らぎ
2025-06-04 17:20:52
1722文字
Public モノノ怪
 

月見団子

半モブ薬さん視点離坤。一人称チャレンジとも言う

月光に目が冴える。薄く瞼を開き、ゆっくりと横たえていた身体を起こした。
(此処は十翼か)
 十翼とは薬売りの総本山、我こそは六十四卦の薬売りがひとり。とは言え太極から分たれた両儀から分たれた四象から分たれと言った立ち位置なのだから要するに下っ端である。
時の流れから切り離された蒐我において昼夜の変化はあまり意味を持たないが、その辺りは太極様の意向らしい。今の十翼は深夜と言って差し支えない昏さだ。耳をすませばか細い虫の音も聞こえてくるあたり、季節は秋なのだろう。無視できぬ程には己の腹の虫の音も聞こえてはくるが。
(腹が減った)
 薬売りに食事は不要である筈なのだが、時折斯様に空腹を感じる事がある。元の魂が人間であるが故だろうかそのあたりを言い出すとそもそも睡眠も不要なので、あまり深くは考えぬことにしている。目下の課題はこの腹の虫をおさめる事だ。厨房へ向かうべく、私は各々に与えられた一室の襖を開けた。
 満ちた月明りが板張りの廊下を照らし出してくれるため、灯りは不要だった。太極様に俗な感謝をしつつ、厨に忍び込む。
……おや)
 先客の気配と言うには随分とはっきりした音がする。具体的に言うと何かを茹でているような、沸々と湯の沸く音。
(引き返そうか)
 別段間食を禁じられている訳ではないので同輩の誰ぞと鉢合わせたとて然程問題はないのだが、本来必要ないが故の気恥ずかしさに似た感情があるのだ、少なくとも私は。だが踵を返そうとした矢先、麻の暖簾をひょいと上げて先客が顔を出した。
「おや、これは珍しい」
「こ、坤の御方」
先客は六十四卦の中でも選りすぐりの強者、坤の御方こと坤の剣に選ばれた薬売りだった。大先輩の登場に思わず身を固くした私に、彼は薄く笑って持っていた菜箸を揺らした。
「そう畏まらず。いま、離の方と月見などしておりまして貴方も如何です」
離の方。離の方と言ったか。あのおよそ趣味らしい趣味の無さそうな離の薬売りが、坤の薬売りと月見をしているとは。恐縮に思う気持ちよりも好奇心が少しばかり勝ち、私は坤の御方の誘うままに厨房に足を踏み入れた。
現世で言う昭和頃の様式を模した焜炉には両手鍋がかけられており、いっぱいに湯が沸き立っていた。なるほど先ほどの気配はこの鍋からのものだったようだ。よく見れば湯の波間には白い団子が浮き沈みしており、月見と言うからにはこの後これらは月見団子になる予定なのだろう。
「おや、アンタは」
団子に気を取られていた私の背に涼やかな声が届く。ぎくりと身を固めると、次いでフッと笑う声が追ってきた。
「そう怯えずとも、取って食いはしない。どうだ、一杯」
離の御方は軽く言ってくれるが、前後を八卦の大先輩に挟まれて呑気に一杯呑める輩はこの十翼にはまず居まい。少なくとも私は無理だ。
「お戯れを……私が先に呑むわけにもいきますまい。」
「おや、真面目なのですね」
ではこれを、と坤の御方にひょいと渡されたのは団子の載った皿だが、そもそも一つひとつが大ぶりの団子が十と数個積まれた大皿は、月と団子とどちらが本命なのかは明白な重みだった。
「これは、相変わらずの量で。」
離の薬売りは私の持ってきた皿を見遣るが、団子に手を出す様子は無く優雅に盃を傾けている。坤の薬売りはこの団子をひとりで腹に収める気だったのだろうか。八卦の中でもよく動く御方ではあるが、そんなまさか。と言うよりも、団子を食べるでもないならば何故、お二人で月見などしているのだろうか。
無言で考え込んでしまった私に愉快そうに微笑いつつ、坤の御方は団子を小皿に分けてくれた。
「不思議に、思われますか」
小皿と共に差し出された問いは私の考えていることなど見透かしたもので、私は黙って皿を受け取り、頷くしか無かった。
「素直でよろしい。とは言え、そう難しい話ではありませんよ。好いた者とは、共にいたいでしょう」
衒いなくそう言った坤の御方と、窓から外を向いてはいるが尖った耳の先がほんのり赤い離の御方を交互に見比べて、いよいよ何も言えなくなった私は団子を頬張ったが、後から思い返しても全く味など覚えていないのであった。