くこ
2025-06-06 00:08:40
4406文字
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茫漠としたお話(王最)

過去イチ暗い





四角い、薄い、板が光っている。

モノパッドのようなものだろうか、あの学園では馴染みのなかった電子機器。だってあの学園では、少し足が疲れたとしても、会いたい人に会えないなんていう距離は無かった。だいたいの居場所は常にモノパッドで監視されていて、たまにエラーを吐かれることはあっても、別にいいかと思える程度の誤差だった。

それが、いまや、こんなに不便だ。誰がどこにいるかは、個人情報保護の観点により開示請求でない限り提供されることは無いし、誰かに会いに行くことだって、そうやすやすと出来たものではない。
だだっ広く感じた、窮屈に思えた、箱庭の学園。今はもう、どこにも無い。

ちか、ちか、四角い板は明滅する。まるで自分を呼んでいるようだ。事実、そうなのかもしれない。いつまでそこにいるつもりなのかと、誰かがそう伝えたくて、こんなにもしつこく明かりを届けているのかもしれない。

テーブルに伏せていた顔を、少しだけずらして、片目で覗く。薄暗い室内でただひとつ煌々としているそれは、まるで白い落とし穴のようだった。繋がっている先は、天国か、地獄か。
目を伏せ、ゆっくりと開ける。ふうと息をつき、観念して、薄い板に近寄った。四角い板のなかに、また、四角い枠がある。メッセージは、見慣れた字面。王馬小吉からのものだった。




「お会計はすでに頂いておりますので、本日はこのままお帰りいただいて構いません。ご利用、ありがとうございました」

告げて、最原はデパートの店員のごとく頭を下げた。ご贔屓にしていただいている顧客だった。丁寧すぎて悪いことなど無い。
人から頭を下げられることに慣れているだろう顧客は、またよろしく、と言い残して去っていった。ドアが閉まり、足音が遠ざかるまで、最原は顔を上げなかった。
45度に傾けた背中を戻し、そのままの流れで伸びをする。白い頬を黒髪が撫でた。その後、感じる空腹。そういえば今日は何も口にしていない。時刻はすでに夕刻を過ぎていた。
作るのも買いに出るのも食べに行くのも億劫で、最原はすぐさま、出前を取ることを決断する。使い慣れた手配方法は、目を閉じていても繰り返せる。いつもどおりであれば、ものの数分で届くだろう。

ちか、ちか。また、視界の端で、四角い板が存在を主張する。
昨日の夜に返事をしたばかりだろう、最原は目頭を押さえる。思うが、メッセージの送り主が、そういう常識を気にするわけがないことも、よく知っている。もっとも、何時間置きにメッセージのやり取りをするのが常識か、なんて、最原も知りはしないのだが。
親指と人差指とで目元を押さえたまま、最原は数秒、思案する。無視を決め込んでも、この光が消えることは無い。ならば、食事の前に済ませてしまおう。嫌なことはさっさと片付けるに限る。

決めるが早いか、最原の長い足がテーブルへと向かう。細長い指が、四角い板を拾い上げる。
メッセージの内容自体は、大したものではない。早く寝ろだとか、きちんとした食事を摂れだとか、客へ色目を使うなだとか、どうでもいいことが多い。そのたびに最原は、この本を読み終わったら寝るんだとか、サプリメントを飲んでいるから問題ないんだとか、言いがかりはやめろだとかを返事している。たわいない会話。もしかしたら、あの学園では交わしたことのなかったものかもしれない。

今回も、朝どころか昼ご飯も抜くなんてどうかしている、という、至極真っ当ぶった文句だったので、たった今から食べるのだから邪魔するな、と、送った。実際はまだ出前が届いていないので食べられないのだが、いくら最原の事務所兼住居が若干旧式とはいえ、そろそろ食事にありつけるはずだ。
その家主の考えを読んだのか(そんなわけはないが)、出前が届く。出来立ての匂いが鼻腔をくすぐって、最原はさっさと板を放り投げて食事に向き直った。メッセージは届いていなかったが、男の不満そうな顔が見えたような気がした。




「元気にしてた?」

肩までの黒髪は、学園のときとは違って、2つに結んでいなかった。長さも、あのときは背中の下まであったが、今はそこまで長くない。
保育士をしている春川は、自由業の最原と同じく、不定休だ。今回、休みが合ったのは、本当に偶然のことだった。ちょっとした春川の頼み事を解決して報告する際に、雑談して、たまたま判明した。もしかしたら年単位で顔を合わせていなかったので、久しぶりに会おう、という話になったのは、自然な流れだった。

「元気だよ。春川さんは?」
「私も。変わりないよ。なんにも変わってない」

含みのある物言いに、最原が苦笑する。日々目まぐるしく成長する子どもたちを相手に、変わらないということは無いだろうが、彼女にとっては当たり前のことなのだろう。何をどう受け取るかは、主観によって変わる。
最原の目の前に置かれたオムライスは半分程度しか減っておらず、それを見た春川が、普段の彼の食生活を鋭く見抜いて指摘する。言い訳のしようもないのだが、悪あがきとして、今日は朝ごはんを食べてしまったのだと主張しておく。もちろん、そんなものは食べていない。

「栄養失調で倒れないでよ。身元引受人になんてならないからね」
「あはは……善処するよ」

呆れ顔で告げる彼女に、現在の状況を見越して食前に頼んでおいたアイスコーヒーを一口すする。
最原も春川も、語るほどの特別なエピソードを持ち合わせていない。からん、と、アイスコーヒーの氷が音を立てた。それをぼんやりと眺めていた春川が、口を開く。

「夢野も、元気そうだったよ。こないだ会ったんだ」
「そうだったんだ。よかった。夢野さんとは、連絡もあまり取っていなくて……2人が仲良くしてくれていて、安心したよ」
「喧嘩なんてしないよ」

鋭い眼光は、学園での彼女を思い出させる。最原の瞳に感傷を見つけた春川は、バツが悪そうに目をそらした。誤魔化すように、春川も頼んでいたアイスコーヒーのストローをくわえる。

……私たち、本当は、もう働かなくてもいいくらいなのにね」
「そうだね……でも、さすがにそれは、暇すぎるかな」

人生死ぬまでの暇つぶしとは言うものの、というのは、さすがに不謹慎な気がして、続けなかった。目の前の春川には、次に何を言おうとしていたのか、バレてしまっていた気はするが。しかし彼女が、それを言及することは無かった。

「夢野も呼ぼうかと思ったんだけどね。休み、合わなくて」
「たぶん、夢野さんが一番忙しいもんね」

彼女の仕事は、業界としても多忙な部類だ。もちろん、最原の仕事も、春川の仕事も、暇ではないが、なんというか、レベルが違う。仕事で人死にを出すレベルの業界だ。よくぞ飛び込んだものだと思う。
もしかすると、夢野は、一番変わったのかもしれない。あの学園を出てから、いちばん。

「すごいよね。このあいだも、ランキング1位だったのを見たよ」
「ああ……あの、連続ドラマね。夢野にあんな才能があったなんてね」

言って、春川が顔をしかめる。才能、という単語が引っかかったのだろう。

「夢野が、あの道に進むって聞いたときは、正気を疑ったけど……でも、今を見ていると、必要なことだったのかも、って、思う」
……そうだね。向き合い方は、人それぞれ、だから」

春川も最原も、とてもではないが真似できない。しかしそれは、誰にとっても同じだろう。
春川がストローをもてあそぶ。コップの中のアイスコーヒーは、ほとんど残っていない。最原の前にあるオムライスは、先程から何も減っていない。

「帰ろうか。どうせそれ、もう食べないんでしょ」

最原は答えず、にっこりと笑った。




予想していたことだが、本日のメッセージはやはり、オムライスを残して店を出たことに対する小言だった。仕方ないだろ、無理なものは無理なんだから。今までで一番早く、返事をする。しかし、それに対する返信は無い。
いつもそうだ。往復は、一回まで。それ以上は続かない。断片的に、別の話題が送られる。すぐに返しても、何時間後に返しても、何日後に返しても、変わらない。ぜったいに、話題が続くことは無い。

四角い板を、指でつつく。机に伏せて目だけを覗かせている最原の顔を、ぼんやりと、光が青白く照らす。

ピリリリ、と、電子音が鳴り、おもむろに顔を背ける。虚空で指を縦に振り、着信を取った。相手は、先ほど別れたはずの春川。なんと、ポーチをなくしてしまったのだという。数秒考えた最原は、自らの鞄を手に取った。なくしたポーチって、赤い花がら?

『なんでわかったの?』
「僕の鞄に入ってたから」
…………
「鞄を一緒のところに置いてもらっていたから、何かのはずみで入ってしまったのかもしれないね」

その程度の推理しか出来ない。学園と違って、カメラは最原たちを監視していないので、答え合わせも出来ない。
とにかく、春川の探し物が、最原の家にあることは事実である。どこかまで持っていこうか?と申し出たが、行くほうが早いからとあっさり断られる。空が薄暗くなってきてはいるが、女性が出歩くのに危険だというほどの時間でもない。最悪、帰り道を送っていけば問題ないだろう。

数十分後、チャイムが鳴った。どうぞ、という最原の声に応じて、ドアロックが解除される。
ポーチを差し出すと、彼女はほっとした顔をした。

「ありがと。騒がせちゃったね」
「ううん。僕も、ぜんぜん気が付かなくて、ごめんね」

ほとんど中身が空っぽの鞄は、せめて真っ当な人間に見えるように持ち歩いているだけのアクセサリーで、実際に活用をしていない。それがあだになるとは、いっそ手ぶらにするべきかどうか、最原は後ほど検討せねばならない。
踵を返そうとした春川が、テーブルの上の四角い板に目を留める。

……なに? それ」
「うん? ……ああ」

最原の白い手が、板を持ち上げる。

「僕もわからないんだ。いつのまにか、家にあった」
「は? そんなものを、後生大事に捨てずにいるわけ?」
「たぶん、通信機器だと思うんだよ。メッセージが来るし、送れるし」
……なに、これ。あんたこんなの使えたの?」
「見様見真似で覚えたんだ。最初はぜんぜん使いこなせなかったよ。マニュアルみたいなものもないし」

ちか、と、板が光った。表示された文字を見て、春川が眉をひそめる。

「ねえ、」

続きを言わせないよう、最原は首を横に振った。
その顔が、大声で泣き出す前の子どもと同じで、春川は、口をつぐむ。

……程々にしなよ」

何を言えばいいのかわからずに、春川がそれだけ告げる。わかってる、と、ちっともわかっていなさそうな声が応えた。