きなこ湯
2025-05-31 21:51:53
7901文字
Public
 

魔界にて悪酒

三魔王+主人公が開催している定期食事会の話。
ver7.3クリア推奨。主人公は人間こども・姉・一人称「わたし」で書いています。
ユ主の要素が強いですが、全体的に三魔王と主人公が仲良しです。


「うわ……ちょっとユシュカ、それ以上脱がないでくれよ」

 アスバルは端正な顔を歪めてそう言った。普段よりも低い声には不満と嫌悪が明確に表れているが、ゼクレス魔導国の正当な魔王として徹底した教育を受けてきたアスバルがこうも露骨に顔をしかめるあたり、その相手には相当心を許している証拠だ。ユシュカもそれをわかっているので特に気分を害することはなかったが、あえて大袈裟におどけてみせる。

「べつに、これぐらい脱いだうちに入らないだろ。ずいぶんな言い様じゃないか」

 酒が入ると体温が上がる。元よりユシュカの身体に流れる血液は火と相性の良い性質だ。相変わらず呪文の類は苦手だったが、宝石魔術を習得したことで、血の温度をさらに高める戦法も身に着けている。そういう体質なので、ユシュカは周囲から「暑がりだ」と言われることが多い。
 毛皮のベストを脱いで適当に畳む。それも几帳面なナジーンに言わせれば畳んだうちに入らないらしいが、大雑把なユシュカがほいほいと脱ぎ捨てるのではなくわざわざ脇に置いたのは、ここがユシュカの国ではないことが原因のひとつだった。
 魔界天下の大魔王城。国を持たぬ主の座す城だ。そうは言っても当の本人が旅の生活をゆく奇特な人間のため、闇の根源ジャゴヌバ打倒以降、臣下の三魔王が一堂に会する機会はめっきりと減っていた。
 しかし当然、この城が完全に無人となったわけではない。闇の根源が打倒され、今後は新しい大魔王こそ輩出されなくなったが、魔界の魔瘴問題はいまだ根深かった。生きてゆくに厳しい土地で競合する国が三つとなれば、そのバランスを保つため取りまとめる存在が必要不可欠だ。そんな理由をいくつか並べて、ユシュカはどうにかその人間が「大魔王をやめる」と言わないよう画策してきた。実際、何かに捕らわれることを好まない根無し草が今でも大魔王サマと呼ばれて逃げ出さないあたり、ユシュカのたくらみはいくらか成功している。

 ちらり、とユシュカは視線を少し離れた同じテーブルに着く人間へ向ける。白い手が不似合いなグラスを握り、ちびちびと舐めるように中身を飲んでいた。近くに置かれた酒瓶のラベルを見る限り、どうやら甘口のデザートワインらしい。
 事情をなにも知らぬ魔族に「これこそが仮面の大魔王だ」と話しても、おそらく一度では信じてもらえないだろう。背丈はここに集まる三魔王の半分ほどまでしかなく、その肌は新雪のように色白だ。ツノや牙、羽や尻尾も持ち合わせていない。どこからどう見ても人間のこどもである。――見る者によって印象を誤魔化すまじないとやらのおかげで、一見ではどこにでもいる魔族の姿に見られるのかもしれないが、少なくともこの大魔王城に出入りする魔族は彼女が正真正銘光の世界に生を受けた人間であることを知っている。なにせアストルティアの勇者姫が打倒大魔王と声高らかに乗り込んできた際、彼女こそ勇者の盟友だと名乗って場を収めたのだから。
 魔界三国の魔王を繋ぐにこれ以上の存在は見つけられないだろう。本人にしてみれば魔族でない自分が大魔王と呼ばれることに後ろめたさがあるのだろうが、今の魔界で本当に必要なのは、統治者ではなく三国を繋ぐ盟主としての大魔王だ。もしあの時――ユシュカが自分の夢を捨て「お前が大魔王になれ」と小さな背中を押してやったあの時、そんな立場は絶対に引き受けないと断られていたら。あるいはもっと前、魔仙卿の選定が彼女以外の誰かを指名していたら。今のように主要三国が比較的穏当な協力関係を結び、大魔瘴期を乗り越えられていたかはわからない。魔界とアストルティアの間に深い隔たりがあるのは事実だが、魔界に生きる者の我が身を滅ぼすは光の世界の民ではなく、魔界の赤い海の底に潜んでいたのだから。
 そういう意味でも、やはりあの時の選択は間違ってなかったと言える。ユシュカにとってその人間は長年の夢を潰した張本人であり、自分の望んだ以上の景色を掴み取った希望の象徴でもあった。ゆえに、どれだけ腹の底に吞み込んだ強欲が「この人間が欲しい」と低い声でノドを鳴らしたとて、その肩を掴んで振り向かせるようなことはしないと決めている。そんな権利をユシュカは持ち合わせていないし、なりふり構わずそうまでしたなら、もはや本当に完敗を認めるしかないだろう。惚れたもの負け――文化思想は異なれど、アストルティアにも似たような概念はあるに違いない。自他ともに認める自尊心の強さが、彼女という手の届かない星に焦がれ、なお現状に甘んじている事実をなかなか公に認めたがらなかった。

 ――そう。魔王ユシュカはこの人間に惚れている。
 手の届かない星だとわかっていても、いつか己の手の内に落ちてこないだろうかとひそかに願うくらいに。ユシュカが触れられる場所にあるうち、その肩を掴んで無理に引き留めないことも、突き詰めれば愛の形をしているだろう。
 それはそうと、歳のわりに青い下心だってあるわけで。

 旅人を名乗る根無し草にも故郷と呼べる場所はある。かつてユシュカがひと晩滞在したエテーネの村には彼女の育った家があり、隣の島には肉親の暮らす実家があると言う。それらとは別にウェナ諸島のどこかに土地と家を持っているらしいし、この大魔王城はユシュカが彼女に与えた居場所のひとつだ。しかし、普段はいまいちどこにいるのかよくわからない。打倒ジャゴヌバをきっかけにユシュカが押さえていたアストルティアとの交易ルートを活用して、たびたびファラザードから手紙を送ってはいるものの、返ってくる便せんやインク、消印は毎回異なる場所から届いた。それは彼女が移動と共に生きている証拠で、引き留めることの難しさを表す。
 彼女がファラザードを訪ねたときには、必ず一度声をかけ、引き留めるよう兵士らに言い含めている。運がよければユシュカのポケットゴールドで酒がのめるとわかっているので、彼らはほとんど協力的だ。ファラザードの砂を踏んだなら少なくとも一度は顔を見せにこい――彼女の去り際には必ずそう伝えているが、それでもひと晩泊まっていく回数は来訪のうち半分を割った。ユシュカが別れを惜しんでいることを理解しているからこそ、後腐れなくさっぱりと次の目的地へ向かいたいのだろう。
 この人間をひと時でもユシュカの手の届く範囲に引き留めるには少々コツがいる。彼女がもっとも価値があると思うもので釣る必要があった。たとえば剣のウデを買った依頼で、あるいはお人よしな性根に付け込んだ相談ごとで、もしくは――胃袋を掴む食事で。ファラザードの酒場を半ば貸し切り、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎの場に持ち込めば、たいてい頑固な旅人も折れて朝まで滞在してくれる。
 そのさなかに偶然知った彼女の酒癖は、ユシュカがひそかに秘めていることのひとつだった。

「あれ。もしかして、眠い?」
……ねむくない」
「その声では無理があるぞ」
「ねむくない」

 アスバルの問いかけにハッと顔を上げ、ヴァレリアの呆れ声に首を横に振った。普段は耳の後ろでふたつに結んでいる髪も、今はおろしている。薄い肩に落ちた髪のひと房が、眠そうに俯くたびはらりと滑り落ちる。
 魔王アスバルの〈創失〉から始まった一連の騒動が収束した後、これは魔界との連絡を怠っていた自分の責任でもあると珍しく反省したらしく、時々大魔王城で三国の魔王と彼女が顔を合わせる食事会が開かれるようになった。いわゆる近況報告の体で招集された魔王たちだが、この人畜無害そうな人間を真中に置いての食事会となれば、国を代表した堅苦しい会合のような雰囲気があるはずもなく。それぞれに王の肩書を脇に置いた、ごく気楽な食事の場である。
 もともと覇気を感じさせない人間だが、親しい相手とのみの食事となればさらに緊張感は薄まる。完全に油断しきった今なら、この場にいる魔王の誰でもその首を獲れるだろう。魔界においてその甘さは命取りだが、理屈の上でそうわかっていても、実力主義を徹底するヴァレリアでさえその気にならないあたり、やはり魔界を繋ぐ盟主はこれしかあり得ない。
 半開きの目でグラスに残ったワインを飲み干し、右手がふらふらとテーブルの上をさ迷う。視線の先にあるのはファラザードおなじみのカレーとナンで、今日はユシュカが食事を用意する番だった。騒動の後、ポルテと魔界各地を巡って食べ歩きをしたことがずいぶん楽しかったらしく、食事会の準備をするのは自分を含めた四人の交代制でと大魔王サマたってのご希望である。
 不安げな仕草の手のひらがナンに届くより早く、ヴァレリアがそのウデを掴んで止める。そのまま好きにさせていれば、手で千切ったナンやスプーンで掬ったカレーをぽろぽろと膝元に落としかねない。ヴァレリアは生来の世話焼き一心で咄嗟に掴んだのだろうウデをじっと見下ろし、それから肩をすくめる。

……やはり眠いのだろう? ずいぶん体温が高いぞ、大魔王どの」
「ねむくない」
「そろそろいい時間だしね。今夜はお開きにするかい?」
「まだ食べる」

 まるで駄々をこねる子どもの言い分だ。彼女を挟み、ヴァレリアとアスバルが頭上で視線を交わす。その合間にもウデを掴まれた人間はうつらうつらと舟を漕ぎはじめ、まぶたはすっかり落ちている。
 この場をどう切り抜けるべきかとひとりひそかに思案していたユシュカは、チャンスは今しかないと腰を上げた。

「俺が部屋まで連れていこう。こうなったこいつは頑固なんだ」
……ほう?」氷の魔女に相応しい鋭い眦がヒヤリと細められる。「ずいぶんと親切だな。だが、その役目がわざわざ貴様である必要もあるまい?」
「おいおい、そんなあからさまに警戒しないでくれよ。仰る通り、俺は親切心で名乗り出ただけだというのに」
「君の親切心にはたいがい裏があるものだけどね」
「いや、これは本当に純粋な親切心だ。ファラザードの宴でも、急に寝っ転がるこいつを負ぶって客間に送ってやったことが何度もある。俺が魔界を連れまわしていた頃は、こんなこともしょっしゅうだったしな」
「ふうん」
「どうだか」

 アスバルからも冷ややかな視線が向けられて、ユシュカは困ったように肩をすくめた。実際、かなり困っている。
 空のグラスにちらりと視線を落とす。このデザートワインはユシュカが用意したものではない。甘党な彼女のためにとアスバルがゼクレスから持ってきたものだ。つまりユシュカにとっては想定外で、今回の食事会がはじまった最初から嫌な予感はしていた。
 ゼクレスやバルディスタでどうしているかは知らないが、ファラザードで酒を勧められたときは断らない。勧めるほうもみな悪いとは思っていないだろう。見た目こそ子どもの姿をしているが、この人間の身体は通常の子どもと同列に語れず、魔界において見目の年齢と実際の年齢は必ずしも等号で結ばれないからだ。
 少しでも長く、できるだけ彼女の心を踏み荒らさない方法で引き留めたい一心だった。ファラザードで自慢の料理と酒を用意してやれば、ひと晩くらいは手の届く範囲に留まってくれる。ユシュカにしてはずいぶんと可愛らしい範囲の下心で判明したのは、この人間は見た目の通り酒に弱く、また妙な酒癖があるということだった。

……?」

 頭上で交わされる冷ややかな応酬に、しらあいの瞳がぼんやりと開かれる。
 隣にいるアスバルと、目の前にいるユシュカと、それからうつらうつらと揺れていた肩を支えていたヴァレリアとをぐるりと見まわして。
 ユシュカは息をのんだ。この光景を知っている。はじめてべろべろの限界になるまで酒に付き合わせたあの夜のユシュカと同じ立場に、よりにもよって、あのヴァレリアが置かれている。

――!」
「えっ」
「あー……

 一番近くにいたヴァレリアの首の裏に手を伸ばし、彼女はぐいっと背を伸ばした。それでも身長の差は埋まらず、半ばぶら下がるような体勢になったところを、咄嗟にヴァレリアが片手で支える。支えを得たことを幸いに――魔界でもっとも恐れを知らない人間は、躊躇いなくヴァレリアの頬にくちづけた。
 三人の魔王が硬直する。ヴァレリアとアスバルは突然のことに驚き、ユシュカは背中にだらだらと冷や汗を搔きながら。

「へへっ」

 調子のよいのは渦中の人間ひとりのみ。不格好に口元を緩めて笑う。それから、すっかり満足したようにテーブルへ突っ伏して眠りはじめた。

……

 すっかり取り残された三人の魔王は沈黙する。
 そのうちのひとり、ユシュカはぶるりと肩を震わせた。骨の芯まで凍えそうな冷気が漂っている。慌てて首を横に振り、両手を挙げて敵意のないことを示した。

「待て! 違う! 誤解だ! 俺はそんなたくらみがあったわけじゃなく」
……貴様」
「違うって言ってるだろそのハルバードをしまえ!」

 魔界の盟主。手の届かない、彗星のような未知の可能性を秘める人間の思わぬ弱点。
 稀代の大魔王は、酒に酔うとキス魔になる。
 ユシュカとて偶然知ったことだった。はじめは眠気がくるらしく、その点は生前の幼馴染とよく似ている。最後まで俺の酒に付き合ってくれる相手にはなかなか恵まれないとユシュカは惜しく思っていたのだが――眠気を無理に押して飲み続けると、どうやらスキンシップが過多になる質でもあったらしい。
 この事実を知っているのはファラザードの宴に参加する面々、それから酒場のスタッフくらいなものである。特に大魔王サマをもてなす体の宴はいつにも増して規模が大きくなるもので、彼女がこうまでなるときにはたいてい周囲も同じだけ正気では聞くに堪えない醜態を晒している。それゆえ、自然勝手に箝口令の敷かれるようなものだった。少なくとも他国の王の耳にまで届く情報ではない。それをいいことに、ユシュカはときどきその人間に強めの酒を勧めてはかつてのしもべよろしく膝の上に置き、底に穴の開いた満たされない強欲をなだめていた。
 ナジーンには半ば本気の呆れ声で「セクハラですよ」と苦言を呈されていたし、ジルガモットからはときどき冷えた眼差しを向けられるし、シシカバブ一味や気心の知れたシャカルなどは事情をなにも知らない人間に哀れみの目を向けたりする。それでもユシュカは慣れぬ我慢続きで変な方向に思い切らないよりマシだろうと自身の行いを正当化し、また彼女が酒に酔った記憶を翌日まで持ち越さない質であることに甘えていた。
 もちろん、この行いがアスバルやヴァレリアに知られたら一大事だろうことは予感していた。

「待て。待ってくれ。冷静に話し合おう。俺たちはわかりあえるはずだ」
「黙れ」
「俺たちが争うことをこいつは望まないだろう? なあ、だから、一度話を……
「黙れ。私は大魔王以外の命令には従わん」

 ――それからお前は臣下にふさわしくない正真正銘のクズだ。心底ユシュカという男を軽蔑する、そんな声が続いたような気がした。
 ユシュカは〈協調〉を謳う実力主義の魔界に珍しい魔王だが、魔界を大魔瘴期から救ったのはその理念だった。その点は魔族らしい魔族であるヴァレリアも承知している。一方で、バルディスタの魔王らしく譲らないと決めた点は徹底して譲歩しない。「大魔王以外の命令には従わない」とはまさしくその通りで、子どもの姿をしている仮面の大魔王はほぼ唯一のウィークポイントだった。氷の魔女ヴァレリアは、守られるべき子どものためにこそ最前線で斧槍を振るう魔王である。
 要するに、魔王ヴァレリアの中でこの呑気な人間は、己が頭を下げるに値する主であると同時に、まだほんの十数年しか生きていない子どもでもあった。ゆえに、ユシュカの秘めていた下心を心の底から軽蔑していた。ふたりの心だけを測り比べれば、ヴァレリアの意見のほうがよほどその人間のためになるだろう。
 とは言え、このままだと冗談ではなく本当に首が飛ぶ。ユシュカはヴァレリアの殺意を刺激しない程度に首を横に振りながら、どうにか弁解の言葉をつづけた。

「違う、本当に違う。なにか勘違いしていないか? 誓って俺は、こいつを傷つけるようなことはしていない。本当だ。なあそうだろう、ナジーン⁉」
「ええ、そうですね。私が知るのは、彼女を己の膝に座らせて好きなだけくちづけさせ、締まりなくデレデレと満足そうにしている我が主の姿くらいです。それ以上のことはおそらくない」
「ほう――?」
「おいナジーンッ、お前は俺を殺す気か⁉」

 喉笛に迫る刃がますますキンと研ぎ澄まされる。援護を頼んだはずが、これではヴァレリアにバイキルトのかけられたようなものだ。
 魂を魔剣に宿らせるナジーンは、ユシュカの下心の現れる件の宴にも必ず付き合わされている。元来酒に弱い身体だったことから、宴の席でも酒を断る理由ができたことはよかったのだが、今度は主の蛮行を止める手段をひとつ失った。ナジーンにとってあの人間は、ユシュカに振り回される側の同志で、ユシュカを守り通した希望の星で、それからかつての自分の半分にも満たない体躯で健気に働くファラザードの仲間(ルビ:うちの子)だった。今回の仕打ちは主の蛮行を嗜めるにちょうどいい薬と判断したらしい。

……はあ。見ていられないな、これは」

 今にも辺り一面が凍り付きそうな冷気の中、アスバルは飄々とした態度を崩さず、呆れ一色で肩をすくめた。カツン、と長杖の先が床を叩く音が響く。喉元に斧槍を突き付けられ、壁際に追い詰められていたユシュカは、そこでようやく問題の人間の姿が見当たらないことに気が付いた。

「あいつはどうした?」
「君たちが争っている間に僕が魔法で送り届けたよ。今頃、大魔王の部屋のベッドでぐっすりだろうさ」魔力の残滓と共に長杖がふわりと消える。「ヴァレリア、君の気持ちは心から理解できるよ。まさかユシュカがそこまでしょうもないことをしているなんて、僕も驚いたからね。ただ、僕らがここで争うことをあの人が望まないだろうってことには、癪だけれど同意だ」

 アスバルを鋭い眼差しで一瞥し、ヴァレリアは渋々と斧槍を収めた。漂う冷気のひややかさは変わらず、ユシュカが妙なことをうっかり口走れば肌の切れそうな空気だったが、ひとまず首が飛ぶ事態は避けられた。
 赤いマントの裾を片手で捌きつつ、アスバルは泰然と己の席に腰掛ける。

「料理はともかく、お酒はまだ残っているよね。いい機会だから、あの人を抜きにしかできない話をしてみないかい?」

 飄々として掴めない態度だ。いかにも優しげなカオの裏にしたたかなツメを隠している。さすが悪意の都を治める長なだけあると一周まわって感心しながら、これほど厄介な男を忘れさせる〈創失〉の呪いがますます恐ろしく思えた。
 魔王アスバルに、先代であり母親であったエルガドーラのような鋭利な高慢さや煮詰めたような悪意は似合わない。しかし、彼にも確かにゼクレス王家の血が流れている――そんなことを思った瞬間、ユシュカの胸にある予感が閃いた。

「アスバル。お前、まさか」

 ――最初からこうなると踏んであのワインを用意したのか?

「なんだい、ユシュカ? そんなに怖いカオをしないでほしいな」

 アスバルはガラス玉のように澄んだ瞳をわずかに細め、小首を傾げてみせた。