eclipsis
4635文字
Public ミホペロ
 

夜の一幕

深夜の逃避行と悪戯


 シッケアールの夜は、暗く寂しい。


 この辺鄙へんぴな土地に飛ばされ、そこに侘しく建つ古城が私の新しい住処になってしまった。自室に宛がった部屋は、一人で眠るには広くて瞼を閉じると、どうしようもない孤独感が足元から這いずって来る気がした。

 ただの子ども染みた妄想だ。この城で本当に一人ぼっちな訳じゃない。全然可愛くない剣士二人も一応、一緒に住んでいる。

 そう自分に言い聞かせ、そのまま無視して眠れる時もある。
 けれど時々、部屋の暗い四隅から、カタカタと鳴る窓から、それ・・が足元を通り越して頭の中を埋めつくしてしまう事がある。

 広い部屋が、城が、私はやっぱり " 独り" なんだと知らしめようとする。

 そうなってしまうと、もう眠るなんて事は出来ない。何も考えられず、ただ私を脅かす暗い妄想から逃げ出すように、横たわる自身から抜け出してしまう。

 ――この能力で良かった。

 幽体になれば、壁や気候も何も問題が無くなる。夜着のままで古城からヒュウン、と夜空に飛び出す。お供の可愛いゴースト達と浮かべば、さっきまでの暗雲が立ち込めていた私とは違う。

 大きな木の上に腰掛けるようにして、雲の切れ間から時々見える星や月を眺めた。
 その見え隠れする微かな光を、ドレスに飾るビーズ細工へ連想させると気持ちが和らいだ。
 ゆっくりとした雲の動きに身体を合わせ、ゴースト達と一緒に夜空を揺蕩たゆたうと、自分そのものが夜空になった気がして少し心が満たされた。

 こうして寂しい夜を紛らわす手段は、小さな逃避行に決まっていった。


 今夜もいつもの様に、幽体で夜空を舞っていた。
 何のあても無く、ふわふわ漂っていると、ふと違和感を感じた。そもそも幽体の身で何かを感じたりはしないのだけれど、くしゃみが出そうで出ないような感覚。モゾモゾとした悪寒めいたものが生まれた。
 空中に投げ出していた四肢を少し強ばらせて古城の方を見た。

 こういう時は、私の本体に何かが近づいた時だ。

 その "何か" は、人か動物か虫かは今の状況では判断できない。――虫。頭の中でその文字が浮かぶのと同時に、黒い小さな影も過ぎった。

 「~~~~~~!!!!」

 スリラーバークであのネガっ鼻からもたらされた悪夢が蘇る。頭の中でその悪夢の個名を呼ぶのすらおぞましい。そのソイツ悪夢を、この古城では今まで見かけていない。けれど、身体中を、あぁ、もしかしたら顔に。近づいたのかもしれない。

 そう思い至れば、直ぐに身体は古城に向かっていた。今夜に限って、自室ではなく広間にある長椅子のソファで眠っていた。広間はキッチンに近いし、長椅子の傍の机に適当に飲み終えたココアのカップを置きっぱなしにした気がする。

 グルグルと嫌な連想が頭で紡がれるまま、広間へ飛んでいくスピードは速くなる。
壁や天井をすり抜け、渦中の私の本体と対面すると思った瞬間、思いがけないものを見てしまった。

 長椅子の傍に、鷹の目がいた。

 思いがけない人物を目の当たりにして、進むのをピタリと止めた。鷹の目は俯いているせいか、奴の斜め後ろの空中で止まった幽体の私には気づいていないようだ。

 鷹の目が夜間に広間へ出歩いてくる事は殆ど無い。今、確実に長椅子では私が目を伏せ横たわっている。
 その傍らに、鷹の目がいる。奴はこんなに他人と距離を詰める事もしない。

 不思議な事態が起こり過ぎていて、鷹の目に声を掛ける事すら忘れてしまう。ただ何も言えずに、自分と鷹の目を眺めた。
 すると、眼下に居る男が動き出した。

 その長身を少し折り曲げ、目を伏せる私の顔を見つめている。――どんな顔をして私を見ているんだ。ぼんやりとそう思った矢先に、鷹の目が眠る私へすぅ、と手を伸ばしてきた。

( え )

 顔にかかっていた髪を指先で優しく払い、その動きのまま顔の輪郭を撫でられた。寝ている私には感覚は無い。幽体の私にも勿論、感覚は無い。
 それなのに、ムズムズとした何かが湧き上がってくる気配がして、思わず口を両手で覆った。

( 鷹の目は、何を、なんで、鷹の目、)

 頭の中は混乱して、上手く結び合わない疑問達がひしめき合う。そんな私の事なんか知らずに、鷹の目の手は止まらなかった。

 ゆっくり輪郭を撫でる指は流れるまま、耳へと這わせられて、また優しげにその形を撫でられる。

 その光景を見て、幽体の身にはある筈もない心臓がドクドクと高鳴りだした。
 あの冷酷で気まぐれな鷹の目が。十字架のような黒い大剣を握るあの大きな手が。

 もう居ても立ってもいられない気持ちになった。口を覆っていた手を外して叫び出したくなった瞬間、屈んでいた鷹の目が私を撫でるのを止めて、姿勢を戻した。
 そして、私の胸辺りで留まっていたブランケットを、肩口まで掛け直して長椅子から離れていく。

 カツカツと鷹の目の靴音が鳴るのを聞いて、隠れるように天井付近まで少し飛んでみた。
鷹の目が頭上の私に気づいているのか、いないのか。黒髪の後頭部は一切振り向かずに、広間を出ていった。


 広間の扉が閉まる音が鳴り止んでから暫くしても、私は天井付近から降りられずにいた。ぷつ、と何か緊張の糸が切れた拍子に、ヘロヘロと床に着陸した。

「な、なんなんだよ……アイツ、あ、あの鷹、の目……

 叫び出せなかった疑問が、震えた声と一緒に出た。ちらりと長椅子の方を見れば眠る私が居る。よく見慣れた私の顔だ。
 肩まで掛けられたブランケット、顔の横に桃色の髪がちょうど良く収まっている。

 それらを見て取ると、急速に顔へ血が集まるのが分かった。恥ずかしさから逃れるように、自分の中へ戻る。

 ようやく自分自身に帰れたのに、いつまでも幽体で浮いたままのような感覚がした。



 ***



 あの出来事以降も、夜の逃避行は続いていた。
元より、自分自身の為にやっている事だ。寂しさを紛らわす為に。

 今夜も眠る自分から抜け出していた。目を伏せる私を、その傍らに立ってぼんやりと眺める。
 縦長の窓から月明かりが差し始めた。今夜は群雲が多い。広間の窓は大きくて、十字の格子が切れ切れとした影になっていく。

 広間。

 長椅子で私は眠っていた。最近は自室で横になるより、ここでそうする方が多くなっている気がする。理由を考えると、自分の頬が赤くなり始める。
 何を、期待しているんだろう。
 
 見下ろした私は素知らぬ顔で、お気に入りの白いレースが付いたナイトドレスを着ている。我ながら可愛く着飾っている。まさにお姫様だ。
 それが余計に認めたくない、胸のときめきを増長してくる。

 色んなものを吹っ切るようにヒュンと、壁をすり抜け夜空へ飛び立った。
 ふわふわと当てずっぽうに漂いつつ、私の思考だけは古城へ向けられていた。

 あの感覚が来てくれないかな。ナニか、……鷹の目が、近づく感覚。

 目を閉じて知らせを待っていると、ゾワ、と背中が少し震えた。来た。誰かが、私に近づいている。
 くるりと身をひるがえすと、古城に向かった。

 慎重に壁をすり抜け、広間へそっと顔を出す。暖炉の前の長椅子。予想していた男が立っていた。それを確認した途端、私の胸はあからさまに色めきだった。

 気づかれないように、後ろから。でも何をしているかは見られるように、斜めから様子を窺う。

 鷹の目は、以前のように身体を少し屈ませると、眠る私に触れてきた。
頭を手のひらで慎重に撫でて、起こさないようにしているみたいだった。
 少し手を引いたら、今度は頬を優しく撫でる。

 普段の鷹の目からは信じられない甘い所作に、心臓が鷲掴みにされたような気持ちになった。知らずに胸の前で両手をぎゅう、と握り締める。
 すると鷹の目は一旦動きを止めると、眠る私と同じ目線になるように膝をついた。

 ――あの鷹の目が私のために。

予想していない展開に、少し呆気にとられながらもじっと眼下の光景を観察する。鷹の目の顔はよく見えないけれど、私の頬を大きな手で包むように触れた。緩やかにその手を下降させると、閉じた唇に辿り着いて、親指の腹で唇の山をなぞっていく。

 きゅうぅ、と心臓が変な音を立てる錯覚を起こして、胸の前で握り締めていた両手に力が入る。

 その時、今まで雲が覆って隠していた月明かりが現れた。
 青白い光が二人を照らし出す。空中に静かに舞っている埃にも、ささやかな光が反射する。それが、二人の為だけの空間を造っているようだった。

 そのシチュエーションは、どこかで見たおとぎ話の挿絵のようで、私の頭にキラキラと小さな星が瞬く錯覚すらも起こした。

 ・・・ほぅ

 夢のような情景に思わずため息が出た。放心気味に眺めていたら、いつの間にか鷹の目が動き出していた。
 上半身を少し乗り上げるようにして、眠る私と、重なるように、顔が、ちかづい、て、


「 ッア、!」

やっと止める気になったか」

 隠れて見ている事をすっかり忘れて、声を出してしまった。鷹の目はいつから気づいていたのか、こちらを振り返ってその黄金の眼でしっかり私の眼を見据えていた。

「 え?!な、……は?!おま、お前!!ず、ずっと気づいてたのか?!! 」
「 無論気づいていた。ずっと。...随分、前からな 」

 鷹の目がわずかに口角を上げて笑う。少し含みを持たせた言い方に、今夜だけじゃない事も言い当てていると気づけば、私の頭は一気に茹で上がった。

「 な、なっ!!て、てめぇ!!!悪趣味だ!む、無防備に寝てるところを!ヘンタイ!セクハラだ!!」
……ただの暇つぶしだ。何を言われようが結構。嫌だったのなら、叫んだり貴様の能力でもいくらでも阻止できただろう。何をじっと見ていた 」

 腕を組んで高慢に鷹の目は言い放った。その瞳の色に、からかいを滲ませているのを隠そうともしない。
 明らかに論点をずらされているのに、最後の問いかけに、私はただバカな魚みたいに口をパクパクさせるだけで、何も答えられなかった。

ふん。揶揄からかうには少々やり過ぎたみたいだが、まぁ、これからは眠るのならば自室にするんだな 」

 ――ここは意外と冷える。そう一言残して鷹の目は私に背中を向けて去っていく。
 コツコツと硬い無機質な靴音と、振り返る素振りも一切無さそうなその姿に、ほんの少し前までの夢みたいな優しい仕草との落差に、恥ずかしさやら悔しさが爆発する勢いで私の中に湧き上がる。


 あんなにドキドキしたのに。揶揄うにしてもあの手つきは何なんだよ!ずるい!ひどい!鷹の目も少しだけでもドキリとしたらいい!させてやる!


 地団駄を踏みそうなのをナイトドレスのスカートを両手で握りしめる事で我慢する。
無情にもバタリ、と広間の扉が閉まる音がするのを聞いたら、咄嗟に投げ捨てるように大きな声で叫んでいた。


 
「あ、ああいう事は私が起きてる時にやってみろ!何時でもかかってきやがれ!!バカヤロー!!!」

 

 一瞬の後に、扉の先からは鷹の目の高らかな笑い声が聞こえた。