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生き物の殺し方はよく知っている。だから、傷口を見て、瞬間的に「これはもう無理だ」と考えてしまった。
「椒丘さん! 聞こえますか? 聞こえてますよね? 瞬きでもなんでもいいので返事をしてください! あなたも話しかけ続けて!」
目の前の出来事をうまく認識できないまま、モゼは呆然と霊砂をはじめ医士たちに言われるがまま、虫の息の椒丘の傷口を押さえていた。見開かれた金色の瞳は虚空を見つめたままモゼがいくら見下ろしても視線が合わず、血を吐いた口からはひゅうひゅうとか細い息が途切れ途切れに漏れていた。もちろん返事はなく、指先の一つも動かない。
白露が来るまで彼をなんとかもたせるように、と医士達に指示を出しながら、霊砂は時折椒丘の頬を叩いて声をかけ続けていた。声の一つでも出てくれればとモゼは祈るが、瞳はだんだんと濁って行くばかりで、何も反応は返ってこない。
霊砂の診察によれば、椒丘はただでさえ呼雷に食い散らかされて出血多量だと言うのに、毒まで飲んでいた。今更になって椒丘の言っていた「治療のあてはついています」がどんな手段だったのか理解したモゼは、ひどいショックを受けていた。椒丘の取った手が飛霄の月狂いを治す唯一の手段であったとしても、受け入れ難い現実だった。
飛霄様は知っていたのだろうか。そんな風に考えてから、知っていれば、彼女は「絶対にやめて」と説得しただろうと思い直す。彼女は「あたしの死期がいつであろうと、その瞬間までやれることをやるだけよ」と常々言っていた。椒丘は彼女の病を治すのに躍起になっていたけれど、患者であるはずの飛霄の覚悟はとっくに決まっていて、椒丘に治療法を探させているのは、モゼにとって「いつでも暗殺しにきていいわ」と言ったのと本質的に同じことなんじゃないか? と感じていた。
もちろん、飛霄に月狂いで死んで欲しいとは思ってはいない。未だに成就していないが、彼女を殺すために腕を磨いてきたはずだったし、彼女を殺すのは病ではなく自分でなければならないはずだった。
けれども、いつかきっと、遠い未来で彼女は病で死んでしまうのではないだろうかと頭の片隅では思っていた。つまりは
——椒丘には、彼女を治療できないだろうと漠然と思っていた。いや、正しくは「治さないで欲しい」、と思っていたのかもしれない。
彼女の病が治る時には、なんとなく、この男は死ぬんじゃないかと言う嫌な予感があったから。
だんだんと瞬きの回数すら減っていく椒丘を震える声で呼ぶ。傷口を押さえた手のひらの下で、どんどん体温が冷えて行く。命が失われていく瞬間なんて何度も見たことがあるのに、飛霄に「家族」を殺されたあの日よりも恐ろしかった。
白露が到着し、傷を押さえなくても大丈夫です、と言われても体が硬直して動けなかった。
「しっかり! あなたは手を握って、彼に声をかけ続けてください!」
肩を揺さぶられて、血まみれの手を握るよう指示される。言われるまま冷たい手を握り、目の前で治療が続けられるているのを現実だと思えないまま、モゼは祈るように自分の胸許へ椒丘の手を引き寄せた。
*
「
……やれるだけのことはやりました。一命は取り留めましたが、正直なところ、あとは彼次第です。彼が飲んだ毒はあまりに強力で、内臓の殆どに深刻なダメージを負っています」
艦から丹鼎司に飛んできた飛霄は、霊砂から椒丘の状態を聞き、呆然と立ち尽くしていた。無菌状態にされた病室は面会謝絶になっており、丸一日は医士以外の誰も、モゼと飛霄の二人すら立ち入りを許可されなかった。
「心臓が止まっていた時間から考えると、目が覚めてもなにか後遺症が残る可能性があります」
飛霄が話を聞いている間、モゼは彼女の隣になんとか立っていただけで、何を言われているのか一つもわからなかった。
あいつは生きてるのか? ならそれでいいだろ、と口を挟みそうになった瞬間、霊砂が深刻な顔で、けれども淡々と現実を突きつけてくる。
「
……わかった。あたしは治療に関しては何もわからない素人だし、医士であるあなたたちと彼を信じて任せる。現状、あたしたちができそうなことは帝弓でも他の星神でもなんでも、縋って祈るしかないってことよね」
そうなります、と頷く霊砂に、「明日には面会してもいいのかしら。それとも連絡が来るまで来ない方がいい?」と飛霄は端末を取り出しながら尋ねる。
部屋で待ってるわ、と笑う飛霄に、霊砂が片眉を跳ね上げる。
「すっかりお忘れのようですが、お二人も治療のために入院していただきます」
「
………………あれ?」
*
久々に、悪夢で飛び起きた。
モゼは一瞬、自分がどこにいるのか把握できず困惑したが、すぐに入院させられていることを思い出した。起き上がった衝撃で全身に痛みが走るが、声を上げるほどではなかった。以前、何度か死にかけた時よりもずっと健康だった。
着せられていた入院着からなんだか懐かしさを感じる香りが微かに鼻をつき、ふと、においに視線を向ける。棚の上の小さな香炉から煙が上がっており、そういえば、眠る前に霊砂が火をつけていたことを思い出した。
懐かしさを感じる理由をまじまじと考えて、なんとなく、椒丘から時折香るにおいのような気がする、と思い至る。そう考えた瞬間、胸に刃物を突き立てられたように、鋭い痛みが走った。
常日頃、任務で怪我をして戻ってくるモゼに、もっと命を大事にしなさいだとか、生き汚くあってくださいだとか、そんなことを言う男だった。
『命を救うのが僕の仕事で、君は将軍の憂いを晴らすのが仕事だと言うことはわかっています。それでも、自分をまるで替えのきく物みたいに扱うようなことはしないでください』
そんなことを言っていた男が、誰よりも真っ先に自分の命を担保にかけてしまった。他人の命を救うために自分を削るようなばかだと時々感じていたけれど、まさかこんなことになるとは考えてもみなかった。
俺に逃げろと二回も言っておいて、と恨み言が浮かぶが、いや、とため息を吐いた。街中で呼雷たちといるのを見た時、そばにはすでにいくつかの死体が転がっていた。逃げれば死体が増えるだけだと脅されたのであれば、他人の命を救うことを人生に掲げている男は逃げられなかっただろう。
「椒丘
……」
胸を押さえ、息を吐いた。絶対にそんなことにはならないと信じたかったが、彼が死ぬかもしれないと考えると、頭の芯が冷えて、胸がどうしようもなく苦しい。息が詰まりそうだった。
部屋に忍び込んで様子を見ようかと考えたが、自分の行動が原因で椒丘になにかあるかもしれないと思うと踏み切れない。
まだ返事ももらってないのに、とモゼは再びずきりと強く傷んだ胸をさする。
羅浮に来る随分と前に、椒丘に告白していた。その返事を
——厳密には、二度目の返事を
——もらっていない。
好きだと伝えて、はっきりと「考えたことがないので応えられない」と断られていた。けれど、「今日から考えろ」と言った通り、あの男に考える余地さえ生まれれば、そのうち絆されてくれるんじゃないか、なんて甘い考えを持っていた。
他人には友人で通していたし、椒丘に自分のことを考えて欲しいという理由で、あれからずっと、例え二人きりになっても態度を変えることはしなかった。そうした方が「あれはなんだったのか」と考えてくれる男だと思っていたから。
今日までずっと、何もなかったのに。
「はぁ
……」
モゼは諦めてベッドに横になり、天井を眺めた。眠れないままベッドの上でぼんやりしていると、悪い考えが次々と浮かんでくる。
それでも、自分にできることは何もなかった。
無力感に苛まれながら、目を閉じる。
『帝弓でも他の星神でもなんでも、縋って祈るしかないってことよね』
飛霄が霊砂に言っていた言葉が脳裏をよぎるが、モゼは再びため息をつき、目を開けた。香炉の煙がゆっくりと窓の外へ流れていくのをしばらく眺め、両手を組み、額に当てる。
誰かに縋ろうとして、誰も思いつかないことに気がついた。星神だの帝弓だのへの祈りの気持ちなんて、飛霄と違って持ち合わせてはいなかった。
モゼにとって命を救ってくれる相手は、いつだって星神ではなく、あの狐族の男だったから。
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