季節を先取りしたみたいな5月下旬の梅雨入り宣言に、いきなりパワー全開な梅雨前線。バレーボールは基本的に屋内でやるスポーツだから、雨だろうが晴れだろうが部活が中止になることはない。でもロードワークには行けなくなるし、出入口が濡れて滑りやすくなるから雨よりも晴れの方が望ましい。ましてや早起きしなきゃいけない朝練なんて、雨が降ってたらそれだけで憂鬱になってしまう。俺は地味な基礎練中心の1年だし、雨だと準備も片付けも手間が増える。雨対策でボールに触れている時間が減ってしまうのも悩ましかった。
梅雨入り最初の月曜日、朝からかなりの雨が降っていた。降水確率は100%、色とりどりの傘が開いて改札から吐き出された人々はそれぞれの道を歩いていく。電車の中で嵩張るのが嫌だから、俺はその日折りたたみ傘を持っていた。開くのに手間取りながらのろのろと出口に向かうと、周りの人たちよりも頭ひとつ飛び抜けた姿が目に入る。木兎せんぱ……木兎さんだ。
「おはようございます、木兎さん」
「あ、あかあし、おはよ!」
俺が後ろから声をかけたから驚いたのか、木兎さんは一瞬ビクッてなったあと勢いよく振り返った。いつもならツンツンしているはずの前髪が、雨のせいか元気がない。よく見たら髪は湿っているように見えるし、なんならカバンも制服も濡れている。
「もしかして、傘持ってないとか?」
「今日は姉ちゃんに駅の近くまで車で送ってもらってさ、下ろしてもらってから傘忘れたのに気がついた」
「だから濡れてきたと」
このひとは天気予報を見ないタイプなんだろうか。梅雨入り宣言して降水確率もずっと高いままなのに、折りたたみ傘も持たずに家を出るなんて。
「そーなんだよ。早くしろって急かされて出たからタオルも忘れちゃってさ……部室行かなきゃ拭くモンがねえの」
濡れた髪を豪快にかき上げて、木兎さんはニカっと笑った。いやでも傘無いじゃん、あんた。
「傘持ってないのにどうするつもりだったんです?」
普段から突拍子もないことをするひとだって聞いてたけど、これが通常運転なんだろうか。
「ここで待ってたらそのうち木葉か誰かが通るかなと思って。そしたらあかあしが来たから、助かった!」
鬱陶しい天気の中なのにこんな眩しい笑顔を向けられたら、渋い顔をして突っ立っているわけにもいかない。俺はエナメルバッグの中から替えのタオルを取り出して、木兎さんに押し付けた。
「雨だから余分に持ってきてたんで、使ってください」
「おお、さんきゅ! ちゃんと洗濯して返すから」
乾いたタオルで髪と体を拭いて、木兎さんはタオルを頭に被った。そのまま走り出そうとするから、俺は慌てて木兎さんのジャージの裾を引っ張って引き止める。
「雨ん中走っていくつもりですか? 俺がなんのためにタオル貸したかわかんないじゃないすか……」
「部室着いたら新しいタオルあるし」
「今日みたいな本降りで風邪でもひいたらどうするんです、木兎さんレギュラーでしょ……練習試合今週末っすよ」
「あ、そうだった」
やっぱり何も考えてなかった。俺はタオルを被ったままの木兎さんの前で折りたたみ傘を広げて、周りに気をつけながらちょっと高めに傘の柄を持った。
「入ってください、無いよりマシでしょうし」
「え、俺デカいよ。あかあしが濡れちゃうじゃん」
2年生で俺よりも体格のいい木兎さんの目線は少し上にある。ちょっとムッてしたけど気にしないことにして、強引に木兎さんの腕を掴んで傘の中に引き入れた。
「自主練の時間が減りますよ、今日もトス上げるんでしょう?」
「みんなが来るまでにできるだけ打っときたい。わかった、行こ!」
貧弱な傘の下にぎゅうぎゅうに身を寄せ合って学校までの道のりを歩いた俺たちは、着いた頃にはすっかりずぶ濡れになっていた。自分よりも上から降りてくる木兎さんの声を傘の中で聞きながら、俺は早く身長を伸ばすにはどうしたらいいんだろうってずっと考えていた。
「木兎さん、朝天気予報見てから出てくださいねって昨日言っといたでしょう」
「寝坊して慌てて出たから忘れてた」
改札口を出る前から見えていた少ししおれたミミズクヘッド。今年は梅雨入りが早かったぶん雨降りの期間が長く感じられる。どれだけ俺が前日に注意をしても、2回に1回は傘を忘れてくる木兎さん。お姉さんの通勤時間に合わせて駅近くまで送ってもらっているのなら、車の中に置き傘しておけばいいのにと思わなくもない。
木兎さんが傘を忘れる日は本降りのことが多い。こんな雨の中先輩を走らせるわけにもいかないから、俺はいつものように傘を広げた。最近買い替えた、大きめのビニール傘だ。デカい男子高校生が二人入ってもなんとかなるサイズで、透明だから前が見えない心配もない。
「この音、好きなんだよね」
ひょいを頭を下げて傘の中に収まった木兎さんが、ピンと張ったビニール傘のてっぺんを指差した。大粒の雨や木から飛んできた水滴が勢いよく傘に落ちると、パラパラっといい音を立てる。
「なんかアニメで見た気がします、それ」
「なんだっけなあれ」
まあそんな大きな音が出るぐらいだから、相当降ってるってことでもあるんだけど……何度か木兎さんと相合傘をするうちに、あまり濡れない差し方もわかってきた。足早に通学路を歩きながら他愛もない話をしながら学校を目指す。その日の練習メニューだったり、前日の振り返りだったり、俺たちの会話はバレーの話題ばっかりだ。
時々木兎さんはバレーと全然関係のないことを言い出すことがある。さっきの雨の音みたいに。他愛のない話だけどなんとなく新鮮な気分になれる。でも木兎さんは一瞬だけ逸れた会話のことなんて無かったみたいに、新しい練習メニューのことを話し始める。会話があっちこっち飛びすぎるのも、このひとの特徴なんだろうか。
「あかあしはどう思う?」
「1年にはまだキツいと思います。夏合宿までは基礎体力作りに専念するほうがいいのでは」
「でもお前はこなしてるでしょ、あの量」
「それは……まあ」
ようやく上級生たちの練習についていけるようになったのは、木兎さんが自主練に誘ってくれたからだ。木葉さんたちが音を上げてしまうぐらいにハードな自主練は俺にとってもキツかったけど、おかげで体力が付いてきたと思う。次のエース候補である木兎さんにトスを上げるのは俺にも良い練習になるし、良いことのほうが多い。
それに相合傘はいつもより距離が近くなるからか、木兎さんの話を聞くことも増えた。お姉さんが二人いること、就職している上のお姉さんによく送ってもらうこと、まだ運転に慣れてないから時々怖いこと、お姉さんの車が小さくてよく頭をぶつけてしまうこと──他にもいろいろ。
傘の中の会話は内緒話みたいで、ちょっと面白い。今までよくわからなかった木兎さんの生態が、徐々に解き明かされていく気がする。憂鬱な雨降りの朝が、少しだけ嫌いじゃなくなった。
「な、次試してみようぜこれ」
「コーチに相談してからですよ」
「わかってるって」
新しい思いつきがよっぽど気に入ったのか、ご機嫌な様子の木兎さんにこっちまで顔が緩みそうになる。慌てて顔を引き締めながら、俺は傘の柄を持ち直した。学校までのそう遠くない道のりが、もっと続けば良いのにと願いながら。
最初はちょっと抜けてるひとなのかなって思った。こんな季節に傘を持たずに登校してくるなんて。でもそれが二度三度もっとと続いたから、途中から明確な意図が含まれていたはず。俺がそのことに気がついたのは、もう少しだけ後のことだった。
2025.6.4
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