみます。それはそれとして、なぜ僕に?」
「ん?」
 椒丘の疑問に、飛霄はなんでそんなわかりきったことを聞くの? とでも言いたそうに、きょとんとした顔を見せた。
「モゼって結構あなたには懐いてるじゃない」
「え、そうですか? 碌に会話したこともありませんが……
「そうそう。少なくとも治療されるのを嫌がったりはしないでしょ」
 茶を飲み終わった飛霄がソファで眠っているモゼに視線を送るのにつられて、椒丘も視線を送る。
「だってこの間、熱があるのにあなたが帰ってくるまで他の医士に触らせようとしなかったじゃない」
 そう言えば、そんなこともあっただろうか。帰還するなり先生、と腕に引っ掻き傷を作った若い医士に泣きつかれたので、何かあったのかと駆けつければ、飛霄が部屋の隅で警戒しながら唸り声をあげる、小さな獣のような状態のモゼに診察を受けるよう説得しているところだった。
「あれを懐いていると言っていいのかは甚だ疑問ですが……
 椒丘はただ、「そこにいても君の熱さは治りませんよ」と一言口にし、氷菓子で子どもを部屋の隅から寝室まで釣っただけだった。彼に引っ掻き傷を負わされた医士が「熱があるみたいで……」と椒丘に耳打ちをしていたので、簡易スキャンで体温をとりあえず、と診ていた。三十八度、と表示されたし、寒がっているようには見えなかったので、ひとまず冷たいものを与えることにした。
 症状としてはただの風邪だったから、涼しくした部屋で水分を取らせたあと、風邪用の火鍋薬を与えてみれば、けろっと治っていた。
「熱さ寒さで癇癪を起こす子どもは多いですからね」
 椒丘は茶器を片付けると、眠っているモゼのそばへ寄り、拾った直後よりは多少肉付きの良くなった体躯を抱き上げた。
「もう少し大きくなったら僕には運べなそうですね」
「そんなにすぐに大きくはならないわ。——ま、そう言うわけで、明日からよろしくね椒丘先生」


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