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視神経がやられたのか、と暗闇を見つめながらすぐに気がついた。殺す/死ぬつもりで毒を飲んだのだし、内臓か神経のどれかは駄目になっただろうと朦朧とした意識の中でも、冷静に予測できていた。
目の前で泣いているらしいモゼになんとか笑いかけようとしたが、相変わらず蚊の鳴くような声しか喉からはでてこない。
かろうじて動いた指先でモゼの手を握り返してやらうとしたが、それも叶わなかった。瞬きをなんとか二度しただけで、すぐに力尽きてしまう。
意識が覚醒してしばらくするとアラートが上がるようになっていたのか、タイミング良く、あるいは悪く、霊砂が病室へ様子を見にやって来る。
「え?」
霊砂はモゼがたびたび忍び込んでいたことにようやく気がつき、「そもそもあなたも絶対安静だと言ったはずですか?」と怒ってモゼを追い出した。
感染症を気にしているのであろう霊砂が怒るのも無理はないのだが、そうはならないだろうと椒丘は考えていた。
彼の綺麗好きを椒丘はよく知っているが、彼女に説明する暇は与えられなかった。
*
「さて椒丘さん、あなたも同じ医士ですので、変な誤魔化しはなしで事実だけをお伝えします」
目が覚めた翌日、精密検査の結果を霊砂が淡々と話す間、椒丘は現実味のなさにぼんやりとしていた。
確実に死ぬだろうと思っていたのに、こうして生きながらえている。とはいえ、目は見えなくなってしまったし、内臓もぼろぼろだった。それでも、生きている。
「ところで、飛霄将軍は安静にしていますか?」
椒丘は霊砂の話が途切れたタイミングを見計らって、気になっていたことを尋ねた。
医士同士気を使わなくてもいいと思うと、逆に声が出る。自分でも笑ってしまうほど細い声ではあったのだが。
「もう少し安静にしてくださいと言っても聞いてもらえません。つまりは、そのくらい健康だということです」
「そうですか、それはよかった」
椒丘が心底ほっとして笑うと、わざとらしくため息が落ちる。
「あのですね、よくはありません。少しも。あなたがどういうつもりで、何をしたのかはなんとなくわかっています。飛霄将軍にカウンセリングも行ったので、ほとんど確証もあります。あなたの行いは同じ医士として到底褒められるべきではないと考えていますが、ただまあ
……患者の命を救いたい一心だったというのはわかります」
霊砂の刺々しい声を右から左に聞き流しながら、「そういえば」と椒丘は穏やかな気持ちで口を開いた。
「僕の同僚も特に問題はありませんよね?」
「
……飛霄将軍と以下同文です」
「それを聞いて安心しました」
「しないでください。
……すでにお分かりになっていると思いますが、お二人はあなたが
——言葉を選ばないのであれば、結果的に自殺しようとしたことにひどくショックを受けています。もちろんある程度のケアはしましたが、こちらができたことといえば、あなたを救えた、というだけです。
…………あなたがただの人であればこんなことは言いませんが、」
霊砂がうんざりしたように、けれども少し同情したような声で続けようとするのを、椒丘は「ご心配なく」と返して止める。
「僕を生かしてくれたことに感謝します。案外すっきりしているので、身内のことは自分で責任を取ります。
……まだ二人には僕の目のことは言っていませんよね? 自分で言いますから、カルテは共有しないでください」
椒丘は暗闇の中で、顔の前に手を掲げる。手のひらを軽く閉じ、そして開く。動作は把握できるのに、視界には何も映らない。納得するために顔の前で手のひらを振る。やはり、そこには何も見えなかった。
「視覚天欠者の資料を読んだ記憶はありますが、正直僕の専門外です。羅浮に何かいい資料があれば後で教えていただけますか」
「探しておきます。もちろん再生の可能性もまだゼロではありませんので、治療に関しては今後も継続して検討しましょう。とは言え、しばらくは聴覚を視覚の代替とすることになるかと思いますので、玉兆技師に今準備させているところです。お使いの端末にインストールして構いませんよね?」
霊砂に言われ、そういえば、玉兆に視覚支援機能を設定しておけば、生活の殆どに支障がなくなるという論文を読んだことがあるのを思い出した。勿論今まで見えていたものが見えないのだから、しばらくは生活に苦労するだろうが、慣れれば元通りの生活を送れるだろう。
視力回復の道を模索するつもりではいるが、もし恢復しなかったとしても、たかが目が見えなくなっただけのことで、絶望するようなことではない。
……ないが。
まだ、やるべきことがあるのだろうか。
飛霄が治ったあと、何をすべきなのかがわからなかった。
今日まで紡いできた糸はぷつりと途切れていて、今度こそただ生きているだけに成り下がってしまいそうな気がした。
*
数システム時間後、霊砂は玉兆技師を伴って椒丘の病室を再来した。
技師は玉兆と椒丘が普段からつけている耳の装身具の両方に設定をインストールし、いかがでしょうか、と口にした。技師の腕に捕まりながら、数歩試しに歩いてみる。
足音が確かに壁に反射して、なんとなく距離感が掴めるようになった、気がした。
「慣れが必要ですね」
苦笑すると、「それはそうですよ」と霊砂が淡々と口にする。
「そういうわけですから、しばらく、一人で勝手に出歩いたりはしないでください。先ほどお伝えした通り造血機能にも問題がありますから、外傷による出血はもちろん、躓いて倒れても大事です。今は痛み止めが効いていますが、まだ鎖骨も繋がっていませんし、傷口も痛むでしょう
……と、これ以上は不要ですね」
もう二、三日様子を見ましょう、と霊砂は椒丘を病室へ戻らせると、「しっかり休んでください」と部屋を出て行った。
彼女の足音がすっかり聞こえなくなってから、椒丘はこっそりと病室を抜け出した。とっくに病室を抜け出していた飛霄将軍と、後ろからこっそりついてきているらしいモゼと話をするために。
*
波の音がいつもより鮮明にきこえている。
悔いなし、憂いなしといつだって明るく口にしていた彼女の少ししおらしい言葉に、椒丘はいつものように微笑みかけた。
二度と体について彼女の口から聞くことはないだろうと思っていたが、その予想は外れ、こうして、彼女の病状がおさまった報告を効いている。
玉兆の調整が必要なのか、あるいはこれが普通なのかはわからないのだが、何故か、二人の鼓動が椒丘の耳にはっきりと届いていた。その音が、あまり速くないことに安堵する。二人が生きていることはもちろん声でわかっているけれど、いよいよこれではっきりとわかり、椒丘は口角の端を持ち上げた。
彼女たちに言った通り、結果には満足しているし、幸福だった。心は随分と穏やかで、聞こえてくる波の音のように心地良く晴々しい気分だった。
自分の行いで二人を傷つけてしまったことは申し訳なかったけれど、後悔はあまりしていなかった。こうして生き延びてしまったということは、残念ながら、自分の天命はまだ尽きていないのだろうと考えていた。
「椒丘、困ったことがあればなんでも言ってちょうだい。曜青に帰ったら、しばらくは仕事のことは忘れて休暇をとること。それから」
飛霄が不意に言葉を切り、椒丘は「それから?」と首を傾げる。
「椒丘」
閑かな、沈んだ声だった。夢と現の間で何度も聞いた、モゼが自分を呼ぶ時の声だ。
呼ばれた方向へ顔を向けながら戸惑う椒丘の片手を取ると、モゼは自分の腕を掴ませる。
「しばらくはモゼがあなたの補助をするから、以降は一人でどこかへ出かけたりしないで」
「えっ、ではその間、飛霄様の護衛は一体誰が
……」
「そりゃあモゼより腕は劣るけど、護衛のできる兵士は他にもいるでしょ? 今はあたしより椒丘のほうが心配だから、一番信頼できる人にあなたを見ていてほしいと思って、モゼにお願いしたの」
「え?」
困惑する椒丘の隣で、モゼが「大丈夫です」と小さく頷いた。
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