スサ
2025-06-05 21:10:47
4178文字
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【ゲ】喫茶店オーナーをしている長生きおじさん

3月に出した雷獣の設定と地続きなのでベースはゲタ水なのですが、ゲタくんは添えるだけになってるので単体としてはカプ色は薄いです。ゲタくんが水木さんを好きなことはダダ漏れですが…。喫茶店でこんなのあったらいいなの話です。

 喉が渇き、少し頭痛も感じた。とにかくこのままでは良くないと、目についた古い喫茶店のドアをくぐる。カラン、と高いベルの音が涼やかだ。落ち着いた色合いの店内もひんやりしている。
 それだけで何となくホッとする。そして、いらっしゃいませ、という落ち着いた声に意識と視線を誘われる。
 ビルとビルの間から見上げた空のような、印象的な色の瞳がこちらを見ていた。

 その喫茶店にたどり着いたのは全くの偶然だった。
「アメリカンお願いします、ホットで
「かしこまりました。雨でちょっと肌寒いですもんね」
 店主は穏やかに笑った。そうすると目尻に皺ができ、若々しい見た目がほんの少し年嵩に見える。三十代だろうとは思われるが、ちょっと年齢不詳な所がある男だ。
「あと、ピザトースト、いやや、ハムサンド
 うーん、と悩めば、くすりと笑われた気がする。しかし真剣に悩ましい。
「クロックムッシュもできますよ」
「え?」
「要するにホットサンドみたいなものですが。簡単に言うと、ハムとチーズのサンドイッチを焼いて、上にホワイトソースとチーズをグラタンみたいに」
 身振り手振りをつけて説明してくれる様子には親しみやすさがあり、おかげで、その男の顔がとても整っていることに気づいたのは注文を終えた後だった。
 アメリカンとクロックムッシュ。自然に出されたおしぼりで手を拭きながら、水を飲む。驚いた。水がなんだかとても美味しくて。
……
 びっくりして思わずコップを見つめる。
どうかしましたか?」
 店主らしき男が、耳に心地よい声で尋ねてくれる。
「水が美味しくて
 思ったままが口から出てきて、遅れてハッとした。何を言ってるんだと思った。しかし店主はぱちりと瞬きし、それから嬉しそうに笑った。
 目元にくしゃっとしわが出来、それが、それがとても──
「ちょっと特別な水なんです。お口にあって何より」
 特別な、と繰り返し、しげしげとまた水を眺める。
なんだか、すごく美味しくて」
 日常的に飲むものではあるけれど、それは特別うまくもまずくもない。だが、どこが違うのかわからないが、この喫茶店の水はひどく美味く感じた。
 軟水とかってことなのかな、と首をひねり、ごくごくと気がついたら飲み干していた。
「おかわりはいかがですか」
 頼む前から店主が聞いてくれる。ありがとうございますと答えてグラスを前へ。ガラス瓶から注がれる透明な液体は、どこからどう見てもただの水。レモンが入っているとか、そういうこともない。
 今度はちびちびと水を飲みながら、店主が湯を沸かしたり、ネルをドリッパーを用意したり、パンを切ったりするのを見ていた。長い、パン屋でしか見ないようなカットしていない食パンが出てきた時には心が飛び跳ねた。スッ、と切って、冷蔵庫から何やら色々取り出して
 手際よく、滞りなくなされる作業を見るというのは気持ちのよいもので、客はすっかり店主の動作に見入っていた。他に客もなく、カウンターというかぶりつきの席で見ているのだから余計だ。
 店内には微かに音楽が流れていたが、優しい雨のように微かで、シュンシュンとお湯が湧いていく音がよく聞こえた。
 心地よい。何もかもが心地よかった。いつの間にか頭痛も消えていた。脱水気味だったのかもしれない。
 オーブンのジジという音。香ばしい、チーズが焦げる匂い。芳しいコーヒーの香り。グラスで氷が溶ける音
 しばし夢見心地でいた客の前に、お待たせしました、と、まずは紙ナプキンが敷かれ、その上にフォークとナイフが置かれる。次に、ブラウンに金のラインが入ったシンプルなカップに注がれたコーヒー。そして最後に
 わ、と思わず声を上げていた。皿の上で湯気を立てているのは、注文したクロックムッシュに違いない。
 こんがりと焼けたチーズとホワイトソースは良い香りと美味しそうな狐色で食欲を刺激してくる。上に振られたパセリの緑もいいアクセントだ。
「うまそう
 小さなつぶやき。声に出していたことに気づきハッとするも、目があった店主はただ微笑むだけだ。恥ずかしいやらありがたいやら
「一応フォーク出してますけど、手でも大丈夫ですよ」
 目が合った流れで告げられ、はいと恐れ入るしかなかった。
 迷ったが、良いと言ってましたくれたことだし、と紙ナプキンでクロックムッシュを一切れ包んで持ち上げる。
 サイズ的には食パン二枚で挟んだものを縦半分に切っている。中に挟まれたハムもそこそこ厚みがあるが、グラタンのようなパンのてっぺん、中からあふれるチーズに多幸感が止まらない。
 歯を立てる前に熱気が流れこんでくる。ハフ、と熱気を逃がしながら、いざかじれば、口の中に溢れるのはしっかりしたハムの肉の味、甘みを感じるくらい濃厚なホワイトソースとチーズの競演、こんがりとしっとりの絶妙なバランスで成り立つパン
 うっとりと、目眩がしそうだった。
 一口、二口と進めて、一気に食べきってしまいそうになるのを我慢して一度皿に置く。そうしてコーヒーを鼻に近づけ、その香りの鮮やかさに瞬きする。銘柄のものを頼んだわけではない。おそらく標準的なブレンドの、しかもアメリカンだから他のものより薄く感じるはずの、それが、これ。客はびっくりして目を丸くした。
 これは、とんでもなく、大当たりを引いた予感がする
 静かな空間は心地よく、料理は美味く、コーヒーも美味い。なんて店だ。しかも店主の顔と声がすこぶるいい。本当になんて店だろう!
 知らず、ニコニコした顔でクロックムッシュとコーヒーを楽しむ客の目に、その時なぜか、窓の近くに並んだ置物が目に止まった。小さな、何かの動物のような
 食べるのに集中していたのだが、一度それが気になると段々注意がそちらにも向かい始める。とはいえ、食べ終わるまで席を立つことはなかったが。
「あそこに並んでるのは、一応売ってるものなので。気になるものがあったら直接見てもらって」
 やわらかい微笑に見とれながら、はい、とお手拭きで手を拭いて、かたりと席を立つ。
 光が直接は当たらない位置に、不思議な置物があった。小さくて、きっと手のひらに収まるだろう。鳥に似ているけれど、でもどこか違うような。絵付けもされていて、淡い藤色から濃紺にかけてグラデーションで塗られた翼から目が離せない。
あの
 売り物だと店主は言った。これもまた一期一会というものかもしれない。
 振り返り、購入の意思を伝えようとした相手は、全てわかっているような顔で優しく頷いてくれた。
 それがなぜか、見た目の若さとは不釣り合いなことに、久しく顔をあわせていない祖父母のような表情に見えて。客は思わず目をこすった。
………?」

 小さな置物を買って客が帰った後、店主はカウンターの下をのぞきこんだ。
 そこでは、着物を着たおかっぱ頭の女の子が口を抑えていた。その顔は喜色に満ちている。
「良かったなあ。これで立派に先生だ」
 店主は目を細め笑いかける。こくこくと女の子は頷き、立ち上がると、そのままくるくると──上へ上へ、舞い上がっていき、ふうわりと空気にかき消えた。店主は驚いた様子もない。ただ笑っているだけ。
 と、カラン、と音を立てドアが再び開いた。今度はそこに立っていたのは、ひょろりと背が高い、灰白の髪をした青年だった。
水木サン」
「おう。おつかれさん」
「ありがとうございます!ではなくて」
 言葉の前半で喜んで、後半でガラリと顔を変える。すこし喜劇めいていた。
「なんだよ。俺の労いが不満か
 水木と呼ばれた店主は、拗ねた顔で青年を見る。青年は片目を丸くして、まずドアを締めカウンターへ向かう。
「もう、昼間っからなんです、座敷わらしちゃんくるくるさせて
「させてない。くるくるは自分でしてたぞ」
「そう……、いやそういう、それはそうだと思いますが、ええと」
 何と言えば、と視線をさまよわせる青年に、水木は両手を腰にあて、「昼何食うんだ」とぞんざいに尋ねる。どうやら待つ気はないらしい。
「え?!ナポリタンがいいです!あっ、ちょ、今真面目な話を
「目玉焼きはいるのか?」
「ほしいです!」
 よし、と水木は頷き、さっさとカウンターの中に入る。ああもう、と思いながら、青年も諦めたようにカウンターへ腰掛ける。昼にはいくらか遅い時間。だからたまたま人がいないのか、果たして
「今日は来ないのかと思ったぞ」
 支度をしながら言う水木に、青年は哀れっぽい声を出した。
「すごい唐突に予定がねじこまれて……、でも僕絶体お昼は水木さんのとこで食べたくってェ!」
 はいはい、と呆れたように流しつつ、その実水木の口元は微笑んでいた。来るのを今か今かと待っていたのだ、本当は。
「お仕事ご苦労さん、ゲタ吉」
 できるまで食べてろ、と水木がささっと出してきたのは卵サンド。
「!!」
「俺の昼の残りだけどな」
 照れ隠しのような早口に、しかしゲタ吉はこっそり笑った。この人は本当に素直じゃない。
「いただきます!おなかペコペコでもう、お腹と背中がくっついちまうんじゃないかって思ったくらいで
「これ以上痩せるのは許さんからな」
 ため息に返されたのは存外真面目な声だった。え?と目を丸くしたゲタ吉に、フライパンに視線を固定したままの水木が言う。
「職場に怒鳴り込んでやる」
………そ、それはちょっと、さすがに」
「そうされたくなかったら痩せるな」
 いっぱい食え、と使命感に燃えた顔で言う水木にポカンとした後、ゲタ吉は笑った。
はぁい」
「わかってんのか?」
「わかってますよう」
 水木が営むこの小さな喫茶店。妖怪たちの手仕事品を最近委託販売し始めたのだが、最初はどうかと思ったが、座敷わらしがあんなに喜ぶのだ、他の妖怪だってそうかもしれない。それなら大変意義のあることだ。
 でもあんなくるくるしてたら見える人間には見えちゃうと思うんだよな、とゲタ吉は考える。だがまあ、そんな話は食べた後でいいだろう、きっと。