きなこ湯
2025-05-31 22:01:56
5312文字
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善意なんかじゃない

ラーメンコンビ(蓮・律)が特待生の境遇に同情したり文句言ったりする話。
+αで登場するキャラクターがそこそこ多いです。


「ハ? いや何すかそれ」

 堅い声に顔を上げると、蓮は特待生の手元にあるスマホを覗き込んで顔をしかめていた。無遠慮に向けられたその視線に特待生がぎょっとして肩をすくめると、ようやく自分の振る舞いの無礼さに気づいたらしく、一瞬だけきまりの悪そうな色を浮かべる。それから案外明るいエメラルドグリーンの瞳をじとりと平べったくして、

「いや、そんなの目に入ったら普通何かしら反応するんで」

 と、やや早口で弁解した。
 場所はDAの購買前。偶然居合わせたグールたちと適当な世間話に足を止めていた特待生だが、制服のポケットでスマホの通知音が鳴り、ひとまず確認のため取り出したところだった。ロック画面に浮かんでいるのはDチャットの通知で、最近たまに連絡をとる別のグールからのメッセージが浮かんでいた。

「何があったんです?」

 いつぞやと同じく購買に居合わせていた律が口を挟むと、蓮はますます顔を苦そうに曇らせた。それでも適当に話を流すのではなく特待生のスマホを指して「これ」と答えたあたり、蓮にとっては律を相手にする面倒を上回る珍事だったらしい。

「彼女のスマホがどうかしましたか?」
「えっと、Dチャの通知が来ているだけなんですけど」
「拝見しても?」
「ええと、どうぞ」
「ありがとうございます」

 折り目正しく特待生のスマホを受け取った律は、「これは……」と神経質そうに片眉を吊り上げた。

「失礼、このメッセージは貴方が合意の上でIDを交換した人物からのメッセージで間違いありませんか?」
「えっ? それは、もちろん」
「なるほど……
「ほら、やっぱ普通におかしいだろ」
「え、えぇ……どういう意味ですか?」
「まず、それ誰すか」

 蓮は普段の二割増しで不機嫌そうに尋ねた。

「エドさんです」
「いや誰」
「エドワード・ハート。オブスキュアリ寮のグールにして、寮長ですね。元は人間だった私たちとは違い、悪魔と契約する前から怪異だった、正真正銘の吸血鬼です」

 律が詳細説明を加えると、蓮はますます苦い表情を浮かべた。それから胡乱げに目を細め、低い声でつぶやく。

「これが?」
「これが、です」
「これがって……

 三者三様の眼差しが特待生のスマホへと集中する。ロック画面に浮かぶDチャットの通知には、エドワードらしいカタカナ混じりのテキストと、網膜に眩しい様々な絵文字がカラースプレーのごとく散りばめられている。
 エドワードから送られるメッセージはどれも個性的だ。Dチャットがコミュニケーションツールである以上、もちろんそれぞれ個人で文面や連絡の頻度は異なるが、エドワードのそれは殊更に特異と言えるだろう。少なくとも、これほど見た目に派手で、どことなく粘着質な雰囲気を漂わせるチャットを送る人物を、特待生は他に知らなかった。
 普段は本心を掴めないミステリアスな印象の強いエドワードだが、チャットでは努めて明るくテキストを打ち込んでいるのだろうと好意的に受け取ることもできるので、特待生はひとまずそういうものとして応対している。しかし、目の前のグール寮生二人はそう捉えなかったらしい。
 二人は渋い顔で――特に蓮はトーク欄を遡るたび「うわ」と声に出して顔を顰めた――エドワードから特待生宛てのDチャットを読んでいる。こうもじっくり読ませるつもりはなかったので、そろそろ失礼になるのではないかと特待生が切り出そうとしたところで、ようやくスマホが返却された。

「ありがとうございました。こちらは確たる証拠となりますので、決して削除しないように。スクリーンショットでの保存もおすすめします」
「えっと、それは何のために……?」
「もちろん、貴方の権利を守るためですが?」

 当然のように言い切る律の顔をぽかんと見返す。

「これ、普通にセクハラだろ」

 蓮が低い声で追い打ちをかけた。
 自分の権利。セクハラ。すっかり弁護でもする気に見える律の顔と、苦々しい表情を浮かべる蓮の顔とを、特待生は交互に見返す。
 それから、ようやく「誤解です!」と声を張り上げた。

「あの、誤解なんです。普段からこういう感じのチャットで、確かに紛らわしいことも言うんですけど、エドさんに悪気があるわけじゃなくて」
「悪気がなけりゃむしろ悪質じゃねぇの」
「ええ。貴方にそう言い訳させている時点で、こちらにじゅうぶん利があるでしょう。特待生さん、貴方は私のビジネスパートナーです。貴方の尊厳が侵害されている時、その影響は私にまで及ぶ可能性が考えられます。つまり、これは決して他人事などではありません」
「いや理由云々はどうでもいいけど、普通に気色悪いだろこんなん。いくら監査役の仕事があるからって、これはさすがにライン越えじゃないっすか」
「え、ええ、それほど……?」

 けちょんけちょんに貶す二人の言葉の間で、特待生は困り果てた。確かに、エドワードの独特な物言いに思うところがまったくないかと問われると、それは素直に頷きがたいのだが、それでもと彼女は首を横に振った。

「勘違いされることもあるかもしれませんが、エドさんは悪い吸血鬼ではないです。少なくとも、私はエドさんを訴えて負かそうとは思っていません」

 なるべくきっぱりと言い切る。そうでなければ律が納得しないだろうと判断した。案の定、それでもと若き弁護士は食い下がる。

「いいえ、特待生さん。これは貴方一人でなく、私たち共同の問題です。以前から、貴方を取り巻く環境には改善の余地があると考えていました。我らがシノストラ副寮長のロミオ・S・ルッチ、それからフロストハイム寮長の冠氷尋を中心とした一部のグール寮生による横暴な要求には、貴方もずいぶん困らされていたはず。それに加えて個人の尊厳まで侵害する者がいるなど、ビジネスパートナー業にも支障が出かねない。これは一度、きちんと環境を改めるべきでは?」
「要するにあんた、どこに行ってもいいように使われてるんすね。ここまでくるとさすがに同情っつーか、呆れるわ」
「そ、そんなに言わなくても」

 最初こそ自分を案じての言葉、あるいはエドワードに対する非難の態度かと思われたが、いつの間にか特待生の態度を批判する流れになっていた。
 ほとほと困り果てて律と蓮の顔を交互に見返す。二対一ではあまりに分が悪い。これは誰かしら増援を頼むべきだろうか――なんて世迷言が特待生の脳裏をよぎった時、タイミングよく知人の背中が見えた。隣に並ぶと見上げるくらいのすらりと高い背中に、まだ新しい制服と、ラフなパーカーのフード。

「ライカくん!」

 特待生が声を上げると、ライカがこちらを振り返って満月の目をまるく見開いた。手を振って呼びかければ、一瞬不思議そうに律と蓮の顔をちらりと見つつ、素直に近寄ってくる。

「なんだよ?」
「ちょっと助けてほしくて」

 エドワードと同じオブスキュアリ寮所属のライカであれば、この状況を打開する手助けをしてくれるかもしれない。そう思って事の顛末を説明すると、ライカは難しそうに顔をしかめた。

「よくわかんねーけど、おまえら、あの色魔ジジイに何ができるんだよ?」
「色魔ジジイって、ワードセンス終わってんな……
「あ?」
「いやっ別に」
「ライカ・コルトさんの発言の是非はひとまず保留として、質問にお答えしましょう。私と特待生さんはビジネスパートナーの関係です。彼女への誹謗中傷もといセクシュアルハラスメントは、協力関係にある私にとって他人事と見過ごせる問題ではありません。よって、然るべき手段をもってこれを訴え――
「あー! おまえ、あんまむずかしいことばっか言うんじゃねーよ。もっと簡単に言え!」
「エドワード・ハートの、特待生さんへの接触を防ぎます」
「だいぶ雑にまとめたな」
「いや、だからその、私は別に困っていなくて……

 またも望まぬ方向へ話の転がり始めた気配を察し、特待生はどうにか反論を挟む。頼みのライカを見上げると、彼は難しそうに大きな口を真一文字に引き結んでいた。グルル、と唸る低い声は思案に暮れている証拠である。

…………こいつが色魔ジジイと会わなくなったら、おれとも会えなくなるんじゃねーの? なんだっけ、監査役……なんだろ。おれが任務行くにはこいつが必要だ」

 ようやくそれらしい反論が出てきた。
 しかし、律はすげなく一刀両断する。

「いいえ、それはまた別の問題かと。たしかにエドワード・ハートはオブスキュアリ寮の寮長で、彼には同寮所属グールの管理責任、もとい任務達成の基準として報告書へのサインが必要です。――しかし、今の彼はグール寮生に与えられる任務のほぼすべてをボイコットおよびサボタージュしている状況で、寮の管理は副寮長に一任しているとか。それはライカ・コルトさん、貴方こそよく知っているのでは?」
「たしかに、寮の仕事はぜんぶ金髪ジゴロがやってる。色魔ジジイがいなくても、なんも変わんねーかも……
「ラッ、ライカくん⁉」
「へー。じゃあマジで問題ねぇじゃん。先輩、よかったじゃないっすか。時間できたら、ジャバウォックの仕事も手伝いに来てくださいよ」

 ようやく機嫌良さそうに笑った蓮の顔を見上げ、特待生は曖昧に愛想笑いを返した。これはだめだ。今さら形成逆転できる気がしない。この場は何となく話を流してなかったことにするくらいしか思いつかない。


     ✦


「ねえ、ライカ。最近あの子とはどうなの?」
「だれだよ」
「やだなあ。君が仲良くしている女の子なんて、ひとりくらいしかいないでしょう」

 エドワードが薄く笑うと、ライカは満月色の瞳を平べったくした。それから、いつにも増して低い声で答える。

「なんでそんなこと、おまえに言わなきゃならねーんだよ」
「おや。反抗期かな?」
「うるせー」

 エドワードをよそに、ライカは素っ気なく自室へ向かう階段を上った。その乱暴な足音を聞き、エプロン姿の累が「シワになるから制服は脱いでから寝てよ!」と姿を現す。

「ああ、君でもいいや。ねえ、最近あの子ウチに来ないけれど、何か知ってる?」
「知ってるも何も、エドさんが原因でしょうが」
……俺?」
「そ。特待生ちゃんにセクハラするの、ガチでやめたほうがいいと思うよ? 俺ちゃんまでとばっちりくらうじゃん」
「待って。一体何の話?」
「エドさんのセクハラが目に余るって話。後輩の一年生たちから散々言われたらしいよ? そんなチャット送ってくるヒト、どこからどう見ても有害だから近づくなって」

 いつにもまして辛辣な言葉選びで累が説明すると、エドワードは赤い瞳を猫のようにきょとんとまるくした。向けられた言葉は酷いものだったが、そのささやかな悪意はまるで刺さらず、エドワードの頭上を素通りしてゆく。

「へえ、そう……一年生が」
「あっ。間違ってもそっちの子たちに迷惑かけないでよね。トラブった時に対応するの、結局は俺ちゃんなんだから」
「そんなことしないよ」
「どうだか」

 累は半目になってエドワードを一瞥した後、これ以上構っていられないと店の方角へ消えていった。普段からすげない態度を取られているエドワードは特に傷つきもしなかったが、それはそうと「今回はちょっと長引きそうだな」とぼんやり思う。

「それにしても、一年生のグールたちが……ね」

 脳裏に浮かぶのは、どこにでもいるごく普通の女子生徒の姿。肩の上で切りそろえた髪に、目元を隠すパッとしない前髪と、穏当すぎて愚鈍にさえ思える、擦れたところの少ない人柄。悪魔契約を結んだ元人間と関わるに、その善良さは足枷ですらあるだろう。強制的に彼らと関わることを強いられたあの人間の行く末は、浮世の娯楽にも飽いたエドワードにとって多少新鮮な事項だった。だからこそ、呪いを解いてあげようかと、一度は珍しい親切心を見せてやったのだけれど。

「ふふ。あの子も苦労する。ひとでなしの善意なんて信じるべきじゃないだろうに」

 自己主張の強いグールから差し出される言葉すら、何の疑いもなく受け取ってしまうような人間だ。他のグール寮生たちはもちろん、死神の呪いを持つ累、人狼のライカ、ひいては生粋の人外であるエドワードにすら、怯えを持たずに接する。彼女の行く末が悲惨であることに痛む心をエドワードは持ち合わせていないが、健気な姿を見るたび同情する。
 かわいそうに。いくらヒトと同じ姿をしていようが、俺も彼らも、君を身勝手に傷つけるひとでなしだよ――その事実をそのまま伝えたとして、あの人間は頷かないだろう。存外に頑固な一面を知っているので、もう直接言い含めるようなことはしないけれど。
 それはそうと、妙な理由で避けられ続けるのも面白くない。はてさて、どのように誤解を解こうか――エドワードは静かに舌なめずりしながら、いつものようにスマホのDチャットを起動させた。