零ミリ
2025-05-31 17:33:11
2662文字
Public
 

こってり味のキスはどうかと思います

大学生パロの原宇原 デキてる関係性だけど何も起こらずラーメン食べるだけ

「あ〜〜〜〜腹減った!」
 1限提出のレポートを書き上げたノートパソコンを閉じ、狭い部屋で一人声を出す。時刻は深夜1時、寝た方がいいのは分かっているが無性に腹が減っている。冷蔵庫には何もないので、腹を満たすには外に出なければいけない。どうせ食べるなら深夜に食べる意味があるものがいい。こってりのラーメンとか。
 スマートフォンで近所でまだ空いているラーメン屋を検索すると、歩いて15分ほどのところにちょうど一軒あった。しかも、途中に宇津木君のマンションがある。彼は深夜にラーメンなんて罪は生まれてこのかたまだ犯したことがないだろう。『まだ起きてる? 朝これ見たら無視して』というメッセージを宇津木君に送ると1分も経たず返信が返ってきた。
『本を読んでいたところです。なんですか。夜中に』
『お腹減ってない? ラーメン食いに行こうと思うんだけど』
『深夜にラーメンですか。元気ですね』
『それがいいんだって! 宇津木君、こんなことしたことないだろ? たまにはいいじゃん』
 そこで返信が途切れる。既読はついているので悩んでいるらしい。5分ほどして返信が返ってきた。
『別に行ってもいいですよ。小腹が空いていたのは事実ですし』
『よし! 店行く途中にマンション寄るからそこで合流しよう』
『わかりました』
 宇津木君の返信を確認すると財布とスマートフォンだけをポケットに入れて外に出る。夜はまだ少し肌寒いが風邪を引くほどでもない。このくらいの気候がずっと続けばいいのにな、とこれから襲い来る夏を想像してげんなりする。
 5分ほどで宇津木君が住んでるマンションに到着すると、スマートフォンで到着した旨のメッセージを送る。いかにも富裕層のマンション、という立派なエントランスを構えたこのマンションはいつ見ても気後れする。そういうわけでインターホンはあまり使いたくないのだ。彼との生まれ育ちの差を感じてしまう。
 道の脇に寄って待っていると宇津木君がエントランスから出てくる。いつもの無愛想な宇津木君だ。宇津木君はこちらを見つけると長い脚の大股で近付いてくる。
「まったくあなたは……。健康に悪いですよ」
「あはは。若い時の特権ってね。それに今日は宇津木君も付き合ってくれるんだろ?」
「そうですけど……まあいいです。行くならさっさと行きましょう」
 宇津木君に促されるままにスマートフォンの地図を見てラーメン屋へ歩き出す。いつもは別の方向のラーメン屋に行くのでこのラーメン屋は初めてなのだ。自転車の方が楽なのだが、宇津木君は自転車を持っていないし乗れないらしい。今まで乗る必要がなかったから乗る練習もしたことがないと。でも歩きの方が宇津木君とゆっくり話せるのでその方がいい。
 他愛のない話をしているとすぐにラーメン屋に着いた。聞いたことのない店名だがラーメン屋には詳しくないので個人経営の店かチェーン店か判別がつかない。カウンター席しかない店内は空いている。食券機の前で少し指を彷徨わせた後、とんこつラーメンと半ライスのボタンを押す。
「宇津木君は何にする?」
「よく分からないので同じものでいいです」
「ここの店のとんこつって結構こってりらしいけど、大丈夫?」
「こってり……? 多分大丈夫です」
 宇津木君はとんこつラーメンのボタンだけ押して奥の席に座る。横に並んで座ると店員に食券を渡す。セルフサービスの水を宇津木君にも注いで、喉を潤す。そういえばレポートを書くことに集中していたので夕食以来水分を摂っていない。よく冷えた水が喉を通る感覚が心地よい。
 すぐに二杯のラーメンが目の前に並べられる。湯気が立ち上る油の浮いたスープがいかにも深夜の罪の顔をしている。麺をすすると麺に絡んだ濃いとんこつの味が口内に広がる。レポートを書き上げた疲れた身体と脳にジャンキーな味が染み渡る。
 宇津木君は髪を耳にかけながら箸で持ち上げた麺を冷ましている。猫舌の宇津木君を連れてくるとこうなるのは分かっていたが、彼にもこういう経験をしてほしかった。ようやく冷めた麺を宇津木君が啜る。育ちの良い宇津木君は全く音を立てずするすると麺を啜っていく。
「どう? 美味しい?」
「ん、美味しいです。今まであまり食べたことない味ですが」
「まあそうだろうね。そういえば髪邪魔じゃない? 髪ゴム借りれるよ」
 俺の席の後ろの注意書きを指差す。小さいラミネートに「髪ゴムあります」と書いてある。宇津木君は小さく頷くと店員に声をかける。店員はカウンターの下から黒い髪ゴムを取り出し宇津木君に渡す。借りた髪ゴムで後ろ髪を小さく括った宇津木君はちょっと幼く見えて新鮮だ。
 半ライスを頼んだ俺と猫舌の宇津木君だと俺の方が早く食べ終わった。食べ終わってスマートフォンを見る俺を横目に見ながら冷めたラーメンをスピードを上げて食べる宇津木君はいかにも宇津木君だな、と思った。
 胃を満足させて深夜の罪を堪能すると、ラーメン屋を後にする。また他愛のない話をしながら同じ道を帰る。宇津木君の住んでるマンションが見えてきたところで宇津木君の顔を覗き込みながら尋ねる。
「深夜のラーメンどうだった? たまにはいいだろ?」
「健康には良くない気がしますが、ラーメンは美味しかったです。でもこういう誘いの時にラーメンはどうかと思いますよ」
 宇津木君の言葉に俺はぽかんとする。
「え? 特にそういう意味じゃなくてただラーメン食べるだけの誘いだったんだけど」
 咄嗟に出た俺の言葉に今度は宇津木君がぽかんとして、そして街頭の明かりだけでも分かるくらい顔を真っ赤にして、その顔を隠すように顔を背けて足早に帰路を急ぐ。
 やばい、答えを間違えた。
「ごめん、宇津木君、今からウチ行こう! 俺全然今からいける!」
「もういいです、さっきのは忘れてください」
 こうなったら宇津木君はもう俺の言葉を聞かない。完全に言葉をミスった。足早に無言で帰る宇津木君、情けなく追いかける俺、結局宇津木君を振り返させることができず、マンションの入り口まで着いてしまった。このマンションの前で騒ぐこともできず、オートロックの自動ドアの奥に帰る宇津木君を見送った。
 気落ちしながら自分の部屋に戻ると宇津木君からメッセージが届いていた。
『ラーメンは悪くなかったのでまた誘ってくれてもいいです』
 彼らしいちょっとひねたメッセージにすぐに口角が上がる。次、深夜のラーメンに誘う時は翌日休みの日にしよう。