桐子
2025-06-01 23:28:12
3362文字
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まっさら⑥(父水)


ネットカフェで寝泊まりするようになって三日目。限界だった。リクライニングチェアは手足を伸ばすことはできるが、寝返りを打つことはできず、終始他人の気配を感じながら眠らなければならない。
「ふわあ」
目を擦りながら、水木はネットカフェのブースを出た。今日は土曜日だ。試験が終わったとかで、学生バイトでシフトが埋まり、久しぶりの土日休みだ。家電や家財道具の賠償はしてもらえることになったが、アパートは出ることになってしまった。他の部屋もいっぱいな上、水漏れで天井の修理も必要になってくるという。それで住み慣れたアパートを出て、新しい部屋を探すことにしたのだ。手痛い出費だった。あの学生に、さすがに引っ越しの費用まで出せともいいづらく、結局自分で払うしかなかった。
ネットで物件を探してみたが、職場に近い物件はどこも予算オーバーだ。地元ならこの金額で広々としたマンションも借りられるのに、首都圏はどうしても家賃が高い。不動産屋を予約していくつか内見もしてみたが、予算内に抑えようとすると、風呂とトイレが共同であるとか、事故物件で幽霊が出るとか、ろくな物件がなかった。
「あ~……どうすっかなあ」
結局今日もいい物件は見つからないまま、クラブに出勤する時間が迫ってきた。腹の虫がぐう、と情けない音を立てる。そういえば昼を食べ損ねていたのだった。昨日ネットカフェでカップラーメンを食べて以来、何も口にしていない。クラブでは基本的に酒とツマミしか出ないので、まかないがないのがたった一つの欠点だ。何か買って控室で食べようと、繁華街の近くまでやって来た時のことだ。着信音に気が付いてスマホの画面を見ると、郷里の叔母の名前が表示されている。
「もしもし」
『ああ、よかった出てくれて。元気にしてるの?』
叔母は水木の母親の年の離れた妹だ。水木の代わりに、母親の面倒を時々見に行ってくれている。
『それが、姉さんまた具合がよくなくてねえ。風邪をこじらしたみたいなの』
「えっ」
初耳だった。時々電話しているが、そんなこと少しも言っていなかった。
『また入院するかもしれないって。ねえ、忙しいのはわかるけど、少し休んで帰ってこれないの?』
……
水木は唇を噛んだ。帰って面倒を見たいのはやまやまだが、仕事を休めば給料はもらえない。それどころか、以前の職場では休みを取るなら辞めてもらうと言われたこともある。都会には人が溢れていて、水木のかわりはいくらでもいるのだから。
「ごめん、すぐには無理なんだ」
『そう……。でも、なるべく早く帰ってきてね』
叔母の気落ちした声に、水木も胸が痛くなる。しかし、今の仕事を辞めれば生活ができなくなるのは自分だけではなく母親もだ。叔母もそれが分かっているのだろう。
『姉さんもあなたも、苦労ばかりして気の毒に……
「母さんのことは心配だけど、大丈夫だよ。俺もなるべく早く帰るようにするから」
そう言って、水木は電話を切った。
郷里には仕事がなく都会へ出てきたが、結局都会でも仕事にありつけず、アルバイトで日々を食いつないでいる。最低賃金はこちらの方が高いものの、生活費や家賃が高いから結局ダブルワークをしないと仕送りもできない。それならいっそ、郷里に戻って仕事を探した方がいいのかもしれない。
水木はスマホの画面をじっと見つめた。
今日が約束の一週間後だった。




男は今日も、スーツの男をともなって入店した。水木がVIPルームへおもむくと、彼はフルーツの盛り合わせのてっぺんに添えられたさくらんぼを食べているところだった。フルール盛り合わせは一万円、冷やしたシャンパンが十万円。こんな大金を一晩で使えるなんて、やはり水木には理解しがたい。
「来たか」
座るよう視線で促され、水木は向かいのソファに腰を下ろした。
「返事を聞いてもよいか?」
水木は膝の上に置いた拳を握りしめた。そして、意を決して口を開いた。
……お受けします」
生きるため、金のためだ。身体を売って何が悪い。暇な金持ちから小遣いをもらってやるのだと思えばいい。それでこの最低な生活から抜け出せるなら、少しくらいの屈辱だって我慢できる。
「そうか」
男はそれだけ言うと、ポンと自分の隣を手で叩いた。ここに座れ、ということだろうか。水木は大人しく男の隣に腰かけた。光の加減で銀色にも見える灰鼠色の羽織からは、上等な白檀と樟脳の香りがする。男は水木の方へ手を伸ばし、眼鏡をするりと外した。
「あ……
男は水木の顎に指を添え、上を向かせた。そして、じっと水木の瞳を見つめた。眼鏡がないせいで、より強く男の視線を感じてしまう。蛇に睨まれた蛙の気分だった。今から丸のみにされるという点では、あながち間違いでもないだろう。
「ふむ。やはり綺麗な目じゃのう」
男はふ、とおかしそうに笑った。そのままソファの上に押し倒される。
「っ、あ……ここじゃ嫌だ……!」
「安心しろ。味見だけじゃ」
男は水木の首筋に唇を這わせながら答えた。生暖かい舌が皮膚を這う感覚に、背筋がぞくりとする。
「味見、って」
「明日、使いの人間を寄越す。息のかかった医者がおるから、そこで検査を受けてもらおう」
「っ、それはどういう……んッ!」
ちゅうっと強く鎖骨を吸われて、思わず声が出てしまった。
「性病やら何やらをうつされてはかなわんからな」
その言い草にむっとした。まるでこちらが誰とでも寝る淫乱のようではないか。
「俺は病気なんて」
「分かっておる。お主は男も女も初めてじゃろう。一晩遊ぶくらいならいいが、囲うとなると周りがうるさいからのう」
シャツの上から胸を撫でられ、思わず身体が跳ねた。男に身体を撫で回されたことを思い出してしまう。乳首で感じるなんて思いもしなかったのに、あの夜、ここも立派な性感帯だと教え込まされた。
「あ……っ、や……
シャツの上から胸の突起をつままれ、びくんと腰が浮いた。男はそれを面白がるように、かりかりと指先で引っかいてくる。
「ひっ、あッ!……っ」
「検査が終わったら、あの部屋で待っておれ。――――今度は最後までするぞ」
男の手が尻肉を掴む。ここで受け入れるのだと教え込むように、後孔のあたりをぐにぐにと揉み込まれた。
「あ、や……っ!そこ、やだ……
「わしの魔羅は大きいからのう。しっかりほぐしておかねばつらいぞ」
形を覚えるまで何回でもするからのう、とのんびり言われ、水木は震えた。こわい。男も、それを受け入れる自分も。
「いやならやめるか?」
そう言って男は水木の顔をのぞきこんだ。やめられるわけがないと分かっているのだろう。本当に意地が悪い男だ。
……わかりました」
顔を背けてそう言うと、欠けた耳にかぷりと噛みつかれた。
「あ……っ」
びくん、と背中がしなる。男は再び耳朶を舌で舐りながら囁いた。
「その話し方はやめよ。他人行儀なのは好かん」
「でも」
「今のおぬしは、従業員ではなくわしのオンナじゃ。口の利き方などどうでもよい」
……わかった」
「いい子じゃ、水木。口を開けてごらん」
「ん……
言われるがまま口を開くと、舌が入り込んできた。柔らかく濡れた粘膜が絡まり合い、くちゅ、くちゅっと粘着質な水音がVIPルームに響く。
「ふ……っ、んう……
ねっとりと舌を絡み合わせているうちに、身体の力が抜けていく。
「口付けの仕方も知らんのじゃな」
男は楽し気にそう言って、唇の端を舐めた。その壮絶な色気にあてられて、かっと体温が上がるようだった。それを誤魔化すように顔をそむけ、唾液で汚れた口元を乱暴に拭う。
「う、うるさいな」
「そこがよい。ふふ、楽しみじゃな。まっさらなおぬしを、わしの色に染めていくのは……口づけの仕方も、男の誘い方も、抱かれ方も、わしがこれから全部教えてやる」
妖艶な微笑みに、背筋がぞくりと震えた。きっと男は、その言葉通りに水木を自分の好みに躾けてしまうだろう。もしかして自分は、とんでもない男と契約をしてしまったのではないか。恐ろしかったが、今更なかったことにはできない。それでも弱みを見せたくなくて、ぐっと男を睨み返す。男はそれを鼻で笑い、再び唇を合わせてきたのだった。