かずきち
2025-06-01 01:36:52
3623文字
Public SS
 

浅く酔い

成人した郁とまだ未成年の恋


 夕食を済ませた後、特にする事もなかった恋はいつものように郁の部屋へと向かった。最近はすっかり暇になればすぐ遊びに行くようになったせいか、連絡もとくに入れずに行っても驚かれる事は少なくなってきたので、以前にも増して遠慮なしに通うようになってきている。郁も郁で「時間があれば一緒にいたいからいつでもいいよ!」と持ち前の眩しい笑顔とセリフで迎え入れてくれるものだから恋も舞い上がってしまうのだった。
 螺旋階段を登って部屋のチャイムを鳴らせばはーい、と明るい声とともにドアが開き郁に迎え入れられる。こんばんはと挨拶をしただけなのに郁は相手が恋であると理解した時点で、用も聞かずに部屋の中へ招き入れてくれる。予定があったようでなくて安心しながら、お邪魔しますの言葉と共に部屋にあがると、嗅ぎ慣れない匂いがする事に気が付いた。すんすんと犬のように鼻を働かせると次第にその匂いに心当たりがうまれてくる。アルコールだ。

「郁の部屋からしちゃいけない香りがする!!」
「入ってきて第一声がそれ!?」
「いやだってお酒の匂いだよ!大人の香り……あー、うん」

 部屋を見回してテーブルの上にある匂いの根源がなんなのかを理解した恋は、後ろからきたツッコミに応えてから納得する。そうだ、郁も誕生日を迎えて二十歳になったのだ。大人。お酒を飲んでも許される年齢。恋より一つ年上。それでも郁の部屋にはまだ不釣り合いなように見えるそのボトルとグラスをしげしげと見つめながら、すっかり定位置になったソファの隅に座る。

「誕生日の時のお祝いにって頂き物のお酒があってさ、飲まないでおくのも申し訳ないなーって」
「なるほどねー。どう?美味しい?」
「うん。飲みやすい……んだと思う。ちょっと甘い感じ」
「へー」

 ボトルを持ち上げラベルを確認してみるとおしゃれな横文字でデザインされたラベルで、それだけで普段黒月が飲んでいるような男らしいビールや日本酒の類ではないのだろうと想像がついた。
 それでもお酒に縁のない恋にはグラスに注がれたその色を見て恐らく白のワインか何かだろうと予想を立てるくらいしか出来なかったが。

「酔っ払ってない?」
「酔っ……てはないと思うけど。喉のあたりがあったかいなーって感覚はあるよ」

 台所からお茶の入ったコップを持って来た郁はそれを恋に渡して、まだ半分ほど残っているお酒の入ったグラスを持ち上げる。ほんのり緑みがかった液体は、動かされた振動にあわせてパチパチと泡を弾けさせた。
 ありがと、とお礼を告げて受け取ったお茶に口を付ける恋を見て、郁も自分のぶんを飲みきってしまう。喉を通った後に熱さを感じるお酒独特の後味はきっとこれから慣れていくんだろうと思った。

「でも、ちょうど話し相手が欲しいなって思ってたとこだったから、恋が来てくれて嬉しいな!」
「え……ああ!ほんと?良かった、大人な雰囲気に浸ってたかったとかだったら俺邪魔しちゃったかなー、と」
「全然平気。っていうか大人な雰囲気ってなんだそれ?」
「こう……ワイングラス片手にため息をひとつ……みたいな?」
「余計分かんないよ!」

 郁がお酒を煽っているなんて今までに見た事もない光景に思わず見入ってしまっていた恋は、それがバレてしまわないようにごまかしながら話を持っていく。ワイングラスを持っているようなジェスチャーをする恋に吹き出しながら郁は隣に座る。
 そこからはいつも通り、「そういえばこの間春さんが……」「前に寄った雑貨屋さんで一目惚れしたやつをね……」などと他愛もない話に花を咲かせていくのだった。

「ふぁ……

 毎日のように会って話している筈なのにいつまでも尽きない話題はすっかり時間を忘れさせる。欠伸をした郁につられて時計を見ればそろそろ日付も変わりそうな頃だった。

「もうこんな時間だ!そろそろ寝よっか」
「本当だ。確かにもうだいぶ眠いかも」

 ひとつ、ふたつと瞬きをしてからソファから立ち上がるまでの動作のゆったりさからして本当に眠いのだろうというのが見てとれる。眠そうな郁は別段珍しくもないのだが、無防備にふわふわと動く姿は珍しい。といってもこれが酔いのせいなのだろうとは、今までお酒の入った年上達を見てきた恋には察しはついたのだが、やはり同じ年少組の郁がそうなっているのを見ると落ち着かない。郁はもう一度大きな欠伸を、今度は嚙み殺そうと口元を手でおさえながらもう片方の手で空いたグラスを二つまとめて拾い上げて、台所へ向かっていった。それを目で追ったままただじっと見ていた恋はグラスを洗うために流された水の音を聞いて我に帰る。
自分も明日は朝が早いのだ、そろそろ帰らなくては。

「郁ー俺そろそろ帰るよ。今日はありがとー!」

 洗い物はたった二つ、時間がかかる訳もなく恋が追って台所に入った時には既にグラスは水切り場に置かれていて、郁はタオルで手を拭いていた。ひと息ついている郁に軽く手を振りながら声をかければきょとんとした顔をして見つめてくる。

……郁くん?」
「え、ああ、ごめん。……なんか勝手に泊まってくのかなー、って思ってた」
「え」

 ふにゃっと笑いながら言う言葉に恋は驚いた。一度もそんな事は言ったつもりはなかったが、どうやら郁の中ではそうなっていたらしい。確かに遅い時間までいて、そのまま泊まっていった事は過去に何度もあるが、それは翌日の予定がなかったり遅かったりしていたからで。しかもそれはあらかじめ恋が自己申告しているケースが多い。こんな風に切り出されたのはほぼ初めてで、それが妙に嬉しくて顔が熱くなるのを感じた。

「えーと……
「あー、でもそっか。」

 答えに困っているとあげたままだった手をとられる。ついさっき洗い物をしていた割に郁の手はいつもより熱く、触れた所からじんわりと熱が伝わってきた。

「恋も明日早いんだっけ」
「そうだけど……
「じゃあ帰らないとだ」

 恋から視線を逸らし、とったその手を見ながらポツリとこぼすように呟かれた言葉は床へ落ちていく。眠気でとろんとしていた瞳をゆっくり隠すかのようにされる瞬きは、少し下を向いているせいかどこか艶っぽく見えて、それが余計に恋の顔を赤くさせる。
 どぎまぎしている恋を余所に、郁は眺めていただけだった手をやわやわと握ってきた。
 帰らないと、と言いながら手を離してくれない郁の意図が掴めず、されるがままにしていると今度は手の甲を指でなぞられる。手首のあたりから指の付け根までを何度も往復されて、くすぐったさにピクリと手が跳ねるがその指はまだ離れてくれそうにはない。それどころか更に指を絡められてしまい、恋の手の形を確かめるように、全部を撫でられていく。指の関節、側面、爪の先。一本一本を丁寧に郁の指が通って行った。
 繰り返される戯れはじわじわとくすぐったさとは違う感覚を呼び起こしそうで、伝わった熱はすっかり手に移りきっていっそ熱いくらいで、飲酒していない恋までクラクラしそうになってしまう。

「い、郁……!もう離し……っ」

 たまらなくなって声を出せば視線を上げた郁と目が合う。少しだけ眉を下げて、どうしようかと困ったような表情をしていた。

……なあ恋」
「なに……?」

 握られた手をそのまま口元へと引かれ、中指の先に少しだけ唇が触れる。

……やっぱり泊まってかない?」

 いつもの凛々しげな表情は何処へやら、ゆるやかに微笑んで首を傾けながら聞いてくる郁の破壊力は恋にとっては相当だった。

(こ、この人思ったより酔ってる!)

 酔っているというよりはお酒がまわっているという方が正しいかもしれないが。それほど量を飲んでいなかった割には郁はふわふわしているし、言葉も行動もいつも以上にストレートだ。こんな風に引き止められるなんて思っていなかったせいで湯気が出るんじゃないかと思う程顔を赤くしながらそんな感想を抱いていた。指に触れた唇から漏れる息が熱い。未だに視線を送られたままでもうどこもかしこも熱くなって来た恋は思わず頷いてしまう。
 明日の事はどうにでもなれ。
 今はとにかく前後不覚になりかけなこの恋人に振り回されていたかった。

「やったあ」

 大層嬉しそうに声をあげた郁はずいと近付いてちゅ、と軽く口付けてから繋いでいた手を引っ張る。向かう先は寝室だ。

……ひょっとしていつも引きとめたいとか思ってたりする?」
「なにか言った?」
「な、なんでもない!」

 酔うと本音が出やすくなるという話をふと思い出すが、今の郁に聞いても本当かどうかは分かりにくいだろう。
 明日起きた時にでも聞いてみよう。そして今振り回されているぶん、からかってやろうと心に決めながら恋は大人しく引きずられていくのだった。