鶴来とむらさきさん

なりたいもの。

 接待業の相手へ本気になるのは馬鹿だと思うし、仕事をしているだけで大きな感情を持たれる相手も気の毒なことだと思う。
 めいらぶという表向きは飲食店のメイドカフェ。そこに勤めるメイドさんのむらさきという青年と出会ってから清司のその考えは揺らいだ。
 恋というのは落ちてしまうとどうにもならないものなのかもしれない。
 それは物語の王子様とお姫様が惹かれ合うように。


 コンカフェを話にしか聞いたことのなかった清司であるが、その日はいつも行っている店が全席禁煙になったことで喫煙所を求め彷徨っていた。
「ねえねえ、お兄サン」
 声をかけられ、振り返る。
 下睫毛が引き立てる切れ長の目に悩ましげな眉、色白のお人形のような造形美。目元や口元のほくろは色っぽくて、クラブで見かけたら間違いなく声をかけていたようなドえらい美人のメイドさんが立っていた。
 メイドさんといっても清司がなんとなく想像で知るクラシカルなタイプや、アニメに出てきそうな胸元や下着が露にならんばかりのメイド服を着ていたわけではない。いや、ニーハイソックスの上に覗くコルセットピアスのされた太腿は眩しかったけれど。レースが沢山あしらわれている落ち着いた紫色を主としたメイド服はおしゃれで甘いのにぴりっと引き締まった印象があり、耳に幾つもつけたハード系のピアスと併せてそのメイドさんに、むらさきによく似合っていた。自己プロデュースがしっかりできるひとなんだろうなと思ったのを覚えている。
 自覚のある面食いである清司はそんなド美人のむらさきから声をかけられて、希少な喫煙場所を失ったことなど一瞬でどうでもよくなった。というか、先ほどまで酸素に喘ぐように求めていた煙草自体がどうでもよくなった。
 時間があるかと問われれば五分後に親の葬儀があったって構わずついて行こうと思ったし、メイドさんを好きかといわれればいままで考えたことがないのが正直なところであったがこの日から生涯大好きになった。
「一緒にお話ししたりご飯食べたりしない? ごほーしするよぉ♡」
 甘やかな声で誘われて断る男がいるのであれば、清司はそいつを投げ飛ばして自分がその権利を掴み取る。だが、実際に誘われたのは清司自身であったので、内心では体育会系の円陣で出す声よりもでかい声で「っしゃあ!!」と叫んでいた。呼び込みなのだから相手にとっては仕事ということはもちろん分かっていたが、金さえ払えばこの美人と仲良くお話しできるのだ。つまりはお得である。
 ──と、清司は全体的に軽薄な気持ちでむらさきへついて行ったのだが、店へ通ううちにいつの間にか抱くようになった冒頭の気持ち。
「清司クン、あーん♡」
 てろりと赤い舌を覗かせながらむらさきが清司の口元へ小さく切ったパンケーキを運ぶ。太腿同士をぴったりとくっつけるむらさきの細い腰を抱き寄せ、清司は言われるがまま口を開けてクリームのたっぷり乗ったパンケーキを食べる。口端についたらしいクリームをむらさきが拭ってくれるのを見遣れば、彼の爪が大人っぽい濃色に塗られているのが目に入った。
「ありがと」
「んふふ、美味しい?」
「むらさきくんが食わせてくれるから世界一美味い」
「ふふ、そっか……もうひと口食べる?」
「食べる。食べさせて」
「ん、待ってね」
 ナイフとフォークをちまちまと扱ってパンケーキを切り分けるむらさきの耳元でリボンが揺れる。
「はー……どこ見ても可愛い」
「えー、ほんとぉ?」
「ほんと。嘘言ってるように見える? 俺、誠実の清司って呼ばれてるからね」
 ぺらぺらと喋るところは軽佻に見えるかもしれないが、照れて頬を桃色にするむらさきを見ていると目元を押さえたくなるほどに本気で可愛くて仕方なくなるのだ。
「ううん……見えない」
「よかった。もし見えないならもっと言わないとと思って……いや、もっと言いたいな?」
……もっと言って♡」
 甘えるように言うむらさきの手からフォークとナイフを取り上げて皿に置いた清司は、そのまま彼の手を握る。さらりとした白い手。指を絡めて握ったり、放したり。握ってそのまま指先へキスをしたり。赤くなったむらさきの顔をじっと見つめる。
「肌も爪もきれいだよね。だからこうやってすぐ触りたくなっちゃうんだけど……だめ?」
「ん、だめじゃないよぉ……
 ほう、とついたむらさきの吐息が熱っぽく感じられるのは清司の都合のいい勘違いだろうか。
「やった。髪もさ、さらっさらじゃん。きれいな色だよね。俺結構ブリーチしてるから維持するの大変なの分かるつもり。むらさきくんってほんとうにどこもきれいでさ、努力してるって言ってたもんね。そういうの続けられるのすごいって思うし、格好いいよ。格好いいことしてこんなに可愛くなるって何事? 好きにならないとか無理なんだけど」
「えへへ……オレも、オレも清司クンのこと好き……♡優しいし、いつも……可愛いって言ってくれる……♡♡」
 髪を撫でながらぐっと顔を近づければ間近にとろんとしたむらさきの目がある。指先から手の甲、手首とキスを繰り返して、ここで唇にキスをするのは流石に怒られるだろう。むらさきが怒らなくてもメイド長はそうはいかないだろうから。
 それに追加料金も払わずにべたべたと触れてくる客などクソだろうと冷静な部分が清司にはある。
 互いにめろめろになったら付き合おう。
 そんな会話を、約束をした。
 ガチ恋営業ではないと思う。思いたい。もしそうだとしても本気になってもらえるようにするのは清司の誠意と努力だ。
 むらさきは王子様のようなひとが好きなのだという。
 清司は己の言動が王子様とは言い難いものだと分かっているし、いまこうして遠慮なくむらさきへ触れてしまっているのも紳士的とはいえないと客観視できる。しかし、むらさきは清司を王子様だと言ってくれたことがある。そのことから清司はむらさきのいう王子様はお行儀のいい紳士とも限らないのではないかと思っている。そうであったら「ご奉仕♡」と聞いてやましい想像をした清司など一次選考で落選であろうから。
「ねえ、部屋行ってもいい? くっつくだけでいいから……もっとぎゅうってしたい」
 むらさきの手を頬にあてて甘えるようにねだれば、むらさきは喉をこく、と鳴らす。
……くっつくだけ? もっと色々しよ……いっぱい触って?♡♡」
 ぺたりと反対側の手も清司の頬に添えて、こてんと可愛らしく首を傾げるむらさき。清司は本気で彼にクレジットカードと暗証番号を渡そうかと思ったし、むらさきと手を重ねていなければ財布に手を伸ばしていた。むらさきからの待遇が良すぎて清司はしばしば金銭以外での報い方が分からなくなってしまうのだ。
 ──これが恋人同士であったなら触れて愛情を伝えることで報いることもできるのかもしれないけれど、清司とむらさきはお付き合いをしていない。清司からどう伝えようとしても、それは清司自身が嬉しいことばかりになってしまう。むらさきが接待業であるから尚更に意識してしまう部分であった。
「俺さ、マジ……マジでむらさきくんのこと好き」
「ん、へへ……うれしい♡オレも好き♡♡ね、早くお部屋行こ♡♡」
 とろとろと嬉しそうに笑みを浮かべていつかのように腕にぎゅっと抱きついてくれるむらさきに、清司は彼の王子様になりたいと心底思う。
 なりたい、どうしたらなれるだろうかと悩む気持ちは本物だ。
 けれども、清司は最近別のものにもなりたいと思うようにもなっていた。
 王子様ではなく魔法使いになりたい。
 むらさきを自分だけのお姫様に変えてしまえる魔法使いになりたい、と。
……王子様とどっちが難しいんだろ)
 道は遠いのか近いのか分からない。
 ほんのりとした切なさを胸に、清司はVIPルームのドアを潜るなりむらさきの唇にキスをした。
 解けてしまう魔法のないキスはただただ甘く、ほんの少しだけ苦かった。