千代里
2025-06-06 08:16:27
11904文字
Public リーブラ15話
 

リーブラの針は問う・15話・その4


 ひときわ強く吹いた風によって、思い思いに飛び散る粉雪たち。それらに視界を奪われないように、片手を庇にしながら空を振りあおぐ。
 やや黒がかかった灰色の石造りの街並みは、シュガーグレイヴと似ている。使っている建材が似ているからだろうか。
 だが、シュガーグレイヴと圧倒的に違うのは、道ゆく人々の数と街の規模だ。雪を避けるために俯いて歩いている人こそいるものの、街全体の活気はシュガーグレイヴとは雲泥の差である。
「父さんの屋敷があった街もすごかったけど、こっちも相当大きな街みたいだ」
「兄さんからも、そう見えますか? わたしも、何だか圧倒されてしまいました」
 雪の冷たさではなく、興奮から頬を染めつつ、オデットはきょろきょろと周囲へ視線をやる。
 街並みに圧倒される二人の前をすり抜けるようにして、小柄な影が二人の前に立ち、大きく手を広げてみせた。チョコボ車から降りた後、ここまで二人を先導してきたティエリーだ。
「ニヴェール領は馬鹿みたいに広い領なんだけど、ここは格別だろ?」
 にいっと笑みを顔にひき、ティエリーは勢いよく手を広げ、朗々と声を張り上げた。
「ようこそ、谷の街『グラスバレー』へ!」
 
 *
 
 ティエリーと合流してからも更にチョコボ車に揺られること、六日ほど。
 途中、雪崩による道の封鎖に出会し、道の整備が終わるまで待つなどのアクシデントはあったが、予定通り、ノエたちはニヴェール家の本邸がある街へと到着した。
 領主の屋敷がある街は、総じて他の街より規模が大きくなる。この街も例に漏れず、シュガーグレイヴよりも広大な城壁と、城壁に負けない規模の街並みが一同を待っていた。
 オーバンはすぐにでもオデットを屋敷に招きたい様子ではあったが、そこで口を挟んだのがティエリーだった。
「せっかくノエたちに街を案内できるチャンスなのに、すぐに屋敷に閉じ込めるつもりかよ。別に急ぐ話でもないだろうに、爺さんはせっかちだな」
「せっかくですから、わたしも街を見てみたいと思うのですが、だめでしょうか」
 ティエリーの主張とオデットの控えめな援護を受けて、最終的にオーバンが折れた。
 元々、ノエたちを邸に受け入れる準備も必要であったらしい。彼は、夕方までには使いを送って迎えにやるとだけ言い残し、一同の自由行動を許したのだった。
 ティエリーとオデットだけでは不安だろうと、ノエが目付け役になることを名乗り出たが、オーバンが最終的に目付け役を頼んだのはルーシャンだった。
「ユーガンがいれば、奴に頼んだものを。全く、この年になって片腕を捥がれたような気分だ」
 チョコボ車を降りる途中、オーバンが思わずといった様子で溢した言葉に、ノエは一度足を止めた。
 ユーガンとは、オーバンが間接的に起こした事件の結末を確認するため、グリダニアに来訪していたオーバンの側仕えである男性のことだ。歳はオーバンと同い年くらいであり、彼自身の口ぶりからも主人との付き合いが長いことは伺えていた。
 ユーガンは、放逐された使用人母娘の様子を見るためと話していた。しかし、彼が主人が仕掛けた罠がどのような結末を齎すか確かめるために来た、いわばオーバンの『眼』であったことは疑いようがない。
「オーバン卿。その方は、今どちらにおられるのですか?」
「奴は、グリダニアに遣いにやらせてから戻ってきておらん」
「えっ」
 グリダニアに遣いをやった件は、間違いなく先だっての事件のことだろう。
 その後、ユーガンはいつの間にかノエたちの前から姿を消していた。てっきりイシュガルドに戻り、主人に報告をしに行ったのかと思っていたノエは、チョコボ車の階段を踏み外しかけるほどに驚いてしまった。
「ユーガンさんは、戻ってきていないのですか」
 地に足を付け直してから、改めてノエは問う。
 ユーガンが知り合いであることはオーバンには伝えていないので、ノエの質問はいささか突然すぎるところはあったが、オーバンは気にしていないようだった。
「そうだ。おおかた、道中で魔物にでも襲われたか、はたまた竜に食われたか。他にも考えられる理由は幾つかあるが……ともあれ、あいつの悪運もここまでだったということだ」
「見つかっていないだけで、まだどこかにいらっしゃるという可能性は」
「ゼロとは言わぬ。だが、低すぎる確率に飛びつくのは、愚者の行いだ。私のとるべき行動ではない」
 にべもなくそう言い切ると、オデットもチョコボ車を降りるのを確かめてから、オーバンだけを乗せたチョコボ車は雪道を駆けて行った。
 残された一同のうち、ヤルマルたちがティエリーから街の話を聞いているのを横目に、ノエは思いがけなく聞かされた知人の知らせに、しばし呆然としていた。
 ユーガンは、オデットの持つ指輪の家紋の名前を教えてくれた人物でもあった。ノエの父であるベルナールの近況を伝えてくれたのも彼だ。
 イシュガルドとの繋がりが断たれていたノエに、あの老人は、たとえ距離を開けても消えない結びつきがあると思い出させた人物でもあった。
(あの人は、オーバン卿と同じで、決して善人ではなかった。だけど、少なくとも僕に向き合っていたときの彼は誠実であったはずだ)
 オーバンの手先であった彼も、またイシュガルドの貴族社会に縛られた一人の人間に過ぎないということも、今なら理解できる。
(だけど、僕はユーガンさんが父について話したとき、感情的な発言をしてしまった。それに、彼の主人を目の前で非難したこともあった)
 あのときの自分の心に嘘はない。だが、言いようは他にあったのではないかと今更になって思うところもある。
 改めて謝罪する機会があればと願えども、既に今のノエにはどうしようもないことであった。
 
 *
 
 かくして、一同は二つのグループに分かれて行動することになった。
 ティエリーの案内によって街を巡るノエ、オデット、ルーシャンのグループと、別方向から街を巡るサルヒとオランロー、ヤルマルのグループだ。
 ティエリーは六人全員の案内役を買って出ようと張り切っていたが、ヤルマルは案内役なしで巡る方が好きだと言ったので、ティエリーの案内を受けるのは三人のみとなった。
「グラスバレー、というのがこの街の名前なのですか」
 ノエの質問に、ティエリーは「おう!」と勢いよく頷く。
「街の名前っていっても、最初は通り名みたいなもんだけどな。最初に誰かが言い始めて、気がついたら皆が呼ぶようになったんだ。この辺はそういうふうに名前をつけることが多いんだよ」
 ルーシャンの説明を聞いて、ノエは「なるほど」と頷く。シュガーグレイヴも、元は灰色の街並みに、砂糖菓子のように雪が積もった様子から名付けられたのだろう。
「でも、ティエリーさん。グラスバレー(草の谷)というには、その……
「随分と殺風景じゃないかって、オデットは言いたいんだろ? 五年前から、年中冬みたいな季節になっちまったが、元々はこの辺りは草っぱらだったんだよ」
 ティエリーの説明を聞いて、オデットは自分が通ってきた道を思い返す。たしかに、木があまりに生えていない雪原地帯があったように思うが、草地と言えるような緑は全くなかった。
「昔は、この辺りは羊飼いが住んでいたんだってよ。それで、羊を養うための草地もあちこちにあったんだそうだ。谷っていうのは、両側に山が広がって、ここがゆるい谷底になっているからだな」
「羊飼いの皆さんは、今もここに住んでいるのですか?」
「あー、どーだったかな。俺は見たことねえんだけど……
 案内役のティエリーでも、現状については知らなかったのだろうか。説明に詰まってしまった時だった。
「おやあ、誰かとおもったら、ティエリー坊じゃないかい! 今日はお友達に街の案内かい?」
 はきはきとした、歳を重ねた女性独特の声が響く。横合いの路地から姿を真似たのは、恰幅のよい老年のヒューラン族の夫妻だった。
 清潔そうな身なりをしているが、貴族のような質の良い布を使った服は着ていない。この街で暮らしている平民の一人といった風情だ。
 どこかに買い物に行っていたのか、小さな紙袋を籠に入れている。
「ウェンディの婆さんじゃないか、久しぶり! でも、俺のことを坊って呼ぶのはそろそろおしまいにしてくれよ。もう、五つ六つのちびっ子じゃねえんだから」
「あたしたちから見たら、あんたはいつまで経っても坊だよ。それにしても、案内を買って出るなら、もうちょっとしっかり勉強してからにするんだね。あんたが詰まっちまったら、せっかくのお友達さんも困ってしまうでしょうに」
 籠の中から流れるように紙包を取り出し、ウェンディなる老女はティエリーの手にそれを置いた。ティエリーは立場としては一応貴族なのだが、彼女に遠慮は感じられない。むしろ長年何度も繰り返した者たちだけの気やすさが二人の間にはあった。
「羊飼いの方々はね、今はもうここには住んじゃいないんですよ。五年前までは、谷の底の方で羊を育てている者もいたけれど、この寒さだからね。寒くない地方に行っちまったのか、それとも領主様がそのように手配したのかは分からないけれど、ともあれ羊飼いはグラスバレーから去ってしまったというわけだよ」
 話をしながら、ウェンディはノエやオデットの手にも紙包を押し込んでいった。開くと、クッキーに似た大判の焼き菓子が一枚、香ばしい匂いで二人を誘っていた。
「いや、俺は別にいらないぞ、おばあさんや。もうそんな年じゃないもんだからな」
「ティエリー坊の友達なら、うちの孫の友達みたいなもんよ。ほら、持っていきな」
 最年長のルーシャンまで紙包みを押し付けられ、ルーシャンはウェンディの勢いに気押されるようにして菓子を受け取っていた。ティエリーは老女に「いつもありがとな」と言い、早速焼き菓子に齧り付いている。
「ティエリー。最近、ベリトア様とは仲良くしておるか」
「親父とは、まあ……うん、それなりにやってるよ、ペーター爺さん」
 ウェンディに寄り添っていた老人が、これまた遠慮のない口調でティエリーに話しかけていた。こちらはウェンディの夫だろう。
「ベリトア様も、突然当主にくりあがった上に奥様が亡くなって、お辛い思いをしてきただろうからな。息子のお前にも思うところはあるだろうが、喧嘩ばかりしてはいかんぞ」
 ウェンディが肝っ玉かあさんという風情なら、こちらは口うるさい教師といったところか。だが、どちらも言葉遣いに遠慮こそないものの、ティエリーに親しみを覚えているのは分かった。
「仲が良いのですね。ティエリーさんが街に出ているときに、お世話になっていた方なのですか」
「いや、違うよ。ウェンディ婆さんも、ペーター爺さんも、元は屋敷の使用人だったんだ。二人は庭師だったから、俺が屋敷を抜け出して庭を彷徨いているときは、よく面倒見てくれたんだよ」
 ノエの質問に、ティエリーはこれまで見せなかった照れ笑いを浮かべながら、二人を一同に紹介した。
 母親を幼い時分に失い、父親との関係がぎくしゃくしていたティエリーにとって、年配の使用人は唯一安心して逃げ込める場所だったのだろう。
 ウェンディに服装の乱れを指摘され、ペーターに言葉遣いの注意を受けているティエリーは、実の祖父であるオーバンよりも、よほど『孫と祖父母』のように見えた。
「先ほど、あちらのお爺さんが、ベリトア卿が当主に繰り上がったという話をしていましたよね。当主の繰り上がりというのは、よくある話なのですか」
「無いわけじゃないが、そう頻繁にあるものでもない。長男か長女がいるなら、家督を継ぐのはそのどちらかって決まっている場合が殆どだからな」
 ティエリーの代わりに説明をしたのは、ルーシャンだった。寒空の下で話すのも何だからと、ルーシャンは一同を手近な店の軒下に誘いつつ、続ける。
「ベリトア卿に兄か姉がいて、不幸な事故で亡くなったとか、本人の固い意思で辞退したとかの場合は、ベリトア卿に繰り上がるって場合はあるな」
「では、ベリトア卿にも、そのような血縁の方が?」
 ノエが当主の継承権について尋ねたのは、自分の父親を思い出したからだ。
 表向きには隠していたものの、ラペイレット家の長男であったフィリベールは庶子でもあった。正当な血を引かない兄に家督を継がせないために、ベルナールの母親はフィリベールではなくベルナールを推し、ラペイレット家の前当主も最終的にベルナールを選んだ。
 そのような特例でもない限り、世襲制はそう簡単に覆されるものではない。
「ベリトア様の場合は、少々事情が複雑だったのだ。その辺りは、ティエリー坊も知っているかと思うが」
 ペーターと呼ばれた老爺がティエリーに話を振ったのは、領主の個人的な話を、一介の平民である自分が、己の一存だけで話せないと思ったからか。
 ティエリーは特段臆することもなく、しれっとした表情で、
「元々は、親父の妹の方が家督を継ぐ予定だったって話だったんだよ。親父より、妹の方が出来が良かったとか、じじいは言ってたな」
「ティエリー坊。オーバン卿を、そんな風に呼ぶもんじゃないよ」
「それぐらい好きにさせてくれよ、ウェンディ婆さん」
 ティエリーは唇を尖らせたものの、「あの爺さん曰く」と言い方を改めた。
「親父は、子供の頃は体が弱くて寝込みがちだったらしい。それに、あまり要領も良い方じゃなかったんだとさ。爺さんの進めていた当主のための教育計画についていくのも、やっとの状態だったって話だ。一方で、妹の方……つまり、俺の叔母さんは、親父よりもずっと優秀で、神殿騎士団に一時的に属していた時も、目覚ましい功績を上げていたんだと」
「オーバン卿にとっては、娘の方が優秀に見えたということですか。でも、それではお兄さんだったベリトア卿は、面白くないと思ったのでは……
「さあ、親父の若い頃についてまでは俺は知らねえよ。それこそ、ペーター爺さんたちの方が知っているんじゃないか」
 ノエの質問に答えられないティエリーは、再び元使用人の夫妻に話を渡した。
 ペーターとウェンディの顔に、先ほどまでなかった迷いが浮かぶ。気まずい沈黙が流れて、話の流れが滞りかけたときだった。
 口火を切ったのは、ルーシャンだった。
「ティエリーの言っていたその叔母っていうのが、のちにエヴラール卿の長男に嫁いだことで、ベリトア卿が家督を継ぐことになったんだって俺は聞いてる。その辺の事情は、俺たちも知っておいた方がいいかと思うんだが、どうだ?」
「エヴラール! まさか、まだその名前を聞く日が来るなんてね」
 思わずといった様子で声を上げたウェンディに、ルーシャンを除いた三人が驚いた顔を見せる。
 ウェンディの声音には、エヴラールという家に対する明確な嫌悪が混じっていた。忌まわしい敵の名を口にしたかのように、老女は眦を釣り上げ、口元を歪めている。
「ウェンディさん。エヴラールさんのことを、何か知っているんですか」
「ああ、知っているとも。だけど、こればかりは流石にティエリー坊に頼まれても、よその人には迂闊には話せないよ。エヴラールの関係者はもう皆死んじまったんだ。死人の悪口は言うもんじゃないからね」
「あの……わたし、実は、エヴラールさんの縁者だって言われて、オーバンさんに招待されたんです」
 まさか当主の隠し子だったなどとは言えず、オデットは遠回しに親戚であることと、オーバンの招きを受けていることだけ強調した。
 この言葉は、どうやら効果覿面だったようだ。元使用人の夫妻は、揃って目を丸くしてオデットを見つめている。
「まさか、お嬢さんが本当に、あのエヴラールの?」
「はい。突然のことで僕たちも驚いているのですが、オーバン卿はそう思っているみたいです」
 ノエとオデットの説明を受けて、老夫妻も得心がいったらしい。ティエリーとオデットを交互に見やると、
「だから、ティエリー坊やが案内をしていたんだね。……いやはや、こんな日が来るとはね。エヴラールの関係者に会うことなんざ、もう二度とないと思っていたのに」
 夫妻の言葉には、懐かしさよりも、どう接したらいいかという戸惑いが大きかった。
 だが、オデットが自分の生まれについて殆ど知らないことや、己のルーツを知るためにニヴェール家に赴くつもりであることを掻い摘んで説明すると、夫妻の顔には同情が徐々に広がっていった。
「そういうわけだし、せっかくだから俺も聞いておきたいな。親父が叔母さんから譲られる形で当主になったっていうのは知ってるけど、俺もどうして叔母さんがエヴラール家の人間と急に結婚する気になったのか、教えてもらっちゃいないんだよ」
 ティエリーの父、ベリトアは当主になれないと分かっていたがために、身分差のある騎士爵の娘との恋愛結婚を選んだ。
 長男夫妻は本邸から離れた別邸で暮らしており、ティエリーも父が急に当主に繰り上がるまでは別邸にいたので、叔母とは殆ど顔を合わせたことがなかったのである。
「その話をするなら、ちょいと昔話をする必要があるね。外から来た人は、あまり詳しくはないだろうから」
 よいしょとウェンディは軒下にあったベンチに腰を下ろす。ティエリーたちも、近くに置かれていた椅子へと腰を下ろした。
 気候が温暖だった頃はテラス席として利用されていた椅子や机も、今では誰も腰を落ち着けようとしないのだろう。腰掛けた椅子は、朽ちかけの木がもつ独特の軋んだ音を立てていた。
「昔話、ですか? 二つの家は、そんなにも古い付き合いがあるのですか」
 自分にも関係がある話かもしれないと、オデットは身を乗り出す。
「俺も聞いたことがあるな。エヴラールとニヴェールが昔から続く同盟関係って話だっけか。たしか、二つの家は両方とも魔法の研究をしていたとか」
「ティエリー坊の言う通りさ。大昔、邪竜との戦いが少しずつ本格的になった頃、二つの家は共に手を取り合って邪竜をやっつける魔法を作ろうってしていた。両家は知恵を寄せ集めて一つの魔法を編み出したが、邪竜の討滅は叶わなかった」
 その時の落胆の様子が、ノエやオデットには目に見えるようだった。竜が齎す災厄と破壊に怯える人々の姿は、これまでも何度も目にしている。
「当時の人々は、両家の魔法には期待していたんだろう。そのためのお金やら材料やら、あれこれと準備の手伝いもしていたんだろうね。だけど、両家は失敗した。期待が大きかった分、失敗による失望も大きかった。おかげで、二つの家は周りから強く責められてしまったというわけさ」
「ニヴェール家のご先祖様は、魔法の研究からは手を引くことを選んだ。邪竜を魔法で倒すのは、自分たちの力では無理だと諦めたんだ。だが、エヴラール家は、魔法の研究をやめないと言った。ニヴェール家はかつての盟友だったのに、自分だけ手を引くのは悪いと思ったんだろうさ。魔法の研究は表向き手伝わなくとも、裏の援助は惜しまないと約束した、というお話さ」
 話を聞きながら、ノエはちらりとルーシャンを見やった。
 昔話といえども、ここまで詳細な内容ともなれば、これは実話であるのは間違いない。
 エヴラールの関係者といえども、実際に家の者と交流があったわけではないオデットと異なり、ルーシャンは正真正銘エヴラール家の縁者だ。しかし、夫妻の昔話は既に知っていたのか、ノエの見た男の横顔には目立った変化は見られなかった。
「今も、昔の盟約に従って、歴代のニヴェール家当主はエヴラール家に様々な援助をしていたと聞いている。その見返りに、エヴラール家はいくつかの研究成果ををニヴェール家に提供している。だが、それはあくまで多少仲の良い家同士のやり取りに過ぎないものだった」
 貴族同士の援助や、その見返りとしての報酬のやり取りは日常茶飯事である。両家に限ったことではないとペーターは説明した。
「だが、あの時、存命だったエヴラールの当主は……セレスタン卿は、よりにもよって、オーバン卿が当主として育てていた愛娘を、盟約に従って自分の長男に嫁がせるようにと言ったのだ」
 つとめて冷静に話そうとしてくれたようだったが、老人の声音に険しさが帯びる。
 そこには、ニヴェール家にいざこざを持ち込んだエヴラール家当主に対する敵愾心が滲み出ていた。
 歳を考えれば、彼らはオーバンの同年代か、あるいはいくらかは年下といったところだろう。彼らが最も馴染みがある相手は、孫世代のティエリーや息子世代のベリトアではなく、引退したオーバンなのかもしれない。
「とはいえ、お嬢様も反対はしていないかったようだけどね。むしろ喜んでいるように、女の私としては思ったものだよ。前々から、お嬢様は魔法の才能に恵まれていて、常日頃から魔法の研究をしたいと口にしていた方だったからね。だから、エヴラール卿の申し出はお嬢様にとっては都合が良かったようで、本人は一も二もなく承諾していたんだよ。それで、一旦はオーバン卿も可愛い娘を送り出すことに納得したのだけれど」
……嫁いだ先で数年もしないうちに亡くなったと聞かされて、あの時はオーバン卿も相当落ち込んでいたな」
 言葉を途中で切ったウェンディに対し、ペーターが暗い声で続きを説明した。
 手塩にかけて育てた娘を、不承不承手放し、せめて嫁ぎ先で幸せに暮らしていてくれと願った矢先の訃報だ。貴族に限らず、どんな家庭であっても問題になりそうな状態であるのは想像に易い。
(オーバン卿にとっても、やりきれない話だっただろう。でも、盟約を理由にして、不義理を働いたセレスタン卿の隠し子であるオデットを、オーバン卿は自分の元に招きたいと言った。それは、どうしてだろうか)
 ノエの胸中の疑問に対する答えは、このなかの誰も知り得ないことであろう。ことの真意はオーバンに問うしかあるまいと、ノエは一旦疑問を棚上げした。
「二つの家は、とても複雑な関係だったのですね……
「そうだよ、エヴラールに縁(ゆかり)のあるお嬢ちゃん。ニヴェール家もエヴラール家もどっちも貴族ではあるが、あの件があるから、使用人だけじゃなくて、この街――グラスバレーの民はどうにもエヴラール家を良く思っていない人が多いんだよ」
「詳しい事情は知らなくとも、隣領の貴族が、うちの領主様に無茶を言って娘を掻っ攫っていったってことは知られているからな。そのエヴラール家も、一夜の火事で全滅してしまった。とはいえ、ここにいるときはエヴラール家の話はあまり口にしない方がいいよ」
 老夫妻は、オデットの事情を知った上で、彼女の身を案じて忠告を送ってくれた。少なくとも、彼らは偏見の目でオデットを見てはいないようだ。
「貴重な話を教えていただきありがとうございます。僕たちも気をつけるようにします」
「俺も、二人に聞いて初めて知ったよ。俺の家のことのはずなのに、爺さんや親父はその辺全然話してくれなかったからなあ」
 頭を下げるノエの隣で、家の関係者であるはずなのに知らないことばかりだったと、ティエリーは目を丸くしていた。
「そりゃ、お前みたいにふらふら出歩いているような子供には言いづらい、『大人の話』だったからじゃないか?」
 ルーシャンの揶揄に、ティエリーは「悪かったな」と唇を曲げる。
 数日前、大人ぶった態度のせいでサルヒに辛辣に扱われているのでは、とティエリーに言われたことの、ルーシャンなりのささやかな意趣返しだった。
「オーバン卿にとってもベリトア卿にとっても、近しい家族の話だからね。そう簡単に口にできることではなかったのだろうさ」
……そうですよね。わたし、オーバンさんのこと、少しだけ誤解していたかもしれません」
 オデットにとって、オーバンの存在は無慈悲な嵐そのものだった。
 突如自分の目の前にやってきて、父親の関係者を名乗り、有無を言わさずオデットを自分の屋敷に連れて行こうと宣言した振る舞いは、自らを王とでも思っているかのようだった。
 彼の持つ権力や肩書き、分家であるはずのルグロ家の不正を容赦なく裁く態度も相まって、オーバンの印象は、オデットの中ではますます苛烈一辺倒になっていた。
(でも、ご自分の娘さんが亡くなったと聞いて、そんなにも落ち込まれていたというのなら……あの方は、お家のことや家族のことで悩む、ただのお爺さんに過ぎないのかもしれません)
 人の印象は与えられた情報によって、くるくると変わる。
 粗暴な考えなしの若者に見えたティエリーが、家族のために貴族のしがらみをかなぐり捨てて走り出せる人だと知ったとき。
 仲間の一人であったルーシャンが、実はオデットの戸籍上の兄であったと知ったとき。
 ヤルマルが、オランロー、ノエが、サルヒが、それぞれが経てきた経験を知り、オデットの知らない側面を知るたびに、オデットは彼らとの距離が近くなったように感じていた。
「だめだぞ、オデット。あくまで、じじいはじじいだからな。そんな風にすぐ絆されていたら、すぐに足元掬われるぞ」
 ティエリーの言葉に、オデットは同情に傾きかけた心を慌てて引き戻す。
 オーバンがどれほど家族のために胸を痛める準備であっても、彼が刺客を差し向けるような人物であることには変わりないのだ。グリダニアに今もいるはずの友人は、オーバンのせいであわや命を落とすところだったことを忘れてはいけない。
「ともあれ、お嬢ちゃんや。オーバン卿に会うのなら、このことは覚えておいた方が良いだろうね。ただ、娘さんの結婚の件があるまでは、セレスタン卿とオーバン卿は隣領ということもあって、悪友のような間がらだったんだ。だから、娘さんの結婚のことは水に流して、昔を懐かしんで、エヴラール卿の縁者を呼ぼうと決めたのかもしれないね」
「くそじじいが、そんなセンチメンタルな気持ちで人を呼ぶかあ? ぜってー、あの腹黒じじいはとんでもないこと考えてると思うんだけどな」
「ティエリー坊、そのような言葉遣いをしていると、またベリトア様に怒られてしまうぞ」
 老夫妻とティエリーのやり取りに笑いつつ、オデットはそっとノエの上着の端を引っ張った。彼女の不安を感じ、ノエはオデットの頭に手を置き、そっと撫でる。
 オデットの気持ちを宥めながら、ノエはルーシャンへも視線をやった。
「ルーシャンさん。先ほどの件は、ご存知だったのですか」
「当事者じゃないが、同じ家にはいたからな。義兄夫妻のことは知ってはいたが、そのせいでニヴェール家にここまで迷惑かけてたってのは……まあ、想像ができないわけじゃなかったが、やっぱり当事者の言葉は少しきついな」
 ルーシャンは肩をすくめ、苦笑いをこぼす。
 ルーシャンと義兄には年齢に差があったので、嫁いできた花嫁が早逝した頃、ルーシャンはまだ二十歳を少し過ぎた程度の若者であった。
 養父によって、貴族のしがらみからも敢えて遠ざけられていたこともあり、知識としては知っていても実感の持てない内容であったが、今になって実情が身に染みたとルーシャンは苦笑する。
「親父は、良くも悪くも自分の研究一辺倒の人だったからな。さっきの婚姻の話だって、魔法の才能がある娘の血をニヴェール家で当主として飼い殺しにするより、より良い環境で才能を伸ばした方が良いに決まっているとか、それぐらいのことしか考えていなかったんだろう」
「ニヴェール家にはお兄さんがいるのだから、そっちに家督を継がせればいいと?」
「そういうことだ。横紙やぶりが結果的に誰かを助けることもあれば、そうじゃない場合もある。この場合、嫁さんとしてはやりたい研究を俺の家でやれたわけだが、オーバン卿にとっちゃ自分が手塩にかけて育てた跡取りを掻っ攫われたわけだ」
「貴族の人は、ただ好きなことをするだけでも、多くのことを考えなければならないのですね……
 オデットが、雪崩れ込んできた情報の数々に圧倒されたように呟く。一方で、ノエは周りの空気に飲まれそうになっているオデットを見て、
「だけど、彼らは課せられた責務の代わりに、相応の報酬を受けとっている。そして、僕たちは彼らとは異なる。……このことは、忘れないようにしておかないと」
「そうだな。貴族と関わったとしても、俺たちは所詮旅人で冒険者だ。そこまでガチガチになる必要もないだろうよ」
 からりと言ってのけるルーシャンに呼応するように、ノエも自分の胸にそっと手を当てる。
 オデットを案じるように言いつつも、ノエはつい父親や腹違いの妹のことを思い出す己に気がついていた。
 今更、実家であるラペイレット家に戻るつもりはない。しかし、貴族の話を聞くたびに、自分の責務とは何かを問う、もう一人の自分が顔を出すのも事実であった。
(決めたはずの自分の道を守り続けることって、僕が思っていた以上に難しいことだったんだな)
 だが、己の決めた道は貴族の世界にはない。
 改めて、もう一人の自分にそう宣言してから、ノエは老夫妻と話を続けているティエリーに「そろそろ移動しましょう」と声をかけた。