匣舟
2025-06-01 17:14:09
3294文字
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どこまでもゆるやかな浸蝕

頑張り屋さんの乱を仙を甘やかす話

どこまでもゆるやかな浸蝕


 今日は散々な日だった。普通に歩いているだけなのに天才トラパーと名高い先輩の落とし穴に何回も落ちるし、この前採取してきた薬草を乾燥させていたら風で飛ばされるし。
 風で飛ばされた薬草を採取してこないとと、保健委員長である善法寺伊作と一緒に薬草を採取しに行ったら猪に追いかけられて全身が痛いし。
 いつもなら一日ごとにくる不運が一気に集中してくるものだから、乱太郎は酷く疲れ切っていた。
 まだ食堂にも、お風呂にも行けていないけれど今日はそんな気分じゃなく早く眠りに付きたいという気持ちが乱太郎をつき動かしていた。
 ああ、目がシパシパとしてきた。早く自分の自室に行って早く着替えて寝よう。とそそくさと一年生長屋を目指していると、後ろから乱太郎。と声を掛けられた。後ろを振り向くと、ふわりと抱きとめられる。
「乱太郎、こんな夜更けまで委員会だったのか?」
たちばなせんぱい?」
 乱太郎を抱きとめたのは、六年い組の作法委員会委員長の立花仙蔵だった。仙蔵は乱太郎の顔を覗きこむと、疲れた顔をしているな。と心配そうな表情を浮かべた。
「はい、薬草を採取しに行って、乾くのを待ってたので。」
 伊作と採取をして猪に追いかけられて忍術学園の門をくぐったのはもう月が出る頃だった。伊作には今日の仕事はここまででいいよ。食堂に行っておいで。と言われていたが自分の仕事を全うしてから行きます!と頑なに譲らない乱太郎に伊作が折れて、それじゃあ手伝ってくれる?と言って、今までやっていたのだ。
「そうなのか。お疲れ様。ところで乱太郎。目の下に隈があるぞ。それに少し顔色が悪いような気がするが。」
「そうですか?ちょっと今日は不運な日でして……。」
 まあ、色々あったんですよ。と遠い目をする乱太郎。そんな乱太郎を見た仙蔵は苦笑いをしながら頭を撫でる。
「それなら早くゆっくり休まないといけないな?」
 仙蔵はそう言うと乱太郎を抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこという奴だ。
「せ、先輩?!」
「ほら、乱太郎。暴れたら危ない。」
 こんな夜更けに誰もいないだろうから、大人しくしていなさい。と言って仙蔵は乱太郎を抱き抱えたままスタスタと歩いて行く。乱太郎は恥ずかしいやら嬉しいやらで顔を真っ赤にした。そんな乱太郎に気が付かないのか仙蔵は更に話を続ける。
「それに、今日は頑張った日なんだろう?」
 だから、精一杯おまえの事をわたしに甘やかさせておくれ。と微笑む仙蔵に、乱太郎はじゃあ、お願いします。と言うしか無かった。
 仙蔵から甘やかされるのは今日が初めてではない。乱太郎も何故こういうことになったのか分からないが、今日と同じように疲れきって長屋に歩いている時に仙蔵と出会ったのが始まりだろうと思う。
 不運続きと勉強も実技も何も上手くいかず途方に暮れていた乱太郎に、頑張りすぎは良くないぞ。と仙蔵から言われ、そんな頑張り屋さんの乱太郎のことを私が甘やかしてやろうな。と言われて、今に至る。
 最初こそ、委員会も一緒では無いしあまり関わりのないそして自他共に厳しい仙蔵が何故、落ちこぼれの私にこんなにも気にかけてくれるんだろう?と思っていた事もあったが、いつも疲れ果てて頑張った日にピンポイントで来て、甘やかしてくれる仙蔵に乱太郎は陥落してしまい、こんなことをズルズルと続けている。
 なんで、私のことを気にかけてくれるんだろう。と聞きたいのは山々だが、いつも疲れきった時に仙蔵が会いに来てくれるので、そこまで頭が回らない乱太郎は結局彼に聞けずじまいでいる。
 仙蔵は乱太郎の部屋に着くと、乱太郎を自身の膝の上に座らせて後ろから抱き抱えた。そしてそのまま二人の時間に浸った。
「乱太郎、いつも良く頑張っているな。偉いぞ。」
 乱太郎の首筋に顔を埋め、仙蔵が喋りかける。もう既にとろんとした表情の乱太郎はくすぐったいです……。と身を捩り仙蔵から逃げようとするが、そこは六年生と一年生という体格差で失敗に終わる。それならばと逃げることを諦め、大人しく仙蔵に甘える事にした乱太郎はそおっと仙蔵の腕に手を添えた。そんな所も愛いなぁと思いながら仙蔵は言葉を続ける。
「そうやって頑張るおまえが私は愛おしいと思っている。だけど、無理はしたらだめだ。」
 文次郎みたいに隈を作ってまで頑張るんじゃない。分かったか?と言う仙蔵に、眠たい乱太郎ははいと頷くしか無かった。
「は、い……。」
 仙蔵に優しく頭を撫でられて乱太郎の瞼がゆっくりと落ちていく。歩いている時もほぼ気力で立っていたようなものだから、ここで眠ってしまうのは許して欲しかった。
「眠いのか?」
……はい。」
 仙蔵の問いかけに乱太郎は素直に答えた。そんな素直な乱太郎の額に仙蔵は口付けを一つ落としてわらった。そしてそのまま乱太郎が寝付くまでずっと頭を撫で続けた。
……おやすみ。」
 そう呟いた声は聞こえていたかいなかったか。すやすやと寝息を立てる乱太郎を抱き締めながら仙蔵は幸せそうに笑って、自分の布団に乱太郎を寝かせて自分も布団に潜り込む。
はあ、鈍感だなあ、おまえは。」
 仙蔵は乱太郎の寝顔を眺めながらそう呟いた。自他共に厳しい仙蔵が、どうして乱太郎のことを甘やかしているのか。
─そんなのひとつしかないに決まっているだろう。ただ単に、仙蔵が乱太郎に対して好意を抱いているからこうして誰よりも先に行動に移しているだけだ。
「おまえはいつ、この私の気持ちに気づくのだろうなあ。」
 なあ、乱太郎。と隣でむにゃむにゃと眠る彼に呼びかけてみると偶然にもふにゃ、と仙蔵に向けて笑いかけた。そんな乱太郎の仕草に仙蔵は微笑み、頭を撫でる。
 きっと目の前の彼は、仙蔵が、忍術学園の大勢が乱太郎に好意を向けていることに気づいていない。誰もが必死に乱太郎のことを振り向かせようと必死なのに、当の本人はなんにも気づいていないのだ。仕方がないと言えば仕方がない。乱太郎はまだ十歳で、好きだと言われてもまだ分からないだろうから。
 それなら、ゆっくり自分のことを刷り込ませていけばいい。乱太郎が自分なしでは生きられないようにするだけだ。じわりと、ゆっくりと乱太郎が自分のところに堕ちてくれればそれでいいのだ。
……ゆっくりでいい。おまえが私のことを好きだと気づくまでいつまでも、何年でも待つからな。」
だから、私のところに堕ちてきておくれ。そう言って仙蔵は乱太郎の額に口付けると、そのまま眠りについた。
「ん……んん……
 朝、乱太郎が目を覚ますとそこは自分の部屋では無く六年い組の立花仙蔵の部屋で、そして自分が何故か仙蔵に抱き抱えられて寝ていることに気がつく。
 仙蔵と同室である潮江文次郎は帰ってきておらず、布団が敷かれていなかった。
「あれ?私昨日どうしたんだっけ……?」
 確か昨日は綾部先輩の落とし穴に落ちて、風に飛ばされた薬草を伊作先輩と採取しに行って、猪に追いかけられて……それから。と昨日のことを思い出そうと頭を捻っていると、横ですやすやと眠る仙蔵が目に入る。
 そうか、私先輩に甘えてここに来たんだ。と考えているといつの間にか仙蔵が起きていて、おはよう。と声を掛けていた。
「お、おはようございます……。」
「ああ、おはよう。」
 ニコニコとこちらを見つめる仙蔵に乱太郎は顔を赤らめてしまう。そんな乱太郎を可愛いなと思いながら仙蔵は笑いかけた。
「さて、乱太郎。私と一緒にお風呂に行って、食堂に行こうか。」
 昨日入り損ねてしまったし、ご飯も食べてないからお腹もすいているだろう?と仙蔵が言った途端、タイミングを見計らったように乱太郎のお腹がぐうぅと鳴った。
「す、すみません……。」
 このタイミングでお腹が鳴るなんて……!と恥ずかしくなっていると、仙蔵がクスクスと笑う。
「では、決まりだな。乱太郎、行こうか。」
 そう言って仙蔵は乱太郎の手を握って部屋を後にするのだった。