東京。ただそれだけを頼りにもう随分歩いた。つらくはない。つらいわけではないけれど、物心ついてから今までずっと二人で過ごしてきたから少し寂しさを感じている、だけ。
父と呼ぶには気恥ずかしく、いつも「じいちゃん」と呼んでいた唯一の家族がいなくなり、ブレイドはひとり、じいちゃんの残した置き手紙を頼りに東京を目指していた。
一人で進む旅はブレイドの生きてきた人生の中でもっとも静かな時間のひとつであった。彼は常に賑やかさを求めていた。
東京で國盗りの戦が起こっている最中であっても、周辺の街が寂れているわけではなかった。大きな賑わいこそないが、人が住むには最低限の物資や娯楽が整っていた。
ブレイドは立ち寄った街で目についた店の暖簾をくぐった。見かけはぼろい小屋だが中は様々な小物が一面にびっしり並んでいる。保存の効く食料もあるようだ。必要な物は揃っているらしかった。ブレイドはひとりふたりほどが物色している店内を満足気に見回して、奥の座敷へと進む。実は店の入り口から良い匂いが鼻を刺激していた。ちょうど腹の虫も鳴きそうだ。
座敷には卓が四つ並んでいた。ブレイドは手前の席に腰掛けて、店中に通る声で店主に声を掛けた。店主は大笑いした。
ことん。
しばらくして、湯気の上がった蕎麦の入った椀がブレイドの前に置かれた。ブレイドは目を輝かせて、いただきますと振りかぶって手を合わせた。店主は愉快そうに笑った。
ずるる、と蕎麦を啜りながらブレイドは店主に声を掛けた。
「東京へ行きたいんだけど、ここからだとどこが近いんだ?」
「新宿かねえ。でも行くってんならおすすめしないよ。あそこは王がいない。荒くれどもの無法地帯だ」
「つまり、強い奴がたくさんいるってことだろ?」
「馬鹿言ってんじゃねえよ! おっかねえおっかねえ」
ニカッと笑うブレイドに、店主は話題を切るように手を振った。なんとか新宿までの道を尋ねて、ほくほくとした様子で蕎麦の椀を両手で持ち上げて汁を啜った。中身が半分ほどに減った椀を、ほうっと息を吐きながら卓に置いた時だった。
「貴方、人、ですね」
真後ろから声がして、ブレイドは驚きに声を上げなかった自分を褒めた。ちらりと横目で確認すると、黒いローブのようなものが見えた。気配は一切感じなかったが、後ろの席に座っているようだ。
「そうだが、なんだ?」
ブレイドは平静を装って答えた。ローブの男は静かな声で続けた。
「見たところ田舎から出てきた旅人のようですが、東京に夢を見ているのなら引き返した方がいい」
「別に夢見て来てるわけじゃねえよ。俺は人を探してるんだ。そのために強い奴を倒して倒して倒しまくってやるんだ!」
背後で小さく息を吐いたのがわかった。見えなくても、馬鹿にしたように頭を抱えている様子が目に浮かんだ。
「どんな謳い文句を信じてここまで来たのかは知りませんが、東京は鬼の住処です。鬼と人が仲良く暮らす街だなんて御伽話でしかない」
「そうなのか? まあ心配いらねえ。俺は強い」
「すぐに死にます、貴方も」
冷たい声が響く。ブレイドと男を囲うこの空間だけ、空気がじっとりと重く感じた。
初めに声を掛けられた時も気配を感じなかった。指先を動かすことも躊躇われるこの空気。男が強いことを、ブレイドは確信した。
ごくりと生唾を飲み込んだ。蕎麦を食べてほかほか温まっていた体はまるで血の流れが止まっているのかのように重く感じた。冷や汗が額を滑る。
視界の端でローブが大きく揺れた。
「忠告はしました。あとはお好きに」
立ち上がった男はゆらりと大きな影を揺らすように、ブレイドの隣を通った。ブレイドはなんとか、張り付いたような手を持ち上げて男を呼び止める。
「お前、名前はっ」
足を止めた男は半身ほど振り返った。店の奥故に差し込む光が多くはない店内で、深いフードの奥から紫の瞳が鈍く光った。それ以外顔は見えなかった。
「……探し人が見つかるといいですね」
男はローブを翻すようにふわりとはためかせて、そのまままっすぐ店を出た。重く冷たい空気は彼とともになくなった。
強い。ブレイドは大きく口角を歪ませた。あの男は強い。
今までじいちゃんと生きてきた。じいちゃんにも一度も勝てたことはなかったが、それはじいちゃんが強いからだと思っていた。もちろん、それは間違いではないのだろうが。
背筋をぞくりと這う期待にブレイドは笑っていた。
東京には、あの男のような強い奴がたくさんいる。
「楽しみだな、新宿……!」
すっかりと冷めてしまった蕎麦とは反対に、ブレイドの闘志は熱くなっていた。
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