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那須野
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寿月
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潮騒を手繰る
【寿月】CP未満*「遠い海鳴り」の続き、寿+月。
面談室のある中央棟を辞して表へ出ると、冷えた晩秋の夜気が全身を包んだ。今回の齋藤コーチのヒアリングはスケジュールの都合上夜の自由時間帯に設定されており、山奥の合宿所はすでに深い夜の帳に覆われている。濃藍に浮いた月の端に、ちょうど薄雲が掛かったところだった。
このまま宿舎に戻るつもりだったが、思考の整理がてら散歩に向かうことにする。ウェアの襟が一番上までしっかりと閉められているのを念のため確かめて、深呼吸をひとつ。慣れた散歩コースを一周するころには、思案も概ね纏まっているだろう。
――
キミは、彼にとって過去のサボタージュの結果の象徴なんです。
先程聞いたばかりのコーチの言葉を脳内で繰り返す。
メンタル強化の一環として合宿プログラムの最初に同士討ちを組み込む男の言と思えば今更驚くほどではないけれども、自身の存在そのものを相棒への深層的な
精神的重圧
プレッシャー
として扱っているとは考えていなかった。
確かにペア結成後しばらくはこちらに対して萎縮している様子が見られたが(元より好印象を持たれているはずはない。当然だろう)、数日前の満月の晩以降その気配も表面的にはほぼ消失している。コーチに話した通り、共通の目標を掲げられたことが大きいだろう。
ともにGenius10へ。
二年前の秋、己れの弱点を平等院に突き付けられた瞬間が脳裏をよぎる。自戒として常に心に留め続けてきた光景は、いま、ダブルスという明確な答えを得つつあった。
この男となら、その先へ行ける。それは漠然とした、しかし確かな予感だ。自分だけでなく、互いにとって利のあるペアであるのなら、自身にも異論はない。
そして、また。
曰く「自分の才能に興味を持てない」男の才に、すでに他ならぬ自身が興味を抱いてしまったことにも気が付いている。徳川を見出し導いている鬼や入江のように、U-17日本代表の一員として、傍らの原石が磨けば光るものだと知りながら素知らぬ振りをすることはできなかった。
自身とのダブルスを通してコーチが与えようとしているのは、コート上に留まらない根源的な意味でのプレッシャーだ。あの敗北がそこまでの意味を持つものか、話を聞いた瞬間には半信半疑だったけれども
――
そこで、先日の男の言を思い出した。
「テニスを辞めようと思った」と、あのとき男は確かにそう言った。
それを何らかの理由で(やはりこの件については折りを見て対話を試みなくてはならないだろう、)思い留まり、新人戦を経てここにいる。
むろん自身にも心を折るつもりなどなかったが、可能性の塊のような男からテニスを奪うところだったのだ。
それがどれほどの損失か。
何よりその自分があの男とペアを組むことが、本当に『正しい』のか。
試されているのは相棒だけではない。
岐路に立つ自分自身もまた、覚悟と資質を問われている。
踏み締めて進むアスファルトの硬質さが、どこか普段より冷え冷えとしているように感じた。
「
月光
つき
さん!」
「
…………
、」
歩き慣れたコースを半ばほどまで進んだころだろうか。背後からふと響いた呼び声に、足を止めて振り返る。ランニング途中らしい相棒
――
毛利が、スピードを上げて駆け寄ってきていた。
「面談終わらはったんや。 おつかれさまです」
「
……
ランニングの途中だろう。構わず行くといい」
「あー、いや
……
」
「?」
並びついたところで立ち止まった男にそう言って視線を向けると、毛利は頬をかいて軽い仕草で肩を竦めてみせた。
「
月光
つき
さんおらんし、部屋にひとりもなんや落ち着かんなぁ思て。 気分転換にブラブラしよっただけなんですわ、実は」
「
…………
そうか」
「やから、あの、
……
邪魔やなければ、散歩一緒して部屋戻ってもエエですか?」
「
……
さして問題ない」
走り始めたばかりかとも思ったが、確かに呼吸の乱れもまるでない。ペア結成以来毛利とは同室であるから、戻る先も同じだ。断る理由もないと、同道の申し出には頷いて返した。やった、と、素直な声がちいさく聞こえる。
「そや、面談はどうでした? やっぱ最近の試合のことですか?」
「勝率についての話はあった。 上手くやれているなら良い、と。 しばらく静観するつもりだろう」
「は~
……
。 俺、面談明日やからなあ。何言われんのかいや~」
「思ったように受け答えをすればいい。 そのための時間だ」
内容についてはかなり省略したが、おそらく先程聞いた話のほとんどは毛利本人に伝えるべきではない。この男が時折滲ませる焦りの理由や意味合いを、自分が正しく理解し応じるために開示されたものだ。
……
おそらく、いまのように。
人懐こい性分の男が旧知の仲間や館内にたむろしている面々に声も掛けず、わざわざ単身宿舎を抜け出したのだから、考え事をしていた
――
あるいは、ひとりでいたかったとみるのが妥当だろう。その時間の内側にごく自然に招き入れられたことを、いまの自分はまだ、いささか面映ゆく思う。
独りではなかったが、一人で戦う場所だったコートに、対戦相手以外の他者がいる事実。歯車が噛み合い始めるにつれ世界が再拡張されていくような、不可思議な感覚が確かにあった。
「毛利」
歩きながら男の名を呼ぶ。この合宿期間かぎりの相棒が己の可能性へ目を向けるきっかけに、
――
自分は、なれるだろうか。
「
……
医療班の分析を、受けるつもりはないか」
「へ?」
「このところ、試合中のお前の様子に気になる点がある。 一度正確なデータを取っておくべきだ」
「え、
……
俺、なんや変です?」
「
……
いや、変、というわけではないが」
不安げに揺れた双眸を宥めるように、緩く首を横に振る。
最初は気のせいかと思う程度の些細さだった。
そもそも、それすらまだほんの数日前のことで、その些細が「何か」に変わりつつある気配を感じ取っているのは、おそらく同じコートで間近に立つ自分だけだ。
「単に集中しているのかもしれないが
……
眠っているか、意識がないように見えることがある」
「
……
、それ、ホンマですか?」
頷く。
スポーツ科学の粋を集めたこの合宿所には、一流のメディカルスタッフと各種設備が十二分に揃っている。プレー中の身体状態について科学的な解析をするにもまたとない好機であることは間違いない。
毛利が睡眠テニスという無二の武器を手に入れるのは、それからおよそ一週間後のことだった。