クロートー、はじめから Remember, the day I fell in love with you.
時々、ジョシュアが何かを言おうとして慌てて口を閉じたり、言葉を誤魔化そうとする瞬間がある。
彼が何を言い淀んでいるのかが知りたい。
クライヴは幾度となくジョシュアから言葉を引き出そうとしてみたが、今のところ成果は得られていなかった。
なにかやましいことを隠しているわけではないだろう、とは思っているし、無理に聞き出すつもりもないのだが、それでもジョシュアが時々、自分を通して誰か別の人間を見ているような目をするのはどうしても気になってしまう。
昔の恋人にもしかして似ているのだろうか、と考えてもみたが、ジョシュアにそれとなく尋ねても「どうしてそんな不毛なことを聞くの?」と少し拗ねたような顔をしてから、「恋人と呼びたい人はあなたが最初で最後だよ、クライヴ」と真剣な表情で口にされておしまいだった。
確かに、昔の恋人の話なんて聞いてどうするんだ? とクライヴ自身も思うし、比べられているのだとすればいい気分ではない。ジョシュアの言葉を疑うつもりはないし、嘘をつかれているとも思っていない。
あんな目でクライヴを見ていること自体ジョシュアには自覚がないか、あるいはどうしても話したくないことなのかもしれない。気にしなければいいようなことでジョシュアとの仲がこじれるのは本意ではないので、気のせいだと忘れることにした。
そう考えていたある夜。
「――兄さん?」
隣でひどく魘されているジョシュアの肩に手を置いて声をかければ、ゆめうつつな表情で、ジョシュアがそう口にした。
焦点の合わない湖水のような水色の瞳に「え?」とクライヴが声を上げると、ジョシュアは数度またたき、「あれ……」と声を上げる。
「今、何時?」
時計を確認すると、午前二時を少し回った頃だった。
「二時を少し回ったくらいだな。……大丈夫か。ひどく魘されていたようだが」
「ごめん、起こした」
「そんなことは気にするな」
クライヴはベッドヘッドの読書灯をつけ、ジョシュアの顔を見下ろした。ジョシュアは額に手の甲を置き、長い嘆息を吐いていた。青褪めた彼の頬に手を添えて、「悪夢でも見たのか?」と心配そうに尋ねる。
「悪夢………………、悪夢か。そうかもしれない」
ジョシュアは頬に触れるクライヴの手を掴み、安堵したようにぼそりと呟き、無言でクライヴの顔を見上げた。
じっと視線を送ってくるジョシュアの不安そうな顔に思わず彼を強く抱きしめると、耳許でジョシュアがほっとしたように息を吐いた。
しばらくジョシュアを抱きしめて背中を撫でていると、「このまま眠ってもいい?」と小さな声でジョシュアが零した。その声が随分と心細そうで、クライヴは「もちろん」と反射的に答えながら、再度彼を抱きしめる腕に力を込めた。
「ちょっと、苦しい苦しい」
笑って体を叩いてくるジョシュアにハッとして腕を緩めると、ふふ、と笑ってクライヴの鼻頭に唇を触れさせる。
青褪めていた顔色には血色が戻ってきており、その事実にクライヴもようやく安堵した。
ベッドに再び横になり、ジョシュアを抱きしめ直そうとすると、ジョシュアはクライヴの頬を撫でながら、無言でじっと見つめてくる。
あまりに強い瞳に見つめられて段々と恥ずかしくなってきたが、視線をそらすことはできなかった。なんとなく、そうすれば彼がショックを受けてしまいそうな気がしたからだ。
「お前から聞いたことはなかったが……兄がいたのか?」
せめて話をして空気を誤魔化そうとしたクライヴの言葉に、ビクッ、とジョシュアの体が大げさに跳ねる。
瞳を見開き、再び顔を青くするジョシュアに、クライヴは慌てて謝罪を口にした。
「すまない、触れられたくない話題だったか」
「あ、……いや、そういうわけじゃ、ないよ。もしかしてさっき、何か口走ってた?」
怯えた顔をするジョシュアに何故そんな顔をするのかと尋ねたかったが、クライヴは尋ねる代わりに首肯した。
「兄さん、と」
そう口にしたクライヴに、ジョシュアは眉を寄せ、唇を噛みしめた。恥じ入るような、後悔を滲ませる表情に、クライヴは聞かなかったふりをしてやればよかった、と感じた。けれども、口から飛び出た言葉を取り消すことはできない。
気まずい沈黙が数秒落ちた後、諦めたようにジョシュアがため息をつく。
「気にしないでなんて言っても無理だろうけど、今は話したくない。もし話せる日が来たら話すかもしれないけど、できれば今夜のことは忘れて欲しい」
「……わかった」
――亡くなったのか? それとも、仲が悪かったのか? あるいは逆に、慕っていたのに突然連絡が取れなくなったのか?
いくつもの疑問がクライヴの脳を掠めたが、望まれた通り、疑問は口にしなかった。勿論彼と兄の間に何があったのかは気になっていたが、ジョシュアの不安そうに揺れる瞳を見ていると、それを気にするのは今ではないと強く感じた。
疲れたように息を吐いたジョシュアが恐る恐る手を伸ばしてくる。その腕を掴んで、さっきと同じように強く抱きしめてやる。
普段は年下だなんて全く感じさせないように振舞うジョシュアの弱さを見るたびに、少しだけ落ち着かない気持ちになるのと同時に、心の拠り所にしてくれていることに、よくない幸福を感じてしまう。
ジョシュアに愛されていて、ジョシュアを愛している。きっかけは奇妙な言葉だったが、一緒に暮らすようになってから、以前よりずっと幸福な時間が増えたことをクライヴは実感している。
だからきっと、彼が最初に口にした通り、この出会いは運命だったのだと今は信じていた。
「クライヴ、愛してる。あなたを愛してるんだ」
ジョシュアは時々、こんな風に、まるでクライヴが言葉を疑っているとでも言うように、縋るような声で口にすることがあった。
(ジョシュアがこんな風に不安定になるのは、俺の示し方が足りないのだろうか)
どうやって示せばジョシュアが満足してくれるのか、今はまだわからない。
クライヴはジョシュアの顔を覗き込んで、彼の頬を優しく撫でる。冬の湖水のような薄い青の瞳を優しく見つめ返してから、額と頬骨に口付けを落とし、体に回されていたジョシュアの手を握る。
随分と冷えている指先を包んで持ち上げると、指先にも口付けを落とした。
「俺もお前を愛してる」
ジョシュアの瞳に、ふっ、と強く、青い炎の揺らめきのような輝きが落ちた。
読書灯の灯りが彼の瞳に反射したのだろうか、とスイッチを消そうと視線を逸らしたクライヴの名を、ジョシュアが呼ぶ。
「今夜は灯りを消さないで。……あなたの顔を眺めながら眠りたいんだ」
クライヴは浮かせかけていた体をベッドに沈ませ、わかった、と頷いた。
*
『明日、仕事の後にデートしようよ』
昨晩ジョシュアに誘われ、わかった、と気軽に頷いたクライヴは、待ち合わせ場所に現れたジョシュアが、明らかに気合の入った格好をしていたことに動揺した。
「ドレスコードのある店だったのか?」
慌ててスマートフォンを確認しようとするクライヴに、「え?」とジョシュアがきょとんとした顔をみせてから、「ああ」と面白そうに笑う。
「せっかくのデートだから、あなたに格好いいと思って欲しかったんだ。ドキドキしてくれた?」
腰を抱きながら尋ねて来るジョシュアの得意そうな顔に、素直に頷くのはなんとなく気に入らなかったが、出会った当初のように鼓動が跳ねたのは事実だった。
「……お前の隣を歩くのは緊張するって久々に思い出したよ」
「え、そんな風に思ってたの? 安心してクライヴ、僕はあなたが髪を全然切りにいかなかったり、髭の手入れを怠ったりしても可愛いと思ってるから。もちろん時々は手を入れてみない? と思ったりするけど、そのままのあなたでいて欲しい」
なぜか嬉しそうに笑いならが、ジョシュアはクライヴの好き放題に伸びた髪に指を差し入れて、軽く髪を整える。そんなに伸びてるか? と髪に触れたクライヴに、「どうかな。そのままでもいいかも」とジョシュアが囁くように口にし、クライヴにキスをする。
「……お前、本当に俺ならなんでもいいんだな?」
随分と自惚れた疑問だ、と言ってしまってから気づいたクライヴに、ジョシュアは美しい顔を緩めて、」そうだよ」と幸福そうに笑った。
ディナーの後、もう少し飲みたくない? とジョシュアに連れられて、二人は適当なバーを訪れた。
クライヴはカウンターの隣でグラスを傾けながら、幸せそうに眦を緩めているジョシュアの美しい横顔を思う存分見つめている。
いつもより隣のジョシュアから少しだけ強く香水が香ってきて、どうしてもその事実に鼓動が早くなる。久しぶりに酩酊に似た心地よい気分を味わいながら、じっとジョシュアの横顔に視線を送っていると、ジョシュアが瞳を眇めながら、クライヴを見つめ返した。
「そんなに情熱的に見つめられると早く帰りたくなる」
実はそれほど酒に強くないジョシュアが目許を染めながら、クライヴの手首を掴んで、お揃いのイヤーカフのはまった耳に小さく音を立ててキスをする。
「俺はまだ飲み足りない」
酔ったジョシュアが上機嫌に頬にキスを続けるのを宥めて嘯くと、「僕よりお酒の方が好きってこと?」と拗ねた声でジョシュアが言う。
「そこまでじゃない」
「知ってる。言ってみたかっただけ」
「……わかった、これを飲んだら帰るよ」
お前も酔ってるしな、とグラスに残った酒を一気に煽ると、ジョシュアが腰をぐいっと引き寄せて来る。
「なんだ、っ、…………おい」
腰から太ももにかけて手をすべらせてくるジョシュアに足を揺らして諫めると、肩にジョシュアの顎が乗る。
「好きだよ、クライヴ。愛してる」
うっとりした顔で見つめて来るジョシュアに、クライヴは顔を熱くしつつも唇を引き結び、「ごまかすな」とぼそりと呟いた。
なんだか上手く丸め込まれたような気分で少しだけもやもやしながらバーを出ると、クライヴはジョシュアの手を引き、自宅とは反対の方向へ足を向ける。
「クライヴ?」
困惑しながら足をもつれさせるようについてくるジョシュアをしばらく無視ししてから、目的地へ辿りついたところで振り返る。
「煽った責任を取れ」
家まで待てるか、と吐き捨てるように口にして、ホテルへ向かう。
*
あれから半年ほどが経過したが、ジョシュアの口から兄について語られる日は来ていない。
ジョシュアは今でも時々魘されて目を覚ましては、クライヴの顔をじっと眺めて、ほっとしたように胸を撫でおろしている。
(もしかして俺は、お前の兄に似ているのか?)
好奇心で尋ねてしまいたくなった瞬間は幾度もあったが、それを口にする日は永遠に来ないだろう。
恋人である以上、そうだと言われてしまってはどう受け取るべきかと考えてしまうし、違うと言われてもきっと納得できないだろうと感じていた。
ジョシュアとの出会いは運命で、こうなるのが正しい姿だと何故か強く感じていた。だから、この幸福を一秒でも長く続ける努力をするべきで、破綻させるようなことは考える必要がない。ジョシュアも破綻を望んでいないから、兄のことは口にしないのだろうと信じている。
愛し合っているからといってなにもかも話してしまう必要はない。隠し事があっても構わない。一緒にいたいと思ってくれていることだけが、クライヴにとっては重要だった。
真実を尋ねないことこそが、ジョシュアに対する誠実な愛なのだとクライヴは考えている。
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