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きなこ湯
2025-05-31 22:20:33
2554文字
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残り香
十狂セメタリー、喫煙疑惑でヒロインに詰め寄る世野ネイムの話。
時系列は館神本編途中を想定しています。また、サリコさん特典の視聴後を推奨します。
「おい、ちょっと待て」
世野が鋭い声で呼び止めると、彼女はぎくりと肩を強張らせてから立ち止まった。すれ違いざまの廊下でぎこちなく振り返った顔をまじまじと見下ろし、世野は端正な顔に不満を浮かべる。
第七特命課のフロアは警視庁の中でもやや奥まった位置にある。変わり者揃い、集う人材の有能さに反し検挙率の極端に低い異質な部署であるゆえか、普段はまったく他の人員の出入りもなかった。すれ違ったのは第七特命課フロアから出た休憩室へと続く廊下だったが、周囲に世野と新入り以外の気配はまったくしない。
春から第七特命課の配属になった、警視総監の一人娘。キャリア組。本来の実力よりも七光り由来の肩書ばかりが先行している彼女は、少し前まで世野の相方だった。防犯カメラの確認の仕方すら知らないほとんど素人同然だったが、教えたことを二度訊ねることはなく、必要なコミュニケーションは怠らない。やや世話好きなきらいはあるが、慣れてしまえば愛嬌の範囲内だろう。堅物で通る世野にそう思わせる時点で人誑しの才能はあるかもしれない。
しかし世野は目元を厳しく眇めたまま、委縮する彼女をじっと見下ろした。その眼差しに親しみは含まれておらず、冷えきった温度に彼女はますます顔を青白くさせていた。
相方として働いた期間を終え、世野はこの新入りにある程度の親しみを抱いていた。少なくとも初対面時の反射的な嫌悪感はすっかり薄れている。青臭く無鉄砲なところはあるが、それは駆け出しの警官によくある新人ゆえの性質であり、むしろ生真面目な性格と大胆な行動力を兼ね備えている部分は世野も評価していた。それが、今は一変して厳しい目を向けている。
「お前、どこで何をしていた」
低い声で追及すると、彼女は顔を上げてまっすぐに世野を見返した。質問の意図がわからないとでも言うように困惑を浮かべながら、休憩室にいたと答える。
「そんなことはわかっている。そうではなく、休憩で何をしていたかと訊いているんだ」
世野の厳しい詰問に、彼女はますます訳がわからないと首を横に振った。白々しい、と世野は内心で舌打ちする。
「煙草の匂いがする。勤務中の喫煙は禁止されているはずだが?」
堪えきれずそう告げると、彼女はぽかんと口を開けた。その間抜け面に思わず世野も面食らう。
――
まさか俺の勘違いだったのか? 一瞬間違った指摘をぶつけたかと不安が過ぎるも、やはりすれ違った際に香った煙の気配は勘違いではなく、変わらず目の前の人間から漂っている。少なくとも世野と相方だった頃、彼女に喫煙の習慣があるようには見えなかった。厳しい世野の目を気にして禁煙していたのが、相方を離れて気が緩んだのか。そう考えると、規律を重んじる心と隠し事をされていた事実にどうしようもなく苛立ちが募り、自然と目元が険しくなる。
自分が優しくない表情をしている自覚はあった。しかし、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で世野を見上げる彼女がみるみるうちに顔を青く
――
それから白く変えてゆくさまを見下ろすうち、率直に妙だと思う心も生まれてきた。ただ休憩の煙草を咎められたにしては、この反応は
――
「お前ら、こんなところで何してんだ?」
低い声が彼女を越えた向こうから聞こえてくる。世野がハッとして顔を上げると同時に、萎縮していた彼女もびくりと大袈裟に肩をすくめた。錆びた金具のようなぎこちない仕草で後ろを振り向く。
「
……
サリコさん」
「おう。ネイム、お前はいつにも増して険しい顔してんな」
「元からこの顔ですが」
「ハ、堅物め。冗談だよ、冗談。
……
んで新米。休憩終わったんだろ? こんな場所で油売って大丈夫か」
魅堂の言葉に、彼女はハッと目を見開いた。世野の記憶が正しければ、今の相方は鑑識の館神だ。曲者揃いの第七において一、二を争うレベルの自由人
――
訂正、独特なあの人の相方なら、世野や魅堂を相手にするとはまた違った苦労に絶えないだろう。
世野と魅堂のそれぞれに深く頭を下げ、彼女はバタバタとその場を立ち去った。
「
……
魅堂さん」
「なんだよ、そんな怖ぇ声で。廊下のど真ん中で喋ってたのはお前らだろ?」
魅堂は大袈裟に肩をすくめて笑った。口の端だけ吊り上げた笑みは警官に相応しくない形だったが、世野は魅堂の捜査能力を信じている。第七に所属している時点で破天荒さは察されるが、それだって仲間内では常識人の範囲内だろう。少なくとも、世野は魅堂を頼れる良き先輩だと思っている。
思っていた。
「夜勤明けの休憩だよ。なんも違反なんかしちゃいねぇよ」
もちろんシフトは把握している。だから、魅堂の言い分に大きな非がないことも理解している。
「
……
ええ。わかっています」
腹の底に、満たされることを知らない獣を飼っている。それは酷く狂暴で、強欲で、執念深く、暴力の甘美さを知っている。性質はどうあれ、第七にたどり着く人間の誰しもが腹に化け物を隠しているものだ。世野はそれを隠すべき、秘めるべき、悪質なものだと認識している。
魅堂とて例外ではないだろう。しかし、彼がそれを秘めるべき恥と認識しているかどうかは定かでない。
すれ違い際、魅堂は低い声で笑った。
「まだ誰のモンでもねぇだろ」
「
……
そうですね。まだ」
世野が繰り返すと、深い紺色の目が面白そうに細められる。気安い仕草でポンと肩を叩かれた瞬間、つい先ほど青い顔をした新米から香ってきたのと同じ煙草の匂いが鼻に触れて、世野は思わず眉間に皺を寄せた。
「ハハ、可愛いヤツ。勘違いで叱ったこと、後で謝ってやれよ」
――
でなきゃ、俺からあいつにフォロー入れるぞ。
「
……
ご忠告どうも」
夜勤明けにしてはずいぶん軽い足取りで立ち去る魅堂の背中を見送り、世野は深く嘆息した。腹の底に秘めた凶暴な獣は、獲られる前に捕まえてしまえと強欲に訴えている。その獣を前にして「逃げない」と強がったあの女の手を、今すぐに取り戻せに行けと。
世野の欠けたところすら正面から評価するような女だ。第七のような場所へたどり着く人間にとって、あの胆力と公平さは劇薬だろう。あまりにも身に覚えがあり、嫌な眩暈がした。
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