にゃにゃ
2025-06-02 22:25:07
5845文字
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ながいおわかれ

3.3 メデイモスの死を聞いたケラウトルスの話
※ケラウトルス視点です。テーマ上、大切な人の死という話になっているためご留意ください
※モーディスがしんだと聞いたとき、弔いのこと、聞いたあとのことをねつぞうしています。モーディスはいません



 不死なるメデイモスが死んだとケラウトルスが聞いたときは、すべてが終わっていた。

 突然に夜がおとずれ、暗黒の潮の脅威にも見舞われたオクヘイマを奔走していたケラウトルスはいうまでもなく心身ともに疲弊しきっていた。
 異変に気づいてから迅速な動きを心がけたとは思っている──戦場においては勝敗を分かつ点のひとつだからだ──だがアグライアが死に、金糸が途切れたいまこの広いオクヘイマで連携をとることは非常にむずかしかった。それでも見える範囲、声の届く限り、兵士に指示を出し自分も剣を振るい民たちを守るべく戦っていた。

 ケラウトルス様、いまオクヘイマに、メデイモス様がいらっしゃいます。

 そんななか、この状況になってからはじめて聞く、はずんだ、明るい声だった。
 いつのまにかあらわれたメデイモスは暗黒の潮の造物を倒し、かつては敵でありいまでは従えるようになった眷属たちへ民を守り戦うよう指示をし、そしていまはフレイムスティーラーと戦っているのだという。
 ほんのすこし前までは市民たちでにぎわっていて、いまはかろうじての休息所となっているピュエロスの一角で兵士たちに武器を渡し指揮をしていたケラウトルスは、一瞬だけ息をのんだ。
 そしてすぐに、肩で呼吸をしながら隠しきれない笑みを見せる伝令兵へおおきくうなずいてみせる。
 気を抜くなと喝を入れるべきとわかっているのに、自分のくちもともどうしてもゆるんでしまうことを感じる。まわりの兵たちも一様に笑みをうかべ、「メデイモス様が」「われらの守護者が」と声をこぼすものもいた。

 重くよどんだ空気をはびこらせる戦場に、ようやくひとすじのひかりが射しこんだ心地であった。

 戦において油断は命とりであるし、フレイムスティーラーは強敵であり危険な相手だ。それでも、天空からヒアンシーの加護を受け、トリスビアスが民たちを導き、ファイノンたちももどり、メデイモスがオクヘイマでともに戦っている状況にはなっている。
 希望はまだある。ようやっとそう思えた瞬間だった。
 ケラウトルスは伝令兵へねぎらいの言葉をかけたあと、兵士たちに告げる。
「メデイモス様のご加護を」
 かれらは背筋をのばし、武器を手に、ちからづよく復唱した。


*


 ──それでも戦況はきびしく、一秒たりともやすむことをゆるされずに戦い続けながら、気づけばケラウトルスたちは黎明の崖まで追い込まれていた。
 そこに至るまでにも暗黒の潮の造物と、紛争の半神の眷属が戦っているすがたを幾度となく見かけた。眷属と意思疎通はできないが、心うちがわで感謝をとなえる。
 広場やバルネアにとりのこされたものたちもいる。救援に向かう必要もあったが、まずは一旦態勢をととのえたかった。怪我人の治療をしながら見張りの配置を命じ、それから物資の状況を確認しに行こうと、ケラウトルスは屋内へと足を向ける。
「ケラウトルス様」
 そこで声をかけられた。
 振り返ると、伝令兵のひとりがいる。
 メデイモスがいる旨を知らせたものとはちがうが、兵たちの顔と名前はすべて憶えている。ケラウトルスよりも年若いクレムノス人で、なんどか戦場をともにした過去があった。
 名前を呼び、どうしたのだと問う。伝令兵はひどく憔悴した面持ちをしていた。顔色は青を通り越してまっしろだ。
 足を使う伝令兵は、凄惨な光景をひとよりも多く見過ぎたのかもしれない。ケラウトルスはかれを手近な長椅子に座らせ「飲みものを持ってこよう」と声をかける。
 しかし伝令兵はよわよわしく、同時にはっきりとした意志を持って首を横に振った。
……大切な……ご報告があるのです」
「なんだ?」
…………、ケラウトルス様」

 不死なるメデイモス様は、永眠されました。

 あまりにも静かな声だった。
 それでも、近くにいた市民や兵士には届く。だれかがちいさな悲鳴を上げ、だれかが「そんな」とちからのない嘆きをこぼす。ただならぬ雰囲気を感じて、伝令兵とケラウトルスのそばに人々が集まっていく。
 ケラウトルスは、その沈痛な面持ちを見下ろした。状況からも、伝令兵の様子からも、現実にあったことなのだと思い知らされた。
……続けろ」
 低く命じれば、伝令兵は唇を、ぐっ、と噛みしめたあとにぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「クレムノスの兵が──目撃しました。フレイムスティーラーに、背中を刺されたメデイモス様は……誇り高き彫像のように、静かにたおれた。そしていつものように、ふたたび立ち上がることはなかった、と」
…………ご遺体は、」
「アグライア様のときと同様です。……幸いにも生き残った司祭たちが近くにいたため、皆で運び……迅速に、然るべき対応をされました」
 そこまで語った伝令兵は、ようやく息のしかたを思い出したとでもいうようにふかく息を吐き、次いでめもとをおさえた。
 堪えていたのだろうなみだをこぼす伝令兵が「申し訳、ございません」と切れ切れに謝罪するのに、かまわないとこたえる。数拍遅れて実感してきたのか、周囲からもすすり泣く声が聞こえてくる。

 火種を継いだ黄金裔の身体のことは、黄金裔自身もすべては理解できていない。
 そのため死体が残る状態で「死」を迎えたときは、万が一のことを考え、すみやかになにひとつ残さず燃やすとさだめられていた。これにはアグライアとトリスビアス、キャストリスとヒアンシーが賛同し、アナイクスは完全には納得していなかったと聞いている。ファイノンとメデイモスはどちらでもかまわないというていだったそうだ。
 アナイクスが最後まで反対し続けなかったのは、その決定には黄金裔たちの遺体が民や兵の見世物になることを避ける意図も含まれているとわかっていたからだろうと、メデイモスがこぼしていた。ヒアンシーが賛成したのはその理由のためだとも。
 英雄の死をうつくしく崇高なものと持て囃したり、悪辣な目的や欲望を満たすために死を利用されたり。偶像化されやすい英雄という存在であれば、じゅうぶんに考えられる可能性だ。

 ──つまり。メデイモスの肉体も、魂も、もうこの世にはない。

 ……戦場となったオクヘイマで、ケラウトルスはメデイモスを目にすることはなかった。
 黎明の崖にいたとも聞いたから、ここからすぐ近くでフレイムスティーラーと戦っていたのかもしれない──だがケラウトルスがここに着いたときには、もうかれらのすがたはなかった。

 もっとはやく来ていれば、加勢できたのだろうか?
 フレイムスティーラーのつよさはこの身をもって知っている。しかしそれでも、メデイモスがファイノンたちの手助けをし、より多くの民を守護する時間を稼ぐくらいはできたのではないだろうか?
 命を捨てる覚悟で立ち向かえば、この老体でも、メデイモスの背中を守れたのではないだろうか?

 ぐるぐると思考がめぐる。信じるしかないが、信じられなかった。より正確には、信じたくなかった。
 こんな老いた戦士ではなく。不死の呪いを背負った英雄が、死を迎えたなど。
……報告、ご苦労だった。よく休め」
 ケラウトルスは伝令兵の肩をたたき、踵をかえす。かなしみに浸る民たちの横を通り過ぎ、兵たちへは持ち場にもどるように声をかける。
 心にぽっかりと空いた穴を自覚した。
 それはいまこの瞬間にできた穴ではなく、クレムノスの王妃であり、メデイモスの母であるゴルゴーをうしなったときにできたものだった。


ーーー


「この子の名前をふたつにまで絞ったのだけれど、オーリパンと意見が分かれているの」
 だからあなたの意見を聞かせてほしいと言われ、ケラウトルスは思わず「は?」と声をあげてしまう。
 自室の椅子に腰かけ、おおきくなった腹をなでながら、ゴルゴーはゆったりと微笑んだ。
「安心して、オーリパンに話はしてある。わたしの信頼する友の意見も聞きたいとね。ああ、わたしがどちらの名前がいいと思っているかは言わないでおく、あなたのまっさらな答を聞くために」
 ゴルゴーはそう言って、ふたつの名前をくちにする。クレムノスのなかでもなかなか聞かない名前で、なにか意味があるのかもしれなかったがケラウトルスにはわからなかった。
……いや、ですが。私がそのような」
 人払いをされた部屋に呼び出され、大事な話があると聞いて背筋をのばしたら──想像を超えた、とんでもなく、大事な話だった。
 思わず後退りたくなるケラウトルスの心情を察したように、ゴルゴーが言う。
「ケラウトルス。──然るべきときがきて、あなたが戦いに打ち勝てば、正式に頼むことになるでしょうけれど……先にわたしの意志を伝えておく」
「ゴルゴー様?」
「あなたにはこの子が立派な戦士となるよう導き、教え、成長を見届けてほしい。わたしたちクレムノス人は戦場に生きる運命にある。──だからこそ、味方が必要なの。必要に駆られれば、別れがおとずれることもあるでしょう。それでも、自分に寄り添い、味方であったひとがいたという事実は、きっとこの子をつよくしてくれる」
 彼女とはながいつきあいになるものの、はじめて見る表情をしている。
 慈しみと愛情に満ちた微笑みを湛えながらも、その両目には決してだれにも阻めない意志があった。自分の子を守るという、絶対的な決心だ。
「わたしにも今後、どんな運命が待ち受けているかわからない。たとえわたしがいなくなっても、この子が誇り高きゴルゴーの子、クレムノスの戦士として生きていけるように。王となり、ただしき道を進むように。あなたにはこの子を守り、この子の師となってほしい。わたしはあなたのことを信じているから」

 まっすぐに見つめられ、ケラウトルスはしばらくその決意に満ちたまなざしを受けとめた。
 ほどなくして、こほん、と意味もなく咳をする。そうでもしないと、胸をうたれた勢いで目の奥に溜まった熱があふれそうだった。
……そこまで言われては。断るのも野暮ですな」
「そうでしょう。さぁ、どちらがいいか聞かせて。それとも、考える時間が必要?」
「いいえ、心は決まっております。私は、最初に聞いた瞬間から──」

 くちにした名前に、ゴルゴーは満足そうにわらった。
「わたしとおなじ意見よ、ケラウトルス。オーリパンには納得してもらいましょう。──では、この子の名前は、」


ーーー


「メデイモス様──」
 はっと目をひらいたケラウトルスは、そのまま数度、茫然としながらまばたきをした。
 ……夢の延長で、無意識に名前を呼んだらしい。深呼吸をし、周囲を見渡す。隅にある長椅子を借りて、座ったまま眠りに落ちていた。

 メデイモスの悲報を聞いたあともしばらく、ケラウトルスはやすまずにいた。
 民や兵の心の支えである黄金裔の死は、士気におおきく影響する。聞くところによるとトリビーとトリノンのすがたもいつからか見えなくなり、くちにはしなかったものの皆が死を予感していた。
 だがオンパロスはまだ滅びず、生き残った人々もいる。ケラウトルスにはやるべきことがまだあると動き続けていたが、伝令兵の動かしかたや明日以降の救援の計画を立て終えたところで、さすがに疲れが表に出た。
 眩暈を憶えわずかによろめいてしまい、すぐに立てなおしたものの、ケラウトルスだけが仮眠もとっていないと言われればやすまざるをえなかった。適切な休息をとることもまた、戦場では重要だとわかっていたのに。

 ──立ち止まることがこわかったのだろう。
 その恐れのとおり、なつかしい夢を見てしまった。胸があたたかく、同時にどうしようもなくせつなくなる夢だ。
「ケラウトルス様」
 立ち上がらなければと思いながら夢の余韻に浸っていると、名前を呼ばれる。顔を上げると、さきほど悲報を届けてくれた伝令兵だった。
「なんだ。戦況に変わりがあったか」
「いいえ。……というか、まだ一針しか経っていません。もっとおやすみください」
 じゅうぶんだと言おうとすると、ずいっ、とグラスをさしだされた。
 思わず目をまたたかせる。受けとりながら「これは」と問うと、伝令兵は「メーレです」とこたえた。
「物資に限りはありますが、メーレは比較的量があり……好んでいた司祭がいたのでしょうね。それに羊乳を混ぜています。メデイモス様はこの飲みかたがお好きでしたから」
「そう……だったな」
「皆で分け合い、メデイモス様の死後の旅路がやすらかであるよう祈っていたのです。ほかの黄金裔のみなさまも、どうか──どうが、無事であるようにと」
 伝令兵はわらってはいたが、その笑みはぎこちなく、あきらかにむりやり自分を奮い立たせようとしているものだった。
……ああ。私も祈ろう」
 それを指摘することはしない。うなずき、礼を伝える。
 伝令兵は安堵したように肩からわずかにちからを抜くと、背を向けて去っていった。

 ケラウトルスはしばらく、手のなかにある桃色となったメーレを見下ろす。
 やがてくちにして、そのなまぬるさとあまさに思わず眉を寄せた。しかしメデイモスはたしかにこれが好きだったと、次いで頬をゆるませる。
 それから、ぽた、と。
 メーレになにかが落ちた。なんだと思ってすぐに頬が濡れていることに気づき、ああ泣いているのだと自覚する。
 のどが引き攣る感覚を憶え、グラスを持っていないほうの手で両目をおさえた。
 ──こんなふうに泣くなど、どれくらいぶりか。ゴルゴー王妃が亡くなったときは、状況や立場もあり、なみだをこぼすことなどゆるされなかった。それまでもそのあとも、どんなにふかいかなしみや絶望に見舞われても、クレムノスの戦士が泣くなどゆるされないと思い込んでいた。

 それでも、いまだけは。
…………王妃様……ゴルゴー様。私、は……
 謝罪の言葉がこぼれおちる。それがただの自己満足だとわかっていても、こらえられなかった。
……っ、メデイモス様……
 うつむき、あふれるままに嗚咽する。
 目を閉じればすぐに、孤高の王のすがたが浮かんだ。かれの母によく似たやさしさと愛情ぶかさ、つよさを持った戦士のすがたが。


 ケラウトルスを師と呼ぶあたたかい声を、最後にもういちどだけ聞きたかった。