仕事終わりに聡と花火大会に行くことを楽しみにしていた。しかし全国的に有名なら当然混雑具合は山王の比ではない。現地に行きさえすれば食べ物なんていくらでも調達できる、という考えは甘く苦いものだった。まだ小腹の空いた状態ではあるが、露店が存在するであろう行列の先を見てため息をつく。
花火打ち上げ開始1時間ほど前から雨が降ってきた。
予報通り雨足は強さを増し、大粒の雨が勢いよく叩きつける。雨雲レーダーによるとこの雨は強まる一方で、花火大会の時間半分を過ぎても止むことはないらしい。しかし事前に天気を確認していたため準備に抜かりはない。それぞれ持参してきたレインコートを着用しながら、「列に並ばなくてよかったかもね」と苦笑いを浮かべる。
そして雨が止んでほしいという願いはぶ厚い雲で阻まれ、会場にはとうとう中止のアナウンスが流れてしまう。
駅への道は露店の行列以上にごった返し、一生進まないんじゃないかと気の遠くなる時間を過ごす。怒りや焦りがこないことはなかったものの、聡と一緒なら野宿もいいかもななんて呑気なこと考える。実際、ここで野宿するなら何が必要かと面白半分に話し合っていた。駅構内に入ってもあまり状況は変わらず、外と比べ蒸し暑く雨に打たれないという違いがあるぐらいだ。会場を出てから長い針が3度回ったぐらいに、ようやく電車へ詰め込まれる。それだけ時間も経てば流石にしっかり腹が減ってくる。幸いレインコートを脱げば他は無事だったため、先に夕食を摂ることにする。
聡の最寄り駅から2駅離れたこのファミレスに入るのは初めてだ。そのため、通常・期間限定問わず全てのメニューが新鮮に映る。
「この激辛チゲ鍋とかいいね」
聡はタブレットで最初に表示されたメニューを眺め、嬉しそうな声を上げる。
「肉……ビーフハンバーグもいいな。お、ここのステーキ100g単位で量が選べる」
オレは一通りメニュー冊子を眺めたものの、今の気分は肉だ。ページはミートとハンバーグ、そして定食の項目を行き来する。
聡はタブレットを操作したかと思うと、端末を台座ごと渡してくれる。
「オレコレに決めた。稔どうぞ」
まだ注文したいものが絞れないオレは、参考にしようとカートの中を見る。しかし表示されたのは鍋は鍋でも聡が挙げた「激辛! チゲ鍋」でなく、「復刻 具だくさんの味噌煮込みうどん」だ。
「あれ、チゲ鍋はいいのか?」
聡はにんにくや唐辛子などをふんだんに使った、刺激の強いものを注文する事が多い。外食の時こそ変わった料理に挑戦するイメージだ。
「まあ。ファミレスだからそんな辛くないだろうし、今はこっちの方が気分かな」
そして紙のメニューを見せながら、「これが決め手」と謳い文句を指す。
「創業当初からあって、なくなっても復活するって絶対美味しいやつじゃん」
確かに言われてみればそうかもしれない。候補を絞るつもりが逆に食べてみたいものが増えてしまい、オレは頭を抱える。
しばらく悩んだ結果、唐揚げ定食を選択する。家で作るには面倒臭いのと、大盛りにすれば唐揚げが4つ増量できるからだ。
しばらく談笑していると料理が運ばれてくる。
「おっ」
「意外とでかいじゃん」
普通盛りでは少ないと思い大盛りを注文したものの、メニュー写真から想像していたよりも唐揚げが大きい。ひとつひとつがゴロゴロとしていて、中玉トマトぐらいはありそうだ。肉をたくさん食べたいと思っていたため、誤算とはいえ嬉しい。
しかし店員が持ってきたのはこの1品だけだ。疑問を口にする前に、鍋の方は提供までに10分ほどかかると謝られる。
料理が揃ってから食べようかと言うと、聡はお先にどうぞと促す。
「熱いうちに食べなよ」
「ああ、ありがとう。いただきます」
オレは箸で唐揚げを掴むと、最初の一口目を聡の口元まで運ぶ。聡は自分から口を開けたくせに、もごもごしながら多いと文句を言う。
「……おいしい」
聡の頬が緩むのを見てオレも箸を付ける。ギリギリまで口に詰め込むものの、惜しくも全部を頬張るのは断念する。半端に噛み切ろうとすればガリっと衣がその歯応えに相応しい力強い音を立てる。歯を食い込ませると柔らかく、しかし詰まった筋繊維が出迎えてくれる。中からは美味しいところ全部染み込んだ汁が溢れ出す。
「ん!」
もごもごと頬袋を膨らませていると、聡が堪えきれなかった笑いをこぼす。
「おいしい? リスみたいだよ」
オレはそんなに面白い顔をしているだろうか。ただ、くしゃっと緩ませたその表情をかわいいと思いながら、口を占拠する唐揚げとしばらく格闘する。
「熱くてでかくてすごくうまい!」
もう1品は「お熱いのでお気を付けください」という注意とともに運ばれてきた。たとえ店員の説明を聞いていなくとも、上がる真っ白な蒸気とぐつぐつ鳴る音が熱々な鍋であることを主張している。
聡は持ち上げたうどんに息を吹きかけ、軽く熱を冷ます。「熱っ」と言いながらも、難なく口の中へと滑り込ませる。
「こっちも味噌が濃厚でおいしいよ」
聡はホラ、と言いながら箸で掴んだうどんをオレのキャベツの上に置く。そして薄く大振りな豚肉を2枚乗せる。
「オイ、聡の肉なくなるぞ」
注意するものの、聡はさらにニラやいちょう切りの野菜を追加する。
「いいから食べてみなよ」
オレは唐揚げの平皿ごとうどんを持ち上げ、念入りに冷ましてからおすそ分けをいただく。
うどんは太く、もちもちと噛みごたえがある。芯まで味は染み込んでいないものの、凝縮された濃い味噌味のスープと煮詰められた柔らかな野菜達とが口の中で合わさる。そして最後に味噌のコクと野菜の濃厚な旨味が舌に残って消えていく。
「うまい……!」
だけどなにか足りない。もう少し、パンチの効いたもの……。
「唐辛子が合うと思う」
そう提案するも、聡は既にテーブルの七味唐辛子を持ち口角を上げている。
「いいね。どれくらいあったらいいかな」
不思議な質問だ。食べるのは聡なんだから聡の好む辛さにすればいいのに。オレは思ったことをそのまま口に出す。
「なんでオレに聞くんだよ。オレはもう一口貰ったし、聡がかけたいだけかけていいんだぞ?」
「ん~? だって辛いの食べた後のキス、今も嫌いでしょ?」
「えっ」
思いがけない理由に驚く。
思い返してみれば確かに、聡が辛いものを食べた後にするキスは口が痛くて嫌だと言ったことがある。今まで思い出さなかったことから、その後口がヒリヒリすることはなかったのかもしれない。でも付き合って最初の頃の話だ。それによく聡は「せっかく食べるんならシェアできた方が嬉しいでしょ」と言うため、オレは言葉通り受け取っていた。
「好きじゃ、ないけど……」
聡と食べる時は油と調味料を多めに入れる。オレといる時は辛いものばかりの店は避けてもらう。それと同じで、単にお互いの好みに合わせた小さな配慮だと思っていた。でもそれだけではなかった。
聡は配慮を配慮と気付かせずに行うのが上手く、しかもそれが当然といった顔をする。
「ほら。それに稔、キスするの好きだもんね」
自分でもよく分かっていることを指摘される。
玄関に入ってすぐ、「ほらまず靴脱ぐ」と諫められながら聡の口腔を貪ることなんて、割とよくある光景だ。なにか食べ終えてしまったものの味を聞く時、舌に残った味を掠め取ってから言葉で感想を教えて貰う事もある。
どちらも聡に注意はされているが、そこまで強い否定ではないため好き勝手している自覚はある。でも外食の時、辛いものを注文しているのに? と疑問に思っていると、答えのようなヒントを教えてくれる。
「昼からずっと出かけるならまだしも、あとはオレん家行って泊まるだけじゃん」
聡はオレだってキスしたいしね、と目尻を緩ませる。オレの甘えが、聡の大きな愛で包み込まれているから成っていたことを今になって知る。
「この後どうしようか」
「この後」
「花火が中止になったから時間空いたでしょ。でも明日はどっちも仕事じゃん。どうしたい?」
花火で頭から忘れ去っていたことを確認される。
聡が珍しく日曜月曜と2連休になった。聡と休みを合わせるため、オレは半日の土曜出勤で仕事を調整する。そのため明日、土曜日の午前中を除き、金曜日の夕方から月曜日の夜までを一緒に過ごそうと決めていた。
そしてそう、どうせなら──
「ずっとベッドですごそうねってやつ」
今日は花火で遅くなるからだろうから、最後までせずに触れ合うだけと約束していた。それを今、暗に、前倒しでするかどうか問われている。
「そう……だな」
これからを想像すると気分が落ち着かなくなる。さらに今日は「もしかしたら」と思いながら後ろの準備をしてきた。聡をすぐに受け入れるための準備なのに、熱中しすぎて脱線してしまった。思い出すと、外出前にひとりで聡を求めた場所が切なくなる。
オレがあまりにも黙ったままのため、聡は返事を待つことなくうどんを啜る。余程気に入ったのか「これめっちゃ美味い。家でも作りたいな」とひとりごとも言っている。しかしあんなに腹が減っていたのにオレの箸はなかなか進まない。美味しくていくらでも食べられると思ったのにそれどころではない。食欲よりも期待と戸惑いと、圧倒的性欲が頭を占めている。
そわそわしていると食後のパフェが運ばれてくる。
「あれ、もうきた」
店員にすべてお揃いですかと確認されるものの、オレ達は困惑する。
「頼んだのは頼んだけど……食後だな」
単にフライングしたのか厨房との連携が取れていないのか、このテーブル周辺を行き来している店員は平謝りだ。マネージャーを呼んでくると言うのを引き止め、どうせ食べるからいいよと聡が品物を受け取る。そして「気にしてないし頑張って」と励まし、次の仕事へと送り出す。
店員が離れてから伝票を見ると、しっかり食後の文字が印刷されている。
「店員さん忙しいからかな」
「夏休みだし、もしかしたらバイトの子が多いのかもね」
言われてみると、確かにさっきの店員は幼い顔をしていたかもしれない。。
「でもどうしようか。これ早く食べないとダメだよね」
予期せぬタイミングで届いたパフェでテーブルの上が渋滞している。食べたいと思った気持ちに変わりはないが、早く帰りなさいと言われているようで複雑な気分だ。
「そうだな……」
店員を思えば聡が受け取ったことに関して異論はない。しかし頂点にそびえ立つホイップクリームの下、広がった容器のフチギリギリのところまで円形のアイスが盛られている。なるべく溶けないうちに食べなければならないが、今すぐデザートに移行するには時間的猶予がほしい。
「でも稔は早く帰りたいわけじゃないもんね。両方オレが食べて、稔のは後で作り直して貰おうか」
「いや、そんなことは」
ないと否定するものの、遅れてきたはずの聡の鍋は食べ終わりそうなのに、オレの唐揚げ定食はすべての器に半分以上残っている。箸が進まないとは思ったものの、これでは帰るのを渋っていると思われても仕方のない状況だ。
「それは……、聡が大変だろ」
「じゃあ、どうする?」
「どうって、」
「このままゆっくり食べてどろどろのパフェを消費するのか、料理もパフェも早く食べて早くえっちするのかってこと」
「……!」
さっきはやんわり遠回しにしていた問いを、今度は直接言葉で突きつけられる。
「どうする?」
真っ直ぐ見つめてくる聡の瞳から目を逸らしたいのに逸らせない。
「っ、それは……、」
甘い痺れが身体を駆け巡る。準備だけだったはずがムラムラして結局アナニーをしてしまった。だけどひとりでするのはもの足りない。手を使っても道具の力を借りても、より聡が欲しくて寂しくなってダメになる。だから2度目はなかなかいけなかった。
「オレはどっちでもいいよ」
余裕を浮かべる聡ではあるが、瞳の奥にはしっかりと欲が燃えている。その炎を見ると、腹の底が熱くなって中が疼いて仕方なくなる。入ってもいない聡をしゃぶりつくそうと中が勝手に収縮する。燻っていた熱が、否応なしに焚きつけられる。
カラカラに乾いたオレの口はようやく言葉を発する。
「……は、早く帰る」
出した声は情けなく掠れている。
「いいの? ゆっくり食べたいんでしょ。いくらでも待つよ」
対して、聡はゆっくり言い聞かせるような喋りを崩さない。しかし聡が一瞬嬉しそうに目を見開いたのも、つばを飲み込んだのも、オレは見逃さなかった。
同い年なのに大人の余裕を見せる聡もいいが、雄を宿す聡ももっと好きだ。いつもの気遣いを吹き飛ばして獣のように腰を打ちつけてほしい。尻を鷲掴んで本能のまま中を穿ってほしい。頭が真っ白になって、苦しさすら感じる快感に溺れそうになって、もういらないと思うぐらい、オレを求めてほしい。
「それは、……違う。心の準備に時間がかかるだけで、したくないわけじゃない」
ここは聡の近所というにはまだ少し遠い場所だ。このあと電車に乗ってさらに10分は歩かなければならない。こんな状態で家まで保つだろうかと一抹の不安がよぎる。
無意識にズボンの合鍵を探す。せめて玄関入るまでは我慢しよう。その後はもう知らない。でも、聡の注意はきっとない。
「そっか。じゃあ早く食べてしまおうか」
聡の言葉にオレは目の前の料理に視線を移す。単純に食べたいものを選んだだけではあるが、エネルギー源としては最高だ。
「……ああ。どうせスタミナ付くもの頼んでたんだ、早く帰ろう」
料理に関るすべての生産者に申し訳ないとは思うが、残った料理を味わうことなく腹へ落としていく。気分はフードファイトだ。
一刻も早く、聡とセックスがしたい。
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