kaede
2025-06-05 22:07:02
5238文字
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「僕がキスしようか?」って言われてめっちゃ咽せる燐音くんのはなし

燐一
⚠️すべてわたしにしか配慮してません
⚠️以前に書いたはなしとほぼ同じなのは自分が一番よくわかってます
⚠️最初はギャグのつもりでした

「僕がしようか?」
「何を」
「キス」
「おー……はァッ!?」

 !?!?!?

「兄さん、大丈夫?」
 大丈夫じゃねェよ、お前のせいで。
 そんな恨みつらみを内心吐いているくせに、驚きすぎて咽せた俺の背中をさする一彩のぬくもりに別の意味でむせ返りそうになっている自分がつくづく、嫌になる。いや、嫌、じゃねェけど。なんて言うんだ。
 手遅れだな、的な。
 そう、もう、手遅れだ。
 だから俺はお前に。
「兄さんは僕にキスしたいんだよね?」
 そんなこと言ってねェだろ。
 ……思ってはいたけど。
 普段はギャグか?ってくらいに鈍いのに、どうしてこういう時だけ妙に聡いんだ、お前は。
 二人して都会で暮らしていくことを決めて、故郷の呪いから解放されて、ごくありふれた、普通の兄弟としてお前といられて、純粋な嬉しさだけに浸れていたのは最初の数ヶ月だけだった。そりゃそうだ。俺はもう、ずっと前からおかしくなっていたから。いつから、と、はっきり言及することはできないが、少なくともお前を置いて故郷を飛び出した頃にはもう。
 お前を置いていくことに抵抗がなかったわけがない。だが俺が俺を否定するすべてを否定するためにはもう、夢に縋るしか方途がなかったし同時に、そうすることがお前の幸せを守ることになると信じてもいた。
 あのまま俺と一緒に暮らしていたら、いつか必ず、俺たちの仲は破綻する。
 お前は不幸になる。

 だってよ、ただでさえ人生を食い潰されることが確定しているってのに、血を分けた実の兄に兄以上の感情を向けられるなんて、不幸の上塗りでしかないだろう。どこにも逃げ場も救いもない、あんな鳥籠の中で。

 気管に入りかけた唾液を何とか排除して、もう大丈夫だ、とハンドサインで一彩に伝える。一彩は名残惜しそうに……いや、多分俺が勝手にそう感じただけで、特に深い意味はなかったんだろう。俺の背中に手を置いたまま、やたら自信満々に微笑んだ。
「大丈夫。兄さんができないというなら僕が代わりにするよ。だから兄さんは安心して僕に身を委ねてほしい」
 キメ顔でハイスペ彼氏みたいなこと言うんじゃねェよ。
 うっかりときめいちまったろ。
 あーあーそうじゃなくて……って、疑問の余地もない顔で迫ってくるんじゃねェよかわいいなオイ。
「待て待てストップ! ハウス!」
「家?」
「待てとかストップと似たような意味」
「なるほど……?」
 かわいく首を傾げたって、俺は騙されねェぞ。
 なるほど、なんてかけらも思ってねェだろ。
 なんていうツッコミはさておき、取り敢えずは止まってくれた弟の肩に手を置く。また進軍開始されたらたまったモンじゃねェからな。
 いいか、一彩。お前には、真っ当な人生を歩んでほしいんだ。
 せっかくお前の未来を縛る呪いから解放されたのに、新しい呪いでまたお前を縛るなんてこと、したくない。
 俺はお前を、お前とは違うかたちで愛してる。
 だがそれをどうこうしようなんて、思ってねェんだ。
 お前はもう、自分の意思でいつでも、好きな時に好きなところへ飛んでいけるんだから。そんなお前を未練たらしく追いかけて捕まえたりなんてしない。
 俺を慕って、愛してる、と抱きついてくれるお前を抱き寄せて、俺も愛してるよ、と髪にキスする真似事をするだけで、それだけでいいんだ。
 なのによ。
「オイ待てよ」
「待ってるよ?」
「誰が何をできないって?」
「兄さんが僕にキスをだよ」
 澱みなく返すな、賢い弟よ。有耶無耶にして誤魔化せなくなったろ。
 いやまァ、余計なことを口走った俺の失策だけどな。
 いろいろ複雑な感情は持ちつつも、結局のところ、どこまでいっても俺はこの子のお兄ちゃんなのだ。軽んじられればイラっともする。別に、兄だから偉い、と短絡的に考えているわけではないが、一日の長があるのは俺の方なのは事実だ。
 まぁ、判断を見誤ったのは俺の性格によるところが大きいんだろうが。
 つまり。
「できない、ってのは聞き捨てなんねェなァ」
 俺の決意とか忍耐とかを、みくびる言葉ひとつで片づけるんじゃねェよ。
 できないんじゃなくて、してないんだ。そこんとこ、間違えンな。
 なんて俺の高潔な信念なぞ、もちろん一彩が知る由もなく。
「ずっと僕にキスしたそうにしてるのに全然しないから、踏ん切りがつかないのかと思っていたのだけど」
 聞きようによっては煽られているようにも思えるが、本人的にはそんなつもりは一切ないのだろう。天真爛漫純真無垢な顔をして答える。その顔も捉えようによっては煽りになりそうだが、やっぱり本人的にはそんなつもりは一切ないのだろう。何年この子の兄をやってると思ってんだ、間違えようがない。
 つーか、そんなにわかりやすく顔に出てたのかよ嘘だろ。鈍いお前にそんな機微かあるわけねェだろ。口から出まかせも大概にしろ。
 ……と、信じこめたら楽だったんだろうが、俺が弟のことならだいたいわかるように、一彩だって兄のことはそれなりにわかるのだろうし、軽々しく口から出まかせを言うような子じゃないことも俺はよくわかっている。
 一彩のことだから、俺の思惑に気づくことはないだろう、と高を括って弟を軽んじていたのは俺の方だ。

……一彩」

 肩から背中に滑らせた俺の手と声音と眼差しから、俺が何をしようとしているのか、ちゃんと察したらしい。
 一彩が目を閉じる。
 その顔があまりにも、俺が思い描いていた通り、いやそれ以上だったから……俺に都合の良すぎる表情をしていたから、このまま。
 このまま、今なら、夢を現実にできるんじゃないか、なんて思う。

 そうだよ。
 俺はお前にキスしてェよ。

……兄さん」
「ん?」
「違うよ」
「何が」
「髪じゃなくて、おくちにするんだよ」
「おくち」
「兄さん? 僕は何か間違ったことを言った?」

 何にも間違っちゃいないし、全部間違ってるよ。
 おくち、って何だよ。
 かわいすぎるだろ。
 おくちはダメだろ。
 髪にするのだって、俺にとっちゃアウト寄りのセーフなんだぞ。
 一度判定ラインを緩めたら、あとはズルズルずれていく一方なんだ。ここがギリギリのラインなんだ。
 おくちにしたら、もう、全部、アウトだろ。

「兄さん、あまり笑わないでほしいよ」

 笑ってねェよ。なんかいろいろ混乱して、変な顔になってるだけだよ。
 そんなダセェ顔を愛する弟に見せたくないから手で覆ってる、ってだけで。
 はー……
 日和ちゃんもかなっちも夜まで帰ってこないからって、仕事帰りの一彩を部屋に連れ込むなんて軽率なこと、するんじゃなかった。
 いや、二人きりになるのも難しいこの環境にあっての千載一遇のチャンスを逃すとか、勝負師としてありえねェだろ。
 はー……

……弟くん」
「ウム?」

 やめろやめろ、そんな警戒心のかけらもない、俺への好意しかない目で俺を見つめるな。
 俺はこれから真面目な話をするってのに。
 こんなのお兄ちゃん、どうにかなっちまうだろ。
 ほらみろ。
 ダメだってわかってるのに、お前を抱き寄せちまってるじゃねェか。
 髪にキスしちまってるじゃねェか。
 これまでずっと、真似事で耐えてきた俺の努力が全部水の泡だ。
「いいか? おくちにキスは、大事な人とすンの」
「兄さんは大事な人だよ?」
「あー……愛してる人っつーか、そういうのだよ」
「僕は兄さんを愛してるよ?」
「そうじゃなくて、一生添い遂げる覚悟がある人にすンの」
……そうだよね」
 ああ言えばこう言うを実践するばかりで、俺の言い分を一考しようともしなかった一彩の口からようやく、反論以外の言葉が出る。
 いや、だが、これは、納得したのでも折れたのでもなくて。

「兄さんはいつか、お世継ぎをもうけるために誰かと婚姻するんだよね……

 自ら口にした、真っ当に考えるなら現状もっとも近しい正解に、打ちのめされている。

 何でだよ。それじゃまるで、俺が誰か他のやつに取られるのは嫌だ、って言ってるようなもんじゃねェか。
 何でだよ。
 俺がお前の大好きなお兄ちゃんだからか?
 兄離れしたくない、ってことか?
 別にその程度のことで兄弟の縁が切れるわけでもない。そこまで深刻に思い詰めるようなことでもないだろう。
 深刻に思い詰めるに値する理由でもない限り。

「あー……別に、そうと決まったわけでもねェけど」
……そうなの?」

 こんな、一彩の結論を否定するようなこと、わざわざ言うことじゃない。言うべきじゃない。そうだ、と俺が肯定すればそれが一番、丸く収まる。一彩のために俺が用意できる最高のハッピーエンドに至る道筋だ。そんなことがわからないほど馬鹿じゃない。
 けどよ、こんなしょぼくれた顔の弟に、あるべき事実を無慈悲に叩きつけるなんて、できるわけないだろう。
 いや、こんなのはただ、自分に都合の良い言い訳でしかない。
 兄の領分を越えた俺が、突然目の前にぶら下げられた夢の端っこに、指先を引っ掛けたくなってしまった、あわよくば手繰り寄せて俺のものにしたくなった、ただそれだけのことだ。
 俺は、馬鹿だ。

「お前にそっくりな後継者候補がいるからよ、別に、無理に世継ぎを作る必要はねェだろ」
……天くんのこと?」
「あいつ、賢いとこまでお前に似てそうだしよ、いい君主になるンじゃねェか? まァ、お前の子供じゃねェけど」
 お前の子だったら。
 俺だって、とっくに夢から覚めてたろうにな。
 一彩は俺の言葉の裏にある真意を探るような視線を投げかけたあと、ぽつりと呟いた。

……それでも、たとえお世継ぎは必要でなくても、いつか兄さんを立て支える人とは、婚姻するんだよね」

 ……何だ。それがお前の真意か。

「つまりお前がこだわってるのは、世継ぎの有無じゃなくて、俺の婚姻の意思の有無、ってことだ」
「あ……
 指摘されて初めて気づいた、とでもいうように……というか実際その通りなんだろう。無防備な図星を指された一彩は見るからに、動揺していた。
「つまり、俺に結婚してほしくない、ってことか」
「そんなことは言ってないよ」
「なら、誰が相手ならお前は納得するんだ?」
「それは……
「たとえば」

 駄目だ。
 これ以上は口にするな。

……兄さん?」
 調子に乗って畳み掛けてきていた相手が突然黙りこんだから、一彩もさすがに不審に思ったのだろう。および腰ながらも窺うような眼差しで俺を見る。
……一彩」

 ほらみろ。
 一度緩めちまったラインはズルズルずれていく一方だって言ったろ。

 その汚れを知らない唇にかぶりつきたい、という、初めて輪郭が明確になった衝動は一度沈めて、一彩を見つめる。
 一彩は、俺の雰囲気がただならぬものへと変わったことにちゃんと気づいた、そういう目をして俺を見つめ返す。
 まだ間に合う。
 まだ、今なら、引き返せる。

「お前の想像通り、俺はお前にキスしたい。けど、そんなことしたら地獄に真っ逆さまだ。この意味がわかるか?」
……僕も一緒に落ちればいい、ということかな?」
「そうじゃねェだろ」

 それはお前の結論であって、俺の質問に対する答えじゃない。
 だいたい、ステージから飛び降りる、程度の決断で済むようなことじゃねェだろ。
 落ちた先は文字通りの、奈落だ。
 だから、一彩。

「なら兄さんが地獄に落ちずに済むよう、僕が守るよ」
「そうじゃなくて……
「大丈夫。兄さんができないというなら僕が代わりにするから。だから兄さんは安心して僕に身を委ねてほしい」

 ……何でだよ。
 何でわかんねェんだよ。
 そういうところがガキなんだよ、てめェは。
 現実の残酷さを何もわかっちゃいない、愚かで純粋な俺の天使。
 そんな子に。

 そんな子に、すべての責任を背負わせるわけにはいかねェだろ。

 きっと俺が未練を持ち続ける限り、諦めやしないこの子に。

 それなら。

……せいぜい責任持って、俺っちをハッピーエンドに連れてってくれよ、弟くん」
……あ、うむ、了解したよ。ところで兄さん」
「ンだよ」
「もう一度したいのだけど」
「何をだよ」
「おくちにキスをだよ」
「何だよ、意外と欲しがりさんだなァ」
「だって、兄さんが急にするから、何だかよくわからないうちに終わってしまっていたよ。だから、今度はゆっくりお願いするよ」
「はいはい。じゃあ、目ェ閉じな」


 一彩。
 お前はいつでもどこへでも、好きな時に好きな場所へ飛んでいけばいい。飛び方ならもう、知ってるだろ?
 だから、地獄に落ちるのは俺だけでいい。

 責任は全部、俺が持っていくよ。