織音
2025-05-31 21:25:29
2008文字
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「ただいま」と「おかえり」

ただいまとおかえりって言い合いたいって愛だよねというテーマから逸れに逸れて生まれたもの。
でもこれも気に入っているのでいっかぁ精神で完成させました。

「君が安心して、『ただいま』って言える場所でありたいんだ」
 少し前何かの話の折り、リーにそんなことを話したことがあったと、ふと任務に向かう輸送機の中で思い出した。
 あれは確かリーが超刻機体に換装した後のことだったような気がする。意識海の混乱と意識の整理がようやく収まった後にそんな話をしたんだったか。
 透明な壁を一枚隔てた向こう側、音のない真空の黒に浮かんだ煌めく点の数々を、記憶を辿っていくのと同じように指でなぞる。
 頭の中に散らばっていた点は線を結び、繋がり、次第に「その時」という記憶が形作られていくのは、まるで星座にも似ていて。
では、そうやって『おかえり』と言い続けた貴方には誰がおかえりと言うのですか」
 ああ、そうだ。そうやって聞かれて僕はなんて答えたんだったっけ?
 未だ完成しない星座を辿り、真空の黒の中を視線と思考が漂う。
グレイレイヴン指揮官」
 彼方を漂泊していた意識が輸送機の中へと引き戻される。今回の任務に参加している構造体の声だった。
「今回の任務概要についてブリーフィングを行いたいのですが」
「分かりました少しお待ち頂いても?」
 端末を操作し、任務概要が記載されたファイルを開く。遠ざかるエデンを横目に見ながら小さく呟いた。
早く終わらせて、早く帰らないとね」
「?どうかしましたか?」
「いいえ、なんでも。始めましょう」
 あまり遅くなりすぎると、「早く帰って来てください」なんて怒られるから。

 /

 帰投後、検疫と幾つかの報告を済ませ、解放された頃には生態システムの昼を照らしていたイミテーションの天体は傾き、万物を橙に染め上げる美しい暮合だった。
 丁度これくらいの時間。ファウンス士官学校に通っている生徒達も帰路につく頃だろう。
 ファウンスにいた頃は「ただいま」なんて言ったことは無かった。訓練と勉強に明け暮れ、ひとり学生寮への帰路につき、ひとりの部屋で眠る。そんな生活を繰り返していたものだから、きっと心の何処かで「ただいま」と「おかえり」が言い合える環境を少しばかり、羨んでいたのかもしれない。
 でも今は、もう羨む必要はない。
 はやくはやくと、嬉しそうに帰路を急ぐ子どものように橙に染まった廊下を進んでいく。
 この長い廊下が過去、静かに羨んだ場所へ繋がる帰り道になるなんて。そう思いながらひとり笑みを零す。
 今はルシアもリーフも単独で任務に出ているし、帰投予定も明日の昼頃。きっと今、休憩室にいるのはひとりだけ。
 ようやくグレイレイヴンの休憩室に辿り着いた頃には、生態システムの短い夕暮れはその姿を変えていた。先程まで橙一色だった眩しい空は群青が滲み出し、光が衰えていくと同時に綺麗なマジックアワーを作り出していた。
 そして息をするように、その扉を開いた。
 何一つ変わらないレイヴン隊の休憩室。そこにいるのは、予想通りただひとりだった。
 最近の実験データだろうか。数字の羅列とグラフが表示された端末を見ていた青年の構造体は、開かれた扉の音と聞き慣れた足音で振り返る。
 夕暮れの残紅に照らされながら揺れた、エクリュに似た色の硬質な髪。ふっと穏やかに細められた青色が静かに僕を見ている。息を吸う、一呼吸分の間。そして。
「おかえりなさい。指揮官」
 待ち望んだその言葉に迎え入れられようやく、僕は対の言葉を返した。
「ただいま、リー」
「今回は随分早かったですね」
「簡単な掃討任務だったからすぐ終わったんだ。それに」
 一歩だけ、リーとの距離を詰める。硬質なエクリュを梳いて流し、顕になった耳へ囁きかけた。
「僕がいないと、寂しがる誰かさんがいるからね」
 だから早めに終わらせてきたんだ。
 たったふたりしかいない休憩室の中で、本来ならば耳許で囁くなんて必要もない。それでも彼ひとりだけに伝わるように、なんて僕の我儘だろう。
 指揮官は僅かに赤く染まった耳を満足そうに眺め、それと反対の色をした瞳にどんな表情が浮かんでいるかを覗き込もうとした。が、それは「そうですか」という素っ気ない言葉と目を逸らされたことで阻まれた。
 本当に、素直じゃないんだよな。
 くすくすと笑みを零しながら名残惜しさに蓋をして、詰めた距離と同じ一歩分離れていく。
さぁ、残りの仕事を終わらせようか。不在中に増えた仕事は?」
「ありません。本日中に処理すべき案件は二つ程度なので、すぐ終わりますですので」
 瞬きの一瞬。ふ、と鼻先が触れそうな距離で青色が揺らめいた。
続きは、またあとで」
ふふ、了解。それなら早く終わらせて、帰ろうか」
 早く仕事を終わらせて、早く帰ってもう一度、「ただいま」と「おかえり」を言い合おうか。
 その時は隊員と指揮官としてではなく、互いの無二として互いの帰る場所として、ね。