「
……無い」
アニェラは、自分の胸元にそっと手を当ててつぶやいた。その手は柔らかく、淡く光を吸うような指先だった。そこにはいつも、静かに灯っているはずのものがある。
透明な宝石。神子としての“コア”
——命の核ともいえる存在、けれど今日は、いくら触れても感触がない。
「
……どこに落としたのかな」
小さく首をかしげる。
けれど焦りはなかった。慌てる様子も、取り乱す様子もない。
まるで、雨粒の音をただ聞いているみたいに、静かな表情だった。
そんな彼の後ろから、柔らかな足音が聞こえてくる。
「
……どうかしたか?」
振り向けば、ルイフの姿。
風になびく少し癖のある前髪と、涼しげな眼差し。最近よく喋る人間だ
…
落ち着いた空気を纏いながら、まっすぐにこちらを見ていた。
「ぼくの、コアが無いみたい。
……たぶん、落としたのかも」
アニェラは淡々と話す。大げさな仕草もない。
ただ、事実として淡々と。
「
……大事なもんなんだよな、それ」
「うん。ぼくの命」
ルイフの瞳が、わずかに揺れた。
でも彼は、その言葉の重さに飲まれることもなく、ほんの少しだけ、息を整えてから言った。
「そっか。じゃあ、探そう」
「
……でも、時間を奪ってしまうかもしれない」
アニェラは遠慮がちに言った。声に、責任感の色が混じる。
自分の不注意で人の手を煩わせることが、ほんの少し申し訳ない。
でも、ルイフはふっと小さく息を吐いて、目を細めた。
「いいよ。2人で探した方が早いだろ」
それは、とても短い言葉だった。
けれど、言葉以上のあたたかさがそこに込められていた。
アニェラの中に、淡いなにかが灯る。
胸の奥、宝石ではない場所に。
二人は並んで歩きながら、ゆっくりと中庭を巡った。
石畳の隙間、小さな噴水の縁、花壇の陰
——
落とした可能性のある場所を、思いつくまま探していく。
時間の流れも、風の音も、二人だけの静かな世界に変わっていた。
「
……ここじゃないね」
アニェラは何度もそうつぶやいた。
だけどその声はどこか楽しげで、ひとりでは出ない響きだった。
ルイフは何も言わずに、でも丁寧に探し続けていた。アニェラがしゃがめば、それに合わせて目線を落とし、アニェラが見落としたところを、静かに拾いあげる。
夕陽が、空をゆっくり茜色に染めていく。
アニェラはふと足を止めて、空を見上げた。
そして、隣の青年の横顔をちらりと見る。
その姿が、なぜか目に焼きついた。
「
……もう、帰ろうか」
「いや、もう少し探してみよう」
ルイフは迷いもなくそう言った。
そのまま、ベンチの下に手を伸ばして何かを覗き込む。
アニェラは黙って見つめていた。
……どうして、こんなにも真剣なのだろう。
僕のために、こんなに
……。
その時、胸の奥がふわりと温かくなった。
風の匂いのような、やわらかく、でも確かに心に残るぬくもり。
けれど、それが何なのかは分からなかった。
ただ「幸せ」だと、どこかで感じていた。
それからしばらくして。
「
……あった。これじゃないか?」
ルイフが、地面に落ちていた小さな光を拾い上げた。
夕陽を吸い込んだような透明な宝石が、彼の掌に乗っていた。
「
……うん。これ、ぼくの」
アニェラは静かに宝石を受け取る。
両手で包み込むように、大切に抱える。
その光は確かに、自分の“核”だった。
けれど、なぜかそれ以上に、
“一緒に探してくれた”そのことが嬉しかった。
「
……ありがとう、ルイフ」
「礼なんていいよ。大事なものだろ」
アニェラはうなずいて、でもふと口元が緩む。
——この胸の奥のあたたかさは、きっと宝石とは関係ない。
でも、理由はまだわからない。
わからないけれど。
こうして探してくれた時間のことを、きっと僕は忘れない。
「
……また、何かあったら頼れよ」
ルイフが、さらりと言う。
「
……うん」
アニェラは微笑んで頷いた。
宝石よりも、今はこのぬくもりのほうが、ずっと大切に思えた。
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