気付いたら、私は天井を見上げていて、その視界の半分程に甚兵衛様がいらっしゃった。何が起こったのか良く分からなくて目を瞬かせる。私を見詰める甚兵衛様の手が動いて、肩の辺りから腕までを摩るように撫でられる。その様子をぼうっと見ていたら、甚兵衛様が少しだけ眉を寄せた。いつも涼やかな感情の読めない表情をしていると思っていたのに。そのお顔は怪訝な表情、のような気がした。
「あ、あの、」
「抵抗せぬのか」
抵抗?何の事かしら、と首を傾げると、かなり大きくため息を吐かれた。伸ばされた手が私の手を上から押さえ付ける。大きさの全く異なるその手に触れられる事が嬉しくて、少しだけ握り返した。甚兵衛様の怪訝な顔が一層険しくなった。何か、粗相をしてしまったかしら。
「儂がこれから何をしようとしているのか、分かっておるのか?」
甚兵衛様の目が何かいつもと違うような気がする。でも理由が分からないので小さく首を振る。いつものように、共寝をするのではないのだろうか。
「共寝、ではないのですか……?」
恐る恐る思った事を口にすると、今度はあからさまに甚兵衛様のお顔が歪んだ。あ、間違えてしまった、と胸が嫌な感じに揺れてしまう。挽回しようと思うけれど、でも、何を言って良いのか分からない。不安が顔に出ていたのだろうか。甚兵衛様のお顔が近付いてきて、慰めるように額に唇の触れる感触がした。
「…………ふん、まあ良い」
甚兵衛様との距離が少し離れて、私の視界から甚兵衛様がいなくなる。あ、と思った時には私の隣に臥した甚兵衛様が、私を見詰めていた。見詰め返して微笑んでみる。甚兵衛様が好きだから、甚兵衛様と触れ合っている私の顔はいつも緩くなってしまう。甚兵衛様の骨張った手が伸びてきて、私の頭をゆっくりと撫でてくださる。嬉しくて目許が緩む。甚兵衛様が小さく笑った。
「顔が緩んでおるぞ」
「はい。甚兵衛様のおててが気持ちよくて」
欲が出て、甚兵衛様の衣の袖を握る。甚兵衛様とは歳もかなり離れていて、政略で嫁いで来た時は、本当にどうやって接して良いのか分からなかった。でも、甚兵衛様は物慣れぬ私をいつも気に掛けてくださって、それは私が甚兵衛様を慕う理由には十分だった。手触りの良い夜着の袖に皺が寄る。甚兵衛様が喉の奥で緩やかに笑う音がした。
「…………魔性め」
呟かれた言葉の意味は分からなかった。首を傾げる私にゆっくりと首を振った甚兵衛様は私の背に腕を回すと力強く引き寄せる。甚兵衛様の腕の中で甚兵衛様の香りとお風呂上がりの香りとが混ざり合っていて、それを感じるだけで安心した。安心して、心が緩んだ。
「甚兵衛さま、」
言いたい事は、正直なところ準備は出来ていなかった。でも甚兵衛様の手の重さや触れ合った所から感じる温もりが、私の口を勝手に動かした。
「すき」
とても静かだった。外の音は何一つ聞こえなくて、もしかしたら、私の瞬きの音が聞こえるのではないかと思うくらい。甚兵衛様はただ、私を見詰めていた。前はこの目に見詰められるのが少し怖かった。でも今は、心が暖かくなって、不思議と苦しくなる。理由はまだ、完全には理解出来ていなかった。
甚兵衛様の手が私の頬を滑る。少し乾燥した指先が、いつもより少しだけ強く私の頬を撫でていく。頬を歪めるように撫でられて、少し驚いて目を瞑る。甚兵衛様に更に強く引き寄せられて、その胸に額が当たる。一層甚兵衛様の香りが強くなる。頭頂部を抉るように甚兵衛様が顎を押し付けて来られるから、擽ったくて声を上げて笑ってしまう。
「くすぐったいです!」
「ふん、構ってやっておるのだ。有り難く思え」
言葉だけだとつっけんどんに聞こえるけれど、私の身体はさっきよりももっとずっと甚兵衛様と近付いていて、時には境界線を埋め合わせるように擦り合わせられる。よく一緒におられる忍軍の方たちと比べたら上背も身体付きも全く違うのに、でも今、私を引き寄せる甚兵衛様は私よりもずっと力の強い、ただの男の人だった。
「ふふ、甚兵衛様、」
不躾かな、と思ったけれど、我慢出来なくて広い背中に腕を回す。ぎゅうぎゅうに抱き竦められていた身体を少し捩ってやや無理矢理にでもそのお顔を見上げた。甚兵衛様も私を見てくださっていて、視線が絡んだのが分かる。心がぎゅう、と暖かくなって、頭の中に霞が掛かったように何も考えられなくなる。
「じんべえさま、」
どうして、こんなにぼんやりしてしまうのだろう。胸が早く強く打って、頬が熱いのが見なくても分かる。全身がぎゅう、と握り締められるように感じてしまう。何か、とても大きな物が身体の中心に集まってくるような。良く分からなくて混乱しているけれど、私は、今の私たちには「次」がある事を知っている気がした。
「……物欲しそうな顔をする、」
甚兵衛様が呟いた言葉を拾うより先に、そのお顔が近付いてくる。びっくりしてしまって咄嗟に顔を逸らそうとしたけれど、強い手に身体を更に引き寄せられ、その動きと甚兵衛様の視線が私にそれを「許さない」と伝えていた。一瞬躊躇った時にはもう、甚兵衛様の唇が私の物に合わせられていて、反射的に目を閉じる。甚兵衛様とする口吸いは、すきなのに、少し怖い。
「ん、」
だって何も考えられなくなって、鼓動は際限無く早くなって身体が凄く熱くなるから。唇が触れているだけなのに、私はもういっぱいいっぱいで、くらくらしていたら、甚兵衛様の手が私の手を握る感覚がした。かさりとした指が、私の手を撫でていく。甚兵衛様の脚が私の脚に絡められて腰の辺りが強く擦り合わされる。良く分からないのに腰の辺りがそわそわとしてしまう。あ、もう。
「も、だめ、です……!」
咄嗟に甚兵衛様の胸を押して顔と顔の距離を作る。甚兵衛様が意表を突かれたように、目を開いたけれど直ぐにいつものお顔に戻る。それから呆れたように笑われた。
「早う慣れんか」
「だめ、です!だって、こんな、いきなりっ!恥ずかしいん、です、もの……」
嫁いで来て、もうそろそろ一年になるけれど、私はまだ甚兵衛様の一挙手一投足に完全に慣れる事は出来なかった。甚兵衛様の手が表情が視線が、私を翻弄して苦しくするから。
甚兵衛様の呆れたような視線から逃れるように俯くのを阻まれる。顔を上向かされたから、また口吸いされるのかと思って身構える。でも違った。甚兵衛様が私を見ている。とても静かな目で。そして、頭を引き寄せられて、またその腕の中、今度は頭頂部に頬擦りされるような感覚があった。
「儂もそう、気の長い方ではないのでな……」
言われた言葉は、やっぱり良く、分からなかった。でも、その声音に滲む色が、また、私の身体の中心に集まってくる感覚だけは、いつも確かなのだ。
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